2020-01-01から1年間の記事一覧

志呂神社

佛教寺から国道53号線を南下し、岡山市北区建部町下神目(しもこうめ)にある志呂神社を訪れた。 岡山市北区建部町の内、建部町福渡より北の旭川左岸は美作国の領域になる。 志呂神社随神門 志呂神社のかつての社格は県社である。 創建は和銅六年(713年)で…

医王山佛教寺

JR弓削駅から南下し、岡山県久米郡久米南町仏教寺にある医王山佛教寺を訪れた。ここは真言宗の寺院である。 仁王門 佛教寺は、寺伝によれば、和銅三年(710年)に喜恵上人が開基した。9世紀には真言密教の道場になっていたようだ。 寺を訪れると、まず立…

護法祭

美作国久米郡の幾つかの寺院には、鎌倉時代から護法祭という奇祭が受け継がれている。 今回は、護法祭を現在も行っている寺院を2つ紹介する。護法祭は、岡山県無形民俗文化財となっている。 その祭りは、毎年8月13~15日の深夜に行われる。 護法善神という…

誕生寺 その5

誕生寺客殿のショーケースの中には、法然上人が熊谷入道に宛てた書状の複製が展示してある。 法然上人から熊谷入道への書状 熊谷直実が、平敦盛を討ち取った後、世の無常に目覚め、法然上人の門を叩いた時、上人と熊谷直実がどんな対話を行ったか興味深いと…

誕生寺 その4

誕生寺には、客殿(方丈)があり、法楽園という立派な庭園を有する。 拝観料は200円だが、非常に見応えがある。訪れた際は、是非拝観することをお勧めする。 客殿 客殿の正面には唐門がある。唐門は、初代が室町時代に建てられた。今ある唐門は、文政十二年…

誕生寺 その3

誕生寺は、天正六年(1578年)に、岡山城主宇喜多直家の軍勢に襲撃され、御影堂が焼け落ちた。 そのような法難が二度と起こらないように、延享二年(1745年)に誕生寺守護仏として守護大仏が開眼供養された。 作者は梵鐘職人の名人、大谷相模掾藤原正次であ…

誕生寺 その2

誕生寺を創建したのは、一の谷の合戦で平敦盛を討ち取った後、世の無常に目覚め、出家して法然上人に弟子入りした熊谷直実こと法力房蓮生である。 法然は、43歳の時に自分の像を自作した。 建久四年(1193年)、蓮生は法然の意を受け、法然自作の御影像を、…

誕生寺 その1

片山潜記念館から西に行き、南北に通るJR津山線を越え、岡山県久米郡久米南町里方の栃社山誕生寺に至った。 ここは、浄土宗の開祖法然上人が誕生した地とされている。法然上人二十五霊場第一番で、浄土宗特別寺院である。 山門 まず出迎えてくれるのは、大…

片山潜記念館

今回紹介するのは、明治時代に日本社会党(戦後に設立された日本社会党とは別の政党)を結成し、大正11年の日本共産党の創設に尽力した片山潜(かたやません)の事績についてである。 今まで当ブログを読んでこられた方の中には、当ブログの筆者を保守的な政…

岩間山本山寺 後編

本山寺本堂は、観応五年(1350年)の再建とされ、桁行五間、梁間五間、一重の寄棟造で檜皮葺の屋根を持つ。 国指定重要文化財である。 本堂 端が反り返った屋根が、翼を広げたようで美しい。柱は総丸柱で、直径は約49.8センチメートルあり、岡山県内の江戸時…

岩間山本山寺 前編

晩夏に津山城を訪れて以来、久々に美作に来た。 今日紹介するのは、岡山県久米郡美咲町を代表する寺院、岩間山本山寺である。 本山寺は、現存する美作の寺院の中では、最古の寺院である。現在は、天台宗の寺院である。 吉井川沿いの交通の要衝大戸下(だいと…

八頭町東部の史跡

若桜町を後にして、鳥取方面に走ると、八頭(やづ)郡八頭町に入る。 八頭町用呂にあるのが、国指定重要文化財の矢部家住宅である。 矢部家住宅 矢部氏は、元々駿河の武家であったが、鎌倉時代初頭の梶原景時の変での功績で、矢部暉種(あきたね)が因幡国20…

若桜の寺院2

西方寺を出て寺通りを更に南に歩く。 浄土宗の寺院、寿覚院がある。 寿覚院 本堂 本堂向拝下の彫刻 寿覚院の元となる寺は、浅井山中腹の寺谷という地にあったらしいが、慶長九年(1604年)に、若桜鬼ヶ城主・山崎家盛の妻が帰依し、寺を若桜宿古寺ノ元に移し…

若桜鉄道 若桜の寺院1

鳥取県八頭郡若桜町の若桜駅から、八頭郡八頭町の郡家(こおげ)駅までを通る若桜鉄道は、かつては国鉄の路線だったが、国鉄の民営化に伴い私鉄となった。 若桜鉄道が開通したのは昭和5年だが、平成20年には駅舎や鉄橋など、沿線全体の施設が国登録有形文化…

若桜神社

龍徳寺から歩いて少し西に行ったところに鎮座するのが、若桜の氏神である若桜神社である。 若桜神社鳥居 若桜神社の創建年代は不詳だが、元々は鬼山の麓の三倉集落にある八兵衛谷に祀られていたそうだ。 正治二年(1200年)に矢部氏が領主として赴任した際、…

