2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧

養父神社 後編

養父神社本殿の奥にあるのが山野口神社であるが、そこに至るまでの参道の脇に、末社迦遅屋(かじや)神社がある。 迦遅屋神社 迦遅屋神社の祭神は、奥津彦命、奥津姫命、猿田彦命、表米親王であるが、別名猫の宮とも呼ばれ、鼠除けの神様として信仰されてい…

養父神社 前編

満福寺の参拝を終え、かつて宿場町であった養父市養父市場に向かう。 ここにある養父神社は、但馬では、粟鹿神社、出石神社と並ぶ古社である。 但馬三宮とも呼ばれている。 鳥居 創建は第10代崇神天皇の御代とされる。ほとんど伝説の領域である。 平安時代に…

新宮山満福寺

斎神社の参拝を終え、県道70号線を北上する。 養父市十二所の新宮山の山上にある伽藍、満福寺を訪れた。ここは、真言宗の寺院である。 満福寺山門 山門の仁王像 満福寺山門の仁王像は、新しい像だが、彩色鮮やかで、なかなか迫力ある像だ。 山門を過ぎると参…

養父市 斎神社

今年の6月以来、久々に但馬を訪れた。播但連絡道路の朝来インターチェンジで下りて、県道70号線を北上する。 県道70号線沿いの兵庫県養父市長野にある斎(いつき)神社を訪れた。 斎神社鳥居 斎神社の創建は、聖武天皇の天平二年(730年)と言われている。 …

八上城跡 後編

高城山の頂上が近づいてきた。八上城跡の主郭付近に接近する。 八上城跡は、高城山の頂上付近に、本丸、二の丸、三の丸、岡田丸、右衛門丸という曲輪群を有する連郭式山城である。 八上城跡縄張図 頂上に近づくと、まず目に入るのが右衛門丸である。 右衛門…

八上城跡 前編

元々因幡国八上郡の国人であった波多野氏は、応仁の乱で戦功を上げ、丹波国多紀郡の郡代となり、丹波に進出することとなった。 波多野氏は移転先の根拠地に八上の名をつけた。出身地の因幡国八上郡の名を忘れなかったようだ。 その後、波多野秀通は、永正十…

篠山郊外の史跡

篠山の城下町の散策を終え、篠山郊外の史跡を訪れた。 先ず訪れたのは、丹波篠山市北にある曹洞宗の寺院、医王寺である。 医王寺 医王寺に祀られているのは、薬師如来である。お寺というより、お堂というくらいのささやかな建物だ。 医王寺の本堂 境内の薬師…

河原町妻入商家群

篠山の街並みの東側に、東西に古い商家群が軒を連ねる一帯がある。 丹波篠山市河原町の河原町妻入商家群である。 河原町妻入商家群 千本格子、荒格子、虫籠窓などを持った瓦葺、白壁の商家が道の両側に続く。 白壁の街並みを歩くと、江戸時代後期から明治時…

鳳鳴酒造ほろ酔い城下蔵

丹波杜氏酒造記念館から少し北に歩いた丹波篠山市呉服町に、丹波杜氏の一つ、鳳鳴酒造がある。 鳳鳴酒造 鳳鳴酒造の敷地の奥には、寛政九年(1797年)の創業当時の酒蔵である、「ほろ酔い城下蔵」が今も残っている。 ほろ酔い城下蔵 ほろ酔い城下蔵は、現在…

丹波杜氏酒造記念館

丹波の地には、現在も日本酒を醸造する職人集団、丹波杜氏(とじ)が存在する。 丹波杜氏の歴史は、江戸時代前期に遡る。篠山藩主の厳しい年貢の取り立てや、気候の厳しさによる不作から、篠山藩の領民は生活に困り、元禄年間(1688~1703年)のころから、灘…

丹波篠山市 春日神社

大正ロマン館と歴史美術館の少し北にある丹波篠山市黒岡町に、丹波篠山市を代表する神社である春日神社がある。 春日神社参道 春日神社鳥居 春日神社の創建は、貞観年間(859~877年)に大和の春日大社から、分霊が今の篠山城跡のある笹山に勧請されたことに…

大正ロマン館 丹波篠山市立歴史美術館

青山歴史村から東に歩き、丹波篠山市北新町にある大正ロマン館に行った。 大正ロマン館 大正ロマン館は、大正12年(1923年)に篠山町役場として建てられ、平成4年まで現役の役場の建物として使用された。 翌平成5年には改装され、観光案内所、土産物売り場…

青山歴史村

御徒士町武家屋敷群の見学を終えた後、篠山城跡の北側に広がる丹波篠山市北新町にある青山歴史村を訪ねた。 青山歴史村 青山歴史村には、篠山藩主青山家が明治時代に別邸として使用した桂園舎を中心に、青山家に伝わる古文書を収蔵した土蔵や、篠山藩士の教…

御徒士町武家屋敷群

篠山城跡西側の外堀に面して建つのが小林家長屋門である。 小林家長屋門 小林家は、第12代藩主青山忠裕に老女として仕えた小林千枝が住んだ家である。 小林家長屋門は、忠裕が千枝の多年の労に報いるため、文化年間(1804~1818年)に修築したものとされてい…

篠山城跡 その4

大書院の南側には、かつて二の丸御殿があったが、明治になって篠山城が廃城となった際に取り壊された。 二の丸御殿は、藩主やその奥方、家族が居住する建物だった。 二の丸御殿を立体的に復元する資料がないため、当時の間取図を基に、御殿のあった場所に平…

篠山城跡 その3

大書院の西側には、篠山城の歴史についての資料やゆかりの品を展示した史料館が建っている。史料館は当時を彷彿とさせる木造瓦葺建築である。 大書院と史料館の間取り 史料館出入口 篠山藩は、当初松平三家と呼ばれる三つの松平家が藩主を務め、その後譜代大…

篠山城跡 その2

慶長十四年(1609年)に篠山城が築城された時の篠山藩主は、松平康重である。 康重の家は三河国幡豆郡に本拠を置き、代々松井氏を称していたが、康重の父・松井康親から家康に仕えるようになった。 康重の代になって、家康から松平姓を与えられた。康重は慶…

篠山城跡 その1

9月30日に、私の住む兵庫県にも出ていた新型コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言が終了した。 ようやく史跡巡りが再開できるようになった。 今日訪れたのは、兵庫県丹波篠山市である。 最初に丹波篠山市の象徴とも言うべき、篠山城跡を訪れた。…