今回大晦日に外出してみて分かったが、店や施設は閉まっていても、人や車が少なく、結構快適に史跡巡りを行うことが出来る。こういう大晦日もいいものだ。
さて私がまず赴いたのは、但馬と丹波の国境、今でいう兵庫県と京都府の府県境にまたがる夜久野高原である。
夜久野高原は、周辺より約60メートル盛り上がった台地である。
夜久野高原は、北西に聳える標高約349.7メートルの田倉山が37万年前に噴火したときに出た溶岩が堆積して出来た地形である。
確かに土を見ると、溶岩が砕けたような黒々とした色をしている。
この夜久野高原には、夜久野高原八十八ヵ所石仏がある。
寛政年間(1789~1801年)に、信州稲荷山出身の一道貞心禅師が、諸国巡歴の途上、夜久野高原を訪れた。
禅師は、水がなく、薄が生い茂り、狐狼が棲む荒野に旅人が難渋するのを知り、この地に庵を建てて、田倉山から水を引き、道行く人々に茶を煮て供した。
一道貞心禅師が建てた茶堂は、夜久野茶堂と呼ばれた。夜久野茶堂は京都府福知山市夜久野町と兵庫県朝来市の府県境の兵庫県側に位置するが、夜久野高原に住む人からすれば、京都府、兵庫県に関わらず、村里の寺院であろう。
夜久野茶堂は、放光堂とも呼ばれ、禅寺でありながら地元で尊崇されてきた弘法大師を祀っている。
そして夜久野茶堂を中心に、夜久野八十八ヵ所石仏が配置され、手ごろな巡礼道になっている。
夜久野八十八ヵ所石仏の第一番は、夜久野茶堂の境内にある。
私には八十八ヵ所全てを巡る時間がなかったので、夜久野茶堂から東に向かい、福知山市夜久野町平野にある、道の駅農匠の郷やくのに向かった。
道の駅の前にも、夜久野八十八ヵ所石仏の一つがあった。
道の駅農匠の郷やくのには、夜久野町化石・郷土資料館があるが、流石に大晦日は閉館していた。
夜久野町付近は、太古は海底で、付近からアンモナイトの化石が発掘されている。
夜久野町化石・郷土資料館には、アンモナイトの化石の他に、田倉山火山の大地痕跡、火山弾や考古資料が展示してあるという。
またこの道の駅周辺からは、昭和47年に菖蒲池遺跡という縄文時代の遺跡が発掘された。
道の駅内を散策し、菖蒲池遺跡の説明板を見つけた。
遺跡からは、3つの竪穴住居の跡が見つかった。福知山市内では珍しい縄文遺跡である。
夜久野高原は、太古は海底にあり、その後田倉山が噴火して台地が形成され、縄文時代には縄文人が住み着き、江戸時代末期には弘法大師が祀られて八十八ヵ所石仏が置かれた。
一つの地域が、長い歴史の中で年輪のように時を刻んでいく。その静かな時の刻みに耳を澄ましていたいと感じる。