淡路

洲本市 厳島神社

寺町の寺院巡りを終えて、洲本市本町4丁目にある厳島神社に参詣することにした。 この神社は、地元では淡路島弁財天とも呼ばれている。 祭神は安芸の宮島の厳島神社と同じ市杵島姫(いちきしまひめ)命である。 市杵島姫命は神仏習合の過程で、いつしかイン…

洲本市 専称寺 江国寺

遍照院から道を挟んで南側にあるのが、浄土宗の寺院、心念山専称寺である。 地名で言うと、洲本市本町8丁目になる。 専称寺山門 この寺には、庚午事変(稲田騒動)に関わって刑死、獄死した徳島藩士22名を追悼した庚午志士之碑がある。 慶応三年(1867年)…

洲本市 千福寺 遍照院

旧鐘淵紡績洲本工場跡地から、洲本市内の寺町というエリアに行く。 寺町 江戸時代初頭、徳島藩は、淡路の政庁を由良湊に置いていたが、由良が地理的に不便であったため、寛永八年(1631年)に政庁を洲本に移した。これに伴い、武家や町人だけでなく寺も洲本…

旧鐘淵紡績工場跡

兵庫県洲本市塩屋1丁目に、赤煉瓦の建物が多く建っている。 明治42年(1909年)にこの地に誘致された鐘淵(かねがぶち)紡績株式会社(現カネボウ)の工場跡地である。 赤煉瓦の町と言えば、舞鶴や横浜や函館が有名だが、実は洲本も赤煉瓦の町なのである。…

炬口城跡

炬口(たけのくち)八幡神社の裏の万歳山上にあるのが、炬口城跡である。 万歳山 この城跡への登り口は、万歳山の東側にある事代主神社の北側の道を西に歩くと現れる。 事代主神社 事代主神社北側の道 登り口 舗装されたコンクリートの階段を登り切ると、登…

炬口八幡神社 春陽荘

兵庫県洲本市下加茂2丁目付近は、弥生時代前期の水田跡や、中期の周溝墓が発掘された下加茂遺跡があった辺りである。 下加茂遺跡のあった辺り しかし今は遺跡があったことを示す表示はない。 下加茂1丁目にある蒼開高等学校は、かつて柳学園高等学校と呼ば…

西北山蓮光寺 芽黒竹

先山から下りて次なる目的地に向かう。 兵庫県洲本市下内膳にある洲本市立加茂小学校の周辺は、弥生時代の前期から後期にかけての集落跡のあった下内膳遺跡が発掘された場所だが、遺跡があることを示す案内板等はない。 下内膳遺跡周辺 ここから西に行き、洲…

先山千光寺 後編

山門を潜ると、すぐ右手に三重塔がある。 私が史跡巡りで訪れた23番目の三重塔である。淡路では初めて見た三重塔である。恐らく淡路唯一の三重塔だろう。 三重塔 この三重塔は、文化十年(1813年)に高田屋嘉兵衛らの尽力により再建されたものである。 1階…

先山千光寺 前編

3月12日に淡路の史跡巡りを行った。 今回訪れるのは、淡路島内の中心都市である洲本市の史跡である。 淡路には、縄文時代から弥生時代にかけての遺跡が多くある。兵庫県洲本市安乎(あいが)町平安浦に、縄文時代前期から晩期にかけての遺跡である安乎間所…

白巣城跡

八衢神社の参拝を終え、次なる目的地の白巣城跡に向かう。 白巣城跡は、兵庫県洲本市五色町鮎原三野畑の白巣山上にある。 白巣山 白巣山は、標高317メートルの低山だが、山頂は平らになっている。山頂部に、曲輪が連なった山城があるわけだ。 白巣城跡は、私…

鳥飼八幡宮 八衢神社

高田屋嘉兵衛の墓に詣でた後、スイフトスポーツに乗って南下し、洲本市五色町鳥飼中にある鳥飼八幡宮に参拝した。 鳥飼八幡宮 この辺りは、かつては鳥飼荘という名の石清水八幡宮の荘園であった。そのため、荘鎮守として八幡大神が勧請されたのだろう。 創建…

高田屋嘉兵衛 後編

高田屋顕彰館・歴史文化資料館には、高田屋嘉兵衛に関するもの以外の展示品もある。 寛政五年(1793年)十一月、石巻から江戸に向かう途中に遭難した若宮丸一行16名は、アリューシャン列島の一島に漂着した。 その地でロシア人に助けられた一行は、シベリア…

高田屋嘉兵衛 中編

高田屋顕彰館・歴史文化資料館に入ると、職員の案内で、先ず高田屋嘉兵衛の生涯を描いた映像作品の鑑賞を勧められる。 それを観終わってから、館内を見学した。 高田屋嘉兵衛の生涯は、蝦夷地(現在の北海道)の開拓と日露間の紛争解決に費やされた。 寛政十…

高田屋嘉兵衛 前編

かつて司馬遼太郎が「菜の花の沖」という小説に書き、江戸時代を通して日本で一番偉かった人物と評した高田屋嘉兵衛。 高田屋嘉兵衛の肖像画 この人物は、兵庫県洲本市五色町都志出身の豪商で、航海術や商才に長けていた。その能力を幕府に見込まれて、蝦夷…

平砂山浄土寺

淡路巨石巡りを終えて、兵庫県洲本市五色町都志(つし)にある真言宗の寺院、平砂山浄土寺に参拝した。 平砂山浄土寺 浄土寺の創建の詳細については、よく分からない。 ただこの寺院には、大宰府配流途上の菅原道真公が立ち寄ったという伝承が残っている。そ…

