成相池堰堤 南隆山覚住寺

 成相寺石盤のある場所から東を見ると、平成11年に完成した成相ダムが見える。

成相ダム

 成相ダムは、成相川の上流に設置された、洪水を防ぎ、生活用水を溜めるためのダムである。

 成相ダムに堰き止められた成相川の水は、ダムの背後に溜まり、成相池を形成している。

成相ダム

成相池

 この成相池の中に、現在の成相ダム完成まで、ダムの役割を果たしていた成相池堰堤が保存されている。

成相池堰堤

 この地域では、昔から渇水時には深刻な水不足に見舞われていた。水不足解消のため、昭和4年に堰堤建設が計画され、昭和12年に着工、大東亜戦争を挟む13年の歳月をかけて、昭和25年に成相池堰堤が完成した。

 成相池堰堤は、粗石モルタル造の重力式ダムである。

 しかし、完成後も下流域の平低地では、たびたび洪水被害が発生したことから、現在の成相ダムが成相池堰堤の下流に建造された。

成相池堰堤

 下流に成相ダムが出来たことで、ダムとしての成相池堰堤の役割は終わったが、水源開発への先人の苦労と熱意を後世に伝えるため、湖水中に没したまま保存されることになった。

 成相池堰堤の背後の取水塔は、私の世代には、「ドラゴンクエスト」に出てくるお城の塔のように見える。

 さて、成相池堰堤から南あわじ市神代社家にある真言宗の寺院、南隆山覚住寺を訪れた。

覚住寺山門

 覚住寺は、崇峻天皇五年(592年)に、聖徳太子により建立された、淡路最古の寺院とされている。

 創建後は、七堂伽藍を備えた大寺院として繁栄した。

 中世には淡路守護の細川氏の庇護を得たが、永正十三年(1516年)の兵火で全山焼失した。

境内

本堂

 その後元禄年間(1688~1704年)に本堂が復興された。

 本尊は如意輪観音で、その他に鎌倉時代後期の作である南あわじ市指定文化財大日如来坐像を祀っている。

 また覚住寺は、淡路七福神霊場の一つで、毘沙門天を祀っている。

 覚住寺の西隣には、淡路南部の恒例で、八幡神社が祀られている。その更に西隣の高台に、覚住寺の飛び地がある。

 そこに小さなお堂があり、その中に兵庫県指定文化財の地蔵立像板碑が祀られている。

地蔵立像板碑を祀るお堂

お堂内部

地蔵立像板碑

 この地蔵立像板碑には、永徳四年(1384年)の銘がある。

 像高は約180センチメートルで、上半分は龕形に石を彫り、その中に地蔵菩薩立像を平彫にしている。下半分に造立銘がある。

 この板碑は、元々覚住寺西方の路傍の石仏であったという。長らく道行く人を見守ってきたお地蔵様だ。

 この地域の人々は、生活の平穏を願って地蔵立像板碑を建て、渇水対策のため成相池堰堤を築いた。

 信仰と建設工事というと、異なる態様のように見えるが、生活を良くしたいという万古不易の人間の願いがその中に見て取れる。