岡山市 東山墓地 中編

大西祝の墓から東側は、ちょっとした高台になっている。 その高台の上にあるのが、池田長発(ながおき)の墓である。 池田長発墓 池田長発墓誌 池田長発は、天保八年(1837年)に幕府直参旗本家の池田長休の四男として江戸にて出生した。 長発は、備中国井原…

岡山市 東山墓地 前編

コロナ特措法に基づく兵庫県の緊急事態宣言が明けたので、久々に史跡巡りに出かけた。 今日は岡山市最大の墓地である東山墓地に眠る3名の人物の墓を紹介する。 東山墓地 東山墓地は、岡山市街の東にある平井山の上に広がる。地名で言えば、岡山市中区平井1…

湊川隧道

神戸市を代表する河川である現在の新湊川は、六甲山系の再度山麓から発した天王谷川と石井川が合流する菊水橋付近を始まりとし、そこから南西に流れ、会下山(えげやま)下の新湊川トンネルを通って神戸市長田区に至り、苅藻川に合流して大阪湾に流れている…

柳原蛭子神社 福海寺

能福寺から北西に向かって歩き、阪神高速道の高架を潜り、その先にある神戸市兵庫区西柳原町にある柳原蛭子神社を訪れた。 柳原蛭子神社 柳原蛭子神社は、地元では「柳原のえべっさん」と呼ばれている。えびす神は、七福神の一柱で、釣竿を持ち鯛を抱えた姿…

宝積山能福寺 後編

神戸の市街地にある寺院の伽藍で、戦前から残る木造建築は稀である。昭和20年の神戸大空襲により、木造の寺社建築はほとんど焼失してしまった。 私が今まで訪れた神戸市街地の寺院の伽藍は、戦後に鉄筋コンクリートで再建されたものばかりである。 これは神…

宝積山能福寺 前編

札場の辻跡から西に約150メートル歩いた先に、天台宗の寺院、宝積山能福寺がある。 地名で言うと、神戸市兵庫区北逆瀬川町となる。 能福寺 能福寺は、伝教大師最澄の開基とされている。延暦二十四年(805年)、最澄が唐からの帰路に大輪田泊に上陸した。住民…

来迎寺 札場の辻跡 岡方惣会所跡

大輪田泊の石椋のすぐ北東に、浄土宗の寺院、来迎寺(築島寺)がある。 地名で言うと、神戸市兵庫区島上町2丁目に建っている。島上町は、承安年間(1171~1175年)に、平清盛が造った人工島の経ヶ島の上に出来た町である。 来迎寺は、元々はここから北西の…

兵庫城跡 大輪田泊の岩椋

神戸市兵庫区の大輪田橋の西詰から北に向かって、新川運河のプロムナードが続いている。 新川運河は明治時代に掘削された運河である。 新川運河 かつて運河の東側の中之島には、中央市場があったが、今はイオンモール神戸南店が建っている。 プロムナードは…

西月山真光寺

薬仙寺から北に歩き、橋を渡るとすぐ西側に時宗の寺院、西月山真光寺がある。住所で言うと、神戸市兵庫区松原通1丁目である。 真光寺 真光寺は、神奈川県藤沢市にある時宗総本山清浄光寺の末寺に当るという。 ここは、遊行僧一遍上人の示寂の地と言われ、一…

医王山薬仙寺

清盛塚・琵琶塚から南に歩き、運河にかかる橋を渡るとすぐ左手に時宗の寺院、医王山薬仙寺がある。 薬仙寺は、天平十八年(746年)に行基菩薩が開いたと伝えられている。行基は、大輪田の湊を築いた人物である。交通の要衝大輪田の湊の傍にこの寺院を開いた…

和田岬砲台 大輪田橋 清盛塚・琵琶塚

今までの史跡巡りで、幕末に築かれた舞子砲台と松帆砲台を紹介したが、神戸市兵庫区和田崎町1丁目の三菱重工業神戸造船所の敷地内にも、幕末に築かれた砲台の一つである和田岬砲台がある。 和田岬砲台を管理する三菱重工業神戸造船所は、海上自衛隊が使用す…

長田神社

神戸市長田区長田町3丁目にある長田神社は、神戸市を代表する神社の一つである。 創建は古く、神功皇后摂政元年と言われている。神功皇后の率いる艦隊が、三韓征伐の帰路に長田沖を航行中、悪天候で進み難くなった。 その時、大国主神の子の事代主(ことし…

金剛山宝満寺 源平勇士の墓

神戸市長田区東尻池町2丁目にある金剛山宝満寺は、臨済宗の寺院である。 寺伝によれば、大同三年(808年)に当地を訪れた弘法大師空海が開山したという。 金剛山宝満寺 当初は、現在の神戸市兵庫区和田山通の辺りに寺があったとされるが、治承四年(1180年…

平忠度の腕塚・胴塚

私が「平家物語」を読んで、最も忘れがたい逸事だと思ったのは、平家の都落ちの時、平薩摩守忠度(ただのり)が、和歌の師・藤原俊成を訪れた場面である。 平忠度は、平清盛の弟で、文武両道を達成した武将である。武芸に秀でる一方で、風流を解し、当時朝廷…

北向八幡神社 那須与一墓所

妙法寺から南東に数百メートル車を走らせると、道を挟んで北向八幡神社と那須与一墓所が向い合せで建っている。 地名で言うと、ここもまだ神戸市須磨区妙法寺になる。 那須与一は、下野国出身の武者で、源平合戦の折に、源義経軍に従軍した弓の名手として知…

