2025-01-01から1年間の記事一覧

知足

昨年末から、明治書院の「新釈漢文大系」を読み始めた。 今は第9巻の「古文真宝(前集)」上巻を読んでいる。 中国の古典を読んでいると、子供の頃から私が求めていたものはこれだという思いを強くする。 子供の頃から、風がよく通る、畳が広々と敷かれた座…

時計について 2

令和元年10月10日の「時計について」という記事で、私はSEIKOのSARB035を愛用していると書いた。 ところが、令和4年5月に、愛用していたSARB035が突然止まってしまった。どうやらゼンマイが切れてしまったらしかった。その時点で、購入してから、約7年経…

史跡巡りの休止について

令和元年6月2日にブログを開始してから、間もなく6年が来ようとしている。 この間に投稿した記事の数は1365回に至った。記事の大半は、史跡巡りに関するものだった。 次回は小豆島の北東側を巡り、小豆島全島の史跡巡りを終える筈であった。 その次は鳥取…

瓶浦神社 千鳥ヶ浜

大塚国際美術館の見学を終えて、鳴門市鳴門町土佐泊浦福池にある瓶浦神社を訪れた。 瓶浦神社 鳥居の扁額 瓶浦神社の祭神は、大海龍王神である。 奈良時代に、薩摩国から素焼きの大瓶を朝廷に献上するために航海していた船が、鳴門沖で沈没した。 霊亀年間(…

大塚国際美術館 その10

サルバドール・ダリは、1936年から1939年まで続いたスペイン内戦を予期するかのような絵を描いた。 それが、「ゆでたインゲン豆のある柔らかい構造:内戦の予感」である。 ダリ「ゆでたインゲン豆と柔らかい構造:内戦の予感」(1936年) 荒涼とした大地の上…

大塚国際美術館 その9

次は、ミレイ作の「オフィーリア」である。 ミレイ「オフィーリア」(1851-1852年) オフィーリアは、シェイクスピアの「ハムレット」に出て来る女性で、ハムレットに冷たくあしらわれて、発狂して川に落ちて死んだ。 ミレイは、時代物の衣装を着た女性を浴…

大塚国際美術館 その8

近代絵画の紹介を続ける。 次はコローの「マントの橋」である。 コロー「マントの橋」(1868-1870年) コローはフランス印象派の画家で、風景画をよく描いた。 私の妻は大学で絵を学んでいて、かつてはよく絵を描いていた。川の絵が多かった。 このコローの…

大塚国際美術館 その7

大塚国際美術館の地下2階にあるカフェ&レストランで昼食を摂った。 大塚国際美術館の展示品を全て観ようと思ったら、半日を費やすことになる。 必然的に昼食も館内で食べることになる。 カフェ&レストランの外は、地下2階なのに地表に顔を出した庭園にな…

大塚国際美術館 その6

ルネサンスの次は、バロック期の展示を鑑賞する。 バロックは、16世紀後半から18世紀前半にかけて流行した様式である。 宗教改革に危機感を覚えたカトリック教会は、信者の信仰心を繋ぎとめるため、イタリアで装飾過多で劇的な建築、美術、音楽、彫刻等の芸…

大塚国際美術館 その5

中世の展示の紹介を続ける。 次なる絵は、イタリア・チヴァーテのサン・ピエトロ・アル・モンテ聖堂に飾られている12世紀前半の作の、「龍を退治する大天使ミカエル」である。 「龍を退治する大天使ミカエル」 「新約聖書」末にある「ヨハネの黙示録」を題材…

大塚国際美術館 その4

古代の展示の見学を終えて、今度は中世の展示を観る。 ヨーロッパの中世は、「暗黒の中世」とよく言われる。 中世のヨーロッパは、文明的には、イスラム世界や中国よりも遅れた世界であった。 又、キリスト教が社会の隅々まで浸透し、自由な学問の発達を阻害…

大塚国際美術館 その3

次に紹介するのは、古代展示の中の「秘儀の間」の壁画である。 秘儀の間 秘儀の間とは、ローマ帝国の都市ポンペイにあった別荘、秘儀荘にあった長方形の部屋のことである。 ローマ帝国は、第2次ポエニ戦争に勝利してから、繁栄の時代を迎える。 地方都市の…

大塚国際美術館 その2

システィーナ・ホールのミケランジェロの作品を鑑賞した後、エル・グレコの祭壇衝立画を復元したものが展示されている、エル・グレコの部屋に行った。 エル・グレコの祭壇衝立 エル・グレコ(1541~1614)は、クレタ島出身で、イタリアを経てスペインに渡り…

大塚国際美術館 その1

大鳴門橋遊歩道渦の道の見学を終えて、鳴門公園内にある大塚国際美術館を訪れた。 大塚国際美術館 大塚国際美術館は、大塚製薬などを擁する企業グループの大塚グループが、創業75周年を記念して、平成10年に開館した美術館である。 ここでは、大塚オーミ陶業…

大鳴門橋遊歩道 渦の道

大鳴門橋架橋記念館エディの見学を終えて、大鳴門橋に向かった。 大鳴門橋の橋桁道路の下は、元は鉄道を通すためのスペースとして造られたが、今は鳴門市側から橋の中央部まで、約450メートルの遊歩道が設けられている。 この遊歩道から、ガラス床等を通して…

