2024-12-01から1ヶ月間の記事一覧

新釈漢文大系

鷗外森林太郎が晩年に書いた儒家の史伝を読んでからというもの、私は漢籍に興味を持つようになった。 10年以上前から、いつか漢文のアンソロジーを手に入れて読んでみたいという気持ちを持ち続けていた。 中国の古典、儒教の典籍を学ぶことは、江戸時代には…

星が城跡 後編

西峰の城跡の遺構を見学した後、今度は東峰に向かった。 東峰は、西峰から約550メートル東方にある。標高816.6メートルの、小豆島最高所である。 東峰への道 途中左手に、城兵が飲み水を汲んだ井戸の跡があった。 井戸 更に進むと、今度は右手に舟形遺構とい…

星が城跡 前編

苗羽小学校旧田浦分校校舎の見学を終え、小豆島最高峰、星が城山の山頂にある星が城跡を目指した。 内海湾を隔てて星が城山を見ると、かなりの高峰である。 内海湾の向こうに聳える星が城山 果たしてレンタルバイクのホンダ・ディオ50ccで、あの山頂まで行け…

苗羽小学校旧田浦分校校舎

マルキン醬油記念館の見学を終えて、小豆島町田浦にある苗羽(のうま)小学校旧田浦分校校舎を訪れた。 苗羽小学校旧田浦分校校舎 この校舎は、明治35年8月に、田浦尋常小学校として建築された2教室と教員住宅を含む瓦葺平屋建校舎である。 明治43年から、…

マルキン醬油記念館 後編

マルキン醤油には、度々皇族が訪れている。 大正11年には、当時大正天皇の摂政であった摂政宮(後の昭和天皇)が訪問している。 大正時代のマルキン醤油工場 摂政宮が行啓の際に使用した茶碗と膳 大正12年には、後に昭和天皇の皇后となる良子(ながこ)女王…

マルキン醤油記念館 前編

内海八幡神社の参拝を終えて、県道28号線を南下し、小豆島町苗羽(のうま)にあるマルキン醤油記念館を訪れた。 マルキン醬油記念館 マルキン醤油は、明治40年に創業した醬油製造会社である。 マルキン醤油記念館は、マルキン醤油が大正年間に建設した醤油蔵…

内海八幡神社

小豆島オリーブ公園の見学を終えて、国道436号線を東に行き、内海(うちのみ)の町中に入る。 小豆島町立星城小学校から東に行った草壁本町の町並みの中に、大庄屋菅家屋敷跡の石碑が建っている。 大庄屋菅家屋敷跡の石碑 江戸時代には、この周辺は草加部村…

小豆島オリーブ公園 後編

オリーブ記念館から東に歩くと、エーゲ海風のロケーションのふれあい広場がある。 ふれあい広場 ふれあい広場から眺めるオリーブ園越しの内海湾が、またいい景色である。 ふれあい広場から眺めた内海湾 ふれあい広場の東側には、温泉とレストランが入った施…

小豆島オリーブ公園 中編

オリーブ原木の東側に、壁を鮮やかな白い漆喰で固めた風車がある。ギリシャ風車と呼ばれるものである。 ギリシャ風車 風車に近づくと、風車の付近で箒に跨ってジャンプする人たちが沢山いた。 何でそんなことをしているのだろうと不思議に思っていると、後で…

小豆島オリーブ公園 前編

蓮華寺の参拝を終え、スクーターで南下し、小豆島町西村にある道の駅、小豆島オリーブ公園に行った。 ところで、小豆島と言えばオリーブである。小豆島は日本で初めてオリーブの栽培に成功した地で、今では香川県の県花、県木にオリーブが指定されている。 …

湯船山蓮華寺 後編

蓮華寺境内の西側には、熊野三所権現が祀られている。 熊野三所権現の鳥居 熊野権現の信仰が高まったのは平安時代後期から鎌倉時代にかけてである。熊野権現は阿弥陀如来の垂迹したものとされ、紀州熊野はこの世の浄土と言われて、宮廷の皇族、貴族の間で熊…

湯船山蓮華寺 前編

中山の集落を抜けて、中山の千枚田の連なる山の急坂をスクーターで登っていく。 山の中腹に建つ真言宗の寺院、湯船山蓮華寺の門前に至った。この寺は、海抜245メートルに位置する。 湯船山蓮華寺 蓮華寺は、暦応年間(1338~1342年)に佐々木信胤という武将…

中山の舞台

肥土山の舞台のある離宮八幡神社から北東に行った小豆郡小豆島町中山には、春日神社がある。 春日神社の境内に、農村歌舞伎舞台の中山の舞台がある。 小豆島内に残った農村歌舞伎舞台は、肥土山の舞台とこの中山の舞台の2つのみである。 中山の舞台の裏側 …

肥土山の舞台

10月14日に小豆島の史跡巡りを行った。 小豆島に渡るのは、これで3度目である。 今回の史跡巡りでは、初めて50ccのスクーターを借りた。土庄のレンタルバイク屋からスタートした。 小豆島の史跡巡りに使ったスクーター このスクーターで1日小豆島内を走り…

日本の鬼の交流博物館 後編

日本で鬼退治伝説が残っている地域としては、丹後の大江山の他に吉備地方がある。 吉備にはかつて温羅(うら)という鬼がいて、人々を困らせていた。 温羅は、第10代崇神天皇の御代に、四道将軍の一人、大吉備津彦命に征服されたと伝承されている。 温羅の面…

日本の鬼の交流博物館 前編

鬼ヶ茶屋から府道9号線を北上し、京都府福知山市大江町仏性寺にある日本の鬼の交流博物館に行った。平成5年に開館した博物館である。 この博物館は、意外と見所のある面白い博物館であった。 日本の鬼の交流博物館 大江山に棲んでいた鬼を中央政府から派遣…

鎌鞭山如来院 鬼ヶ茶屋

毛原集落の棚田を見学した後、府道9号線に戻り、北上を続ける。 宮津街道沿いの史跡紹介が続く。 京都府福知山市大江町佛性寺にある真言宗の寺院、鎌鞭山如来院に赴いた。 如来院参道 如来院 如来院は、以前の記事で紹介した、用明天皇の第三皇子で、大江山…

北原熊野神社 毛原の棚田

福知山市大江町から宮津市に抜ける峠道を宮津街道と言う。これから、宮津街道周辺の史跡を案内する。 宮津街道は、平安時代には任地の丹後国府に向かう藤原保昌と和泉式部が歩き、江戸時代には宮津藩の参勤交代の行列が通った歴史ある道である。 街道の西側…