萬祥山龍徳寺

若桜鬼ヶ城から下りて、麓にある萬祥山龍徳寺を訪れる。 ここは曹洞宗の寺院で、関ヶ原戦後に若桜城主となった山崎家盛の菩提寺である。 萬祥山龍徳寺 寺伝によれば、初世の和尚が、現鳥取県八頭郡八頭町用呂の千石岩の下に庵を結んだのが寺の発祥であるとい…

若桜鬼ヶ城跡

若桜の町の背後に聳える鶴尾山は、別名鬼山と言う。若桜町歴史民俗資料館から、その全貌を視界に収めることが出来る。 鬼山 鬼山の山上に、国指定史跡・若桜鬼ヶ城がある。 財団法人日本城郭協会は、日本100名城、続日本100名城を指定している。 今までのブ…

若桜町歴史民俗資料館

若桜町屋堂羅(やだら)には、若桜町の歴史に関する資料を展示する若桜町歴史民俗資料館がある。 その隣には、元禄七年(1694年)に築造された三百田(さんびゃくだ)氏住宅が建っている。 三百田氏住宅 三百田氏住宅は、元々は不動院岩屋堂前を流れる吉川川…

伊勢道

若桜は播磨から鳥取城下に抜ける因幡街道沿いの宿場町である。 若桜から南に行けば播磨だが、東に行けば但馬に抜ける。 若桜から但馬に抜ける道は、氷ノ山道若しくは伊勢道と呼ばれてきた。因幡から伊勢神宮に詣でる人たちが、この道を通ったからそう呼ばれ…

不動院岩屋堂

令和元年6月から史跡巡りを始めて、1年半が経過したが、今までは兵庫県と岡山県の史跡巡りを続けて来た。 今回初めて鳥取県の史跡を紹介することになった。私が史跡巡りで訪れた3つ目の県だが、国で言えば鳥取県東部は因幡であり、私が史跡巡りで訪れた国…

勝福寺 板宿八幡神社

神戸市須磨区大手町9丁目の、高尾山の麓に建つのが真言宗の寺院、勝福寺である。 勝福寺への石段 山門 永延二年(988年)、太政大臣藤原伊尹(これただ)の三男英雄丸が、勅命により証楽上人と名を改め、高取山に庵を結び、鹿松峠に出没していた鬼を仏教の…

須磨離宮公園

神戸市須磨区東須磨1丁目にある須磨離宮公園は、かつて皇室の別荘の武庫離宮があった場所である。 この高台は、在原行平が月を愛でた月見山があった場所とされている。近代になって、そこに浄土真宗の法主にして探検家の大谷光瑞の別荘が建てられた。 大谷…

多井畑厄除八幡宮

神戸市須磨区多井畑宮ノ脇の多井畑(たいのはた)厄除八幡宮を参拝する。 多井畑厄除八幡宮 地元では「やくじんさん」と呼ばれており、厄除祭で著名な神社だ。祭神は第15代応神天皇である。 称徳天皇の神護景雲四年(770年)に、全国に大流行した悪疫を鎮め…

須磨寺 その5

八角堂から西に向かうと上り坂になる。 五智如来と呼ばれる、金剛界曼荼羅の中央に描かれる如来の石像がある。 五智如来の石像 写真の右から順に、阿閦(あしゅく)如来、不空成就(ふくうじょうじゅ)如来、大日如来、阿弥陀如来、宝生(ほうしょう)如来で…

須磨寺 その4

宝物館を出て石段を登ると、ようやく唐門に辿り着く。 唐門 須磨寺は、かつては7堂12坊を有する大寺であったが、戦乱の世を経て衰退し、幕末には、本堂、大師堂、仁王門しか残っていなかった。 明治中期以降境内が整備され、今の伽藍が整った。この唐門も、…

須磨寺 その3

源平の庭を見下ろすように建つのが、仏教寺院風の装いをした鉄筋コンクリート製の建物、宝物館である。 宝物館 宝物館には、須磨寺ゆかりの品々が多数納められ、公開されている。 宝物館の手前には、「ぶじかえる」という蛙のオブジェがある。 ぶじかえる ユ…

須磨寺 その2

亜細亜万神殿の参拝路を挟んだ向かい側には、塔頭の正覚院がある。 正覚院 正覚院には、愛染明王像が祀られていて、その前で僧侶がお経を唱えていた。 愛染明王像とお勤めをする僧侶 正覚院の欄間の彫刻 愛染明王は、憤怒の形相をしているが、これは悟りの心…

須磨寺 その1

神戸市須磨区須磨寺町にある上野山福祥寺は、通称須磨寺と呼ばれている。真言宗須磨寺派の大本山である。当ブログでも、通称の須磨寺の名で紹介する。 真言宗には、全部で18の大本山があるが、その一つである。 私は真言宗の信徒なので、18の大本山を訪問す…

松風村雨堂

綱敷天満宮から北に歩き、山陽電鉄須磨寺駅まで行く。 須磨寺駅の東側出口のすぐ傍に、「平重衡とらわれの松跡」がある。今は小さな祠があるだけである。 平重衡とらわれの松跡 かつてこの辺りには、大きな松の木があったという。 平重衡は、平清盛の五男で…

綱敷天満宮

村上帝社から国道2号線を東に進み、神戸市須磨区天神町2丁目に入る。2号線北側に鎮座するのが、菅原道真公を祭神とする綱敷(つなしき)天満宮である。 綱敷天満宮鳥居 菅原道真公が藤原時平の讒言により失脚し、大宰府に船で向かう途中、須磨沖に差し掛…