石碑
2月18日に小豆島の史跡巡りを行った。小豆島に上陸するのは、これで2度目である。 前回レンタサイクルで小豆島を巡って、かなり疲弊したので、今回は電動自転車を借りようと思ったが、あいにく電動自転車を貸し出す店が閉まっていた。 仕方なく、今回も通…
土庄郵便局の東側には、永代橋という橋が架かっている。 この橋は、小豆島本島と、本島の南西側にある前島を結んでいる。 永代橋 この永代橋の下を通っているのが、ギネスブックで世界一狭い海峡と認定された土渕海峡である。 永代橋と土渕海峡 土渕海峡は、…
12月2日に小豆島の史跡巡りを行った。 小豆島は、香川県に所属する。旧国名で言えば、讃岐国の一部である。 当ブログの史跡巡りも、ついに四国の一角に辿り着いた。 山川出版社「香川県の歴史散歩」 香川県は、兵庫県、岡山県、鳥取県、京都府に次いで、私…
西山北古墳から南下し、兵庫県南あわじ市賀集八幡にある真言宗の寺院、賀集山護国寺に赴いた。 賀集山護国寺 護国寺の前には、この地を出身地とする明治の音響学者田中正平の顕彰碑がある。 田中正平顕彰碑 田中正平は、明治17年8月に、横浜港から出港した…
吉備津神社西側の駐車場の奥に、備中国賀陽郡庭瀬村川入(現岡山市北区川入)出身で、第29代内閣総理大臣になり、昭和7年に発生した五・一五事件で殺害された政治家犬養毅の銅像が建っている。 犬養毅の銅像 犬養家(元は犬飼といった)の祖先の犬飼健命は…
天の浮橋から約150メートル南下した、南あわじ市榎列大榎列の集落の中に、屯倉(みやけ)神社跡がある。 屯倉神社跡 屯倉とは、朝廷の直轄領のことである。ここで収穫された作物は、朝廷に納められた。屯倉には、朝廷に納める品物を保管する倉があった。 「…
安楽寺の参拝を終え、北西に車を走らせる。 兵庫県南あわじ市八木養宜中にある養宜館(やぎやかた)跡を訪れた。 養宜館跡東側の土塁跡 養宜館跡は、暦応三年(1340年)から永正十六年(1519年)までの間、淡路守護として淡路を領有した細川氏七代の居館跡で…
現在の摩耶山天上寺から南側には、車で行くことは出来なくなっている。遊歩道を歩いて南下すると、摩耶ロープウェイの星の駅がある。 星の駅から西に歩くと、石畳の道になる。 摩耶山史跡公園への降り口がある石畳の道 この石畳の道の南側にある燈籠から、焼…
天正十一年(1583年)、宇喜多氏の家臣斎藤玄蕃が守る西屋城を毛利勢が攻撃した。 西屋城は落城したが、その際に落命した人の石碑が西屋城跡南東の杉地区に残っている。 西屋城跡東南麓にある泉神社から、国道179号線を少し南西に行った道沿いに、斎藤玄蕃の…
小田井縣神社の参拝を終え、円山川右岸の豊岡市日撫(ひなど)にある曹洞宗の寺院、正福寺を訪れた。 ここは、大石内蔵助良雄の妻・りくの遺髪塚と、長女・くうの墓、次男・吉之進の供養塔のある寺である。 大石りく、くう、吉之進の銅像 寺は低い山の中腹に…
十王峠からUターンして、鳥取市国府町中郷にある因幡国庁跡を目指した。 その手前の国府町庁の集落の中に、大伴家持(やかもち)の歌を刻んだ歌碑がある。 万葉歌碑 大伴家持は、大伴旅人(たびと)の息子で、「万葉集」に多くの和歌を残した同集を代表する…
豊岡陣屋の付近には、かつて豊岡藩の家臣が住んだ武家屋敷が並んでいた。 豊岡陣屋跡から東に行くと、豊岡藩家老石束家の屋敷跡がある。 石束家屋敷跡 寛文九年(1669年)に、石束源五衛毎公(つねとも)の娘として、この地で生まれたのが、赤穂藩家老大石内…
亀ヶ城跡から下山し、車に乗って東に向かう。 兵庫県豊岡市但東町畑山にある日出神社を訪れた。 日出神社 日出神社の創建がいつなのかは分かっていない。祭神は、太古に新羅から但馬に渡来し、但馬の開発を行ったという天日槍(あめのひぼこ)の四世の孫、多…
倉田八幡宮の参拝を終えて北上し、鳥取市正蓮寺にある面影山という小山に向かう。 この山の西麓に建つ面影神社の鳥居の手前に、鳥取県指定保護文化財である木造毘沙門天立像、木造吉祥天立像を祀る毘沙門堂がある。 毘沙門堂 毘沙門堂は、新しい建物である。…
由良要塞跡の見学を終えて、神戸淡路鳴門自動車道洲本インターチェンジ付近まで戻った。 インターから西に進むと南あわじ市に入る。 南あわじ市広田広田の集落に入ると、その奥に広田の鎮守である広田八幡神社がある。 広田八幡神社 小高い丘の上に社殿があ…