淡路巨石巡り 後編

山王神社の参拝を終え、車を西に走らせて、淡路市山田乙にある巨石・俵石に赴いた。俵石の中には、小さな祠が祀られている。俵石神社と呼ばれている。 俵石は、閉校になった淡路市立山田小学校の南側の山中にある。 俵石への道 俵石への案内表示 山田小学校…

淡路巨石巡り 前編

岩上神社の周辺には、古代から信仰されてきた巨石群が点在する。 まず訪れたのは、淡路市柳沢戊にある夫婦(めおと)岩である。 夫婦岩への遊歩道の入口 夫婦岩は、静かな農村地帯の中の低い丘陵上にある。丘の北西側に、夫婦岩に至る遊歩道の入口がある。 …

淡路市 岩上神社 後編 

岩神寺の参拝を終え、岩上神社の社殿に向かう。 岩上神社は、岩神寺のある平地から更に急な石段を登った先にある。 岩上神社社殿への石段 石段を登りきると、目の前に幅広の拝殿が現れる。 拝殿 拝殿は、桁行五間、梁間三間の広さで、内部は吹き抜けになって…

淡路市 岩上神社 前編

1月22日に久々に淡路を訪れた。 最初に訪れたのは、兵庫県淡路市木曽下にある真言宗の寺院、恵日寺である。 恵日寺 この寺院は、江戸時代初期に造られた池泉式庭園を有している。 古くはないが、横長の堂々とした本堂を持つ寺院である。本堂前には、蘇鉄が…

明神崎

江井崎から南下すると、海に突き出た岩の岬がある。明神崎である。地名で言うと、淡路市明神になる。 明神崎 明神崎は、白色の奇岩で囲まれた岬だが、その奇岩群の上に西濵神社という神社が建ち、その周囲を自生したイブキが囲んでいる。 明神崎は、かつては…

江井

淡路市の港町・江井は、古くから漁業や廻船業で栄えた。 寛永二十年(1643年)には、徳島藩邸が置かれ、淡路の西海岸や播磨灘の警備の拠点となった。 江戸時代後期には、廻船は長崎港、平戸港、兵庫港、堺港などとの交易に従事し、江井港は繁盛した。淡路の…

平生山東山寺

浄瀧寺の参拝を終え、次なる目的地の東山寺に向かう。東山寺は、真言宗の寺院で、淡路市の常隆寺、洲本市の千光寺と並ぶ、淡路三山の一山とされている。 東山寺は、弘安十年(819年)に弘法大師空海がこの地を訪れ、伊弉諾神宮の鎮護のために開いた寺とされ…

淡路市 浄瀧寺

志筑神社の参拝を終え、次なる目的地の淡路市生穂にある真言宗の寺院、浄瀧寺を目指す。 カーナビゲーションを設定して、最短距離を走ったが、異様に細い山道を案内され、恐怖のドライブをすることになった。 以前常隆寺を訪れた際も、細い山道をひやひやし…

志筑神社

静の里公園から北上し、淡路市志筑天神にある志筑(しづき)神社を訪れた。 志筑神社の鳥居前の辺りは、古墳時代後期の集落遺跡である天神遺跡が発掘された場所である。 天神遺跡のあった辺り 天神遺跡のあった辺りから東への細い道を入っていくと、志筑神社…

静の里公園

淡路市志筑にある静の里公園は、源義経の妾であった静御前(しずかごぜん)の伝説地の一つである。 静の里公園 静御前は、白拍子(しらびょうし)であった。 白拍子とは、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、男装して今様(いまよう)などを歌いながら舞った…

慈光山引攝寺

淡路市志筑(しづき)の町並みに入る。 志筑の中心にある真言宗の寺院が、慈光山引攝(いんじょう)寺である。 引攝寺 引攝寺は、永禄年間(1558~1570年)の開基である。 志筑浜村の庄屋だった忍頂寺家の菩提寺として、寛永元年(1624年)に改築された。 山…

伊弉諾神宮 後編

伊弉諾神宮は、大同元年(806年)に書かれた「新抄格勅符抄」には、「津名神」と記されている。津名郡の大社として位置づけられていたようだ。 その後成立した「延喜式」には、「伊佐奈伎神社」と記され、名神大社に列せられている。 貞応二年(1223年)の「…

伊弉諾神宮 前編

伝淳仁天皇高島陵のある丘からは、伊弉諾(いざなぎ)神宮の社叢を見下ろすことが出来る。 伊弉諾神宮の社叢 上の写真中央のこんもりした杜が、伊弉諾神宮の神域である。伊弉諾神宮は、淡路市多賀にある。 伊弉諾神宮は、記紀神話で、日本列島や数多くの神々…

郡家古墳 伝淳仁天皇高島陵

淡路市郡家(ぐんげ)の町の東側の山中に、郡家古墳がある。 郡家バス停のすぐそばから、古墳に上がっていく坂道がある。入口に目立たない看板が立っている。 郡家古墳への道 郡家古墳の看板 上の写真の坂を上がり、最初の民家の脇の細い道を通ると、古墳に…

枯木神社 長泉寺

先月下旬に淡路に渡った。三度目の淡路の史跡巡りである。 神戸淡路鳴門自動車道北淡ICで下りて、淡路島の西側を縦断する県道31号線を南に走る。淡路サンセットラインとも呼ばれる道だ。 今、この淡路サンセットライン沿いは、ちょっとしたリゾート地になっ…