遺跡
龍王滝に向かう途中に、仏足石が祀られている。 仏足石 仏足石は、釈迦の足型を石面に刻んだものである。 初期仏教では、釈迦の像を作ることは恐れ多いこととされていた。仏教徒は、仏足石や菩提樹、仏塔、法輪などを拝んでいた。 この仏足石の中央にも、法…
温泉寺の東隣に、浄土宗の寺院、極楽寺がある。 極楽寺 極楽寺の創建は古く、推古天皇二年(594年)に聖徳太子により建てられたと伝わっている。 それが本当なら、恐らく有馬で最古の寺院になると思われるが、これはあくまで伝説の領域の話だろう。 極楽寺は…
亀岡八幡神社から南下すると、淡路南部を東西に横断する兵庫県道76号線通称南淡路水仙ラインに合流する。 県道76号線を東進し、阿万東町の玉葱畑の中を通ると、産直ねこの郷という玉葱の直売所がある。 その手前(西側)の交差点のあたりが、九蔵遺跡が発掘…
浄源坊の参拝を終えて、レンタサイクルで香川県道253号線を北上する。 香川県小豆郡土庄町伊喜末(いぎすえ)にある伊喜末八幡神社に参拝した。 伊喜末八幡神社広場南側鳥居 伊喜末八幡神社は、海抜約50メートルの丘の上に建つ。丘の南側には、祭りのときに…
小瀬石鎚神社の参拝を終えて、不動山から下り、小豆島西端の県道をレンタサイクルで南に走る。 海の先には、屋島が手が届きそうなほど近くに見える。 海の先にある屋島 県道を南下すると、香川県小豆郡土庄町千軒の集落に入る。集落の東端の山裾に、大坂城石…
12月2日に小豆島の史跡巡りを行った。 小豆島は、香川県に所属する。旧国名で言えば、讃岐国の一部である。 当ブログの史跡巡りも、ついに四国の一角に辿り着いた。 山川出版社「香川県の歴史散歩」 香川県は、兵庫県、岡山県、鳥取県、京都府に次いで、私…
津山弥生の里文化財センターの2階には、津山市内の古墳から発掘された埴輪が展示されている。 埴輪というと、殆どの人が人型埴輪を想起すると思うが、初期の埴輪は土管のような形をした円筒埴輪であった。 円筒埴輪 円筒埴輪は、古墳の上部に、半ば地面に埋…
11月8日に、今まで行きそびれていた津山市の弥生時代の遺跡と津山弥生の里文化財センターを巡った。 「岡山県の歴史散歩」に載っている遺跡名を、文化財総覧webgisのサイトで検索して位置を特定し、訪問した。 津山盆地からは、弥生時代の遺跡が多く発掘さ…
岡山県真庭市には、中世以降に地域の神楽の興行権を独占し、室町時代に作られた獅子頭を持つ神社が2つある。 一つは真庭市高屋にある天津神社である。 天津神社 天津神社の創建は、和銅三年(710年)と伝わっている。 祭神は、天津神の天児屋(あめのこやね…
木山神社、木山寺の参拝を終え、旭川沿いに南下し、真庭市の南端にある吉(よし)の集落に行った。 ここにある真言宗の寺院、今西山法福寺には、岡山県重要無形文化財の吉念仏踊りが伝承されている。 今西山法福寺 ネットで法福寺を検索すると、立派な山門の…
清水寺の参拝を終え、岡山県真庭市鹿田(かつた)にある真言宗の寺院、大寺山勇山寺(いさやまじ)に赴いた。 大寺山勇山寺 勇山寺山門 勇山寺は、神亀三年(726年)に聖武天皇の勅願により創建された。 行基菩薩が、六尺五寸の薬師如来坐像を自ら彫って本尊…
10月1日に淡路の史跡巡りを行った。 今年4月19、20日の記事で、南あわじ市八木馬回にある真言宗の寺院、擁護山成相寺を紹介した。 成相寺を訪れた時、境内に隣接して存在する天野神社に気づかずに参拝せずに終わった。 今回、成相寺を再訪し、その時行きそ…
王墓山古墳の北側の、王墓の丘史跡公園の中に、弥生時代末期である2世紀後半の墳丘墓、楯築(たてつき)遺跡がある。 王墓の丘史跡公園入口 楯築遺跡が築造された2世紀後半は、大和盆地に大和王権が確立される50年以上前である。 日本中に成立していたクニ…
保久良神社の参拝を終えて、神戸市東灘区の史跡巡りが終わった。あとは有馬地域の史跡巡りが残っているが、それを終えれば当ブログの神戸市内の史跡巡りは終結し、次は阪神間地域の史跡巡りに移行する。 有馬の史跡巡りは、次々回の摂津の史跡巡りの機会に回…
5月21日に但馬の史跡巡りをした。 最初に訪れたのは、兵庫県豊岡市気比にある絹巻(きぬまき)神社である。 絹巻神社 絹巻神社は、但馬を南北に縦断するように祀られている但馬五社の一つである。但馬五社は、粟鹿神社、養父神社、出石神社、小田井縣神社と…
