美作
蒜山原のほぼ中央の蒜山中福田に、かつて福田郷の大宮であった福田神社がある。 福田神社 福田神社の祭神は、大己貴命である。 この辺りは、中世には京都祇園社(現八坂神社)の社領であった。それなのに、福田神社の祭神は須佐之男命ではない。 この神社は…
蒜山郷土博物館の裏庭には、茅葺の竪穴住居や、蒜山下長田字水別(みずわかれ)から移築された水別1号墳、2号墳がある。 竪穴住居 水別1号墳は、6世紀後半に築かれ、8世紀前半まで約150年間に渡って追葬が行われた古墳である。 水別1号墳 直径7メート…
鳥居ヶ乢から米子自動車道沿いの側道を西に行くと、真庭市蒜山西茅部にある田代遺跡が発掘された辺りに出る。 田代遺跡の発掘された辺り ここからは、旧石器時代から縄文時代早期にかけての狩猟用落し穴の跡など、当時の人々の生活の痕跡が発掘された。 約2…
御鴨神社の参拝を終え、岡山県真庭市藤森にある建部(たけべ)神社に参拝した。 建部神社 この辺りはかつて建部郷と呼ばれていた。建部は、古代大和王権の時代に軍役についていた部民(べみん)のことである。屯田兵のように各地に入植していた。 建部が奉斎…
新庄宿から北西に約3キロメートル走ると、谷深い山中に入る。 山道を走っていると、「後鳥羽上皇跡」と書かれた説明板が見えてくる。 後鳥羽上皇跡 ここは、承久三年(1221年)に発生した承久の乱に敗れ、隠岐に配流となった後鳥羽上皇が通過して、都を懐か…
宇南寺から国道181号線を更に西進すると、岡山県真庭郡新庄村に入る。 この先の標高770メートルの四十曲峠を越えると、鳥取県日野郡日野町(伯耆国板井原宿)である。 江戸時代に、出雲国松江から播磨国姫路まで、出雲街道が整備された。伯耆と美作の境界に…
姫笹原遺跡から南下して国道181号線に戻り、約2キロ西進すると、新庄川の南にある小高い丘が見えてくる。 丘の上に真言宗の寺院、覚鑁(かくばん)山宇南寺がある。 宇南寺 現在の本堂 宇南寺は、真義真言宗を創設した興教大師覚鑁の孫弟子が、建久年間(11…
大庭八社の参拝を終えて西進し、真庭市宇甘(うかい)にある真言宗の寺院、宝珠山竹元寺を訪れた。 竹元寺は、丘の上にある。山門まで白い石段が続いている。 宝珠山竹元寺 石段 この寺には、7世紀末から8世紀初めにかけて作られた白鳳時代の金銅仏がある…
社川を上流に遡ると、大庭八社の中で、「大社」と呼ばれる、佐波良(さわら)神社、形部(かたべ)神社がある。 この2つの神社は、1つの社殿に合祀されている。 佐波良神社、形部神社 佐波良神社の祭神は、佐波良命である。この神様は、先日紹介した和気氏…
岡山県真庭市社にある8つの式内社、大庭八社の内、「二宮」と呼ばれているのが、久刀(くと)神社、長田(ながた)神社、菟上(うのかみ)神社、壱粟(いちあわ)神社、大笹(おおささ)神社の5社である。 大庭八社の神紋 二宮 壱粟神社と大笹神社が一つの…
8月3日に美作の史跡巡りを行った。暑い最中の旅である。 最初に訪れたのは、岡山県真庭市社にある大庭八社と言われる神社群である。 大庭八社は、この地域に鎮座する式内社8社のことである。 式内社とは、延長五年(927年)に完成した「延喜式」に記載さ…
田部義民の墓を詣でて、そこから南下する。 ひたすら南に走り、真庭市岩井谷にある真言宗の寺院、別当寺を訪れた。 別当寺本堂 別当寺は、集落の高台にある寺院である。本尊は地蔵菩薩である。 境内にある枝垂桜が満開であった。実に美しい。 枝垂桜 境内に…
徳右衛門御前から北上すると、禾津(いなつ)の集落がある。 集落の中心に、義民の丘と呼ばれる山中一揆で処刑された人々を追悼するための公園がある。 義民の丘 ここはかつて柿の木坂と呼ばれていた。一揆の大将である徳右衛門が津山藩に捕らえられた場所で…
岡山県津山市二宮の路傍に、首なし地蔵と呼ばれる、首のない地蔵が五体祀られている場所がある。 首なし地蔵 ちょっと不気味な気もするが、この五体の地蔵は、享保十一年(1726年)から翌年にかけて発生した山中(さんちゅう)一揆の首謀者で、津山藩により…
勝山の町から北上し、岡山県真庭市神庭(かんば)にある神庭の滝を訪れた。 神庭の滝は、落差約110メートル、幅約20メートルを誇る名瀑であり、国指定名勝、日本の滝100選に選ばれている。 神庭の滝見学路の入口 神庭の滝の水源は、標高約1030メートルの星山…