大鳴門橋架橋記念館エディ 

淡路と阿波を結ぶ大鳴門橋は、昭和60年6月に完成した。 大鳴門橋の完成を記念して、大鳴門橋に関する資料を展示するために開館したのが、大鳴門橋架橋記念館エディである。 大鳴門橋架橋記念館エディ 大鳴門橋架橋記念館エディの入口 ところで、大鳴門橋架…

鳴門海峡

2月9日に阿波の史跡巡りを行った。 阿波は、播磨、備前、美作、摂津、但馬、因幡、丹波、淡路、丹後、備中、讃岐に次いで、私が史跡巡りで訪れた12番目の国である。 また、徳島県は、兵庫県、岡山県、鳥取県、京都府、香川県に次いで、私が史跡巡りで訪れ…

ZC33S スイフトスポーツ 六年経過

我が愛車ZC33Sスイフトスポーツも、購入してから六年が経過した。 走行距離は、87,000キロメートルを超えた。 最近法定点検を受けたが、問題はなかった。未だに快調である。 昨年タイヤをダンロップ LE MAN Ⅴ+にしてから、燃費が良くなった。タイヤを替えて…

旧大庄村役場 尼崎市立大庄小学校

阪神甲子園球場の見学を終えて、尼崎市大庄西町3丁目にある、旧大庄村役場を訪れた。 ここは現在、尼崎市立大庄公民館となっている。 旧大庄村役場 尼崎市の大庄地区は、昭和17年に尼崎市に合併されるまで、兵庫県武庫郡大庄村という自治体であった。 私の…

阪神甲子園球場

大観楼跡を後にして、西宮市甲子園町にある阪神甲子園球場を訪れた。 阪神甲子園球場 阪神甲子園球場は、プロ野球球団阪神タイガースの本拠地として、また全国高校野球の聖地として知られている。 経営は、鉄道会社の阪神電鉄である。 阪神電鉄は、大正11年…

白鹿記念酒造博物館 後編 今津小学校六角堂

酵母菌によって発酵し、アルコールを含むようになった醪を酒袋に入れ、槽(ふね)の中に入れ、槽の上に置いた錘をてこの原理を用いて上から押して、酒袋の中の醪を圧搾して酒を絞り出す。 これがしぼりの工程である。 酒袋 しぼりの工程 酒袋には酒粕が残り…

白鹿記念酒造博物館 中編

酒造の工程は、先ずは酒米の洗米、浸漬に始まる。日本酒は米から造られる。酒米は、酒造用に栽培された米で、灘五郷では、兵庫県美嚢郡や三木市で栽培される山田錦が主に使われている。 山田錦 斗桝で計った白米を踏桶に入れ、水を入れて3回に分けて足で踏…

白鹿記念酒造博物館 前編

旧辰馬喜十郎住宅の隣に、辰馬本家酒造株式会社が経営する白鹿記念酒造博物館がある。 辰馬本家酒造は、寛文二年(1662年)創業で、白鹿は辰馬本家酒造が造る酒の銘柄である。 白鹿記念酒造博物館 白鹿記念酒造博物館は、辰馬本家酒造によって、明治25年築造…

宮水発祥の地 旧辰馬喜十郎住宅

西宮市久保町に、宮水発祥之地碑と陰刻された石碑が建っている。 宮水発祥之地碑 江戸時代以降、武庫川から生田川の間は、灘五郷と呼ばれる酒造地帯であった。 西宮郷もその一つであった。 江戸時代の酒は、「秋落ち」と言って、夏を越して秋になると味が落…

阪神間の近代学校建築 後編

上ヶ原キャンパスの東側には、昭和4年のキャンパス建設時から残る外国人住宅が複数建っている。 関西学院に勤める外国人職員のために建てられたものだろう。 外国人住宅 表札を見ると、外国人の名前が書いてある。今でも関学に勤める外国人職員が居住してい…

阪神間の近代学校建築 中編

文学部の南側には、関学の関学たる所以と言ってもよい神学部の建物がある。これも昭和4年の上ヶ原キャンパス発祥時からの建物だ。 神学部 神学部の建物の屋根の上には、十字架を戴いた塔が建っている。 日本離れした美しい建物だ。 神学部 屋根の上の塔 神…

阪神間の近代学校建築 前編

阪神間には、モダンな建築物が多い。 関東大震災で東京が被害を受けた後の昭和初期は、大阪は大大阪と呼ばれ、東京を超える都会であった。 大阪の通勤圏である阪神地区には、阪急電車が通って急速に宅地造成が進んだ。 谷崎潤一郎が阪神間に住んだ時代は、ま…

武庫山神呪寺 後編

神呪寺の境内南東側には、展望台があって、そこから大阪の市街を遠望することが出来る。 大阪市街には靄がかかっていて、幻想的な景観であった。 大阪平野 大阪のビル群が靄に包まれている。あそこに沢山の人たちがいる。 こうして見ると、人の世界は小さな…

武庫山神呪寺 中編

本堂の西隣には、神呪寺鎮守の弁財天が祀られている。甲山の水の神様である。 弁財天 弁財天の安置されている宮殿 弁財天の安置されている宮殿の前には、地元の西宮で醸造されたと思われるお酒が沢山奉納されている。 神様は、お酒がお好きなのであろうか。 …

武庫山神呪寺 前編

廣田神社の参拝を終えて、西宮市甲山町にある真言宗の寺院、武庫山神呪寺(かんのうじ)に向かった。 神呪寺は、西宮を象徴する甲山(かぶとやま)の中腹にある寺院である。 甲山は、太古の火山活動で発生した溶岩が固まって出来た山で、長年の風雨により削…