2021-01-01から1年間の記事一覧

西天目瑞巌山高源寺 後編

仏殿の奥の石段を登ると、方丈がある。 石段と方丈 方丈の名は、インドの維摩居士の居室が方一丈だったという故事から来ている。 方丈は、禅宗における住持の居住空間で、本堂、客殿を兼ねている。高源寺では、庫裡も兼ねているそうだ。 方丈 方丈の内部 方…

西天目瑞巌山高源寺 前編

11月27日に丹波の史跡巡りを行った。 最初に訪れたのは、兵庫県丹波市青垣町桧倉(ひくら)にある臨済宗の寺院、西天目瑞巌山高源寺である。 高源寺 私が自宅を出た時、播磨地方は晴れていたが、丹波に入ると雨天であった。 今回で4度目の丹波史跡巡りだが…

岸田吟香ゆかりの地

両山寺の参拝を終えると、もはや日が西に傾いていた。 今回の美作の旅の最後の目的地である、岸田吟香生誕地に向かった。 岸田吟香(本名銀次)は、天保四年(1833年)、美作国久米郡垪和(はが)村大字中垪和字谷に住む岸田秀治郎の子として生まれた。 吟香…

二上山両山寺 後編

両山寺のある二上山には、東峰弥山と西峰城山の二つの峰がある。最高峰は城山で標高約689メートルである。両山寺は、弥山の中腹にある。 両山寺の裏には、護法善神を祀る二上神社がある。護法善神とは、仏教の守護神である梵天、帝釈天以下のインド由来の神…

二上山両山寺 中編

山門を通り過ぎて、本堂へと近づいていく。 圧巻は、本堂の前に聳える大杉である。二上杉と呼ばれている。 本堂 二上杉 二上杉の木肌 二上杉は、樹齢約千年、樹高約40メートル、目通り周囲約7メートルという巨木である。 近づいて木肌を見ると、まるでゴジ…

二上山両山寺 前編

唐臼墳墓群から、山間の道を行き、岡山県久米郡美咲町両山寺にある真言宗の寺院、二上山両山寺を訪れた。 両山寺は、東峰の弥山(みせん)、西峰の城山という2つの頂を持つ二上山の中で、弥山中腹にある寺院である。 創建は和銅七年(714年)で、第43代元明…

油木北奥の前古墳 唐臼墳墓群

鶴田藩の西御殿跡から西に行き、津山市油木北(ゆききた)にある奥の前古墳を訪れた。 油木北の小さな寺院の駐車場から、古墳への山道が続いている。 油木北奥の前古墳への道 道を進み、墓地を過ぎると、説明板が目に入る。その説明板の前に、4世紀後半に築…

糘山

剣戸古墳群の見学を終え、そこから西に車を走らせる。 津山市神代にある糘山(すくもやま)という低山には、史跡が数多く点在している。 糘山は、標高約262メートルで、山の南半分は、久米カントリークラブというゴルフ場である。 糘山の西側を南北に通る県…

佐良山古墳群 

後醍醐天皇が歌に詠った佐良山は、現在の笹山だと言われている。 笹山の西麓には、横穴式石室を持つ直径15メートル以下の円墳を主とした、180基以上の古墳群がある。佐良山古墳群と呼ばれている。 その中で、最古の横穴式石室を有する中山一号墳を訪れた。 …

荒神山城跡

11月14日に、今年の夏以来の美作の旅をした。 最初に訪れたのは、岡山県津山市荒神山にある荒神山城跡である。 荒神山 荒神山は、標高約298メートルの低山である。 荒神山城跡へは、麓の集落から登って行くことになる。 荒神山城跡への登り道 舗装された道を…

村岡陣屋跡

昨日の記事で書いたように、兵庫県美方郡香美町村岡区村岡は、江戸時代に交代寄合旗本の山名家が領有し、陣屋を置いた場所である。 その陣屋は、今は跡形もないが、かつて陣屋があった御殿山は、公園として整備されている。 御殿山公園への登り口 御殿山公園…

香美町 黒野神社

豊岡市日高町から、国道482号線を西進し、兵庫県美方郡香美町村岡区村岡にある黒野神社を訪れた。 村岡は、守護大名山名家の後裔が、江戸時代に交代寄合旗本となって陣屋を置いた村である。山名家が陣屋を置くまでは黒野村という名であった。 交代寄合という…

布金山長者峰隆国寺 後編 附信貴山観音寺

隆国寺山門を潜ると目の前には大きな本堂が現れる。 本堂 本堂は、寛政四年(1792年)に再建された。平成元年には、本堂の屋根が茅葺寄棟造から銅板葺入母屋造に改修された。 茅葺屋根の本堂も見てみたかった。 本尊は聖観音座像である。左右に不動明王像と…

布金山長者峰隆国寺 前編

植村直己冒険館から南西に車を走らせ、豊岡市日高町荒川にある曹洞宗の寺院、布金山長者峰隆国寺を訪れた。 隆国寺総門 隆国寺は、室町時代に守護大名山名氏の四天王と言われた重臣垣屋隆国の菩提寺として建立された。 元々阿瀬金山(現豊岡市日高町羽尻)に…

植村直己冒険館

植村直己。 昭和に育った人なら、誰もがその名を知る日本が世界に誇る冒険家である。 豊岡市日高町伊府に、その植村を記念する植村直己冒険館が建っている。 開館は、平成6年である。昭和59年に植村が北米最高峰のマッキンリーで消息を絶ってから10年後だ。…

