摂津
宝塚と言えば宝塚歌劇が有名である。 だが宝塚が、温泉街であることを知る人は少ないのかも知れない。 S字を描く宝来橋の南詰にある宝塚市湯本町は、今でも温泉旅館が並んでいて、かつての温泉街の面影を残すエリアである。 宝来橋と湯本町の町並み 宝塚温泉…
手塚治虫記念館は、地上2階、地下1階の三層建てであるが、階段の壁には日本の漫画の歴史を紹介するパネルが貼られている。 我が国の漫画の歴史の中で、漫画の始祖とされているのは、平安時代に鳥羽僧正が描いた「鳥獣人物戯画」である。 鳥獣人物戯画 日本…
1960年代に入ると、高度経済成長の中で、漫画の世界では、妖怪などが出てくる暗い描写のものが流行り始める。 また、昭和41年には、「ウルトラマン」が放映され、怪獣や特撮ものがテレビを賑わし始めた。 そんな時代の昭和40年に、手塚は、「マグマ大使」の…
巡礼街道の散策を一旦終えて、宝塚市武庫川町にある手塚治虫記念館を訪問した。 手塚治虫は、言わずと知れた昭和を代表する漫画家だが、その手塚の出身地である宝塚市に平成6年に建てられたのが、この記念館である。 手塚治虫記念館 記念館の前には、漫画「…
清荒神清澄寺の参拝を終え、門前町の坂道を下っていくと、途中道が二股に分かれる場所がある。 ここを左に行くと、中山寺の巡礼街道を行くことになる。 巡礼街道への分かれ道 中山寺巡礼街道案内図 中山寺は、真言宗十八本山の一つだが、西国三十三所観音霊…
龍王滝に向かう途中に、仏足石が祀られている。 仏足石 仏足石は、釈迦の足型を石面に刻んだものである。 初期仏教では、釈迦の像を作ることは恐れ多いこととされていた。仏教徒は、仏足石や菩提樹、仏塔、法輪などを拝んでいた。 この仏足石の中央にも、法…
拝殿と護法堂の参拝を終えて、宝稲荷大明神への石段を上がって行く。 宝稲荷大明神への石段 ここを上がった先にある宝稲荷大明神の前にも、参拝客が列をなしている。 宝稲荷大明神 私もお稲荷さんに何事をか祈った。お稲荷さんのご利益は、確かにあると最近…
清澄寺の鎮守である三宝荒神(清荒神王)を祀る拝殿(天堂)に向かう。 拝殿への参道 拝殿への参道の脇、上の写真では右側に、牛頭天王を祀る護牛神堂がある。 ここは参拝客が列をなしていて、後で参拝しようと思って通過したが、そのまま忘れて参拝せずにし…
浄橋寺の参拝を終えて東に向かい、宝塚市に入る。 次に訪れたのは、宝塚市米谷にある真言宗の寺院、清荒神清澄(きよしこうじんせいちょう)寺である。 清荒神清澄寺は、真言宗十八本山の一つで、真言三宝宗という宗派の本山である。 須磨寺に次いで、私が2…
名塩の見学を終えて、西宮市生瀬(なまぜ)町2丁目にある浄土宗の寺院、十方山浄橋寺を訪れた。 浄橋寺 この寺院は、浄土宗西山派の開祖証空上人が、仁治二年(1241年)に開いた寺である。 寺院の縁起によると、上人がこの地を訪れた際、この地を荒らす山賊…
有馬の史跡巡りを終え、山川出版社「兵庫県の歴史散歩」上巻に載っている神戸市内の史跡は全て巡り終わった。 これからは、阪神間の史跡を巡ることになる。以前芦屋市の史跡を巡ったが、今後の摂津の史跡巡りでは、芦屋市、西宮市、宝塚市の史跡を巡ることに…
有馬温泉街から東に行き、杖捨橋を越え、神戸市北区有馬町瑞宝寺山にある瑞宝寺公園を訪れた。 瑞宝寺公園 ここは、明治新政府の廃仏毀釈により、明治6年に廃寺になるまで、瑞宝寺という黄檗宗の寺院があった場所である。 慶長九年(1604年)に大黒屋宗雪が…
極楽寺の北隣には、浄土宗の寺院、摂取山念仏寺がある。 念仏寺 創建は、天文七年(1539年)である。 念仏寺は、元々は現在地とは違う場所に建っていた。慶長年間には、この場所に秀吉の正室の北政所の別邸があった。 観音像と太閤秀吉・北政所館跡の碑 徳川…
温泉寺の東隣に、浄土宗の寺院、極楽寺がある。 極楽寺 極楽寺の創建は古く、推古天皇二年(594年)に聖徳太子により建てられたと伝わっている。 それが本当なら、恐らく有馬で最古の寺院になると思われるが、これはあくまで伝説の領域の話だろう。 極楽寺は…
伝説では、有馬温泉を発見したのは、国造りの神様の大貴己(おおなむち)命と少彦名(すくなひこな)命の二神とされている。 二神が薬草を探して全国を旅をしていると、有馬の地で三羽のカラスが、赤い湯に傷を浸して治療しているのを見た。 有馬の三羽烏 以…
