美作
天正十一年(1583年)、宇喜多氏の家臣斎藤玄蕃が守る西屋城を毛利勢が攻撃した。 西屋城は落城したが、その際に落命した人の石碑が西屋城跡南東の杉地区に残っている。 西屋城跡東南麓にある泉神社から、国道179号線を少し南西に行った道沿いに、斎藤玄蕃の…
富地域から東進し、国道179号線に出て北上する。 岡山県苫田郡鏡野町女原の集落が近づくと、目前に標高約515メートルの西屋城跡が見えてくる。 西屋城跡 西屋城跡の築城年代は定かではない。天正年間(1573~1592年)には、宇喜多直家に攻略され、苔口利長が…
岡山県苫田郡鏡野町の北西部に位置する富地域は、1000メートル級の山々に囲まれた自然豊かな地域である。 前回紹介した布施神社は、この地域の精神的な拠り所となる大切なお社である。 富地域の中心は、富西谷の富振興センターの辺りになるが、富振興センタ…
小田山城跡から下りて進路を西にとり、岡山県苫田郡鏡野町富西谷にある布施神社に赴いた。 布施神社 鳥居 鳥居を潜ってすぐ右側に、欅の巨木がある。樹齢約500年の欅である。岡山県下三指に数えられる欅の巨木であるという。 神門 布施神社の祭神は、素戔嗚…
小田草神社の境内には、一の谷稲荷神社が祀られている。 一の谷稲荷神社の社殿は、鏡野町指定文化財となっている。 一の谷稲荷神社覆屋 一の谷稲荷神社本殿は、覆屋に覆われている。 覆屋は拝殿と一体化している。全体が朱色に塗られ、いかにもお稲荷さんら…
苫田ダムから東進し、苫田郡鏡野町馬場にある小田草神社と小田草城跡を目指した。 小田草城跡は、標高約390メートルの小田草山の山上にあるが、その麓に小田草神社がある。 小田草山 小田草神社参道 小田草神社の参道は、急な石段である。息を切らしながら、…
弘秀寺から東に行くと、奥津湖が見えてくる。奥津湖は、苫田ダムが吉井川を堰き止めたことにより出来たダム湖である。 奥津湖 この奥津湖の下には、旧苫田郡奥津町の中心だった下原地区が沈んでいる。旧奥津町の人口の約4割が住んでいた地区である。 奥津町…
葛下城跡から下山し、スイフトスポーツに乗車して、美作の更に奥地に車を走らせる。 岡山県苫田郡鏡野町中谷にある真言宗の寺院、法華山弘秀寺を訪れた。 弘秀寺山門 弘秀寺は、神亀元年(724年)に行基菩薩が開創したとされている。 元々の弘秀寺は、天楽山…
2月12日に美作の史跡巡りを行った。所々に雪が残る中を巡る旅だった。 最初に訪れたのは、岡山県苫田郡鏡野町中谷にある葛下(くずか)城跡である。 葛下城跡 葛下城跡は、標高約370メートルの大松山上にある山城跡である。 葛下城跡への登り口は二つある。…
昨日の記事で、この地を訪れて亡くなったという伝承が残る近衛経忠について書いた。 中谷神社の西側には、近衛経忠の墓所と言い伝えられる近衛殿という一角がある。鏡野町指定史跡になっている。 近衛殿 近衛経忠は、近衛家の第八代当主で、乾元二年(1302年…
金剛頂寺から西に走ると、吉井川と中谷川が合流する地点に架かる葛下(くずか)橋を渡ることになる。 この辺りはかつて湯指(ゆざす)と呼ばれていた。現在の地名は、岡山県苫田郡鏡野町中谷(なかだに)である。 葛下橋と湯指の船着場址 ここは、江戸時代か…
香々美新町から北上し、かつてたたら製鉄が行われていたという越畑という集落を目指した。 香々美新町から越畑までの約16キロメートルの道のりは、「万葉のみち」として整備されている。 「万葉集」に詠まれる150余種の植物のうち、104種の植物が道端に植え…
桝形山から下山して、酷暑の中車に乗って北上し、岡山県苫田郡鏡野町寺和田にある真言宗の寺院、宝寿山円通寺を訪れた。 宝寿山円通寺 この寺は、弘仁七年(816年)に弘法大師空海が開創したと伝えられている。 美作の密教寺院としては最古の寺院で、「作州…
香々美新町の地蔵尊の脇から、桝形山への登山道が延びている。 桝形山への登山口 桝形山は、標高約645メートルの秀麗な形をした山である。 桝形山 桝形山の山上に、小早川隆景が築城したと伝わる桝形城跡がある。 築城時期は不明だが、毛利氏が美作に侵攻し…
赤峪古墳から進路を北東にとり、江戸時代の宿場町、香々美新町に赴いた。 香々美新町宿 津山藩森氏の時代に、美作津山と伯耆倉吉との間に倉吉街道が整備された。新町は、津山から倉吉街道を伝って倉吉に赴く場合の最初の宿場町であった。 江戸時代には、馬の…
