墓
2月18日に小豆島の史跡巡りを行った。小豆島に上陸するのは、これで2度目である。 前回レンタサイクルで小豆島を巡って、かなり疲弊したので、今回は電動自転車を借りようと思ったが、あいにく電動自転車を貸し出す店が閉まっていた。 仕方なく、今回も通…
最上稲荷の寺域は広大である。 背後の龍王山の山頂には奥之院がある。 最上稲荷の参拝コース 私は先ず、最上稲荷を開基した報恩大師の御廟に詣でようと思った。 境内は参拝客でごった返していたが、御廟のある最上霊園に行くと、私1人しかいない。静かな気…
鹿島明神社から東に走り、土庄の町に戻って来た。 土庄町本町甲にある小豆島尾崎放哉(ほうさい)記念館を訪れた。 小豆島尾崎放哉記念館入口の句碑 尾崎放哉は、明治18年に鳥取県邑美郡吉方町に生まれた。 鳥取県立第一中学校を卒業後、第一高等学校、東京…
本堂の東側には、薬師堂がある。薬師堂には、花山院本尊の薬師如来坐像と、両脇侍の日光・月光菩薩像、十二神将像が祀られている。 薬師堂 蟇股の龍の彫刻 木鼻の彫刻 薬師堂内陣 薬師如来坐像 花山院が開創された時、法道仙人が薬師如来像を本尊として祀っ…
沖ノ島の北側に鎧崎という岬がある。その岬の付け根部分に、うずしお温泉うめ丸という旅館があるが、うめ丸の南側に桜ヶ丘公園という公園がある。 ここには、昭和20年8月2日に鳴門海峡を船にて横断中、米軍機の攻撃を受けて亡くなった宝塚海軍航空隊甲種飛…
賀集八幡神社から南下し、南あわじ市賀集にある淳仁天皇陵を訪れた。私が史跡巡りで訪れた最初の天皇陵である。 宮内庁の管理下にあり、陵内に立ち入ることは出来ない。 淳仁天皇陵 第47代淳仁天皇は、天武天皇の第七皇子舎人親王の子で、即位前は大炊王と呼…
三柱神社の脇から観音山への登山道が始まる。 暑い中、気を引き締めて登り始めた。 観音山登山道の登り口 登山道の道端には、ミニ西国三十三所観音霊場の観音菩薩像と、ミニ四国八十八ヶ所霊場の石仏が祀られている。 登山道 道端の石仏 砂岩製の石仏は、微…
芳心寺の北隣に、臨済宗の寺院、龍徳山大隣寺がある。 大隣寺遠景 大隣寺山門 この寺の境内には、十六羅漢石像や、宝暦六年(1756年)に建てられた三界万霊塔があるという。 山門に近づいてみて驚いた。山門に「境内撮影禁止」と書かれた札が掛かっている。 …
樗谿公園の出入口から出て、狭い道を北上し、鳥取市馬場町にある日蓮宗の寺院、大宝山芳心寺の門前に至った。 大宝山芳心寺 この寺は、天文十三年(1544年)に、京都妙顕寺第十世僧正龍華院日廣上人が備前国庭瀬口に開基し、正福寺と称した。 その後、正福寺…
広徳寺の前には、顕本法華宗の寺院、富中山法泉寺がある。 法泉寺 法泉寺も、寛文九年(1632年)の藩祖池田光仲の国替えに従って、岡山から鳥取に移ってきた寺院である。 8歳で夭折した光仲の末娘伊佐子の菩提寺として重んじられたという。 「鳥取県の歴史…
観音院の参拝を終え、観音院の南隣に建つ臨済宗の寺院、龍峰山広徳寺を訪れた。 鳥取市立川町1丁目にある。 広徳寺 この寺も、寛永九年(1632年)の池田光仲の国替えに際して、岡山から鳥取に移った寺院である。 当初は栗谷にあったが、東照宮の勧請に際し…
立川吉村家住宅を眺めた後、鳥取市上町にある天台宗の寺院、補陀落山慈眼寺観音院に赴いた。 この寺は、国指定名勝の観音院庭園で名高い。 観音院の参道 観音院鐘楼門 観音院は、寛永九年(1632年)に池田光仲が備前から因幡に国替えとなった時、光仲に従っ…
7月30日に因幡の史跡巡りを行った。 暑い盛りで、鳥取市は猛暑日だった。 最初に訪れたのは、鳥取市立川町4丁目にある天台宗の寺院、乾向山東隆寺大雲院である。 大雲院 東隆寺大雲院の開基は鳥取藩藩祖池田光仲で、開山は光仲の従弟の池田公侃(こうかん…
天正十年(1582年)六月二日未明、京都本能寺で織田信長が家臣明智光秀に討たれた。 主君信長の死の報せは、備中高松城を包囲する秀吉の下にも届いた。 動揺する秀吉に対し、軍師黒田官兵衛は、むしろこれで殿に天下獲りのチャンスが訪れたと励ました。 光秀…
吉備津神社西側の駐車場の奥に、備中国賀陽郡庭瀬村川入(現岡山市北区川入)出身で、第29代内閣総理大臣になり、昭和7年に発生した五・一五事件で殺害された政治家犬養毅の銅像が建っている。 犬養毅の銅像 犬養家(元は犬飼といった)の祖先の犬飼健命は…
