石仏

文英の石仏群 後編 大崎廃寺跡

岡山市北区三手の集落にある臨済宗の寺院、真福寺にも、四体の文英の石仏がある。 真福寺 本堂 真福寺の山門を潜ると、正面に本堂がある。山門から入って左に行くと、無縁仏の墓石が多数ある。 この墓石群の左側に、文英の石仏がある。 無縁仏の墓石 四体の…

文英の石仏群 前編

1月6日に備中の史跡巡りを行った。 岡山市北区の立田から門前にかけて、天文年間から天正年間(1532~1592年)に渡って制作された石仏群が存在する。 石仏の大半に、文英という制作者の銘が刻まれているので、文英の石仏群と呼ばれている。 岡山市北区門前…

福良

兵庫県南あわじ市福良(ふくら)は、古くから淡路から阿波に渡る船が発着する港であった。 古代律令制で定められた南海道の福良駅が置かれた場所でもある。 江戸時代には、徳島藩の屋敷や番所が置かれた。近代になってからも、大鳴門橋が完成するまで、徳島…

稲葉山

旧美歎水源地水道施設の前の道を北上すると、稲葉山の北側に出る。 稲葉山は、標高約249メートルの低山だが、因幡国一宮の宇倍神社の宮山であり、因幡の国名の由来にもなった山である。 稲葉神社から遠望する稲葉山 稲葉山は、因幡国庁跡からもよく眺めるこ…

成相池堰堤 南隆山覚住寺

成相寺石盤のある場所から東を見ると、平成11年に完成した成相ダムが見える。 成相ダム 成相ダムは、成相川の上流に設置された、洪水を防ぎ、生活用水を溜めるためのダムである。 成相ダムに堰き止められた成相川の水は、ダムの背後に溜まり、成相池を形成し…

加茂総社宮

宇甘渓から岡山県道31号線を走って西進し、岡山県加賀郡吉備中央町加茂市場にある加茂総社宮に参拝した。ここは、備前国の最西端と言っていい場所だ。 加茂総社宮 加茂総社宮の創建は、永正元年(1504年)のことである。 この地方の土豪で、後に虎倉城主とな…

摩耶山天上寺 中編

摩耶夫人堂の東側に建つ金輪堂には、一字金輪仏頂尊を祀っている。 金輪堂 一字金輪仏頂尊とは、覚りを開いた如来が、深い瞑想の中から唱えた真言「ボロン」の一字を神格化したものである。 金輪堂には、自由に入って尊像をお参りすることが出来る。正面の一…

隆泉寺 玉青館 六面石幢

叶堂城跡から兵庫県道25号線を西に走る。 南あわじ市津井にある、法華宗の寺院、隆泉寺に赴いた。 隆泉寺 本堂 日蓮上人の銅像 この寺院には、洲本市中川原二ツ石から出土した、弥生時代前期~中期の制作にかかる黄帯文銅鐸が保管されている。 銅鐸は、国指…

夜久野高原

昨年の大晦日に丹波の史跡巡りを行った。 今回大晦日に外出してみて分かったが、店や施設は閉まっていても、人や車が少なく、結構快適に史跡巡りを行うことが出来る。こういう大晦日もいいものだ。 さて私がまず赴いたのは、但馬と丹波の国境、今でいう兵庫…

鷲羽山 前編

12月24日に備前の史跡巡りを行った。 瀬戸内海国立公園の中で、国の名勝に指定されている鷲羽山(わしゅうざん)を目指した。 鷲羽山の手前、岡山県倉敷市大畠1丁目の、瀬戸中央自動車道の高架の西側にある延命地蔵尊を訪れた。 延命地蔵尊 延命地蔵尊は、…

香々美新町宿

赤峪古墳から進路を北東にとり、江戸時代の宿場町、香々美新町に赴いた。 香々美新町宿 津山藩森氏の時代に、美作津山と伯耆倉吉との間に倉吉街道が整備された。新町は、津山から倉吉街道を伝って倉吉に赴く場合の最初の宿場町であった。 江戸時代には、馬の…

児島下の町の史跡

由加山の参拝を終えて、港町児島の市街に入った。 今回は、現在児島下の町と呼ばれる地区の史跡を紹介する。 先ず最初に紹介するのは、岡山県倉敷市児島下の町7丁目にある鴻八幡宮である。 鴻八幡宮 鴻八幡宮は、由加山系の西端の宮山という丘の上に鎮座す…

補陀落山藤戸寺

7月17日に備前の史跡巡りを行った。源平藤戸合戦の古戦場を巡る旅となった。 寿永三年(1184年)二月に、一の谷の合戦で大敗した平氏は、水軍に頼って西に逃れ、備前国藤戸の地に拠った。 現在、藤戸と天城の間には倉敷川が流れているが、ここは寿永の当時…

久畑の関所跡 大兵庫開拓団殉難者之碑

静思堂から国道426号線を東進する。国道426号線は、兵庫県豊岡市から京都府福知山市までつながっている。 江戸時代にはこの道は、京街道と呼ばれた。出石藩や豊岡藩の大名行列は、この道を通った。 兵庫県豊岡市但東町久畑(くばた)は、江戸時代には宿場町…

法澤山大雲寺

オランダ通りから南西に歩く。 岡山市北区表町3丁目にある浄土宗の寺院、法澤山大雲寺に辿り着いた。 法澤山大雲寺 大雲寺は、岡山城を築いた宇喜多氏によって、現在の岡山市北区西大寺町に建てられた。 当初は、竜昌山大運寺と称していた。寺は一度衰微し…

