下津井城跡の見学を終え、倉敷市児島通生(かよう)に向かった。 児島通生に、湊岬という海に突き出した山がある。この山上にあるのが、湊山城跡である。 湊山城跡 湊山城は、児島半島にあった常山城の支城で、常山城主上野隆徳の家臣山田菊次郎が城主を務め…
本丸の南側にあるのが二の丸跡である。 二の丸跡 下津井城跡の縄張り図 下津井城跡の中では、この二の丸跡からの眺めが一番いい。そのためか、東屋もある。 二の丸跡から眺めた櫃石島 ここから下津井の町並みや、瀬戸内海の眺めが堪能できる。 二の丸跡の南…
下津井の町並みの北側に聳える城山の山上にあるのが、下津井城跡である。 下津井城は、天正九年(1581年)ころに備前、美作の覇者となった宇喜多直家が築城した。 下津井城跡 関ケ原の合戦後、小早川秀秋の家臣平岡石見守が在城したが、慶長八年(1603年)に…
むかし下津井回船問屋の2階には、下津井の信仰や漁に関する資料が展示してある。 むかし下津井回船問屋2階への階段 江戸時代中期には、お伊勢参りと同様に、讃岐の金毘羅さんも一生に一度は参詣したい場所とされ、全国から参詣者を集めた。 金毘羅さんとは…
下津井は漁港であり、タコ漁で有名である。 下津井漁港 下津井には、タコ料理で有名な保乃家(やすのや)がある。私がまだ24歳のころ、保乃家でタコのフルコース料理を食べて、あまりの美味しさに感激した記憶がある。 今は漁港の下津井だが、江戸時代から明…
下津井の町の真ん中に、海に突き出た小山がある。標高約22メートルの浄山である。 この浄山の上に鎮座するのが、祇園神社である。 浄山 一の鳥居 文政十三年(1830年)の銘あり この浄山には、かつて長浜城という城があったという。 室町時代に、長浜城の鎮…
鷲羽山から下りて、倉敷市下津井田之浦1丁目にある田土浦坐(たつちのうらにまします)神社に参拝した。 この神社は、鷲羽山の西側の斜面の中腹に鎮座する。 田土浦坐神社の鳥居 鳥居の先に急な石段があり、その先に社殿がある。鳥居は明治19年に建立された…
第二展望台から、鷲羽山山頂を目指した。 鷲羽山の山頂方面 山頂と言っても、鷲羽山は低山で、山全体がなだらかである。そう苦労せずとも山頂に至ることが出来る。 花崗岩の山肌 鷲羽山は、全体が花崗岩で出来ている。山肌は花崗岩がむき出しになっている。…
12月24日に備前の史跡巡りを行った。 瀬戸内海国立公園の中で、国の名勝に指定されている鷲羽山(わしゅうざん)を目指した。 鷲羽山の手前、岡山県倉敷市大畠1丁目の、瀬戸中央自動車道の高架の西側にある延命地蔵尊を訪れた。 延命地蔵尊 延命地蔵尊は、…
古生代最後のペルム紀と中生代最初の三畳紀の間に、地球の酸素濃度が低下し、生物の大量絶滅が起こったが、この原因は現在でもまだ特定されていない。 酸素濃度が下がったため、肺の前後に気嚢を持ち、呼吸後の空気を肺に溜めず、効率的に酸素を取り入れるこ…
玄武洞ミュージアムの2階には、生命が誕生してから人類誕生に至るまでの生命の歴史に関する資料が豊富に展示してある。 本物の化石もあれば、レプリカもあるが、とにかく見ごたえのある展示であった。 我々の住むこの惑星、地球が誕生したのは、約46億年前…
玄武洞ミュージアム1階には、豊岡杞柳(きりゅう)細工の歴史資料を展示し、製造体験が出来るコーナーがある。 豊岡杞柳細工は、平成4年に経済産業省から伝統的工芸品に指定された。 豊岡杞柳細工 杞柳は、古くから豊岡平野の湿地に自生するコリヤナギのこ…
玄武洞公園の前にある玄武洞ミュージアムは、地質や岩石に関する資料、豊岡杞柳細工に関する資料、恐竜をはじめとする古生代、中生代、新生代の生物の化石などを展示する資料館である。 玄武洞ミュージアム 平成30年にオープンしたようだが、ここが意外と見…
玄武洞から南に少し歩くと、柱状節理が綺麗に残る青龍洞がある。 青龍洞 柱状節理が湾曲しているが、溶岩が噴出した際の向きなどで、柱状節理の方向が変わるようだ。 それにしても不思議で独特な風景だ。 玄武洞の北側には、小規模な白虎洞がある。 白虎洞 …
酒垂神社の参拝を終えると、円山川沿いを北上した。 そして豊岡市赤石にある玄武洞公園を訪れた。 玄武洞公園 玄武洞公園には、玄武岩の柱状節理を見学できる玄武洞、青龍洞、白虎洞、北朱雀洞、南朱雀洞という5つの柱状節理露出ヵ所がある。 これら玄武岩…
