須磨寺 その1

 神戸市須磨区須磨寺町にある上野山福祥寺は、通称須磨寺と呼ばれている。真言宗須磨寺派大本山である。当ブログでも、通称の須磨寺の名で紹介する。

 真言宗には、全部で18の大本山があるが、その一つである。

 私は真言宗の信徒なので、18の大本山を訪問することと、四国八十八ヶ所の歩き遍路をすることが将来の目標だが、取り敢えず一つ目の大本山に辿り着いたわけだ。

 須磨寺は、仁和二年(886年)に光孝天皇の勅命により、聞鏡上人が開いた寺院である。

 須磨寺の参道の脇に、亜細亜万神殿という、クメール様式の仏像や神像を集めた回廊がある。

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亜細亜万神殿

 京都の古美術商福丸慶久氏の好意により、同氏の知人中山流石氏が生前アジア各地で集めた神仏の石像が須磨寺に寄贈された。亜細亜万神殿は、それら石像を展示する回廊として建設された。

 平成26年に建設が始まったが、工事中の平成27年4月にネパールで大地震が発生した。

 須磨寺は、ネパール出身の僧侶と縁を持っているが、ネパールの仏教寺院が阪神淡路大震災東日本大震災で慰霊の式を行ってくれたことから、そのお礼に、今度は日本在住のネパール人の祈りの拠り所となるよう、回廊にネパール風の仏塔を建立した。

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亜細亜万神殿の回廊とネパール風仏塔

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 ネパールの首都カトマンズにあって、ネパール国民の誰もが知るスワヤンブナート寺院の仏塔を模造し、中にルンビニー(釈迦の生誕地)の砂を納め、釈迦誕生仏を祀り、周囲に摩尼車を配し、前に仏足石を置いて祈りの中心とした。

 仏塔は、元々釈迦の遺骨を納めたものが始まりで、仏教を象徴するものである。

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釈迦誕生仏と仏足石

 仏教は発祥のころ、釈迦のことがあまりに恐れ多いので、釈迦の像を造って拝むことをしていなかったそうだ。

 そんな時代には、仏足石を彫って拝んでいた。

 やがてギリシアから彫刻技術が伝わり、ガンダーラ地方で様々な仏像が造られるようになった。仏像を作る習慣は、ガンダーラからアジア全域に伝播した。

 考えようによっては、我々が拝む仏像は、源流を訪ねれば、遠く古代ギリシアからやってきたと言える。

 さて、亜細亜万神殿の回廊には、カンボジアで花開いた宗教美術であるクメール様式で制作された石造りの仏像や神像が安置されている。クメール様式は、7世紀から13世紀のカンボジアで最盛期を迎えた。

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亜細亜万神殿の回廊

 万神殿の一番南には、車輪が広がるように仏教が世界に広がることを象徴する輪宝が置かれている。

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輪宝

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 亜細亜万神殿に置かれている像は、仏像も置かれているが、大半はヒンドゥー教の神像である。

 ヒンドゥー教は、古代インドの基層信仰だが、超常的な力を持った神々を信仰する多神教である。

 仏教は、インドの民間信仰であるヒンドゥー教に押されるようになり、対抗するためにヒンドゥー教の要素も取り入れるようになった。そして7世紀に密教が成立することになる。

 密教は、ヒンドゥー教の修法であるマントラ真言)を唱えることだけでなく、ヒンドゥー教の神々を仏教の守護神として取り入れていった。

 例えばブラフマーは、宇宙そのものを神格化した存在だが、密教に取り入れられると、漢訳では梵天と呼ばれるようになり、天部の神となった。

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ブラフマーこと梵天の頭部

 ブラフマーは頭部に宝冠を被っているが、密教大日如来像や虚空蔵菩薩像は、豪華な宝冠を被っている。この辺りの造形も、仏教がヒンドゥー教から取り入れたものなのかも知れない。

 それにしても、クメール様式の神像は、優美である。アンコールワットに行った気分になった。

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三人の女神像

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国王の像

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様々な女神像

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ナーガ(蛇)の下の神像

 密教は、こうしてヒンドゥーの神々を取り入れたが、日本に渡ると今度は日本の神々を取り入れた。

 この宇宙に遍在するあらゆるものが大日如来の変化した姿とする真言密教は、あらゆる神々や考え方を吸収してきた。

 この亜細亜万神殿も、真言宗寺院だからこそ実現出来たものだろう。

 とは言え、やはり中心は仏像である。

 ナーガ(蛇)は、古代インドで最も原始的な神であるが、その蛇の下で禅定する仏陀の像がある。

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ナーガ(蛇)の下で瞑想する仏陀

 さらに、観音菩薩像もある。

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観音菩薩

 この観音菩薩像は、どうもクメールのものではなさそうだ。

 如来は悟りを開いた仏で、菩薩は悟りを目指して修行中の者という位置づけだが、観音菩薩は、大日如来が現実世界の病気や戦争や災害などで苦しむ衆生を救うため、菩薩の姿になって現れた姿とされている。

 回廊には、阪神淡路大震災13回忌の際に、慰霊のためにネパールのチベット密教の僧侶が造った砂曼荼羅の写真が架けられていた。

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曼荼羅法要の様子

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曼荼羅

 曼荼羅は、大日如来を中心とした宇宙の真理を図像化したものである。

 砂曼荼羅を作るという習慣は、日本の密教にはない。鮮やかな色彩で彩られているが、それぞれの色にも実は意味があるそうだ。

 須磨寺のほんの入り口に差し掛かっただけだが、密教が世界的な広がりを持った雄渾な宗教であることを実感した。