岩井滝から南東に進み、国道482号線に出る。 国道482号線は、かつて因幡道と呼ばれた。国道482号線を東進すると、岡山ー鳥取県境にある標高785メートルの辰巳峠に至る。ここを越えると、因幡である。 辰巳峠 岡山県側から鳥取県側を望む 因幡に入り、国道482…
十一大明神神社から西に行く。南あわじ市市新の集落の南側には、南あわじ市特産の玉ねぎ畑が広がる。 木戸原遺跡の辺り この辺りは、古墳時代中期の集落の遺跡である木戸原遺跡が発掘された場所である。 三種の神器と同じ剣・勾玉・鏡を軟らかい滑石という石…
兵庫県南あわじ市八木徳野にある笑原神社東宮から真っすぐ南に下ると、T字路に突き当たる。 このT字の先の畑に、かつて徳野塚村古墳があったと言われている。 徳野塚村古墳のあった辺り 昭和26年に農家が畑を開墾していると、須恵質の陶棺が見つかった。長さ…
覚住寺から南西に行くと、浦壁大池という溜池がある。その周辺は、ナイフ型石器が発見された旧石器時代の遺跡の浦壁遺跡が発掘された場所である。 浦壁遺跡のあった辺り 三原平野には、古くから人が居住していたようだ。 ここから北上し、南あわじ市八木国分…
岡山県苫田郡鏡野町の北西部に位置する富地域は、1000メートル級の山々に囲まれた自然豊かな地域である。 前回紹介した布施神社は、この地域の精神的な拠り所となる大切なお社である。 富地域の中心は、富西谷の富振興センターの辺りになるが、富振興センタ…
弘秀寺から東に行くと、奥津湖が見えてくる。奥津湖は、苫田ダムが吉井川を堰き止めたことにより出来たダム湖である。 奥津湖 この奥津湖の下には、旧苫田郡奥津町の中心だった下原地区が沈んでいる。旧奥津町の人口の約4割が住んでいた地区である。 奥津町…
ハバ古墳のあった南あわじ市立志知小学校から東進し、南あわじ市志知松本にある志知城跡を訪れた。 志知城跡 志知城は、鎌倉時代初めに菅和泉守道忠によって築城されたと伝わっている。南北朝期には、南朝方の志知の武士が、この城を拠点に淡路西浦から京に…
兵庫県南あわじ市志知飯山寺にある真言宗の寺院、雲龍山宝光寺には、永和四年(1378年)の弘鑁(こうばん)上人銘のある錫杖があるとのことだったので訪れた。 雲龍山宝光寺 私が宝光寺を訪れた時は、既に日が傾き始めていた。境内に入って石仏などを眺めて…
日光寺の参拝を終えて、車を北西に走らせる。一路播磨灘を目指した。 兵庫県洲本市五色町鳥飼浦には、海水浴場として名高い五色浜がある。 五色浜 五色浜の砂浜の小石は、近くの礫岩の地層にあるチャートや結晶片岩や砂岩が、波によって洗いだされ、砕かれて…
平等寺の参拝を終え、兵庫県道470号線を北東に走り、兵庫県南あわじ市倭文安住寺にある真言宗の寺院、補陀落(ふだらく)山安住寺を訪れた。 補陀落山安住寺 もともと安住寺は、現在の安住寺を本坊として、東善坊、東光坊、東坊、大門寺、南坊の六坊を持つ大…
やくの玄武岩公園から東進し、福知山市夜久野町高内の集落に入る。 丘の上に福知山市立夜久野学園の小学校がある。夜久野学園は、公立の小中一貫校である。 この小学校の校庭に長者森古墳という円墳がある。 長者森古墳 長者森古墳は、直径約23メートル、全…
昨年の大晦日に丹波の史跡巡りを行った。 今回大晦日に外出してみて分かったが、店や施設は閉まっていても、人や車が少なく、結構快適に史跡巡りを行うことが出来る。こういう大晦日もいいものだ。 さて私がまず赴いたのは、但馬と丹波の国境、今でいう兵庫…
十王峠からUターンして、鳥取市国府町中郷にある因幡国庁跡を目指した。 その手前の国府町庁の集落の中に、大伴家持(やかもち)の歌を刻んだ歌碑がある。 万葉歌碑 大伴家持は、大伴旅人(たびと)の息子で、「万葉集」に多くの和歌を残した同集を代表する…
出石神社の参拝を終えて、出石神社の北側にある此隅山の山麓を巡り、山の北側にあるいずし古代学習館に赴いた。いずし古代学習館は、兵庫県豊岡市出石町袴狭(はかざ)にある出石川防災センターの建物内にある。 出石川防災センター この袴狭周辺には、弥生…
舞鶴若狭自動車道六人部PAは、小高い丘の上に造られている。この丘からは、城跡や遺跡、古墳などが発掘されている。 まずは、六人部PA(上り)の西側にある大内城跡を訪れた。 大内城跡は、丘陵上に築かれた城跡で、防御機構はそれほどなく、城跡というより…