古墳
大塚国際美術館の見学を終えて、鳴門市鳴門町土佐泊浦福池にある瓶浦神社を訪れた。 瓶浦神社 鳥居の扁額 瓶浦神社の祭神は、大海龍王神である。 奈良時代に、薩摩国から素焼きの大瓶を朝廷に献上するために航海していた船が、鳴門沖で沈没した。 霊亀年間(…
丹波国府は、未だに発掘されていないが、丹波国府推定地として、今のところ亀岡市千代川町説と南丹市八木町屋賀説の二説がある。 平安時代の承安四年(1174年)十月二十日に書かれた「丹波国吉富庄絵図」の江戸時代初期の写本には、現在の南丹市八木町屋賀の…
八木城跡から下山して、南丹市八木町八木西山にある臨済宗の寺院、龍興寺に赴いた。 龍興寺 龍興寺は、享徳元年(1452年)に、室町幕府の管領細川勝元が妙心寺第五世義天玄昭を招いて建立した寺院である。 安土桃山時代の天正年間(1573~1593年)には、子院…
緑山古墳群の見学を終え、次に総社市三須にある作山古墳を訪れた。 作山古墳は、全長約282メートルで、全国10位の大きさを誇る古墳である。 以前紹介した岡山市北区新庄下にある全国4位の造山古墳と名前が似ているので混同されやすい。 作山古墳全景 造山古…
伝備中国府跡から南下し、総社市上林にある緑山古墳群を訪れた。 緑山古墳群は、6世紀中頃から後半にかけて造られた古墳群である。緑山という丘陵上にある。 緑山への登り口 緑山には、丘陵の南東にある階段から登ることが出来る。 階段を登ると墓地がある…
新宮寺の参拝を終えて、南東に走り、京都府船井郡京丹波町塩谷にある何鹿(いつしか)神社に詣でた。 何鹿神社 この神社は、「延喜式」神名帳に記載された古社であるが、更に遡って天武天皇十二年(683年)には既に社があったという伝承もある。 江戸時代ま…
蒜山郷土博物館の裏庭には、茅葺の竪穴住居や、蒜山下長田字水別(みずわかれ)から移築された水別1号墳、2号墳がある。 竪穴住居 水別1号墳は、6世紀後半に築かれ、8世紀前半まで約150年間に渡って追葬が行われた古墳である。 水別1号墳 直径7メート…
備中国分寺跡の西側には、吉備路最後の前方後円墳と言われる江崎古墳がある。 江崎古墳後円部 江崎古墳は山の南麓に築かれていて、前方部が山側にある。 全長約45メートル、前方部幅約25メートル、後円部径約32メートル、二段築成で、円筒形埴輪が並んでいた…
国分寺の参拝を終えて東に約400メートル歩くと、6世紀後半に築造された前方後円墳のこうもり塚古墳が見えてくる。国指定史跡になっている。 こうもり塚古墳後円部 こうもり塚古墳は、全長約100メートル、後円部径55~60メートル、同高約8メートル、前方部…
以前、岡山市北区新庄下にある全国第4位の規模の前方後円墳、造山古墳について紹介した。 今回は、造山古墳の北西約500メートルの山中にある、小造山古墳について紹介する。 小造山古墳は、岡山市北区新庄上、総社市下林にまたがる山の中にある。 私は、総…
阿保親王塚古墳の南側、翠ヶ丘台地の先端部に当たる芦屋市打出小槌町からは、打出小槌遺跡が発掘された。 打出小槌遺跡が発掘された辺り 打出小槌遺跡からは、約2万年前の石器である、国府(こう)型ナイフ形石器が発掘された。 芦屋市内で最古の出土品であ…
芦屋市翠ヶ丘町の町並みの中に、鬱蒼と茂る樹々の固まりがある。 第51代平城天皇の第一皇子、阿保親王の陵墓とされる阿保親王塚古墳である。 阿保親王塚古墳 平城天皇は、退位して上皇となった後、寵愛した藤原薬子に唆され、弟の第52代嵯峨天皇に対して兵を…
6月9日に摂津の史跡巡りを行った。 兵庫県の芦屋市と西宮市の史跡を巡った。 最初に訪れたのは、兵庫県芦屋市東芦屋町にある芦屋神社である。 芦屋神社 芦屋神社の祭神は、天照大御神の第二子天穂日(あめのほひ)命である。 祭神名を刻んだ石柱 天穂日命…
生身天満宮の参拝を終えて、南丹市園部町内林町にある垣内(かいち)古墳の跡地に赴いた。 垣内古墳は、現在内林町の八幡神社が鎮座するあたりにあった。 内林八幡神社 昭和47年に京都府道園部平屋線の拡幅工事を実施したところ、大量の鉄滓が見つかった。 …
九品寺の参拝を終えて北上し、南丹市園部町黒田にある京都府指定史跡、黒田古墳に赴いた。 黒田古墳 後円部 黒田古墳は、園部町黒田の丘陵部の先端に築かれた前方後円墳である。 日本で最古級の前方後円墳は、卑弥呼の墓の可能性が取り沙汰されている大和の…
