2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧

和久寺廃寺 下山古墳群

天照玉命神社から東に車を走らせて、福知山市和久寺にある和久寺廃寺の跡に赴いた。 和久寺の集落の中央に鹿島神社がある。神社の北側に公園があって、その公園のフェンスに和久寺廃寺の説明板が設置されている。 「京都府の歴史散歩」下巻には、粟島神社の…

島田神社 天照玉命神社

4月23日に丹波の史跡巡りを行った。 最初に訪れたのは、京都府福知山市畑中にある島田神社である。 島田神社 祭神は、稚武王(わかたけおう)命である。聞きなれない名前だが、記紀では、倭建(やまとたける)命と弟橘媛(おとたちばなひめ)との間に若武彦…

鳥取歩兵第40連隊兵営跡 稲葉神社

奥谷城跡のある城山から下りて、車を西に走らせた。 鳥取市立川町にあるLIMNO(旧三洋テクノソリューションズ鳥取株式会社)の敷地は、終戦まで鳥取歩兵第40連隊の兵営のあった場所である。 私がそこを訪れたのは日曜日だったため、門衛はいなかった。だが民…

鳥取藩主池田家墓所 後編 奥谷城跡 宮下52号墳

鳥取藩主池田家墓所の門の手前に、池田家の菩提寺である興禅寺の歴代住職の墓地がある。 興禅寺歴代住職の墓 歴代住職の墓地の隣に、初代藩主光仲の側室だった上野氏勾(こう)とその養子上野忠親の墓所がある。 上野勾の墓(中央)と上野忠親の墓(右側) …

鳥取藩主池田家墓所 前編

寛永九年(1632年)から版籍奉還のあった明治2年(1869年)まで、237年に渡って因幡、伯耆の2ヵ国を治めた鳥取藩主池田家の墓所が、鳥取市国府町奥谷にある。 国指定史跡である。 鳥取藩主池田家墓所の門 鳥取藩の初代藩主は、池田光仲とされている。だが…

伊福吉部徳足比売墓跡

鷺山古墳の見学を終え、甑山西麓の墓地の駐車場に戻った。 車に乗って、鳥取市国府町宮下にある浄土宗の寺院、無量光寺に赴いた。 無量光寺山門 無量光寺本堂 この寺の背後の山中に、この地で生まれて文武朝に仕え、和銅元年(708年)に死去し、和銅三年(71…

甑山城跡 鷺山古墳

稲葉山の南側、袋川と美歎川が合流する地点の右岸側に、甑(こしき)を伏せたような形状の山がある。甑山である。 甑山 甑山の名称の由来は、その山の形からではないようだ。 古代にこの地を征した武内宿禰が、この山の上に甑を据えて、因幡平定の布石として…

稲葉山

旧美歎水源地水道施設の前の道を北上すると、稲葉山の北側に出る。 稲葉山は、標高約249メートルの低山だが、因幡国一宮の宇倍神社の宮山であり、因幡の国名の由来にもなった山である。 稲葉神社から遠望する稲葉山 稲葉山は、因幡国庁跡からもよく眺めるこ…

旧美歎水源地水道施設 後編

貯水池に溜まった水は、粗石モルタル積堰堤の放水口から下流に流される。 堰堤に堰き止められた貯水池 放流される川水 だが水道水として利用される水は、地中に埋められた送水管を使って濾過池に送られ、そこで濾過されて綺麗な水になった。 送水管(左)と…

美歎神社 旧美歎水源地水道施設 前編

高岡神社の参拝を終え、鳥取市国府町美歎(みたに)の集落にある美歎神社を訪れた。 美歎神社 美歎神社の創建は詳らかではないが、貞観十六年(874年)には、朝廷から従五位上の神階を授けられたという記録があることから、平安時代初期には建っていたことだ…

鳥取市 岩坪神社 高岡神社

鳥取市上砂見の集落から西に行くと、岩坪の集落がある。 岩坪集落の西奥に、土地の鎮守の岩坪神社がある。 岩坪神社 境内 昨日の大和佐美命神社の記事で紹介したように、因幡地方の獅子舞は、麒麟獅子舞が主流である。 だがこの岩坪神社には、麒麟獅子舞より…

大和佐美命神社

4月9日に因幡の史跡巡りを行った。 今回紹介するのは、鳥取市中砂見(なかすなみ)字大湯棚と鳥取市上砂見(かみすなみ)にある二座の大和佐美命(おおわさみみこと)神社である。 先に中砂見の大和佐美命神社を訪れた。 中砂見の大和佐美命神社 大和佐美…

南あわじ市 大炊神社

十一大明神神社から西に行く。南あわじ市市新の集落の南側には、南あわじ市特産の玉ねぎ畑が広がる。 木戸原遺跡の辺り この辺りは、古墳時代中期の集落の遺跡である木戸原遺跡が発掘された場所である。 三種の神器と同じ剣・勾玉・鏡を軟らかい滑石という石…

諾宮神社 十一大明神神社

三條八幡神社から東に約200メートル歩いた南あわじ市市市(いちいち)の集落の中に、諾宮(わかみや)神社がある。 神社と言っても、鳥居もなく、小さな石の祠があるだけの場所である。目印は大きな石碑である。 諾宮神社の碑 諾宮神社のある場所は、かつて…

淡路人形浄瑠璃資料館 後編 三條八幡神社

最盛期の江戸時代中期には40座以上を数えた淡路人形座だったが、江戸時代後期には21座、明治40年には10座、戦後の昭和24年には5座まで減少した。 座の数は減ったが、淡路人形浄瑠璃は、戦後になっても、淡路の娯楽の一つとして人々に楽しみを与えた。 庶民…

淡路人形浄瑠璃資料館 前編

事代主神社から南に歩き、南あわじ市市三條にある南あわじ市淡路人形浄瑠璃資料館を訪れた。 淡路人形浄瑠璃資料館 資料館のある建物は、南あわじ市の中央公民館で、1階には図書館が入っている。2階に資料館がある。 淡路人形浄瑠璃資料館の入口 淡路人形…

野辺の宮 丘の松 事代主神社

一葉塚から南に約300メートル歩くと、右手に公園のようなものが見えてくる。 淡路に配流となった第47代淳仁天皇が幽閉された場所とされる野辺の宮である。南あわじ市市十一ヵ所にある。 野辺の宮 淳仁天皇は、天武天皇の第七子舎人親王の子で、大炊(おおい…

屯倉神社跡 府中八幡神社

天の浮橋から約150メートル南下した、南あわじ市榎列大榎列の集落の中に、屯倉(みやけ)神社跡がある。 屯倉神社跡 屯倉とは、朝廷の直轄領のことである。ここで収穫された作物は、朝廷に納められた。屯倉には、朝廷に納める品物を保管する倉があった。 「…

おのころ島神社

神本寺と同じ南あわじ市榎列下幡多(えなみしもはた)にあるのが、おのころ島神社である。 おのころ島神社の巨大な鳥居 記紀神話によると、日本の国土の生みの親である伊邪那岐命と伊邪那美命が、天の浮橋に立って、天の沼矛(ぬぼこ)を用いて海原をかき回…