但馬国分寺跡

祢布交差点から北東に進んだ兵庫県豊岡市日高町国分寺に、但馬国分寺跡がある。 寺院の跡地は今は広い空き地になっていて、七重塔の礎石が残されている。塔の礎石の奥には、国分寺の名を冠する寺院が建っている。 今までの史跡巡りで、私は播磨、美作、備前…

但馬国府跡 豊岡市立歴史博物館

青谿書院の見学を終え、国道312号線を北上すると、豊岡市に入る。豊岡市は、但馬地方の中心となる都市である。 豊岡には、奈良時代以降は国府や国分寺が置かれた。当時から但馬地方の中心だったようだ。 豊岡市日高町祢布(にょう)に、国道312号線の祢布交…

甘棠亭 青谿書院

名草神社の見学を終えて、妙見山から下山した。 進路を北に取り、円山川を越えて、兵庫県養父市八鹿町伊佐にある甘棠亭(かんとうてい)を訪れた。 甘棠亭は、延宝四年(1676年)に出石藩の6代目藩主小出英安(ふさやす)が、伊佐の新田を視察に来た時に、…

名草神社 後編

三重塔の前の石段を登り、名草神社の社殿に向かった。 名草神社は、標高約1139メートルの妙見山の中腹にある。社のある場所の標高は、約800メートルである。麓より早く紅葉が色づき始めていた。 名草神社の社殿に向かう道 三重塔から名草神社社殿に向かうに…

名草神社 前編

日光院の参拝を終え、そこから妙見山の中腹まで伸びている細い舗装路を走る。 妙見山の中腹にあるのが、江戸時代まで元の日光院だった名草神社である。 名草神社の石碑 明治元年に明治政府によって出された神仏分離令によって、寺院と神社が一体化している各…

妙見山日光院 後編

護摩堂に隣接して建つのが薬師如来を祀る薬師堂である。 阿弥陀如来が西方極楽浄土の教主なら、薬師如来は東方浄瑠璃世界の教主で、人々の病を直す仏様とされている。 薬師堂 薬師堂は、日光院の前身である石原山帝釈寺の時代は、全山の総本堂で、七間四方の…

妙見山日光院 前編

11月3日の文化の日に但馬を訪れた。ついこの間も但馬に行ったばかりである。 現在私は、播磨に隣接する摂津、淡路、備前、美作、因幡、但馬、丹波の7か国を順に巡っているが、冬が来て降雪する前に北の旅を終えておきたいので、間を置かずに但馬を訪れるこ…

霊石山 後編

源範頼の墓の近くに、最勝寺の奥の院がある。奥の院は、昭和30年まで最勝寺があった場所である。 建物が無くなって、まるで廃寺のようである。 最勝寺奥の院 かつてお堂が建っていたと思われる場所には石垣があり、石段がある。 石段 石は建設に使われる素材…

霊石山 前編

慶長五年(1600年)に関ヶ原の合戦で功績を上げた亀井茲矩(これのり)は、同年因幡鹿野城主となり鹿野藩の初代藩主となった。 因幡の千代川は、古代から洪水を多発させた暴れ川で、亀井茲矩が藩主になったころの鳥取平野は、川の氾濫と農業用水の便の悪さか…

嶽古墳 売沼神社

大義寺の参拝を終えて北上し、鳥取市河原町曳田(ひけた)にある嶽(だけ)古墳と売沼(めぬま)神社を訪れた。 ここは、大国主神の妻となった八上姫(八上比売)ゆかりの地である。 大国主神と八上姫の婚姻物語は、「古事記」の稲羽の素兎(いなばのしろう…

大安興寺 大義寺

能引寺の虎御前の墓に手を合わせた後、再び鳥取市用瀬町に戻った。鷹狩にある真言宗の寺院、医王山大安興寺を訪れた。 大安興寺は、かつては今の寺の背後にある医王山上に伽藍があったが、昭和になって麓に移った。 医王山 7世紀に播磨や丹波にて数多くの寺…

虎石山能引寺 

大江神社から南下し、鳥取県八頭郡八頭町下野にある臨済宗の寺院、虎石山能引寺に行った。 虎石山能引寺 参道脇の地蔵尊 能引寺は、日本三大仇討の一つとされる、曽我兄弟の仇討ちと関連がある。因みに日本三大仇討の他の2つは、元禄赤穂事件と伊賀越の仇討…

万照山多宝寺 大江神社

景石城跡の見学を終え、山から下りて車を走らせた。 次なる目的地は、鳥取県八頭郡八頭町船岡殿にある真言宗の寺院、万照山多宝寺である。 万照山多宝寺 多宝寺は、和銅三年(710年)に行基菩薩により開基されたと伝えられている。 創建時は、根本山万照寺と…

景石城跡

三角山神社奥宮本殿の参拝を終えて下山し、三角山と景石城跡のある城山との分岐点のある中鳥居に戻った。 そこから北上し、景石城跡を目指した。 景石城跡への道 尾根道を進んで行く。三角山と城山の中間地点には、子持ち松砦跡がある。 子持ち松砦跡 子持ち…

三角山神社 後編

中鳥居を潜れば、そこからは三角山神社奥宮の結界である。 登山道も急になり、巨石が目につき始める。 三角山の巨石 女人堂から山頂までの行程の2/3のあたりには、かつて修験行者が雨露をしのぐために建てた籠り堂の跡である、仙行者(せんのぎょうじゃ)と…