勝山の町の北側に聳える大総(おおつぶさ)山上に築かれた山城が、高田城である。 高田城跡 上の写真は、城跡を南西から撮ったものだが、手前に流れるのが旭川である。 旭川沿いに、勝山の町並み保存地区の蔵が見える。蔵の石垣に設置された階段を使って河川…
化生寺の西隣には、玉雲大権現という神社がある。 封じ込められた殺生石の妖気を神として祀ったもので、化生寺の鎮守である。 玉雲大権現参道 玉雲大権現の両部鳥居 参道を行くと、華麗な朱色の両部鳥居が出迎えてくれる。 寺院の西隣に、南北に参道を持つ神…
勝山武家屋敷館の見学を終え、勝山の町の北側にある曹洞宗の寺院、玉雲山化生(かせい)寺を訪れた。 玉雲山化生寺 この寺は、人に災いをなした殺生石を封じ込めた寺として知られている。 この寺の縁起は、壮大である。 中国で九千年生きながらえた白面金毛…
明徳寺の参拝を終えて、町並み保存地区に戻り、古い商家の建ち並ぶ通りを歩いた。 うだつ、なまこ壁、連子窓、虫籠窓などを備えた町家が並んでいる。 勝山の町並み保存地区 虫籠窓 町並み保存地区 町中の水路 町中には、細い水路が通っている。 水が豊富でな…
久世から西に行き、JR中国勝山駅に隣接する観光駐車場に車をとめる。 駅前から西に続く新町商店街を歩く。 新町商店街 新町商店街を何気なく歩いていると、旦酒店という酒屋があり、店頭に「文豪谷崎潤一郎疎開地跡」と墨書された掛軸が掛けられていた。 谷…
旧遷喬尋常小学校の見学を終えて、西に走り、真庭市久世(くせ)の中心に至った。 久世は、江戸時代に出雲街道と大山街道が交差する宿場町として繁栄した。 また旭川の河岸に高瀬舟が発着する川湊が置かれ、岡山城下に物資を運び出す拠点となった。 享保十二…
講堂から西側の翼棟に行く。講堂と翼棟の廊下の間には、開き戸がある。 講堂で行事が行われる時には、この戸は閉められたのだろう。 講堂から西翼棟に向かう 講堂と西翼棟の間の開き戸 西側翼棟に入ってすぐに、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のロケに使われた…
校長室から出て、1階廊下を東に歩く。 1階廊下 旧遷喬尋常小学校の廊下には、幅広い松材が使用されている。 使用されている木材は、明治40年の建築当時そのままである。 明治の生徒が歩いた廊下を、今私が歩いている。 途中教室があるが、モダンな家具など…
4月13日に、美作の史跡巡りを行った。 最初に紹介するのは、岡山県真庭市鍋屋にある国指定重要文化財、旧遷喬尋常小学校である。 旧遷喬尋常小学校 明治7年、久世村(真庭市久世)にあった旧津山藩の御蔵(年貢米倉庫)を校舎として、遷喬小学校は開校した…
津山弥生の里文化財センターの2階には、津山市内の古墳から発掘された埴輪が展示されている。 埴輪というと、殆どの人が人型埴輪を想起すると思うが、初期の埴輪は土管のような形をした円筒埴輪であった。 円筒埴輪 円筒埴輪は、古墳の上部に、半ば地面に埋…
弥生時代に田を耕すのに使われていた鋤、鍬といった道具は、木製品であった。 鍬 鋤 えぶり 木製品には、硬い樫の木が使われた。いかに硬い木を使っていたとしても、金属器の方が遥かに作業能率が上だろう。 当時の農業は、大変だったろう。 弥生時代の田は…
11月8日に、今まで行きそびれていた津山市の弥生時代の遺跡と津山弥生の里文化財センターを巡った。 「岡山県の歴史散歩」に載っている遺跡名を、文化財総覧webgisのサイトで検索して位置を特定し、訪問した。 津山盆地からは、弥生時代の遺跡が多く発掘さ…
岡山県真庭市には、中世以降に地域の神楽の興行権を独占し、室町時代に作られた獅子頭を持つ神社が2つある。 一つは真庭市高屋にある天津神社である。 天津神社 天津神社の創建は、和銅三年(710年)と伝わっている。 祭神は、天津神の天児屋(あめのこやね…
真庭市街の南東に標高419メートルの篠向(ささぶき)山が聳えている。 山上に、中世の山城跡である篠向山城跡がある。 篠向山 篠向山城跡には、車で上がることが出来る。山の西側にある岡山県真庭市大庭の集落から、山上に上がる舗装路に入ることが出来る。 …
木山神社、木山寺の参拝を終え、旭川沿いに南下し、真庭市の南端にある吉(よし)の集落に行った。 ここにある真言宗の寺院、今西山法福寺には、岡山県重要無形文化財の吉念仏踊りが伝承されている。 今西山法福寺 ネットで法福寺を検索すると、立派な山門の…