淡路

広田八幡神社 広林山大宮寺

由良要塞跡の見学を終えて、神戸淡路鳴門自動車道洲本インターチェンジ付近まで戻った。 インターから西に進むと南あわじ市に入る。 南あわじ市広田広田の集落に入ると、その奥に広田の鎮守である広田八幡神社がある。 広田八幡神社 小高い丘の上に社殿があ…

由良要塞跡 その4

第一、二砲台には、28センチメートル榴弾砲が設置されていた。 榴弾砲は、弾道が放物線を描いて山形になるため、敵艦の上部を破壊するのに適していた。 榴弾砲の弾道 また弾の落下速度が速ければそれだけ破壊力が増すので、標高が高い場所に据えられた。 第…

由良要塞跡 その3

生石公園第一駐車場から木製の階段を登って、第五砲台を目指した。 第五砲台に続く階段 生石公園の全体図 第五砲台は、標高88.5メートルに位置する、第四砲台を小型化したような砲台である。 第五砲台は、5つの砲台の中で最後に作られた砲台である。第一~…

由良要塞跡 その2

今に残る由良要塞跡の遺構の多くは、成ヶ島の南側にある生石(おいし)山に集中している。 生石山 生石山上の由良要塞跡遺構は、生石公園という公園の中にある。山上までの自動車路や駐車場、散策路が整備されている。散策路を歩きながら、遺構を見学できる…

由良要塞跡 その1

紀淡海峡を西側から扼する要衝に当たる由良の地には、幕末になって、外国船の侵入から大坂湾を防衛するための台場(砲台)が築かれた。 特に成ヶ島南端の高崎台場には、大規模な砲台が築かれたそうだ。 由良要塞跡の石碑 日清戦争後の明治29年(1896年)には…

由良城跡

南北朝の争乱の真っ只中だった観応元年(1350年)、紀州熊野水軍を率いる安宅氏は、室町幕府将軍足利義詮から、南朝方だった淡路水軍の討伐を命じられた。 安宅氏は淡路に渡り、島内で紀州に最も近い由良に拠点を築き、勢力を拡大した。 安宅氏が築いた由良…

由良湊神社 輝江山心蓮寺

洲本城跡のある三熊山から麓に下りて、洲本市千草にある真言宗の寺院、満泉寺に赴いた。 満泉寺 この寺には、延享二年(1309年)の銘のある鰐口があるそうだ。 勿論公開していなかったので、見学は出来なかった。 私がこの寺を訪れた時は、六角堂で住職が法…

洲本城跡 その4

西の丸から本丸跡の石垣下に戻った。 天守台の艮(北東)の方角に、八王子神社という小さなお社が祀られている。 八王子神社鳥居 実はこの日、洲本の史跡巡りを始めてから、愛用カメラRX100の調子が悪くなった。 通常であれば、シャッターを半押しすれば、オ…

洲本城跡 その3

洲本城跡天守台に登ると、三熊山の北側に広がる洲本市街や大阪湾、淡路富士の異名を持つ先山が一望できる。 洲本市街 洲本港と大阪湾 先山と洲本市街 城のすぐ眼下に港がある洲本城は、山城でありながら、海の城と言ってもいいだろう。淡路水軍を率いた脇坂…

洲本城跡 その2

洲本市街の南側に聳える標高約133メートルの三熊山の山上に、室町時代に安宅氏の手により築城された洲本城跡(上の城)がある。 昨日は江戸時代に築かれた山麓の洲本城跡を紹介した。以後洲本城跡と書くときは、三熊山上の洲本城跡のことを指す。 三熊山上の…

洲本城跡 その1

洲本八幡神社の東側には、寛永八年(1631年)の「由良引け」以後に徳島藩によって築城された洲本城跡の石垣と濠が残っている。 濠と石垣に囲まれて、洲本税務署や検察庁、裁判所の建物がある。江戸時代の洲本の政庁が、今は淡路島の司法の中心になっている。…

洲本八幡神社

兵庫県洲本市山手2丁目にあるのが、古くから洲本城の鎮守として崇敬されてきた洲本八幡神社である。 洲本八幡神社鳥居 社伝によると、淡路国司となった藤原成家が、永祚二年(990年)に領国において苦難に見舞われた際、八幡大神が出現して今後進むべき方向…

旧益習館庭園

6月12日に兵庫県洲本市の史跡巡りを行った。 洲本には、今年3月12日にも訪れた。3カ月ぶりの訪問であった。 洲本の近代化を支えたのは、鐘淵紡績株式会社洲本工場だが、戦後になって洲本の経済を牽引したのは、洲本市上内膳に建てられた三洋電機株式会社…

洲本市 厳島神社

寺町の寺院巡りを終えて、洲本市本町4丁目にある厳島神社に参詣することにした。 この神社は、地元では淡路島弁財天とも呼ばれている。 祭神は安芸の宮島の厳島神社と同じ市杵島姫(いちきしまひめ)命である。 市杵島姫命は神仏習合の過程で、いつしかイン…

洲本市 専称寺 江国寺

遍照院から道を挟んで南側にあるのが、浄土宗の寺院、心念山専称寺である。 地名で言うと、洲本市本町8丁目になる。 専称寺山門 この寺には、庚午事変(稲田騒動)に関わって刑死、獄死した徳島藩士22名を追悼した庚午志士之碑がある。 慶応三年(1867年)…

