小さな鳥居を過ぎて参道を行くと、道が二手に別れている。
左に行くと、燈明の塔と呼ばれる巨石の上に載った石塔がある。
燈明の塔は、二つに割れた巨石の上に載っている。
ここではこの岩の間を通ることで、今までの人生で積み重ねた悪を払い落とし、新たに生まれ変わるという意味を持つ、胎内くぐりの儀式が行われていたという。
古代から日本人は、巨石自体を聖地として信仰してきたが、巨石に触れたり、近づくことで身も心も浄められるという思いがあったのだろう。
燈明は、浄められた心が輝きを放っていることを象徴しているのではないか。
分岐点まで戻って、奥の院を目指して歩き始めた。
奥の院の手前には、三途の川と呼ばれる小川が流れ、鉄板の橋が架けられている。ここから先は浄土だ。
川を越えて進むと、山肌に複数の石室が設置されているのが目に入った。中には石仏が安置されている。
本家の熊野古道にも、道沿いに多くの石仏が置かれている。
石仏の古拙な表情は、その前を通る人をほっとさせる。
人生を一つの道だと思えば、人生の途上で、古道の脇の石仏のような存在に知らず知らず出会っているかも知れない。
さて、ここから奥に行くと、岩場の上に四人仏と呼ばれる四体の石仏がある。これが奥の院である。
恐らく熊野神社遺跡は、修験行者が修行する場所でもあったことだろう。
この奥の院の先には、更に深山の羅漢、流れ滝、那智の滝があるようだが、道が整備されておらず、危険であることから立入が制限されていた。
これ以上先に進むのはやめた。
熊野神社遺跡は、全国的には全く有名ではないが、こういった熊野参拝を身近に行うことができるミニ熊野は、全国にあるような気がする。
さて、佐治谷を更に西に行った鳥取市佐治町尾際(おわい)には、昭和47年に完成した佐治川ダムがある。
20世紀に築かれた、巨大なコンクリートの塊であるダムは、産業遺産として後世に伝えられることだろう。
このダムの更に西には、美作との境の辰巳峠がある。
美作の史跡巡りも並行して進めているので、この先に美作があると知ると感慨深い。この先にあるのは恩原である。
熊野神社遺跡は、不思議な場所であったが、ここを歩いた前と後では、日本文化に対する考え方が変わったような気がする。
仏教の教義や神話体系といった理屈以前の、自然を畏れ敬う気持ちが、日本の根源にあるように思った。