二上山両山寺 前編

唐臼墳墓群から、山間の道を行き、岡山県久米郡美咲町両山寺にある真言宗の寺院、二上山両山寺を訪れた。 両山寺は、東峰の弥山(みせん)、西峰の城山という2つの頂を持つ二上山の中で、弥山中腹にある寺院である。 創建は和銅七年(714年)で、第43代元明…

熊野神社遺跡 後編

小さな鳥居を過ぎて参道を行くと、道が二手に別れている。 左に行くと、燈明の塔と呼ばれる巨石の上に載った石塔がある。 燈明の塔への道 燈明の塔と巨石 燈明の塔は、二つに割れた巨石の上に載っている。 ここではこの岩の間を通ることで、今までの人生で積…

熊野神社遺跡 前編

「鳥取県の歴史散歩」によれば、佐治四郎重貞が根拠地とした場所の一つが、鳥取市佐治町大井にある熊野神社遺跡であるという。 どんな場所か分らぬが、取り敢えず行ってみることにした。 訪れてみると、今まで見たこともないような不思議な史跡であった。 熊…

早良親王墓 浅野公園

昨日紹介した常隆寺は、延暦四年(785年)に薨去した早良(さわら)親王にゆかりのある寺であった。 かつてその早良親王の墓だったという場所が、淡路市仁井にある。だった、というのは、早良親王の遺体は、延暦十九年(800年)に、淡路の墓から大和国の八島…

北向八幡神社 那須与一墓所

妙法寺から南東に数百メートル車を走らせると、道を挟んで北向八幡神社と那須与一墓所が向い合せで建っている。 地名で言うと、ここもまだ神戸市須磨区妙法寺になる。 那須与一は、下野国出身の武者で、源平合戦の折に、源義経軍に従軍した弓の名手として知…

須磨寺 その1

神戸市須磨区須磨寺町にある上野山福祥寺は、通称須磨寺と呼ばれている。真言宗須磨寺派の大本山である。当ブログでも、通称の須磨寺の名で紹介する。 真言宗には、全部で18の大本山があるが、その一つである。 私は真言宗の信徒なので、18の大本山を訪問す…

松風村雨堂

綱敷天満宮から北に歩き、山陽電鉄須磨寺駅まで行く。 須磨寺駅の東側出口のすぐ傍に、「平重衡とらわれの松跡」がある。今は小さな祠があるだけである。 平重衡とらわれの松跡 かつてこの辺りには、大きな松の木があったという。 平重衡は、平清盛の五男で…

神戸市西区 太山寺 後編

太山寺境内の東側にある羅漢堂と釈迦堂の位置関係は、丁度神社の拝殿と本殿の位置関係に似ている。羅漢堂の奥に釈迦堂がある。 羅漢堂 羅漢堂は、正面に華頭窓と大きな唐破風を持つ寺院建築である。建立は江戸時代後期と伝えられる。 内部には、四天王像、十…

志染の岩室

兵庫県三木市志染町井上に、千体地蔵と言われる地蔵群がある。 中心にある地蔵尊は、山から突き出た砂岩に刻まれたものである。 千体地蔵中央のお堂 地蔵尊 この地蔵尊は、伝承によれば、天平三年(731年)12月に行基菩薩が彫ったものとされている。しかし実…

闘龍灘

兵庫県を代表する河川である加古川は、兵庫県丹波市の粟鹿山付近を源流とし、瀬戸内海まで流れている。 兵庫県加東市上滝野の加古川中流域にあるのが、名勝闘龍灘である。 ここは、川底から数メートルほど岩石が隆起していて、その岩石の間を縫って川が流れ…

三星城跡 吉田の油地蔵

林野の町から国道179号線を北上すると、左手に三星山が見えてくる。この山の麓にあるのが三星城跡である。 美作中央病院の裏に三星山の登り口がある。 三星山登り口 登山口には、明見三星稲荷の鳥居がある。この先で道が左右に分かれる。左に行けば、明見三…

北条の五百羅漢

住吉神社、酒見寺から北に歩いて、北条小学校と北条中学校の間の道を抜ける。当日は、小学校のグラウンドで少年野球の試合が行われていた。 学校を過ぎると、右手に天台宗の寺院である羅漢寺が見えてくる。 この寺にあるのが、北条の五百羅漢と呼ばれる石仏…

加西市 住吉神社

兵庫県加西市北条町古坂にある加西市埋蔵文化財整理室の駐輪場横に、阿弥陀三尊の種子を刻んだ鎮岩(とこなべ)板碑がある。兵庫県指定文化財となっている。 鎮岩板碑 元々は、加西市鎮岩町の大日堂の境内にあったが、加西市が保存のため、この場所に移転し…

報恩寺 長慶寺山古墳群

兵庫県加古川市平荘町山角にある印南山報恩寺は、真言宗の寺院である。 元明天皇の和銅六年(713年)、証賢上人の開基と伝えられる。 報恩寺山門 寺内には、数多くの石造遺品が残されている。寺勢が隆盛を誇っていた鎌倉時代から室町時代にかけてのものが多…

山伏峠石仏 玉丘古墳群

兵庫県加西市玉野町にある山伏峠には、兵庫県指定文化財の2基の石棺仏がある。 山伏峠石棺仏 道側の1基は、高さ2.25メートル、幅1.24メートル、厚さ0.4メートルの大きな家型石棺に、蓮華座上の阿弥陀坐像を彫刻している。 奥にあるもう1基は、高さ2.1メー…