須磨寺 その5

八角堂から西に向かうと上り坂になる。 五智如来と呼ばれる、金剛界曼荼羅の中央に描かれる如来の石像がある。 五智如来の石像 写真の右から順に、阿閦(あしゅく)如来、不空成就(ふくうじょうじゅ)如来、大日如来、阿弥陀如来、宝生(ほうしょう)如来で…

須磨寺 その4

宝物館を出て石段を登ると、ようやく唐門に辿り着く。 唐門 須磨寺は、かつては7堂12坊を有する大寺であったが、戦乱の世を経て衰退し、幕末には、本堂、大師堂、仁王門しか残っていなかった。 明治中期以降境内が整備され、今の伽藍が整った。この唐門も、…

須磨寺 その3

源平の庭を見下ろすように建つのが、仏教寺院風の装いをした鉄筋コンクリート製の建物、宝物館である。 宝物館 宝物館には、須磨寺ゆかりの品々が多数納められ、公開されている。 宝物館の手前には、「ぶじかえる」という蛙のオブジェがある。 ぶじかえる ユ…

須磨寺 その2

亜細亜万神殿の参拝路を挟んだ向かい側には、塔頭の正覚院がある。 正覚院 正覚院には、愛染明王像が祀られていて、その前で僧侶がお経を唱えていた。 愛染明王像とお勤めをする僧侶 正覚院の欄間の彫刻 愛染明王は、憤怒の形相をしているが、これは悟りの心…

須磨寺 その1

神戸市須磨区須磨寺町にある上野山福祥寺は、通称須磨寺と呼ばれている。真言宗須磨寺派の大本山である。当ブログでも、通称の須磨寺の名で紹介する。 真言宗には、全部で18の大本山があるが、その一つである。 私は真言宗の信徒なので、18の大本山を訪問す…

松風村雨堂

綱敷天満宮から北に歩き、山陽電鉄須磨寺駅まで行く。 須磨寺駅の東側出口のすぐ傍に、「平重衡とらわれの松跡」がある。今は小さな祠があるだけである。 平重衡とらわれの松跡 かつてこの辺りには、大きな松の木があったという。 平重衡は、平清盛の五男で…

綱敷天満宮

村上帝社から国道2号線を東に進み、神戸市須磨区天神町2丁目に入る。2号線北側に鎮座するのが、菅原道真公を祭神とする綱敷(つなしき)天満宮である。 綱敷天満宮鳥居 菅原道真公が藤原時平の讒言により失脚し、大宰府に船で向かう途中、須磨沖に差し掛…

村上帝社 関守稲荷神社

神戸市須磨区須磨浦通4丁目にある村上帝社は、「天暦の治」と呼ばれる天皇親政を布いて、国風文化の黄金期を招来した第62代村上天皇を祀る神社である。 村上帝社 赤鳥居脇の「村上帝社琵琶達人師長」の石碑 天暦年間は、西暦947年から957年である。 この神…

安徳宮

神戸市須磨区一ノ谷2丁目に、安徳天皇の内裏跡伝承地がある。 そこは住宅街の中の狭い一角だが、安徳天皇を御祭神として祀る安徳宮と、宗清稲荷社と呼ばれる小さなお稲荷さんが建っている。 安徳宮 安徳宮と宗清稲荷社 写真正面の社が、幼帝安徳天皇を祀る…

敦盛塚 

神戸市の垂水区から須磨区に入ると、律令制の行政単位で言う摂津国に入ったことになる。 摂津は畿内のなかの一国である。畿内は言うまでもなく、山城、大和、摂津、和泉、河内の五カ国である。これから日本の歴史上、長らく「首都圏」だった地域の史跡を巡る…

明延鉱山

兵庫県養父市大屋町明延(あけのべ)には、かつて明延鉱山と呼ばれる鉱山があった。 明延から採れた銅は、天平時代に東大寺の大仏を鋳造する際に奉献されたとも伝えられている。 明延鉱山は、平安時代初期の大同年間(806~810年)に採掘が始まったとされ、…

神子畑選鉱場跡 後編

神子畑選鉱場跡の前の広場には、通称明延一円電車と呼ばれた電車が展示されている。 明延一円電車 一円電車の客車 養父郡の明延鉱山と神子畑選鉱場との間を、鉱石と乗客を運ぶために走った電車である。 遊園地の乗り物の電車と大差ないような小さな電車であ…

神子畑選鉱場跡 前編

明治11年(1878年)に、現在の兵庫県朝来市佐嚢(さのう)の地で鉱山が発見された。神子畑(みこはた)鉱山である。神子畑鉱山からは、良質な銀が採掘された。 明治14年に神子畑鉱山が本格開鉱してから、採掘された銀を生野まで運ぶための馬車道が整備された…

雲頂山大明寺

生野銀山を出て、国道429号線を丹波方面に向けて走る。 生野ダムが堰き止めて出来た銀山湖の畔の道を、スイフトスポーツで疾走する。ダム湖沿いの曲がりくねったワインディングロードを、右へ左へとハンドルを切って進む。私は、ここを走って、漸くZC33Sの限…

生野銀山 その5

金香瀬坑道から出て、坑道の裏山に点在する露頭群を巡り歩くことにする。 露頭とは、地表に露出した鉱脈のことで、江戸時代までは、こうした露頭を掘り進んで鉱石を掘り出した。 金香瀬旧坑露頭群案内図 金香瀬坑口のすぐ側に不動の滝と呼ばれる滝が滾り落ち…