車大歳神社 妙法寺

私が住む兵庫県には、現在コロナ特措法に基づく緊急事態宣言が発令されている。 昨年もそうだったが、基本的に緊急事態宣言発令中は、不要不急の外出の際たるものである私の史跡巡りは自粛することにしている。 兵庫県に緊急事態宣言が発令される直前の今年…

御太刀山妙勝寺

植村文楽軒の供養塔のある勝福寺から南下し、淡路市釜口にある法華宗の寺院、妙勝寺を訪れる。 ここは、足利尊氏ゆかりの寺である。 妙勝寺 足利尊氏が京都周辺での戦いに敗れ、再起のために一度九州に落ちる途中、淡路島に立ち寄った。 尊氏は、「妙勝」と…

伊勢久留麻神社 勝福寺

松帆神社から更に南下し、淡路市久留麻に至る。 ここにあるのが、伊勢久留麻神社である。 伊勢久留麻神社 伊勢久留麻神社の祭神は、大日孁貴尊(おおひるめのむちのみこと)である。大日孁貴尊は、天照大御神の別名である。 相殿には、織物の神・漢織姫尊(…

淡路夢舞台 松帆神社

江埼灯台の見学を終えて、県道31号線、国道28号線を東進し、淡路島の東岸にある淡路島国営明石海峡公園に行く。 淡路島国営明石海峡公園は、史跡ではないが、私が史跡巡りのガイドにしている「兵庫県の歴史散歩」上巻に載っているので行く事にした。 淡路島…

江埼灯台

松帆の浦の裏には、マナイタ山と呼ばれる低山が聳える。 マナイタ山 マナイタ山には、中世には城が築かれていたらしい。 マナイタ山城と呼ばれたが、誰がいつ築いたのか詳細は分かっていない。 天正年間に、織田と毛利がこの城を巡って争った。当時毛利は、…

松帆の浦

淡路島の最北端一帯の海岸は、松帆の浦と呼ばれている。 古来から、何度も和歌に詠まれてきた歌枕である。 松帆の浦 現在の松帆の浦の東側は、波が砂利に打ち寄せる自然の海岸であり、そこに立つと、明石海峡の対岸が指呼の間に見える。 松帆の浦を詠んだ有…

石の寝屋古墳群

岩屋の町から北上すると、西岡山が左手に見えてくる。西岡山の中腹に、石の寝屋古墳群があるという。 そこに至るには、神戸淡路鳴門自動車道の上に架かる石の寝屋跨道橋を越えねばならない。 石の寝屋跨道橋 跨橋道を越え、山裾に至る。そこから長い階段を登…

岩屋城跡 岩楠神社

絵島に渡る橋から南を眺めると、正面に三対山別名城山が見える。 三対山 三対山は、山というほどもない低山である。永正七年(1510年)に大内義興がこの山上に岩屋城を築いたとされている。 三対山への登り口は、麓の飲食店の駐車場にある。 岩屋城跡登り口 …

大和島 絵島

淡路市岩屋は、漁業の町である。岩屋漁港からは、潮流の速い明石海峡に多数の漁船が繰り出す。 その岩屋漁港のすぐ傍にあるのが、約2000万年前の岩屋砂岩の地層が露出して出来た、大和島、絵島という2つの小さな島である。 漁港の南側にある大和島は、陸続…

淡路市 岩屋神社

昨年12月下旬に兵庫県淡路市の史跡群を訪れた。 淡路は、播磨、備前、美作、摂津、但馬、因幡、丹波に次いで、私が史跡巡りで訪れた8つ目の国となる。 淡路島は現在の行政区分では兵庫県に属するが、史跡を訪れてみると、文化圏としては四国の文化圏である…

旧陸軍第十七師団の遺構 後編

岡山大学から南に行った突き当りにある、岡山市北区いずみ町の県総合グラウンドは、明治40年の陸軍第十七師団創設から昭和20年の終戦まで、陸軍の練兵場として使用された場所である。 今はスポーツ施設や公園などがある、市民の憩いの場となっている。 岡山…

旧陸軍第十七師団の遺構 前編

日本は日露戦争に勝利してから、更に軍備を増強することになり、明治40年(1907年)に陸軍に二個師団が増設された。 その時に設立されたのが、岡山に司令部が置かれた陸軍第十七師団である。 現在の岡山大学津島キャンパスのある場所に司令部が置かれ、岡山…

神宮寺山古墳

法界院から南に行き、JR津山線を越えて、岡山市北区三野にある岡山市三野浄水場に行く。 ここには、三野浄水場の旧動力室、ポンプ室の建物だった、岡山市水道記念館がある。 岡山は、旭川下流の三角州地帯に出来た町で、住民は古くから河川や用水溝の水を…

金剛山遍照寺法界院

旭川を渡って岡山市北区法界院にある金剛山遍照寺法界院を訪れた。 法界院仁王門 法界院は、真言宗の寺院である。法界院の前身の西谷山妙塔寺は、報恩大師が創建した備前四十八ヵ寺の一つとされる。妙塔寺は戦国時代に焼失し、天正九年(1581年)に現在地に…

百間川 一の荒手 二の荒手

岡山市街の中心部を流れる旭川。 古来から、洪水や氾濫のため、人々を悩ませてきた川だ。 江戸時代になって、最も被害が大きかった旭川の洪水は、承応三年(1654年)に起こった。岡山城下の死者156人、破損家屋1,455軒を数えた。被害の甚大さに、藩主池田光…