2023-01-01から1年間の記事一覧

深谷山蓮花寺 後編

蓮花寺の中興の祖は、「平家物語」の中で閻魔大王のいる冥土に行って帰ってきたと書かれている、慈心房尊恵という僧である。 尊恵が冥土に持って行ったという曼荼羅、経本、数珠は、蓮花寺の寺宝として今も伝わっている。 本堂 本尊は、文永八年(1271年)に…

深谷山蓮花寺 前編

三田市街から北上し、三田市下槻瀬(しもづきせ)にある真言宗の寺院、深谷山蓮花寺を訪れた。 深谷山蓮花寺 蓮花寺は、7世紀の中頃、第36代孝徳天皇の時代に、法道仙人により開創されたと伝わっている。 蓮花寺の山門は、戦国時代に焼失したものを、その後…

旧九鬼家住宅資料館 後編

客室の南側には仏間があるが、今は仏壇は撤去されている。 その代わり、旧九鬼家住宅の図面や、九鬼隆範が設計時に使用したと思われる製図道具が展示されている。 仏間と客室の間の欄間の意匠 九鬼家住宅の図面の複製 製図道具 建物の南側には、東から順番に…

旧九鬼家住宅資料館 前編

御霊神社から三田市街に戻り、三田市屋敷町にある旧九鬼家住宅資料館を訪問した。 旧九鬼家住宅資料館 旧九鬼家住宅資料館は、天保六年(1835年)に越賀家の三男として屋敷町に生まれ、明治3年に三田藩の家老九鬼隆継の養子になった九鬼隆範(りゅうはん)…

三田市 御霊神社

金心寺の参拝を終えてから北上し、三田市貴志にある御霊神社を訪れた。 御霊神社参道 御霊神社の創建については、詳細は分からない。 明治2年の神仏分離に際して、御霊神社を管理していた社坊金性院が廃寺となり、記録が散逸してしまったためである。 祭神…

如意山金心寺

多聞寺から北に走り、兵庫県三田市の市街地に入る。 三田市天神にある真言宗の寺院、如意山金心寺(こんしんじ)に赴いた。 金心寺参道 金心寺は、新興住宅街の中の丘の上にある。 寺伝によると、金心寺は、天智天皇七年(668年)に、唐から帰朝した中臣鎌足…

豊歳神社 北野山多聞寺

11月26日に摂津の史跡巡りを行った。この日訪れたのは、神戸市北区と兵庫県三田市の史跡である。 まず最初に、神戸市北区大沢(おおぞう)町市原にある豊歳神社を訪れた。 豊歳神社 鳥居 豊歳神社は、農村の中にあるが、私が訪れた時は、地元の人たちが境内…

土師天満宮

福知山市土師(はぜ)町は、古代の丹波において、天皇に奉献する食器を作った贄土師部という部曲が置かれた場所とされている。 土師部は、土器や陶器を作った職業集団である。 日本のあちこちにある土師という地名は、概ね古代の土師部と関係がある。 この土…

ヌクモ山城跡 ヌクモ古墳群

石原城跡から東南を眺めると、標高150メートルほどのヌクモ山という低山が横たわっている。 この山には、中世の山城跡であるヌクモ山城跡とヌクモ古墳群が存在する。 ヌクモ山 上の写真の正面に写っているのがヌクモ山だが、山上に2つの鉄塔がある。 右側(…

金光山洞玄寺 石原城跡

阿毘地神社から西に行き、福知山市石原2丁目にある曹洞宗の寺院、金光山洞玄寺に赴いた。 金光山洞玄寺 洞玄寺は、小高い丘の上に建っているが、この丘は元々は石原城という城であった。 天文年間(1532~1554年)に、安芸国からこの地に移ってきた大槻安芸…

阿毘地神社

観音寺から西に走り、福知山市興にある阿毘地(あびち)神社を訪れた。 阿毘地神社の社叢 田んぼの中に、鬱蒼とした林が見えてくる。この林が阿毘地神社の社叢である。 境内入口は東側にある。 阿毘地神社 阿毘地神社の創建は、宝亀年間(770~781年)である…

補陀落山観音寺 後編 

観音寺本堂の背後には、鎮守の熊野神社と聖徳太子を祀る太子堂がある。 熊野神社 熊野神社拝殿 熊野神社は、紀伊にある熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社のいわゆる熊野三山の神様である熊野権現を勧請したものである。 熊野信仰は、平安時代には仏…

補陀落山観音寺 中編

観音寺の本堂は、天正四年(1576年)の兵火で焼けた後、天正七年(1579年)に再建されたが、その後大破した。 安永四年(1775年)ころから大破した本堂の再建が計画された。天明四年(1784年)に再建工事が始まり、寛政七年(1795年)に完成した。 これが、…

補陀落山観音寺 前編

浦嶋神社から東に走り、福知山市と綾部市の境界付近にある真言宗の寺院、補陀落山観音寺に赴いた。 観音寺の案内図 観音寺の創建は、養老四年(720年)で、開基は法道仙人と伝わる。 当地を訪れた法道仙人が、一霊木から十一面千手千限観世音菩薩立像を刻ん…

奉安塚古墳群 浦嶋神社

稲粒神社の参拝を終えて府道74号線を東に走り、途中三叉路を北に上がって、福知山市報恩寺(ほおじ)の集落に入る。 報恩寺集落の中には、旧福知山市立佐賀小学校がある。校庭跡の北側の山麓に、奉安塚古墳群がある。 奉安塚古墳群のある山麓 奉安塚古墳群の…

