2025-03-01から1ヶ月間の記事一覧

鳴門海峡

2月9日に阿波の史跡巡りを行った。 阿波は、播磨、備前、美作、摂津、但馬、因幡、丹波、淡路、丹後、備中、讃岐に次いで、私が史跡巡りで訪れた12番目の国である。 また、徳島県は、兵庫県、岡山県、鳥取県、京都府、香川県に次いで、私が史跡巡りで訪れ…

ZC33S スイフトスポーツ 六年経過

我が愛車ZC33Sスイフトスポーツも、購入してから六年が経過した。 走行距離は、87,000キロメートルを超えた。 最近法定点検を受けたが、問題はなかった。未だに快調である。 昨年タイヤをダンロップ LE MAN Ⅴ+にしてから、燃費が良くなった。タイヤを替えて…

旧大庄村役場 尼崎市立大庄小学校

阪神甲子園球場の見学を終えて、尼崎市大庄西町3丁目にある、旧大庄村役場を訪れた。 ここは現在、尼崎市立大庄公民館となっている。 旧大庄村役場 尼崎市の大庄地区は、昭和17年に尼崎市に合併されるまで、兵庫県武庫郡大庄村という自治体であった。 私の…

阪神甲子園球場

大観楼跡を後にして、西宮市甲子園町にある阪神甲子園球場を訪れた。 阪神甲子園球場 阪神甲子園球場は、プロ野球球団阪神タイガースの本拠地として、また全国高校野球の聖地として知られている。 経営は、鉄道会社の阪神電鉄である。 阪神電鉄は、大正11年…

白鹿記念酒造博物館 後編 今津小学校六角堂

酵母菌によって発酵し、アルコールを含むようになった醪を酒袋に入れ、槽(ふね)の中に入れ、槽の上に置いた錘をてこの原理を用いて上から押して、酒袋の中の醪を圧搾して酒を絞り出す。 これがしぼりの工程である。 酒袋 しぼりの工程 酒袋には酒粕が残り…

白鹿記念酒造博物館 中編

酒造の工程は、先ずは酒米の洗米、浸漬に始まる。日本酒は米から造られる。酒米は、酒造用に栽培された米で、灘五郷では、兵庫県美嚢郡や三木市で栽培される山田錦が主に使われている。 山田錦 斗桝で計った白米を踏桶に入れ、水を入れて3回に分けて足で踏…

白鹿記念酒造博物館 前編

旧辰馬喜十郎住宅の隣に、辰馬本家酒造株式会社が経営する白鹿記念酒造博物館がある。 辰馬本家酒造は、寛文二年(1662年)創業で、白鹿は辰馬本家酒造が造る酒の銘柄である。 白鹿記念酒造博物館 白鹿記念酒造博物館は、辰馬本家酒造によって、明治25年築造…

宮水発祥の地 旧辰馬喜十郎住宅

西宮市久保町に、宮水発祥之地碑と陰刻された石碑が建っている。 宮水発祥之地碑 江戸時代以降、武庫川から生田川の間は、灘五郷と呼ばれる酒造地帯であった。 西宮郷もその一つであった。 江戸時代の酒は、「秋落ち」と言って、夏を越して秋になると味が落…

阪神間の近代学校建築 後編

上ヶ原キャンパスの東側には、昭和4年のキャンパス建設時から残る外国人住宅が複数建っている。 関西学院に勤める外国人職員のために建てられたものだろう。 外国人住宅 表札を見ると、外国人の名前が書いてある。今でも関学に勤める外国人職員が居住してい…

阪神間の近代学校建築 中編

文学部の南側には、関学の関学たる所以と言ってもよい神学部の建物がある。これも昭和4年の上ヶ原キャンパス発祥時からの建物だ。 神学部 神学部の建物の屋根の上には、十字架を戴いた塔が建っている。 日本離れした美しい建物だ。 神学部 屋根の上の塔 神…