大野の整合のすぐ北側に、女山(めんやま)という標高約205メートルの低山があり、その更に北側に男山(おんやま)という標高約260メートルの低山がある。 この2つの山は、鏡野町のシンボル的存在である。山体は、太古の火山活動で噴出した溶岩が固まって形…
8月21日に美作の史跡巡りを行った。 先ず訪れたのは、岡山県苫田郡鏡野町下原にある観音山古墳である。鏡野町では最古の前方後円墳だ。 観音山古墳への登り口 下原の集落の中にある観音山古墳の登り口から緩やかな坂を登り始める。 この道を真っ直ぐ行くと…
ペスタロッチ館の中には、鏡野町内の遺跡や古墳から出土した遺物や、郷土が生んだ自由民権運動家中島衛に関する資料を展示する鏡野郷土博物館がある。 鏡野郷土博物館 鏡野町には、竹田遺跡や恩原遺跡、赤峪(あかざこ)古墳などの遺跡、古墳がある。 ここに…
一宮八幡神社の参拝を終えて北上し、岡山県苫田郡鏡野町竹田にあるペスタロッチ館(鏡野町総合文化施設)に赴いた。 ペスタロッチ館 ペスタロッチ(1746~1827年)はスイスの教育者で、貧民の子や孤児にも平等に教育の機会を与え、生徒の自主的学習意欲を伸…
今日は古くからの獅子舞を伝承する二つの神社を紹介する。 一つ目は、竹内流古武道発祥の地から北に行った岡山県久米郡美咲町境にある境神社である。 境神社 神門 境神社の祭神は、素戔嗚尊である。 社前には、境神社の大スギと呼ばれる巨木がある。 境神社…
幻住寺の参拝を終えて、車を駆って南下し、岡山県真庭市旦土(たんど)にある国玉神社を訪れた。 ここには、旦土が生んだ江戸時代後期の蘭科医石井宗謙誕生の地の碑がある。 国玉神社 石井宗謙生誕の地の看板 寛政八年(1796年)に旦土村で生まれた石井宗謙…
萩丸城跡を散策した後、山中の道を東に走り、岡山県久米郡美咲町北にある曹洞宗の寺院、夢中山幻住寺を訪れた。 幻住寺 幻住寺の創建は、大同四年(809年)だという。その頃には、まだ日本には曹洞宗はなかったので、この寺は別の宗派の寺だったことだろう。…
岡山県久米美咲町北にある岡山県総合畜産センターの東側に、センターの娯楽施設の「まきばの館」がある。 まきばの館 まきばの館案内図 まきばの館には、レストランや土産物屋、アスレチック広場、ドッグラン、ラベンダー広場などがあり、休日の家族連れで賑…
本丸跡から二の丸跡に向かう。二の丸は、本丸の東側に位置する重要な防御機構であった。 本丸跡と二の丸跡の間には、堀切がある。 堀切 堀切は尾根を分断するために人工的に掘られた空堀で、尾根沿いに攻めてくる敵軍を足止めするための山城の防御機構の一つ…
山王神社の参拝を済ませて、更に登り続けると、大手門跡が現れる。 大手門跡 ここが城の正面である。大手門跡を過ぎると水門跡がある。 水門跡 水門跡を過ぎて更に進むと、水神宮がある。 水神宮拝殿と龍神大杉 水神宮拝殿 水神宮は、龍神池の池中に祀られて…
三成古墳から西に向かい、岡山県津山市中北上に聳える岩屋山(標高約483メートル)の山上にある岩屋城跡に向かった。 岩屋川沿いに細い道を北上すると、谷間に登山者用の駐車場がある。そこに車をとめ、歩き始めた。 岩屋城跡の図 岩屋城は、嘉吉元年(1441…
道の駅久米の里から西に走り、岡山県津山市中北下にある国指定史跡・三成(みつなり)古墳を訪れた。 三成古墳は、中北下の集落にある真言宗寺院・密厳寺の墓地の奥にある、小高い山の頂付近に築かれた前方後方墳である。二つの方墳がつながった形をしている…
桜が散り始めた4月10日に美作の旅をした。 最初に訪れたのは、岡山県津山市宮尾にある久米廃寺である。 スイフトスポーツを道の駅久米の里に駐車して、西に歩く。久米廃寺の跡は、道の駅久米の里の西側の、中国縦貫自動車道の高架下にある。 久米廃寺 久米…
両山寺の参拝を終えると、もはや日が西に傾いていた。 今回の美作の旅の最後の目的地である、岸田吟香生誕地に向かった。 岸田吟香(本名銀次)は、天保四年(1833年)、美作国久米郡垪和(はが)村大字中垪和字谷に住む岸田秀治郎の子として生まれた。 吟香…
両山寺のある二上山には、東峰弥山と西峰城山の二つの峰がある。最高峰は城山で標高約689メートルである。両山寺は、弥山の中腹にある。 両山寺の裏には、護法善神を祀る二上神社がある。護法善神とは、仏教の守護神である梵天、帝釈天以下のインド由来の神…