庭園

補陀落山観音寺 後編 

観音寺本堂の背後には、鎮守の熊野神社と聖徳太子を祀る太子堂がある。 熊野神社 熊野神社拝殿 熊野神社は、紀伊にある熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社のいわゆる熊野三山の神様である熊野権現を勧請したものである。 熊野信仰は、平安時代には仏…

賀集山護国寺 後編

護国寺は、淡路七福神霊場の一つで、本堂には布袋尊を祀っている。 淡路七福神は、淡路島に存在する七福神を祀った七つの寺院を指す。一日で全てを巡ることも可能なので、手頃な霊場巡りスポットとして人気の観光名所でもある。 また、本堂には本尊として、…

龍峰山広徳寺 

観音院の参拝を終え、観音院の南隣に建つ臨済宗の寺院、龍峰山広徳寺を訪れた。 鳥取市立川町1丁目にある。 広徳寺 この寺も、寛永九年(1632年)の池田光仲の国替えに際して、岡山から鳥取に移った寺院である。 当初は栗谷にあったが、東照宮の勧請に際し…

補陀落山慈眼寺観音院

立川吉村家住宅を眺めた後、鳥取市上町にある天台宗の寺院、補陀落山慈眼寺観音院に赴いた。 この寺は、国指定名勝の観音院庭園で名高い。 観音院の参道 観音院鐘楼門 観音院は、寛永九年(1632年)に池田光仲が備前から因幡に国替えとなった時、光仲に従っ…

喜見山帝釈寺

大乗寺の見学を終え、次は兵庫県美方郡香美町香住区下浜にある真言宗の寺院、喜見山(きみいさん)帝釈寺を訪れた。 喜見山帝釈寺 この寺院の創建は古い。 遠く6世紀末、崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏が争った際、物部氏により多数の仏像が難波潟(大阪湾…

萬年山円通寺

城崎の温泉街から兵庫県道9号線を西進し、兵庫県豊岡市竹野町須谷にある臨済宗南禅寺派の寺院、萬年山円通寺を訪れた。 円通寺下馬門 この寺は、康応元年(1389年)に月庵禅師が開山した。山名宗全の祖父・山名時義と、父・山名時煕が伽藍の整備に携わった…

医王山長安寺 前編

和久寺の集落から北を眺めると、山肌に大きく「大」と描かれた山が見える。京都五山と同じく、毎年8月16日に大の字に送り火が焚かれる姫髪山である。 姫髪山 この姫髪山の麓の京都府福知山市奥野部に、臨済宗南禅寺派の寺院、医王山長安寺がある。 医王山長…

由加山蓮台寺 由加神社本宮 その5

蓮台寺客殿の拝観客用入り口から建物内に入る。黒光りのする床板が敷かれた広々とした空間が広がる。 拝観客用入り口 入り口から奥に進むと薬師如来座像が出迎えてくれる。 薬師如来坐像 客殿内には、見事な障壁画で飾られた座敷が複数ある。中には、江戸時…

旧益習館庭園

6月12日に兵庫県洲本市の史跡巡りを行った。 洲本には、今年3月12日にも訪れた。3カ月ぶりの訪問であった。 洲本の近代化を支えたのは、鐘淵紡績株式会社洲本工場だが、戦後になって洲本の経済を牽引したのは、洲本市上内膳に建てられた三洋電機株式会社…

入佐山 円覚山宗鏡寺

明治館から外に出て、東に向くと、歌枕として名高い入佐(いるさ)山が見える。 入佐山 入佐山は、月が入る名所として古来から和歌に詠われてきたが、元々は出石神社のある豊岡市出石町宮内にある此隅山に続く山嶺を指していたとされている。 天正二年(1574…

相楽園 後編

かつて相楽園に建っていた旧小寺邸の本邸は神戸大空襲によって焼け落ちてしまった。 その代わり、という訳でもないだろうが、昭和38年に神戸市中央区北野町のいわゆる異人館街から相楽園に移築されたのが、旧ハッサム住宅である。 旧ハッサム住宅 旧ハッサム…

相楽園 前編

神戸市外国人墓地の見学を終えると、再度山ドライブウェーを使って再び市街地に下りて来た。 次に訪れたのは、神戸市中央区中山手通5丁目にある和風庭園、相楽園である。 相楽園の塀 相楽園は、神戸市長小寺謙吉の父小寺泰次郎が、明治18年に私邸として建設…

淡路市 岩上神社 前編

1月22日に久々に淡路を訪れた。 最初に訪れたのは、兵庫県淡路市木曽下にある真言宗の寺院、恵日寺である。 恵日寺 この寺院は、江戸時代初期に造られた池泉式庭園を有している。 古くはないが、横長の堂々とした本堂を持つ寺院である。本堂前には、蘇鉄が…

静の里公園

淡路市志筑にある静の里公園は、源義経の妾であった静御前(しずかごぜん)の伝説地の一つである。 静の里公園 静御前は、白拍子(しらびょうし)であった。 白拍子とは、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、男装して今様(いまよう)などを歌いながら舞った…

枯木神社 長泉寺

先月下旬に淡路に渡った。三度目の淡路の史跡巡りである。 神戸淡路鳴門自動車道北淡ICで下りて、淡路島の西側を縦断する県道31号線を南に走る。淡路サンセットラインとも呼ばれる道だ。 今、この淡路サンセットライン沿いは、ちょっとしたリゾート地になっ…

