2019-01-01から1年間の記事一覧

奈義町 菩提寺

岡山県勝田郡奈義町高円にある高貴山菩提寺は、那岐山の中腹、標高およそ500メートルほどの場所に位置する。 菩提寺は、持統天皇の治世(686~697年)に役小角が開基したと伝えられており、往時には、七堂伽藍三十六坊が立ち並んでいたと言われている。 平安…

植月寺山古墳 梶並神社

JR勝間田駅から北東方面に行った岡山県勝田郡勝央町植月東にあるのが、植月寺山古墳である。 古墳は、観音寺という寺院の裏にある。方墳が連なる前方後方墳という珍しい形式の古墳である。 植月寺山古墳の墳丘図 私が史跡巡りで初めて訪れた前方後方墳である…

三星城跡 吉田の油地蔵

林野の町から国道179号線を北上すると、左手に三星山が見えてくる。この山の麓にあるのが三星城跡である。 美作中央病院の裏に三星山の登り口がある。 三星山登り口 登山口には、明見三星稲荷の鳥居がある。この先で道が左右に分かれる。左に行けば、明見三…

林野

長福寺を出て、国道374号を使って吉野川沿いを北上する。 しばらく車で走ると、美作市安蘇にある、安蘇宝篋印塔に至る。 安蘇宝篋印塔 安蘇宝篋印塔には、正中二年(1325年)性忍敬白という銘文がある。 鎌倉時代後期は、石造美術の最盛期である。この時代に…

天石門別神社 長福寺

備前国北部から美作国にかけては、天石門別(あまのいわとわけ)神社という名の神社が数多くある。 美作市英田町滝宮にある天石門別神社もそのひとつである。 鳥居 祭神は、天手力男(あめのたぢからお)神である。天手力男神は、天照大御神が天の岩戸に引き…

加西市 東光寺

加西市殿原町の加西市立泉小学校の東隣に、国府寺という天台宗の寺院がある。ここは、白鳳時代の寺院の廃寺跡でもある。殿原廃寺という。 殿原廃寺跡 とは言え、今の国府寺には、白鳳時代に寺院があったことを示すものは何もない。 門から入って左手の庭園の…

北条の五百羅漢

住吉神社、酒見寺から北に歩いて、北条小学校と北条中学校の間の道を抜ける。当日は、小学校のグラウンドで少年野球の試合が行われていた。 学校を過ぎると、右手に天台宗の寺院である羅漢寺が見えてくる。 この寺にあるのが、北条の五百羅漢と呼ばれる石仏…

酒見寺

住吉神社の東隣にあるのが、泉生山酒見寺である。 酒見寺は、天平十七年(745年)に行基菩薩が建立したと伝えられている。現在は真言宗の寺院である。 酒見寺は、天正年間(1573~1592年)に戦火で焼失したが、江戸時代初期の寛永十九年(1642年)に再建され…

加西市 住吉神社

兵庫県加西市北条町古坂にある加西市埋蔵文化財整理室の駐輪場横に、阿弥陀三尊の種子を刻んだ鎮岩(とこなべ)板碑がある。兵庫県指定文化財となっている。 鎮岩板碑 元々は、加西市鎮岩町の大日堂の境内にあったが、加西市が保存のため、この場所に移転し…

瀬戸町

現在岡山市東区瀬戸町と呼ばれている区域は、平成19年1月22日の岡山市への合併前は、赤磐郡瀬戸町という自治体であった。 岡山市は、平成に広域合併を重ね、政令指定都市となった。中国地方では、広島市に次ぐ政令指定都市である。 今日は、この瀬戸町の史…

赤磐市 千光寺

本久寺の拝観を終えて南下し、和気町から赤磐市に入る。赤磐市は、岡山市郊外のベッドタウンとなっている町である。 赤磐市石蓮寺(しゃくれんじ)には、かつて報恩大師が建立した備前四十八寺の一つである、平満山石蓮寺があった。 現在は石蓮寺は廃寺とな…

和気町 本久寺

天神山城跡から北に行くと、三保高原というレジャー施設等がある高原に至る。地名で言うと、和気町田土字杉沢である。 ここにはかつて、奈良時代に報恩大師が建立した備前四十八寺の一つ、安生寺を前身とする杉沢山長楽寺があった。 長楽寺は、檀家の便を考…

天神山城跡 後編

天神山城南の段から太鼓丸方向に歩く。南の段のすぐ下に、「堀切り」と呼ばれる空堀の跡がある。山城には空堀を掘って防御設備とした。 堀切り 参考までに、前期天神山城である太鼓丸城の鳥瞰図を掲げる。 太鼓丸城鳥瞰図 堀切りを過ぎると、すぐに亀の甲と…

天神山城跡 中編

天神山城は、尾根沿いに防御施設が続いている。 参考までに、前回と別の鳥瞰図を掲載する。 天神山城鳥瞰図 下の段の次の西櫓台には、城の西方にある佐伯平野を見張るための櫓台があった。確かに西櫓台のあった場所から西方を望むと、佐伯平野が一望できる。…

天神山城跡 前編

赤松氏の下で備前国守護代をしていた浦上氏は、応仁の乱後、主家の赤松氏よりも強大になった。 浦上村宗は、大永元年(1521年)、主君である赤松義村を殺害し、その子赤松政村(後の晴政)を傀儡として、播磨、備前、美作の実権を握った。 村宗は、中央での…