静思堂から国道426号線を東進する。国道426号線は、兵庫県豊岡市から京都府福知山市までつながっている。 江戸時代にはこの道は、京街道と呼ばれた。出石藩や豊岡藩の大名行列は、この道を通った。 兵庫県豊岡市但東町久畑(くばた)は、江戸時代には宿場町…
鳥取県八頭郡八頭町郡家(こおげ)には、八頭町の町役場がある。 ここは、江戸時代後期に郡家の発展に尽くした地元出身の豪農安藤伊右衛門の屋敷跡である。 安藤伊右衛門は、毎年のように水不足に悩む郡家の農民を救い、かつ新田開発をして食糧増産を図るべ…
新興寺から国道29号線を鳥取市方面に進む。 江戸時代には、鳥取から姫路までの街道沿いには、宿場町が形成されていた。鳥取から播州までの間の街道は、若桜街道と呼ばれていた。 若桜街道の若桜宿から鳥取城方面に向かう次の宿場町が安井宿である。 安井宿 …
幻住寺の参拝を終えて、車を駆って南下し、岡山県真庭市旦土(たんど)にある国玉神社を訪れた。 ここには、旦土が生んだ江戸時代後期の蘭科医石井宗謙誕生の地の碑がある。 国玉神社 石井宗謙生誕の地の看板 寛政八年(1796年)に旦土村で生まれた石井宗謙…
寺町の寺院巡りを終えて、洲本市本町4丁目にある厳島神社に参詣することにした。 この神社は、地元では淡路島弁財天とも呼ばれている。 祭神は安芸の宮島の厳島神社と同じ市杵島姫(いちきしまひめ)命である。 市杵島姫命は神仏習合の過程で、いつしかイン…
遍照院から道を挟んで南側にあるのが、浄土宗の寺院、心念山専称寺である。 地名で言うと、洲本市本町8丁目になる。 専称寺山門 この寺には、庚午事変(稲田騒動)に関わって刑死、獄死した徳島藩士22名を追悼した庚午志士之碑がある。 慶応三年(1867年)…
神戸市立博物館を出て、京町筋を南に歩くと、京橋に至る手前の左側に、史跡海軍操練所跡の碑が建っているのが見えてくる。ここは神戸市中央区海岸通17番地になる。 史跡海軍操練所跡の碑 文久三年(1863年)、摂津の海岸防備の準備のため、この地方を巡視し…
かつて司馬遼太郎が「菜の花の沖」という小説に書き、江戸時代を通して日本で一番偉かった人物と評した高田屋嘉兵衛。 高田屋嘉兵衛の肖像画 この人物は、兵庫県洲本市五色町都志出身の豪商で、航海術や商才に長けていた。その能力を幕府に見込まれて、蝦夷…
私がメリケンパークを訪れた昨年12月26日には、幸いにも日本丸が神戸港を訪問しており、中突堤に停泊していた。 日本丸 日本丸の船首像 日本丸のキャビン 日本丸の船尾 この船は、昭和59年に竣工した二代目の日本丸である。日本丸は、独立行政法人海技教育機…
薬師院の参拝を終え、再び西川緑道公園に戻った。 西川緑道公園の標柱 西川橋から公園を北上してしばらく行くと、右手に岡ビルという昭和レトロなビルが見えてくる。 岡ビル ここは地元の人で賑わう、魚などの小売り市場であるらしい。 江戸時代には、この岡…
西川緑道公園から東に逸れて、岡山市北区田町の日蓮宗の寺院、佛住山蓮昌寺まで歩いた。 佛住山蓮昌寺 蓮昌寺山門 蓮昌寺は、正慶年間(1332~1334年)に富山城主松田左近将監元喬により、岡山城中の榎の馬場に建てられたという。 その後、宇喜多直家が備前…
昨年12月5日に備前の史跡巡りを行った。岡山市街の史跡を中心に巡った。 岡山を代表する商店街である表町商店街の1本東側を通る南北の通りを、通称「オランダ通り」という。 オランダ通り 煉瓦を敷き詰めた瀟洒な通りである。私が訪れた時は、まだ朝早かっ…
両山寺の参拝を終えると、もはや日が西に傾いていた。 今回の美作の旅の最後の目的地である、岸田吟香生誕地に向かった。 岸田吟香(本名銀次)は、天保四年(1833年)、美作国久米郡垪和(はが)村大字中垪和字谷に住む岸田秀治郎の子として生まれた。 吟香…
剣戸古墳群の見学を終え、そこから西に車を走らせる。 津山市神代にある糘山(すくもやま)という低山には、史跡が数多く点在している。 糘山は、標高約262メートルで、山の南半分は、久米カントリークラブというゴルフ場である。 糘山の西側を南北に通る県…
11月14日に、今年の夏以来の美作の旅をした。 最初に訪れたのは、岡山県津山市荒神山にある荒神山城跡である。 荒神山 荒神山は、標高約298メートルの低山である。 荒神山城跡へは、麓の集落から登って行くことになる。 荒神山城跡への登り道 舗装された道を…