2022-10-01から1ヶ月間の記事一覧

福知山市 大原神社 後編

大原神社境内には、文久三年(1863年)に再建された茅葺、入母屋造りの絵馬殿が建っている。 絵馬殿 この絵馬殿では、昔は人形浄瑠璃や農村歌舞伎が演じられていた。奥に舞台がある。 絵馬殿奥の舞台 また絵馬殿には、古くから奉納された絵馬が多数架かって…

福知山市 大原神社 前編

酒治志神社の参拝を終え、国道173号線を西進すると、再び福知山市に入る。 福知山市三和町大原にある大原神社を訪れた。 大原神社 大原神社は、小高い丘の上にある。今はその小高い丘の側面が石積み擁壁に覆われている。 大原神社の創建は詳らかではない。元…

酒治志神社

生野神社の参拝を終えて、国道9号線を東進し、京都府道9号線に入る。しばらく進むと京都府船井郡京丹波町に入る。 京丹波町三ノ宮にあるのが、酒治志(しゅじし)神社である。 酒治志神社 酒治志神社の境内には、丈高い杉が林立している。 最近私は山に入…

福知山市 生野神社

医王寺の参拝を終えて、再び土師川を渡り、京街道沿いの宿場町、生野の里に向かった。 生野の里は、和泉式部の娘である小式部内侍の歌、「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天橋立」の歌に詠まれている。 生野の集落の奥に、「延喜式」式内社の…

旧坂室山医王寺

大内城跡のある福知山市大内から、国道9号線を東進する。 しばらく進むと、福知山市池田の集落が見えてくる。池田の集落の中央の旧京街道沿いに生えているのが、福知山市指定天然記念物のかごの木・むくの木である。 かごの木・むくの木 かごの木(左)、む…

福知山市 大内城跡 男塚古墳

舞鶴若狭自動車道六人部PAは、小高い丘の上に造られている。この丘からは、城跡や遺跡、古墳などが発掘されている。 まずは、六人部PA(上り)の西側にある大内城跡を訪れた。 大内城跡は、丘陵上に築かれた城跡で、防御機構はそれほどなく、城跡というより…

芦田均記念館 後編

昭和23年3月に誕生した芦田内閣は、短命であった。 内閣が発足してすぐの同年4月、戦後の経済復興のために設立された復興金融公庫から有利な融資を受けるため、昭和電工の社長が、政界や金融界、GHQの高官に多額の献金を行った贈収賄事件が発覚した。昭和…

芦田均記念館 前編

鎌倉山清薗寺を参拝したことで、「兵庫県の歴史散歩」下巻に載る兵庫県側の丹波国の史跡は全て訪問し終えた。 これからは、京都府側の丹波国の史跡巡りが続くことになる。丹波国の面積の2/3は現在の京都府の領域になるので、丹波の史跡巡りはこれからもまだ…

鎌倉山清薗寺 後編

石造灯籠の背後には、本尊の薬師瑠璃光如来を祀る薬師堂(本堂)がある。 貞享三年(1686年)の再建で、丹波市指定文化財である。 薬師堂 薬師堂は、宝形造り、瓦葺、桁行五間、梁間五間の建物である。 清薗寺の開創に関する寺伝はこうである。 第31代用明天…

鎌倉山清薗寺 前編

妙高山から下山し、次なる目的地の兵庫県丹波市市島町下竹田にある真言宗の寺院、鎌倉山清薗寺(せいおんじ)に向かった。 参道の南端には、江戸時代初期の伝説的な彫刻家、左甚五郎が寛永年間(1624~1644年)に建造したと伝わる総門がある。 総門 総門蟇股…

妙高山神池寺 後編

神池寺の常行堂の奥には長い石段が続いている。本堂まで続く石段である。 本堂まで続く石段 苔むした古びた石段である。両側に鬱蒼とした木々が生い茂り、いい雰囲気だ。 石段を登っていくと、仁王門が見えてくる。 仁王門 仁王像 江戸時代以降に再建された…