造山古墳の南西側には、第1古墳から第6古墳まで、全部で6つの陪塚がある。 陪塚は、主となる古墳の被葬者の家臣が葬られた古墳である。 造山古墳に葬られた被葬者の臣が、これらの陪塚に葬られたことだろう。 造山古墳と陪塚の模型 今日は6つの陪塚の中…
守福寺宝殿の見学を終えて南下し、岡山市北区新庄下にある巨大前方後円墳、造山古墳を訪れた。 造山古墳の後円部(北東から南西に向け撮影) 後円部(南から北に向け撮影) 造山古墳は、全国4位の大きさを誇る古墳である。 1位は全長約486メートルの仁徳天…
最上稲荷の巨大な鳥居を潜って、岡山県道241号線を北上する。 右手にある岡山市北区平山の集落の中に、小高い丘陵がある。 この丘陵上に、全長約150メートルという大きな前方後円墳がある。岡山県指定史跡の佐古田堂山(さこだどうやま)古墳である。 佐古田…
富丘八幡神社の境内には、江戸時代後期の但馬出身の石工、丹波佐吉が作った神馬がある。 丹波佐吉作の神馬 丹波佐吉は、文化十三年(1816年)に但馬国竹田に生まれ、5歳の時、丹波の石工難波金兵衛伊助の養子になる。 22歳から渡りの石工となり、大和、伏見…
石原城跡から東南を眺めると、標高150メートルほどのヌクモ山という低山が横たわっている。 この山には、中世の山城跡であるヌクモ山城跡とヌクモ古墳群が存在する。 ヌクモ山 上の写真の正面に写っているのがヌクモ山だが、山上に2つの鉄塔がある。 右側(…
稲粒神社の参拝を終えて府道74号線を東に走り、途中三叉路を北に上がって、福知山市報恩寺(ほおじ)の集落に入る。 報恩寺集落の中には、旧福知山市立佐賀小学校がある。校庭跡の北側の山麓に、奉安塚古墳群がある。 奉安塚古墳群のある山麓 奉安塚古墳群の…
福知山市猪崎にある三段池公園は、様々なスポーツ施設が集まる公園であるが、公園内や周辺からは、古墳が多数発掘されている。 公園中央にある総合体育館の北側に「古墳の丘」と呼ばれる場所がある。池の奥古墳群の中で最大の5号墳がある場所である。 総合…
木山神社、木山寺の参拝を終え、旭川沿いに南下し、真庭市の南端にある吉(よし)の集落に行った。 ここにある真言宗の寺院、今西山法福寺には、岡山県重要無形文化財の吉念仏踊りが伝承されている。 今西山法福寺 ネットで法福寺を検索すると、立派な山門の…
大鳴門橋を見下ろす「うずまちテラス」から北を眺めると、海上にポツンと浮かぶ小さな島が見える。 南あわじ市伊毘の沖合に浮かぶ沖ノ島である。 沖ノ島 昭和35~36年の発掘調査で、沖ノ島から13基の古墳と1基の祭祀遺構が発掘された。 13基の古墳の内、2…
賀集八幡神社から南下し、南あわじ市賀集にある淳仁天皇陵を訪れた。私が史跡巡りで訪れた最初の天皇陵である。 宮内庁の管理下にあり、陵内に立ち入ることは出来ない。 淳仁天皇陵 第47代淳仁天皇は、天武天皇の第七皇子舎人親王の子で、即位前は大炊王と呼…
10月1日に淡路の史跡巡りを行った。 今年4月19、20日の記事で、南あわじ市八木馬回にある真言宗の寺院、擁護山成相寺を紹介した。 成相寺を訪れた時、境内に隣接して存在する天野神社に気づかずに参拝せずに終わった。 今回、成相寺を再訪し、その時行きそ…
王墓山古墳の北側の、王墓の丘史跡公園の中に、弥生時代末期である2世紀後半の墳丘墓、楯築(たてつき)遺跡がある。 王墓の丘史跡公園入口 楯築遺跡が築造された2世紀後半は、大和盆地に大和王権が確立される50年以上前である。 日本中に成立していたクニ…
犬養木堂記念館の見学を終え、足守川を越えて西に行き、岡山県倉敷市庄新町にある王墓山古墳を訪れた。 王墓山古墳への道は、庄新町公民館の南東側に並ぶ民家の間にある。 王墓山古墳への道 この道を入っていくと、行く手に6世紀後半に築造された王墓山古墳…
吉備津神社の裏から吉備の中山に上っていく自動車道が始まっている。 その道を使って吉備の中山を上がっていくと、岡山県の遺跡から発掘された文化財を収蔵展示する岡山県古代吉備文化財センターがある。 岡山県古代吉備文化財センター ここの駐車場に車をと…
吉備津神社の名物は、本殿だけではない。長い回廊も名物の一つである。 本殿南側から回廊は始まり、間に南随神門を挟んで、境内南端の本宮社まで回廊は続いている。 本殿南端から始まる回廊 南随神門 私が子供のころ、何のCMだったか忘れたが、吉備津神社の…