稲粒神社 太光薬師堂

醍醐寺の参拝を終えて南下し、由良川手前を左折して、京都府道74号線を東進すると、右手の田の中に鬱蒼と茂る森が見えてくる。 稲粒神社の鎮守の森 京都府福知山市川北にある稲粒神社の鎮守の森である。稲粒神社の鎮守の森と境内は、京都府文化財環境保全地…

木塔山醍醐寺

猪崎城跡から北上し、福知山市猪崎にある臨済宗の寺院、木塔山醍醐寺に赴いた。 木塔山醍醐寺 私が訪れた日は、境内の楓の紅葉が進んでいた。季節の移り変わりを感じた。 石垣と参道 醍醐寺は、興国二年(1341年)に、後醍醐天皇の菩提を弔うために、足利尊…

猪崎城跡

三段池公園の南側に、戦国時代に築かれた山城の跡である猪崎城跡がある。 猪崎城跡のある城山 猪崎城跡は、天文~永禄年間(1532~1569年)に築城された山城で、明智光秀が丹波を平定する前に築かれたものである。 城跡のある城山は、高さ50メートルほどの低…

池の奥古墳群 稲葉山古墳群

福知山市猪崎にある三段池公園は、様々なスポーツ施設が集まる公園であるが、公園内や周辺からは、古墳が多数発掘されている。 公園中央にある総合体育館の北側に「古墳の丘」と呼ばれる場所がある。池の奥古墳群の中で最大の5号墳がある場所である。 総合…

庵我神社 明光山養泉寺

11月11日に、丹波の史跡巡りを行った。訪れたのは、京都府福知山市である。 最初に福知山市中にある庵我(あんが)神社を訪れた。 庵我神社 庵我神社は、「延喜式」式内社の一つである。創建は詳らかではない。 だが、「続日本紀」の宝亀四年(773年)の条に…

津山市の弥生遺跡 後編

津山弥生の里文化財センターの2階には、津山市内の古墳から発掘された埴輪が展示されている。 埴輪というと、殆どの人が人型埴輪を想起すると思うが、初期の埴輪は土管のような形をした円筒埴輪であった。 円筒埴輪 円筒埴輪は、古墳の上部に、半ば地面に埋…

津山市の弥生遺跡 中編

弥生時代に田を耕すのに使われていた鋤、鍬といった道具は、木製品であった。 鍬 鋤 えぶり 木製品には、硬い樫の木が使われた。いかに硬い木を使っていたとしても、金属器の方が遥かに作業能率が上だろう。 当時の農業は、大変だったろう。 弥生時代の田は…

津山市の弥生遺跡 前編

11月8日に、今まで行きそびれていた津山市の弥生時代の遺跡と津山弥生の里文化財センターを巡った。 「岡山県の歴史散歩」に載っている遺跡名を、文化財総覧webgisのサイトで検索して位置を特定し、訪問した。 津山盆地からは、弥生時代の遺跡が多く発掘さ…

真庭市 天津神社 熊野神社 五反廃寺

岡山県真庭市には、中世以降に地域の神楽の興行権を独占し、室町時代に作られた獅子頭を持つ神社が2つある。 一つは真庭市高屋にある天津神社である。 天津神社 天津神社の創建は、和銅三年(710年)と伝わっている。 祭神は、天津神の天児屋(あめのこやね…

篠向城跡

真庭市街の南東に標高419メートルの篠向(ささぶき)山が聳えている。 山上に、中世の山城跡である篠向山城跡がある。 篠向山 篠向山城跡には、車で上がることが出来る。山の西側にある岡山県真庭市大庭の集落から、山上に上がる舗装路に入ることが出来る。 …

今西山法福寺 川東車塚古墳 

木山神社、木山寺の参拝を終え、旭川沿いに南下し、真庭市の南端にある吉(よし)の集落に行った。 ここにある真言宗の寺院、今西山法福寺には、岡山県重要無形文化財の吉念仏踊りが伝承されている。 今西山法福寺 ネットで法福寺を検索すると、立派な山門の…

木山神社 木山寺 その6

木山寺の東側の山中に、木山神社の奥宮がひっそりと建っている。 木山神社奥宮への案内看板はないので、危うく見過ごすところであった。 奥宮があることを知らずに参拝すると、確実に見落とすであろう。 木山寺南側の駐車場から南に歩くと、東に入る道がある…

木山神社 木山寺 その5

本日は、木山神社と木山寺参拝のクライマックスとも言うべき、木山寺の鎮守殿を紹介する。 鎮守殿は、木山寺本堂の背後に建つ建物で、薬師瑠璃光如来の化身の木山牛頭天王と十一面観世音菩薩の化身の木山善覚稲荷大明神を祀る建物である。 木山寺鎮守殿 この…

木山神社 木山寺 その4

木山寺本堂は、大師堂のある場所から、さらに石段を上がったところにある。 本堂への石段 上の写真を見てお気づきになっただろうか。寺院の本堂に至る石段の両脇に狛犬があり、石段の上に鳥居がある。 木山寺本堂は、寺院の本堂でもあり、神社の拝殿でもある…

木山神社 木山寺 その3

木山神社里宮の参拝を終え、木山山上に続く自動車道を使って、木山寺に赴いた。ここは真言宗の寺院である。 明治の神仏分離までは、木山寺は木山神社と一体化していて、合わせて木山宮と呼ばれていた。 弘仁六年(815年)に弘法大師空海がこの地を訪れて、開…