昨日紹介した常隆寺は、延暦四年(785年)に薨去した早良(さわら)親王にゆかりのある寺であった。
かつてその早良親王の墓だったという場所が、淡路市仁井にある。だった、というのは、早良親王の遺体は、延暦十九年(800年)に、淡路の墓から大和国の八島陵に改葬されたためである。
早良親王は、第49代光仁天皇の第二子で、桓武天皇の実弟である。一旦出家して仏門に入ったが、天応元年(781年)に兄の桓武天皇が第50代天皇に即位すると、還俗して皇太子となった。
桓武天皇の子(後の平城天皇)がまだ幼かったため、成長するまでの中継ぎとされたのだろう。
しかし、親王は、延暦四年(785年)、長岡京造営長官藤原種継の暗殺事件に関与したという疑いを持たれ、廃太子となり、乙訓寺に幽閉された。
早良親王は、幽閉先で無実を訴え、抗議の断食を行ったが、聞き入れられなかった。そして乙訓寺から配流先の淡路に移送される船中で薨去したとされている。
親王が実際に暗殺事件に関与していたかどうかは謎である。
早良親王は、配流先に予定されていた淡路に埋葬された。その埋葬地として伝承されているのが、この早良親王墓である。
親王の没後、都で皇族が続々と病死し、町では疫病が流行り、災害も起こった。人々はこれを早良親王の祟りとみなした。
桓武天皇は、常隆寺を勅願所として祈祷を行い、早良親王に対して崇道天皇と追号し、遺体を大和国八島陵に改葬し、手厚く葬った。
崇道天皇は、天皇と呼ばれているが、実際には皇位に就かなかった天皇である。今奈良市八島町にある崇道天皇陵は、皇族の陵墓として宮内庁が管理していて、出入りが制限されているが、この淡路市の早良親王墓は、今遺体が埋葬されているわけではないので、自由に入ることが出来る。
早良親王墓の鳥居の先には、親王を祀る祠があるが、その裏に小高い丘がある。かつての円墳であろう。
この円墳を登っていくと、頂上付近に石が転がっている。かつての石室の跡か、墓石の跡だろうか。
だが、丁度石が転がっている辺りから、墳丘がざっくり削られている。
これが、早良親王が改葬された際の痕跡だろうか。しかし、延暦十九年(805年)に削った跡にしては、新しいように感じる。
円墳の下に下りると、これもそう古くないと思われる石垣がある。この削られた墳丘については謎が残るが、いずれにしろ、地元の人々は今でも早良親王を弔うため、ここで手厚く祭礼を行っているという。
さて、早良親王墓から次なる目的地の浅野公園に行く。公園は、淡路市浅野南にある。
ここは、「万葉集」巻三第388の歌に歌われた浅野の地であると言われ、明治32年に郡立公園として整備された。
桜が多く植えられ、私が訪れた時は丁度満開であった。
公園は、なだらかな斜面に長い滑り台があったりして、子連れの家族が訪れ、子供たちがはしゃいでいた。
公園の高台に、万葉歌を刻んだ歌碑がある。
この歌碑には、「万葉集」巻三第388の、若宮年魚麻呂(わかみやのあゆまろ)が口誦したとされる古歌が刻まれている。
海神(わたつみ)は くすしきものか 淡路島 中に立て置きて 白波を 伊予に廻らし 居待月 明石の門(と)ゆは 夕されば 潮を満たしめ 明けされば 潮を干(ひ)しむ 潮騒の 波を畏(かしこ)み 淡路島 磯隠り居て いつしかも この夜の明けむと さもらふに 寐(い)の寝かてねば 滝の上の 浅野の雉(きざし) 明けぬとし 立ち騒くらし いざ子ども あへて漕ぎ出む 庭も静けむ
今の人は、歌と言えば短歌を思い浮かべると思うが、「万葉集」の時代は、このような長歌がよく歌われた。この歌は、旅先の感懐を歌った羇旅歌とされている。
歌意は、「海神は、霊妙な力をお持ちなのかなあ。淡路島を海の中に立て置いて、白波を伊予まで廻らし、明石海峡を通じて、夕方になれば潮を満ちさせ、朝方には潮を引かせる。そんな満ち引きの潮の音のする波が怖いので、淡路島の磯に隠れていつ夜があけるかと待っているが、なかなか寝ることができない。すると滝の上の浅野の雉が朝だと騒いでいる。さあ子供たちよ、勇気を出して船をだそう。波も静かだ」といったところか。
この歌に歌われた浅野の地が、この浅野公園だとされている。歌中に滝が出てくるが、公園の奥に「紅葉の滝」と呼ばれる滝があり、そこが歌の滝に比定されている。
紅葉の滝の周辺には楓が多く生えており、紅葉の季節は紅く染まって美しいらしい。
滝の手前に鳥居があり、また滝の側には不動明王を祀った建物がある。
不動明王が祀ってあるということは、この滝は修験道や真言行者などが滝行をした場所なのだろう。
史跡巡りを細かくしていると、古歌に詠まれた場所を訪れる機会も巡って来る。私は全国の歌枕を訪れることも夢見ていたので、この史跡巡りで出来る限りそんな場所を訪れたいと思う。
ここから次の目的地に向かう途中、溜池の上に枝を伸ばす桜があった。桜が緑色の水面に映って幻想的な風景を形作っていた。
今年、この日でなければ撮れなかった写真だろう。
いつの世になっても、桜の季節は人の心を浮き立たせるものと思う。