洲本市 千福寺 遍照院

旧鐘淵紡績洲本工場跡地から、洲本市内の寺町というエリアに行く。 寺町 江戸時代初頭、徳島藩は、淡路の政庁を由良湊に置いていたが、由良が地理的に不便であったため、寛永八年(1631年)に政庁を洲本に移した。これに伴い、武家や町人だけでなく寺も洲本…

旧鐘淵紡績工場跡

兵庫県洲本市塩屋1丁目に、赤煉瓦の建物が多く建っている。 明治42年(1909年)にこの地に誘致された鐘淵(かねがぶち)紡績株式会社(現カネボウ)の工場跡地である。 赤煉瓦の町と言えば、舞鶴や横浜や函館が有名だが、実は洲本も赤煉瓦の町なのである。…

炬口城跡

炬口(たけのくち)八幡神社の裏の万歳山上にあるのが、炬口城跡である。 万歳山 この城跡への登り口は、万歳山の東側にある事代主神社の北側の道を西に歩くと現れる。 事代主神社 事代主神社北側の道 登り口 舗装されたコンクリートの階段を登り切ると、登…

炬口八幡神社 春陽荘

兵庫県洲本市下加茂2丁目付近は、弥生時代前期の水田跡や、中期の周溝墓が発掘された下加茂遺跡があった辺りである。 下加茂遺跡のあった辺り しかし今は遺跡があったことを示す表示はない。 下加茂1丁目にある蒼開高等学校は、かつて柳学園高等学校と呼ば…

西北山蓮光寺 芽黒竹

先山から下りて次なる目的地に向かう。 兵庫県洲本市下内膳にある洲本市立加茂小学校の周辺は、弥生時代の前期から後期にかけての集落跡のあった下内膳遺跡が発掘された場所だが、遺跡があることを示す案内板等はない。 下内膳遺跡周辺 ここから西に行き、洲…

先山千光寺 後編

山門を潜ると、すぐ右手に三重塔がある。 私が史跡巡りで訪れた23番目の三重塔である。淡路では初めて見た三重塔である。恐らく淡路唯一の三重塔だろう。 三重塔 この三重塔は、文化十年(1813年)に高田屋嘉兵衛らの尽力により再建されたものである。 1階…

先山千光寺 前編

3月12日に淡路の史跡巡りを行った。 今回訪れるのは、淡路島内の中心都市である洲本市の史跡である。 淡路には、縄文時代から弥生時代にかけての遺跡が多くある。兵庫県洲本市安乎(あいが)町平安浦に、縄文時代前期から晩期にかけての遺跡である安乎間所…

白巣城跡

八衢神社の参拝を終え、次なる目的地の白巣城跡に向かう。 白巣城跡は、兵庫県洲本市五色町鮎原三野畑の白巣山上にある。 白巣山 白巣山は、標高317メートルの低山だが、山頂は平らになっている。山頂部に、曲輪が連なった山城があるわけだ。 白巣城跡は、私…

鳥飼八幡宮 八衢神社

高田屋嘉兵衛の墓に詣でた後、スイフトスポーツに乗って南下し、洲本市五色町鳥飼中にある鳥飼八幡宮に参拝した。 鳥飼八幡宮 この辺りは、かつては鳥飼荘という名の石清水八幡宮の荘園であった。そのため、荘鎮守として八幡大神が勧請されたのだろう。 創建…

高田屋嘉兵衛 後編

高田屋顕彰館・歴史文化資料館には、高田屋嘉兵衛に関するもの以外の展示品もある。 寛政五年(1793年)十一月、石巻から江戸に向かう途中に遭難した若宮丸一行16名は、アリューシャン列島の一島に漂着した。 その地でロシア人に助けられた一行は、シベリア…

高田屋嘉兵衛 中編

高田屋顕彰館・歴史文化資料館に入ると、職員の案内で、先ず高田屋嘉兵衛の生涯を描いた映像作品の鑑賞を勧められる。 それを観終わってから、館内を見学した。 高田屋嘉兵衛の生涯は、蝦夷地(現在の北海道)の開拓と日露間の紛争解決に費やされた。 寛政十…

高田屋嘉兵衛 前編

かつて司馬遼太郎が「菜の花の沖」という小説に書き、江戸時代を通して日本で一番偉かった人物と評した高田屋嘉兵衛。 高田屋嘉兵衛の肖像画 この人物は、兵庫県洲本市五色町都志出身の豪商で、航海術や商才に長けていた。その能力を幕府に見込まれて、蝦夷…

平砂山浄土寺

淡路巨石巡りを終えて、兵庫県洲本市五色町都志(つし)にある真言宗の寺院、平砂山浄土寺に参拝した。 平砂山浄土寺 浄土寺の創建の詳細については、よく分からない。 ただこの寺院には、大宰府配流途上の菅原道真公が立ち寄ったという伝承が残っている。そ…

淡路巨石巡り 後編

山王神社の参拝を終え、車を西に走らせて、淡路市山田乙にある巨石・俵石に赴いた。俵石の中には、小さな祠が祀られている。俵石神社と呼ばれている。 俵石は、閉校になった淡路市立山田小学校の南側の山中にある。 俵石への道 俵石への案内表示 山田小学校…

淡路巨石巡り 前編

岩上神社の周辺には、古代から信仰されてきた巨石群が点在する。 まず訪れたのは、淡路市柳沢戊にある夫婦(めおと)岩である。 夫婦岩への遊歩道の入口 夫婦岩は、静かな農村地帯の中の低い丘陵上にある。丘の北西側に、夫婦岩に至る遊歩道の入口がある。 …