妙高山神池寺 前編

兵庫県丹波市市島町多利にある妙高山の山頂付近にあるのが、天台宗の寺院、妙高山神池寺である。 妙高山は標高約565メートルだが、山頂付近までは自動車道が延びており、車で上がることが出来る。 妙高山神池寺 寺伝によれば、養老二年(718年)にこの地を訪…

三ッ塚廃寺跡 後編

三ッ塚廃寺跡の東側にライフピアいちじまという公共施設がある。その東側の山際斜面にあるのが、天神窯跡である。 天神窯跡 ここは、三ッ塚廃寺で使う瓦や須恵器を生産していた窯跡である。 斜面に穴を掘って、その上に天井を付けた穴窯の跡である。天神窯跡…

三ッ塚廃寺跡 前編

9月10日に丹波の史跡巡りをした。まだ残暑の厳しい日だったが、丹波は曇り空であった。 国道175号線を北上し、兵庫県丹波市市島町に入り、市島町上田(かみだ)にある三ッ塚廃寺跡を訪れた。 ここは、7世紀後半に開かれて、その後廃寺となった寺の遺跡だが…

近衛殿

昨日の記事で、この地を訪れて亡くなったという伝承が残る近衛経忠について書いた。 中谷神社の西側には、近衛経忠の墓所と言い伝えられる近衛殿という一角がある。鏡野町指定史跡になっている。 近衛殿 近衛経忠は、近衛家の第八代当主で、乾元二年(1302年…

鏡野町 中谷神社

金剛頂寺から西に走ると、吉井川と中谷川が合流する地点に架かる葛下(くずか)橋を渡ることになる。 この辺りはかつて湯指(ゆざす)と呼ばれていた。現在の地名は、岡山県苫田郡鏡野町中谷(なかだに)である。 葛下橋と湯指の船着場址 ここは、江戸時代か…

越畑 蕎麦尾山金剛頂寺

香々美新町から北上し、かつてたたら製鉄が行われていたという越畑という集落を目指した。 香々美新町から越畑までの約16キロメートルの道のりは、「万葉のみち」として整備されている。 「万葉集」に詠まれる150余種の植物のうち、104種の植物が道端に植え…

宝寿山円通寺

桝形山から下山して、酷暑の中車に乗って北上し、岡山県苫田郡鏡野町寺和田にある真言宗の寺院、宝寿山円通寺を訪れた。 宝寿山円通寺 この寺は、弘仁七年(816年)に弘法大師空海が開創したと伝えられている。 美作の密教寺院としては最古の寺院で、「作州…

桝形城跡

香々美新町の地蔵尊の脇から、桝形山への登山道が延びている。 桝形山への登山口 桝形山は、標高約645メートルの秀麗な形をした山である。 桝形山 桝形山の山上に、小早川隆景が築城したと伝わる桝形城跡がある。 築城時期は不明だが、毛利氏が美作に侵攻し…

香々美新町宿

赤峪古墳から進路を北東にとり、江戸時代の宿場町、香々美新町に赴いた。 香々美新町宿 津山藩森氏の時代に、美作津山と伯耆倉吉との間に倉吉街道が整備された。新町は、津山から倉吉街道を伝って倉吉に赴く場合の最初の宿場町であった。 江戸時代には、馬の…

男山 女山 赤峪古墳

大野の整合のすぐ北側に、女山(めんやま)という標高約205メートルの低山があり、その更に北側に男山(おんやま)という標高約260メートルの低山がある。 この2つの山は、鏡野町のシンボル的存在である。山体は、太古の火山活動で噴出した溶岩が固まって形…

観音山古墳 大野の整合

8月21日に美作の史跡巡りを行った。 先ず訪れたのは、岡山県苫田郡鏡野町下原にある観音山古墳である。鏡野町では最古の前方後円墳だ。 観音山古墳への登り口 下原の集落の中にある観音山古墳の登り口から緩やかな坂を登り始める。 この道を真っ直ぐ行くと…