中堂の奥、役行者と理源大師聖宝の像の背後に、易塚がある。 易塚 儒教の聖典である五経は、「易経」「詩経」「書経」「春秋」「礼記」であるが、「易経」はその第一の聖典である。 易は、一般には占いの一種のように思われているが、陰陽八卦六十四爻(こう…
帝釈寺から兵庫県道4号線を西進すると、余部(あまるべ)鉄橋で有名な兵庫県美方郡香美町香住区余部の集落に至る。 余部の集落から北上し、日本海に突き出た半島の突端にある集落を目指した。 平家の落人集落とされる御崎集落のことである。 御崎集落のある…
温泉寺宝物館を出て、すぐ西側にある本堂に向かう。 本堂は別名大悲殿という。温泉寺の中興清禅法印が、至徳四年(1387年)ころに建立した建物で、但馬で最も古い建物である。 本堂(大悲殿) 和様、唐様、天竺様の三様式が絶妙に融和した折衷様式の入母屋造…
羽出地区から北上し、岡山県と鳥取県との県境にある岡山県立森林公園を訪れた。 岡山県立森林公園 岡山県立森林公園は、昭和43年に明治100年記念事業として整備が始まり、昭和50年7月に開園した。 公園入口の標高は、約840メートルで、公園最高所である「き…
薬師堂の参拝を終えて外に出た。 境内には、聖観世音菩薩像を祀る観音堂がある。 昭和58年に建立された新しいお堂だ。 観音堂 薬師堂の東側には、弁天池に浮かぶ弁天堂がある。 弁天堂 こちらは正徳三年(1713年)に建立されたものである。池に掛けられた石…
鳥取藩主池田家墓所の門の手前に、池田家の菩提寺である興禅寺の歴代住職の墓地がある。 興禅寺歴代住職の墓 歴代住職の墓地の隣に、初代藩主光仲の側室だった上野氏勾(こう)とその養子上野忠親の墓所がある。 上野勾の墓(中央)と上野忠親の墓(右側) …
寛永九年(1632年)から版籍奉還のあった明治2年(1869年)まで、237年に渡って因幡、伯耆の2ヵ国を治めた鳥取藩主池田家の墓所が、鳥取市国府町奥谷にある。 国指定史跡である。 鳥取藩主池田家墓所の門 鳥取藩の初代藩主は、池田光仲とされている。だが…
鷺山古墳の見学を終え、甑山西麓の墓地の駐車場に戻った。 車に乗って、鳥取市国府町宮下にある浄土宗の寺院、無量光寺に赴いた。 無量光寺山門 無量光寺本堂 この寺の背後の山中に、この地で生まれて文武朝に仕え、和銅元年(708年)に死去し、和銅三年(71…
旧美歎水源地水道施設の前の道を北上すると、稲葉山の北側に出る。 稲葉山は、標高約249メートルの低山だが、因幡国一宮の宇倍神社の宮山であり、因幡の国名の由来にもなった山である。 稲葉神社から遠望する稲葉山 稲葉山は、因幡国庁跡からもよく眺めるこ…
一葉塚から南に約300メートル歩くと、右手に公園のようなものが見えてくる。 淡路に配流となった第47代淳仁天皇が幽閉された場所とされる野辺の宮である。南あわじ市市十一ヵ所にある。 野辺の宮 淳仁天皇は、天武天皇の第七子舎人親王の子で、大炊(おおい…
3月21日に淡路の史跡巡りを行った。 最初に訪れたのは、兵庫県南あわじ市八木養宜(やぎようぎ)にある八幡神社と、その隣にある真言宗の寺院、神護山安楽寺である。 八幡神社 八幡神社神門 八木養宜の八幡神社は、宮山という小高い丘の上に建っている。 淡…
天正十一年(1583年)、宇喜多氏の家臣斎藤玄蕃が守る西屋城を毛利勢が攻撃した。 西屋城は落城したが、その際に落命した人の石碑が西屋城跡南東の杉地区に残っている。 西屋城跡東南麓にある泉神社から、国道179号線を少し南西に行った道沿いに、斎藤玄蕃の…
産宮神社のすぐ北側にあるのが、浄土宗の寺院、法性山上宮院日光寺である。 日光寺の伽藍 日光寺山門 私が日光寺を訪れた時、東南アジア系の若いカップルが山門前でスマートフォンで記念写真を撮っていた。 最近寺社詣でをすると、日本に在住していると思わ…
夜久野高原の北側は、上夜久野という地域である。 上夜久野には、南北に渡る二つの谷がある。東側の谷の地域を直見(のうみ)という。 直見地区には、仏教に関する文化財が4点存在する。 一つ目は、福知山市夜久野町直見副谷にある臨済宗妙心寺派の寺院、清…
小田井縣神社の参拝を終え、円山川右岸の豊岡市日撫(ひなど)にある曹洞宗の寺院、正福寺を訪れた。 ここは、大石内蔵助良雄の妻・りくの遺髪塚と、長女・くうの墓、次男・吉之進の供養塔のある寺である。 大石りく、くう、吉之進の銅像 寺は低い山の中腹に…