阪神間の近代学校建築 前編

阪神間には、モダンな建築物が多い。 関東大震災で東京が被害を受けた後の昭和初期は、大阪は大大阪と呼ばれ、東京を超える都会であった。 大阪の通勤圏である阪神地区には、阪急電車が通って急速に宅地造成が進んだ。 谷崎潤一郎が阪神間に住んだ時代は、ま…

武庫山神呪寺 後編

神呪寺の境内南東側には、展望台があって、そこから大阪の市街を遠望することが出来る。 大阪市街には靄がかかっていて、幻想的な景観であった。 大阪平野 大阪のビル群が靄に包まれている。あそこに沢山の人たちがいる。 こうして見ると、人の世界は小さな…

武庫山神呪寺 中編

本堂の西隣には、神呪寺鎮守の弁財天が祀られている。甲山の水の神様である。 弁財天 弁財天の安置されている宮殿 弁財天の安置されている宮殿の前には、地元の西宮で醸造されたと思われるお酒が沢山奉納されている。 神様は、お酒がお好きなのであろうか。 …

武庫山神呪寺 前編

廣田神社の参拝を終えて、西宮市甲山町にある真言宗の寺院、武庫山神呪寺(かんのうじ)に向かった。 神呪寺は、西宮を象徴する甲山(かぶとやま)の中腹にある寺院である。 甲山は、太古の火山活動で発生した溶岩が固まって出来た山で、長年の風雨により削…

廣田神社 後編

兜麓底績碑の前から立ち去り、廣田神社境内に進んだ。 境内を歩く 廣田神社境内は、私の父が子供の頃遊んでいた場所だ。 廣田神社は、「延喜式」で定める二十二の名神大社の内の一社である。平安時代初期には、全国有数の神社となっていた。 明治4年には、…

廣田神社 前編

1月19日に兵庫県西宮市の史跡巡りを行った。 最初に訪れたのは、西宮市大社町にある廣田神社である。 廣田神社 廣田神社の祭神は、天照坐皇大御神(あまてらしますすめのおおみかみ)の荒御魂(あらみたま)である。皇祖神天照大御神の荒ぶる御魂である。 …

坊主塚古墳 天神塚古墳

丹波国府は、未だに発掘されていないが、丹波国府推定地として、今のところ亀岡市千代川町説と南丹市八木町屋賀説の二説がある。 平安時代の承安四年(1174年)十月二十日に書かれた「丹波国吉富庄絵図」の江戸時代初期の写本には、現在の南丹市八木町屋賀の…

龍興寺 坊田古墳群

八木城跡から下山して、南丹市八木町八木西山にある臨済宗の寺院、龍興寺に赴いた。 龍興寺 龍興寺は、享徳元年(1452年)に、室町幕府の管領細川勝元が妙心寺第五世義天玄昭を招いて建立した寺院である。 安土桃山時代の天正年間(1573~1593年)には、子院…

南丹市 八木城跡 後編

かえる岩を過ぎて更に山道を登っていくと、平坦な馬場に至った。 ここから西に行けば二ノ丸跡があり、東に行けば本丸跡がある。 馬場 私は先ず二ノ丸跡に向かった。二ノ丸跡は、家臣内藤和泉の屋敷跡でもあった。 二ノ丸跡は、西側の先端部がコの字型の土塁…

南丹市 八木城跡 前編

安楽寺の見学を終えて、南丹市八木町八木内山にある八木城跡に赴いた。 八木城跡は、兵庫県丹波市の黒井城跡、兵庫県丹波篠山市の八上城跡と並んで、丹波三大山城と言われている。 八木城跡は、標高約330メートルの城山上にある戦国山城の跡である。 城山 八…

幡日佐神社 宝樹山安楽寺

如城寺の参拝を終えて、次なる目的地、南丹市八木町氷所(ひどころ)中谷山にある幡日佐(はたひさ)神社に赴いた。 幡日佐神社 かつて、神社の裏山の峠を越えた神吉下村には、朝廷に献上する氷を貯蔵した氷室があったという。社伝によると、その地には氷室…