植村直己冒険館

植村直己。 昭和に育った人なら、誰もがその名を知る日本が世界に誇る冒険家である。 豊岡市日高町伊府に、その植村を記念する植村直己冒険館が建っている。 開館は、平成6年である。昭和59年に植村が北米最高峰のマッキンリーで消息を絶ってから10年後だ。…

但馬国分寺跡

祢布交差点から北東に進んだ兵庫県豊岡市日高町国分寺に、但馬国分寺跡がある。 寺院の跡地は今は広い空き地になっていて、七重塔の礎石が残されている。塔の礎石の奥には、国分寺の名を冠する寺院が建っている。 今までの史跡巡りで、私は播磨、美作、備前…

但馬国府跡 豊岡市立歴史博物館

青谿書院の見学を終え、国道312号線を北上すると、豊岡市に入る。豊岡市は、但馬地方の中心となる都市である。 豊岡には、奈良時代以降は国府や国分寺が置かれた。当時から但馬地方の中心だったようだ。 豊岡市日高町祢布(にょう)に、国道312号線の祢布交…

甘棠亭 青谿書院

名草神社の見学を終えて、妙見山から下山した。 進路を北に取り、円山川を越えて、兵庫県養父市八鹿町伊佐にある甘棠亭(かんとうてい)を訪れた。 甘棠亭は、延宝四年(1676年)に出石藩の6代目藩主小出英安(ふさやす)が、伊佐の新田を視察に来た時に、…

名草神社 後編

三重塔の前の石段を登り、名草神社の社殿に向かった。 名草神社は、標高約1139メートルの妙見山の中腹にある。社のある場所の標高は、約800メートルである。麓より早く紅葉が色づき始めていた。 名草神社の社殿に向かう道 三重塔から名草神社社殿に向かうに…

名草神社 前編

日光院の参拝を終え、そこから妙見山の中腹まで伸びている細い舗装路を走る。 妙見山の中腹にあるのが、江戸時代まで元の日光院だった名草神社である。 名草神社の石碑 明治元年に明治政府によって出された神仏分離令によって、寺院と神社が一体化している各…

妙見山日光院 後編

護摩堂に隣接して建つのが薬師如来を祀る薬師堂である。 阿弥陀如来が西方極楽浄土の教主なら、薬師如来は東方浄瑠璃世界の教主で、人々の病を直す仏様とされている。 薬師堂 薬師堂は、日光院の前身である石原山帝釈寺の時代は、全山の総本堂で、七間四方の…

妙見山日光院 前編

11月3日の文化の日に但馬を訪れた。ついこの間も但馬に行ったばかりである。 現在私は、播磨に隣接する摂津、淡路、備前、美作、因幡、但馬、丹波の7か国を順に巡っているが、冬が来て降雪する前に北の旅を終えておきたいので、間を置かずに但馬を訪れるこ…

霊石山 後編

源範頼の墓の近くに、最勝寺の奥の院がある。奥の院は、昭和30年まで最勝寺があった場所である。 建物が無くなって、まるで廃寺のようである。 最勝寺奥の院 かつてお堂が建っていたと思われる場所には石垣があり、石段がある。 石段 石は建設に使われる素材…

霊石山 前編

慶長五年(1600年)に関ヶ原の合戦で功績を上げた亀井茲矩(これのり)は、同年因幡鹿野城主となり鹿野藩の初代藩主となった。 因幡の千代川は、古代から洪水を多発させた暴れ川で、亀井茲矩が藩主になったころの鳥取平野は、川の氾濫と農業用水の便の悪さか…

嶽古墳 売沼神社

大義寺の参拝を終えて北上し、鳥取市河原町曳田(ひけた)にある嶽(だけ)古墳と売沼(めぬま)神社を訪れた。 ここは、大国主神の妻となった八上姫(八上比売)ゆかりの地である。 大国主神と八上姫の婚姻物語は、「古事記」の稲羽の素兎(いなばのしろう…

大安興寺 大義寺

能引寺の虎御前の墓に手を合わせた後、再び鳥取市用瀬町に戻った。鷹狩にある真言宗の寺院、医王山大安興寺を訪れた。 大安興寺は、かつては今の寺の背後にある医王山上に伽藍があったが、昭和になって麓に移った。 医王山 7世紀に播磨や丹波にて数多くの寺…

虎石山能引寺 

大江神社から南下し、鳥取県八頭郡八頭町下野にある臨済宗の寺院、虎石山能引寺に行った。 虎石山能引寺 参道脇の地蔵尊 能引寺は、日本三大仇討の一つとされる、曽我兄弟の仇討ちと関連がある。因みに日本三大仇討の他の2つは、元禄赤穂事件と伊賀越の仇討…

万照山多宝寺 大江神社

景石城跡の見学を終え、山から下りて車を走らせた。 次なる目的地は、鳥取県八頭郡八頭町船岡殿にある真言宗の寺院、万照山多宝寺である。 万照山多宝寺 多宝寺は、和銅三年(710年)に行基菩薩により開基されたと伝えられている。 創建時は、根本山万照寺と…

景石城跡

三角山神社奥宮本殿の参拝を終えて下山し、三角山と景石城跡のある城山との分岐点のある中鳥居に戻った。 そこから北上し、景石城跡を目指した。 景石城跡への道 尾根道を進んで行く。三角山と城山の中間地点には、子持ち松砦跡がある。 子持ち松砦跡 子持ち…