兵庫県立コウノトリの郷公園から東に行き、豊岡市法花寺にある酒垂(さかたる)神社に参拝した。 酒垂神社 酒樽に音が通じるこの神社の創建は、約1300年前と伝わる。 当時この地を治めていた郡司、物部韓国連久々比(もののべからくにのむらじくくひ)命が、…
文常寺から東に走り、豊岡市祥雲寺にある兵庫県立コウノトリの郷公園を訪れた。 兵庫県立コウノトリの郷公園 コウノトリは、現在国の特別天然記念物に指定されている。 コウノトリは、かつては日本各地に広範囲に生息していたが、明治時代になって乱獲され、…
正福寺の参拝を終え、次なる目的地である豊岡市下宮の久々比(くくひ)神社に赴いた。 久々比神社の社叢 久々比神社の鳥居 久々比(くくひ)とは、鵠(こう、くぐい)のことで、コウノトリの古名である。 久々比神社の創建年代は分かっていない。 「日本書紀…
小田井縣神社の参拝を終え、円山川右岸の豊岡市日撫(ひなど)にある曹洞宗の寺院、正福寺を訪れた。 ここは、大石内蔵助良雄の妻・りくの遺髪塚と、長女・くうの墓、次男・吉之進の供養塔のある寺である。 大石りく、くう、吉之進の銅像 寺は低い山の中腹に…
光行寺の参拝を終え、豊岡市小田井にある小田井縣(おだいあがた)神社を訪れた。 小田井縣神社鳥居 私が参拝に訪れた日は、七五三詣りの家族連れの参拝客が多く、車がひっきりなしに訪れていた。 小田井縣神社は、但馬五社の一つである。但馬五社は、但馬を…
養源寺から東にしばらく歩いた場所にあるのが、浄土真宗の寺院、護法山光行寺である。養源寺と同じく、豊岡市元町にある。 光行寺山門(西側) ここは、承久の乱に敗れて但馬に流された雅成親王の子、浄円が入寺した寺である。 山門を潜って境内に入ると、正…
11月19日に但馬の史跡巡りをした。冬が来る前に、日本海側の史跡巡りを終えたかったのである。 最初に訪れたのは、兵庫県豊岡市三坂の山王山の中腹にある大石吉之進の墓である。 大石吉之進の墓のある山王山 大石吉之進は、赤穂義士を率いた旧赤穂藩家老大石…
今回の因幡の史跡巡りの最後に訪れたのは、因幡国一宮の宇倍神社である。 宇倍神社は、大化四年(648年)の創建と伝えられる。旧社格は、国幣中社である。 宇倍神社 一の鳥居 参道 私は今までの史跡巡りで、播磨国一宮の伊和神社、淡路国一宮の伊弉諾神宮、…
因幡国庁跡から南下すると、鳥取市国府町国分寺の集落がある。 その中に、黄檗宗の寺院、最勝山国分寺がある。 最勝山国分寺 この寺院は、天平十三年(741年)に聖武天皇が鎮護国家を祈念して、全国六十余国に建立した国分寺の一つである因幡国分寺の跡を継…
十王峠からUターンして、鳥取市国府町中郷にある因幡国庁跡を目指した。 その手前の国府町庁の集落の中に、大伴家持(やかもち)の歌を刻んだ歌碑がある。 万葉歌碑 大伴家持は、大伴旅人(たびと)の息子で、「万葉集」に多くの和歌を残した同集を代表する…
酒賀神社の参拝を終え、鳥取市国府町雨滝にある日本の滝百選の一つ、雨滝に向かった。 雨滝の近くには、標高690メートルの山上にある七曲城跡がある。 駐車場に車をとめると、正面に七曲城跡のある山が見えた。 七曲城跡 円錐状の綺麗な山容の山である。 駐…
栃本廃寺跡から約3キロメートル南下した山中に、酒賀(すが)神社がある。地名で言うと、鳥取市国府町菅野になる。 酒賀神社参道入口 酒賀神社は、六国史の一つである「日本三大実録」に記載のある神社で、国史現在社(国史に記載がありながら現存する神社…
山崎城跡の見学を終えて、車で東に走る。 鳥取市国府町栃本にある国指定史跡・栃本廃寺跡に立ち寄った。 栃本廃寺跡 栃本廃寺跡は、鳥取県と兵庫県の県境に聳える標高1310メートルの扇ノ山に連なる山系の麓付近にある。 ここは昔から塔心礎が2つ露出してい…
中河原の集落の東側に聳える標高約242メートルの山上にあるのが、山崎城跡である。 山崎城跡 山崎城跡は、鳥取県下最大のロックフィルダム、殿ダムのすぐ南西側にある。 殿ダム 殿ダムは、高さ約75メートルの堰堤の一面が石で覆われた、なかなか壮大な建造物…
鳥取市国府町新井の集落から東に行くと、松尾の集落がある。 この集落の奥に、モダンな鉄筋コンクリート造の白い建物がある。国指定重要文化財の木造薬師如来坐像と両脇侍坐像や木造吉祥天立像を収蔵する学行院である。 学行院 今の学行院は、僧侶が常駐する…