善福寺の参拝を終え、神戸市北区有馬町の温泉街を散策する。 温泉街に入ると、平成13年にオープンした金の湯がある。外湯もある公衆浴場である。 金の湯 金の湯の入口の前には、日本第一神霊泉と刻まれた碑が建っている。 日本第一神霊泉の石碑 また、金の湯…
1月28日に摂津の史跡巡りを行った。先ずは、神戸市北区の有馬方面を訪れた。 神戸市北区有野町唐櫃(からと)にあるのが、18世紀後半に建てられた農家の川向(かわむかい)家住宅である。 川向家住宅 川向家住宅入口付近 隣には現代の民家が建っていて、こ…
酒垂神社の参拝を終え、三田市大川瀬の氏神である住吉神社に赴いた。 住吉神社 参道の石段 鮮やかな朱色の両部鳥居を潜り、石段を上がると、広々とした境内がある。 境内 住吉神社の祭神は、住吉三神の上筒之男命、中筒之男命、底筒之男命である。 航海の神…
永澤寺の参拝を終え、次なる目的地である兵庫県三田市藍本にある酒垂(さかたれ)神社を訪れた。 酒垂神社鳥居 酒垂神社の境内から東に約300メートル行くと、田んぼの中に鳥居が建っている。 この鳥居は、応永二年(1395年)に建立された酒垂神社の一の鳥居…
玉兎門を潜って真っ直ぐ北上すると、妙高閣という建物がある。 妙高閣 妙高閣は、鉄筋コンクリート製の巨大な建物で、内部には観音堂、坐禅堂、ガンダーラ彫刻展示室がある。 中に入ると、矢張り目に付くのは高さ約9.2メートルの巨大な大観世音菩薩像である…
本堂に入ると、畳敷きの広々とした空間が広がる。 法会の時には、多くの人が集まるのだろう。 本堂内 本堂の奥には、本尊の釈迦三尊像、地蔵菩薩像、秋葉三尺坊大権現が祀られている。 まずは本尊の釈迦三尊像を紹介する。 釈迦三尊像 中央が釈迦如来(現在…
花山院の参拝を終えて北上し、三田市と丹波篠山市の境界付近の三田市永沢寺にある曹洞宗の寺院、青原山永澤(ようたく)寺に赴いた。 青原山永澤寺 永澤寺が開創されたのは、応安年間(1368~1375年)のことである。 四国の四ヶ国と備後の五州の守護職で、室…
本堂の東側には、薬師堂がある。薬師堂には、花山院本尊の薬師如来坐像と、両脇侍の日光・月光菩薩像、十二神将像が祀られている。 薬師堂 蟇股の龍の彫刻 木鼻の彫刻 薬師堂内陣 薬師如来坐像 花山院が開創された時、法道仙人が薬師如来像を本尊として祀っ…
高売布神社の参拝を終え、次なる目的地である兵庫県三田市尼寺(にんじ)にある真言宗の寺院、東光山花山院菩提寺に赴いた。 この寺院のことは、以後は通称の花山院の名で呼ぶことにする。 花山院は、東光山の山頂にある寺院である。山頂までは自動車道が延…
蓮花寺から北上し、三田市酒井に鎮座する高売布(たかめふ)神社を訪れた。 高売布神社 この神社の創建は古く、7世紀初めの推古朝のころとされている。「延喜式」に記載のある式内社である。 祭神は、下照比売(したてるひめ)命、天稚比古(あめのわかひこ…
蓮花寺の中興の祖は、「平家物語」の中で閻魔大王のいる冥土に行って帰ってきたと書かれている、慈心房尊恵という僧である。 尊恵が冥土に持って行ったという曼荼羅、経本、数珠は、蓮花寺の寺宝として今も伝わっている。 本堂 本尊は、文永八年(1271年)に…
三田市街から北上し、三田市下槻瀬(しもづきせ)にある真言宗の寺院、深谷山蓮花寺を訪れた。 深谷山蓮花寺 蓮花寺は、7世紀の中頃、第36代孝徳天皇の時代に、法道仙人により開創されたと伝わっている。 蓮花寺の山門は、戦国時代に焼失したものを、その後…
客室の南側には仏間があるが、今は仏壇は撤去されている。 その代わり、旧九鬼家住宅の図面や、九鬼隆範が設計時に使用したと思われる製図道具が展示されている。 仏間と客室の間の欄間の意匠 九鬼家住宅の図面の複製 製図道具 建物の南側には、東から順番に…
御霊神社から三田市街に戻り、三田市屋敷町にある旧九鬼家住宅資料館を訪問した。 旧九鬼家住宅資料館 旧九鬼家住宅資料館は、天保六年(1835年)に越賀家の三男として屋敷町に生まれ、明治3年に三田藩の家老九鬼隆継の養子になった九鬼隆範(りゅうはん)…
金心寺の参拝を終えてから北上し、三田市貴志にある御霊神社を訪れた。 御霊神社参道 御霊神社の創建については、詳細は分からない。 明治2年の神仏分離に際して、御霊神社を管理していた社坊金性院が廃寺となり、記録が散逸してしまったためである。 祭神…