三角山神社 後編

中鳥居を潜れば、そこからは三角山神社奥宮の結界である。 登山道も急になり、巨石が目につき始める。 三角山の巨石 女人堂から山頂までの行程の2/3のあたりには、かつて修験行者が雨露をしのぐために建てた籠り堂の跡である、仙行者(せんのぎょうじゃ)と…

三角山神社 前編

用瀬の町のどこからでも目に入るのが、山頂に三角(みすみ)山神社が建つ三角山(頭巾山)である。 三角山は、標高約508メートルで、頭巾(ときん)山という別名がある。その名の通り、山頂付近が頭巾を被った頭のような形をしている。 麓から山容全体を写し…

もちがせ流しびなの館

以前の因幡の旅で、宿場町の用瀬(もちがせ)を訪れたが、前回訪れることが出来なかった史跡に行くため、再度用瀬を訪ねた。 私が再度用瀬を訪れたのは10月17日で、残念ながら大雨の日であった。この日、寒冷前線が日本列島を覆い、気温が一挙に低下した。夏…

今滝寺 葛畑農村歌舞伎舞台 

八木城跡のある城山の北側に、八木氏の菩提寺だった今滝(こんりゅう)寺がある。ここは真言宗の寺院である。 一時は9院3坊が並ぶ大寺院だったという。 細い山道を車で登って行くと、今滝寺の石垣が見えてくる。その先には山門がある。 今滝寺 今滝寺の山…

八木城跡 後編

見事な石垣のある本丸を抜けて、城山の更に奥に進んでいく。 南北朝時代に築かれ、天正時代に秀吉軍により落城した八木土城を目指した。 登山道は整備されていないが、まばらな叢林の間を抜けて行く感じで、困難な道程ではない。 割合平坦な道を行くことにな…

八木城跡 前編

箕谷古墳群の見学を終え、国道9号線を西に走る。 兵庫県養父市八鹿町八木にある八木城跡を訪れた。 八木城跡のある城山 鎌倉時代に、地元の豪族朝倉高清が、次男安高に八木の地を分け与え、安高が八木姓を名乗った。 八木氏は安高から豊信まで15代約350年間…

箕谷古墳群

兵庫県養父市八鹿町小山にある、つるぎが丘公園という運動公園の一角に、箕谷(みいだに)古墳群が復元保存されている。 箕谷古墳群 昭和58年につるぎが丘公園を整備する際に、地下に埋まっていた箕谷古墳群の発掘調査が行われた。 発掘調査中の箕谷古墳群 …

大藪古墳群 

兵庫県養父市大藪にある但馬家畜市場から少し東に行った山麓に、6~7世紀に築かれた古墳群がある。大藪古墳群と呼ばれている。 私は、養父(やぶ)という地名の語源を知らないが、ひょっとしたらこの藪から来ているのかも知れない。 大藪古墳群には、数十…

養父神社 後編

養父神社本殿の奥にあるのが山野口神社であるが、そこに至るまでの参道の脇に、末社迦遅屋(かじや)神社がある。 迦遅屋神社 迦遅屋神社の祭神は、奥津彦命、奥津姫命、猿田彦命、表米親王であるが、別名猫の宮とも呼ばれ、鼠除けの神様として信仰されてい…

養父神社 前編

満福寺の参拝を終え、かつて宿場町であった養父市養父市場に向かう。 ここにある養父神社は、但馬では、粟鹿神社、出石神社と並ぶ古社である。 但馬三宮とも呼ばれている。 鳥居 創建は第10代崇神天皇の御代とされる。ほとんど伝説の領域である。 平安時代に…

新宮山満福寺

斎神社の参拝を終え、県道70号線を北上する。 養父市十二所の新宮山の山上にある伽藍、満福寺を訪れた。ここは、真言宗の寺院である。 満福寺山門 山門の仁王像 満福寺山門の仁王像は、新しい像だが、彩色鮮やかで、なかなか迫力ある像だ。 山門を過ぎると参…

養父市 斎神社

今年の6月以来、久々に但馬を訪れた。播但連絡道路の朝来インターチェンジで下りて、県道70号線を北上する。 県道70号線沿いの兵庫県養父市長野にある斎(いつき)神社を訪れた。 斎神社鳥居 斎神社の創建は、聖武天皇の天平二年(730年)と言われている。 …

八上城跡 後編

高城山の頂上が近づいてきた。八上城跡の主郭付近に接近する。 八上城跡は、高城山の頂上付近に、本丸、二の丸、三の丸、岡田丸、右衛門丸という曲輪群を有する連郭式山城である。 八上城跡縄張図 頂上に近づくと、まず目に入るのが右衛門丸である。 右衛門…

八上城跡 前編

元々因幡国八上郡の国人であった波多野氏は、応仁の乱で戦功を上げ、丹波国多紀郡の郡代となり、丹波に進出することとなった。 波多野氏は移転先の根拠地に八上の名をつけた。出身地の因幡国八上郡の名を忘れなかったようだ。 その後、波多野秀通は、永正十…

篠山郊外の史跡

篠山の城下町の散策を終え、篠山郊外の史跡を訪れた。 先ず訪れたのは、丹波篠山市北にある曹洞宗の寺院、医王寺である。 医王寺 医王寺に祀られているのは、薬師如来である。お寺というより、お堂というくらいのささやかな建物だ。 医王寺の本堂 境内の薬師…