生野銀山 その4

昭和の鉱山の作業の様子を引き続き見学する。 江戸時代には鑿で手掘りしていた鉱山も、昭和の時代には削岩機、削孔機で掘り進めるようになった。 上向き削孔機を使用する作業員 坑道の岩盤が軟弱な箇所は、人為的に補強したが、その工法の一つである五枚合掌…

生野銀山 その3

生野銀山の坑道で現在公開されているのは、金香瀬坑道である。 金香瀬坑道入口と出口 写真左のトンネルの入口のようなものが金香瀬坑道の入口で、右側の橋の奥が坑道の出口である。 坑道出入り口の周囲は、岩壁を清冽な滝が流れ落ちており、心地好い空間であ…

生野銀山 その2

生野銀山の坑道入口手前に、鉱山資料館がある。 鉱山資料館 この資料館には、江戸時代の生野銀山での作業を再現した模型や、江戸時代、明治時代の鉱山関係の文書資料、鉱石、貨幣などが展示されている。 生野銀山からは、金、銀、銅、亜鉛、鉛、錫などが発掘…

生野銀山 その1

兵庫県朝来市生野町小野には、国指定史跡の生野銀山がある。 生野銀山 生野銀山は、大同二年(807年)に初めて発見されたと伝えられる。 元禄年間に成立した「銀山旧記」によれば、天文十一年(1542年)に、山名祐豊が生野銀山を開鉱し、古城山麓に生野城を…

生野の変

文久三年(1863年)10月11日、尊王攘夷派の元福岡藩士・平野国臣、長州藩士南八郎(本名河上弥市)らは、いわゆる七卿落ちで長州に落ち延びた公卿の澤宜嘉を総帥に迎え、倒幕のため但馬国生野の地で挙兵する。 翌12日、志士達は生野代官所を襲撃し、無血占拠…

口銀谷

私は、神戸市西区の太山寺を訪問して、播磨の史跡巡りを終えたが、これはまだ長い旅路の一歩に過ぎず、これから播磨に隣接する国々の旅が続く予定である。 播磨に隣接する国は、摂津、丹波、但馬、因幡、美作、備前、淡路の7カ国があるが、この内、備前、美…

護国山曹源寺 後編

曹源寺の裏山には、三重塔が聳えている。境内に入ると見えないが、遠く離れた所からなら、その存在を確認することが出来る。 裏山への登山道を暫く歩くと、三重塔が見えてくる。私が史跡巡りで訪れた、16番目の三重塔になる。 三重塔 三重塔の手前には、何故…

護国山曹源寺 中編

本堂前の石畳を東に進むと、僧侶達の生活空間である庫裏や方丈がある。 庫裏 私が曹源寺を訪れたのは、もうすぐ日暮れがやってくる時間帯だった。夕飯の支度中なのか、庫裏からは味噌汁の香りが漂って来た。 庫裏の前には、「浴室」と書いた木札が下がった建…

護国山曹源寺 前編

岡山市中区円山にある護国山曹源寺は、元禄十一年(1698年)に、岡山藩主池田綱政が、祖父信輝、父光政の菩提を弔うために建てた臨済宗妙心寺派の禅寺である。 寺院の裏手には、岡山藩第四代藩主綱政から第十二代章政までの歴代藩主やその近親者を葬った、国…

岡山市 大福寺 徳與寺

少林寺から南に歩き、岡山市御成町にある真言宗の寺院、聖満山法城院大福寺に行く。 大福寺 大福寺は、天平勝宝年中(749~757年)に報恩大師が開いた備前四十八ケ寺の一つで、当初は備前国和気郡伊部村にあったという。 寛永年中(1624~1644年)に、岡山藩…

岡山市 少林寺 法輪寺

世に言う赤穂事件と言えば、忠臣蔵で有名な元禄赤穂事件だが、赤穂藩の歴史上には、もう一つの赤穂事件がある。 正保二年(1645年)、初代姫路藩主だった池田輝政の六男で、赤穂藩主となっていた池田輝興が突如発狂して、正室や侍女を斬り殺してしまった。こ…

禅光寺安住院

操山は、尾根が東西に長く伸びた山だが、山裾に多数の寺院が建っている。 今日紹介するのは、そのうちの一つ、岡山市中区国富3丁目にある、瓶井(みかい)山禅光寺安住院である。 禅光寺は、天平勝宝年間(749~757年)に報恩大師が制定した備前四十八ケ寺…

明禅寺城跡

恩徳寺の裏手にある操山の尾根上にあるのが、明禅寺城跡である。 山の全貌は、北側の百間川の河川敷辺りから目にすることが出来る。 明禅寺城跡のある操山 明禅寺城跡に行こうと思えば、山の北側の墓地を抜けて登る道を行くか、恩徳寺の北側の畑を抜けたとこ…

沢田山恩徳寺 

操山公園里山センターから少し北に歩くと、沢田山恩徳寺がある。 地名で言えば、岡山市中区沢田になる。 ここは真言宗の寺院であり、報恩大師が定めた備前四十八ケ寺の一つである。 恩徳寺参道前の鳥居 鳥居の扁額 恩徳寺は、寺伝によると、天平勝宝二年(75…

操山古墳群 

百間川遺跡群のオブジェのある辺りから沢田橋を越えて百間川を渡り、南方に行くと、操山古墳群がある。 標高169メートルの操山周辺は、ハイキングコースが整備され、山中に古墳が点在している。操山古墳群と呼ばれている。 操山公園ハイキングコースの案内図…