宇野港 鳴滝園

明治43年に国鉄宇野線が開通して、宇野と高松を結ぶ連絡船が就航した。 それ以降、昭和63年に瀬戸大橋が開通するまで、本州から四国への玄関口だったのは、岡山県玉野市の宇野港だった。 かつて、宇野港から高松港まで片道約1時間の宇高連絡船が就航してい…

石谷家住宅 その5

2階の廊下を洗面室と反対の方向に行くと、突き当りに表の間がある。 表の間に向かう 表の間 表の間の床柱と床脇 表の間は、山で樹を守る仕事をしていた山番たちの新年会に使われた部屋だという。 この表の間の欄間の彫刻が、山陰らしくて面白かった。 隠岐…

石谷家住宅 その4

石谷氏庭園をしばし眺めてから、石谷家住宅の2階へ上がる。 ある意味で、この建物の最大の特色は、2階へ上る階段にある。 洋風螺旋階段 石谷家住宅は、典型的な和風建築だが、階段は洋風の螺旋階段である。あくまでも洋風の木造階段で、和テイストを色濃く…

石谷家住宅 その3

和室応接の見学を終え、奥にある新建座敷への畳敷きの渡り廊下を行く。 畳敷きの渡り廊下 この渡り廊下の左手に、江戸時代の書家・市河米庵の書が書かれた屏風がある。 市河米庵の書 市河米庵は、安永8年(1779年)から安政五年(1858年)を生きた書家であ…

衆楽園 後編

衆楽園内の散策を続ける。余芳閣の近くには、池に臨んで枝垂桜が咲いている。 枝垂桜 明治の廃藩によって、津山藩は廃絶となったが、その際園内の建物の多くは解体された。 明暦年間の創園当時から残っているのは、藩主の休憩所であり、客人と対面した建物で…

衆楽園 前編

4月3日に岡山県津山市を久々に訪れた。昨年8月30日以来の訪問である。前回は酷暑の中の訪問だったが、今回は過ごしやすい気候の中での訪問となった。 津山と言えば、鶴山公園(津山城跡)の桜が有名だが、前回津山城跡を訪れているので、今回は横目に見な…

早良親王墓 浅野公園

昨日紹介した常隆寺は、延暦四年(785年)に薨去した早良(さわら)親王にゆかりのある寺であった。 かつてその早良親王の墓だったという場所が、淡路市仁井にある。だった、というのは、早良親王の遺体は、延暦十九年(800年)に、淡路の墓から大和国の八島…

岡山後楽園 その5

後楽園の中心に、高さ6メートルの築山がある。唯心山である。 唯心山 唯心山は、池田綱政の子、池田継政が築かせたものである。ということは、後楽園が出来た時には、この山はまだなかったということになる。 唯心山に登ると、広大な園内を一望することが出…

岡山後楽園 その4

寒翠細響軒から東に歩くと、幕末から明治にかけて築かれた建物、五十三次腰掛茶屋がある。 五十三次腰掛茶屋 この建物にかつて「東海道五十三次」を描いた扁額が掲げられていたことから、この名が付いたという。 竹でできた連子窓を通して、沢の池、唯心山、…

岡山後楽園 その3

延養亭と栄唱の間の南側には、花葉の池がある。園内の曲水がこの池に流れ込んでいる。 花葉の池 私が花葉の池を眺めていると、柔らかな風が吹いて、池面にさざ波が立った。日本の庭は、こんなささやかな変化を楽しむためにあるのではないか。毎日庭に出ても…

岡山後楽園 その2

岡山後楽園は、苔ではなく芝生を大量に使った日本で初めての庭園である。 後楽園の作られた場所は、元々旭川の中洲であり、地盤は砂質で、湿度が不足していた。 そのため苔が自生せず、代わりに日本に広く自生している野芝を使うことになった。 日本の芝は、…

岡山後楽園 その1

岡山市北区後楽園にある岡山藩が築いた庭園、後楽園は、国指定特別名勝であり、水戸の偕楽園、金沢の兼六園と並んで日本三名園に数えられている。 岡山後楽園入口 岡山後楽園の入り口前には、岡山県立博物館があるが、改修工事中で、令和4年まで開館せぬよ…

御太刀山妙勝寺

植村文楽軒の供養塔のある勝福寺から南下し、淡路市釜口にある法華宗の寺院、妙勝寺を訪れる。 ここは、足利尊氏ゆかりの寺である。 妙勝寺 足利尊氏が京都周辺での戦いに敗れ、再起のために一度九州に落ちる途中、淡路島に立ち寄った。 尊氏は、「妙勝」と…

誕生寺 その5

誕生寺客殿のショーケースの中には、法然上人が熊谷入道に宛てた書状の複製が展示してある。 法然上人から熊谷入道への書状 熊谷直実が、平敦盛を討ち取った後、世の無常に目覚め、法然上人の門を叩いた時、上人と熊谷直実がどんな対話を行ったか興味深いと…

須磨離宮公園

神戸市須磨区東須磨1丁目にある須磨離宮公園は、かつて皇室の別荘の武庫離宮があった場所である。 この高台は、在原行平が月を愛でた月見山があった場所とされている。近代になって、そこに浄土真宗の法主にして探検家の大谷光瑞の別荘が建てられた。 大谷…