高御位山

高砂市と加古川市の境目に聳える高御位(たかみくら)山は、標高304メートル、別名「播磨富士」と呼ばれている。 11月14日の「生石神社 覚正寺」の記事で書いたように、生石神社の御神体である「石の宝殿」の削り屑が、高御位山の山頂に捨てられたという伝承…

教信寺 古大内遺跡

古代には、日本各地に駅(うまや)という馬を常備した拠点があった。 当時の最速の連絡手段は馬であった。都から地方に何かを連絡するときは、使者は駅にある馬を乗り継いで連絡先へ向かった。 駅には、宿泊施設があって、外国の公使が宿泊したり、旅人が宿…

鶴林寺 後編

境内に、法華一石一字塔というものがある。明和八年(1771年)に建立されたもので、法華経の文字を一つの石に一字づつ書いて千部納め、読誦して回向し、三界万霊の菩提を弔ったものである。 法華一石一字塔 塔の背後には、近年設置されたと思われる「ふりき…

鶴林寺 中編

本堂の西側にある常行堂は、僧侶が阿弥陀仏の周囲を歩きながら念仏をひたすら唱える常行三昧という修行をするための建物である。国指定重要文化財である。 常行堂 常行堂は、格式の高い天台寺院にしかない建物である。 常行堂の建築は、国宝太子堂と同時期の…

鶴林寺 前編

加古川市加古川町北在家にある刀田山鶴林寺は、587年に聖徳太子が秦河勝に命じて開創させた寺院である。 10月19日の「多可町の寺院」の回でも紹介したが、584年に高句麗から渡来した恵便法師は、廃仏派の物部氏の迫害を受け、東播磨の地に逃れ、身を隠した。…

尾上神社

兵庫県加古川市尾上町長田にある尾上(おのえ)神社は、謡曲「高砂」に出てくる相生の松(尾上の松)がある場所である。 今は尾上神社のある場所は加古川市になるが、かつてこの辺りは、「高砂の尾上」と呼ばれ、古歌、謡曲に出てくる名所であった。 尾上神…

天坊山古墳 日岡神社 日岡古墳群

兵庫県加古川市は古墳が多い場所である。今日も古墳の紹介になる。 加古川市上荘町小野にある天坊山の山上には、4世紀後半に築かれた円墳がある。これが天坊山古墳である。 天坊山は、標高163メートルの低山である。登山口も分かりにくい。山の南側の長池に…

道仙寺 後編 附林家住宅

女人禁制の領域に足を踏み入れる。 岩が転がる悪路を登攀する。途中、役小角の石像があった。 役小角の石像 役小角は、死んでからはるか後に、神変大菩薩という諡号を朝廷から送られた。日本の霊山のほとんどは、役小角が開山したという伝承を持っている。 …

道仙寺 前編

岡山県最高峰の後山は、標高1345メートルである。 その麓にある行者山道仙寺は、真言宗の寺院である。本堂は岡山県美作市後山にある。 この辺りは昔、東粟倉村と呼ばれていた。標高が高く、空気の澄んだ山間の高原のような地域で、私が訪れた時はまだ11月上…

西条廃寺

人塚古墳に隣接した北山公園内にあるのが、兵庫県指定史跡の西条廃寺である。 7世紀後半に建設された伽藍の跡である。 現在は、中門跡、塔跡、金堂跡、講堂跡の基壇が再現整備されている。法隆寺の伽藍配置に類似している。 中門跡から廃寺全体を見る 中門…

西条古墳群

兵庫県加古川市西条山手にある西条古墳群と西条廃寺は、お互い隣接している。 西条古墳群には、元々弥生時代後期から古墳時代にかけての古墳が60数基あった。大規模な宅地造成によって、弥生時代の墳丘墓を含む多くの古墳は消滅してしまった。 大化二年(646…

報恩寺 長慶寺山古墳群

兵庫県加古川市平荘町山角にある印南山報恩寺は、真言宗の寺院である。 元明天皇の和銅六年(713年)、証賢上人の開基と伝えられる。 報恩寺山門 寺内には、数多くの石造遺品が残されている。寺勢が隆盛を誇っていた鎌倉時代から室町時代にかけてのものが多…

平荘湖古墳群

湖に沈んだ古墳。詩的な空想をかき立てさせられる言葉だ。 兵庫県加古川市平荘町池尻にある平荘湖は、昭和41年に、東播磨地域の工業地帯に工業用水を安定供給するために建設されたダムによって出来た人造湖である。 平荘湖が出来る前は、一帯には100基を超え…

中道子山城跡

兵庫県加古川市志方町岡にある標高271メートルの城山山上には、赤松円心の四男、赤松氏範が築城した中道子山(なかどうじやま)城跡がある。 赤松氏範は、終始一貫して足利幕府と北朝に与した円心や兄3人と異なり、最後まで南朝方に立って戦った武将である…

加古川市 長楽寺

兵庫県加古川市志方町永室にある大藤山長楽寺は、浄土宗の寺院である。 創建は、和銅六年(713年)。慈心上人が建立したとされる。最初は真言秘密の道場だったというが、和銅六年は空海が生まれる前である。創建時は真言宗の寺院ではなかっただろう。 長楽寺…