2024-07-01から1ヶ月間の記事一覧
西宮神社の参拝を終え、西宮市川添町にある西宮郷土資料館を訪れた。 西宮市郷土資料館のある西宮市教育文化センター 西宮市立郷土資料館は、西宮市立中央図書館などの入る西宮市教育文化センターの中にある。 西宮市内の遺跡から発掘された遺物や、生瀬(な…
さて、いよいよ西宮神社の拝殿と本殿を紹介したいところなのだが、私が訪れた日は、残念ながら拝殿、本殿は改修工事中であった。 改修中の拝殿と本殿 かろうじて銅板葺の拝殿の屋根が見えるのみで、本殿は覆いに覆われて全く見えなかった。 拝殿の屋根 仕方…
境内を歩いていると、灘五郷の酒造業者が奉納した酒樽が並べられている棚がある。 奉納された酒樽 酒造蔵に行くと、必ずと言っていいほど神棚が祀られている。酒造りも、神々の加護があって初めて上手く行くということだろう。 これらの酒樽は、神への感謝の…
西宮神社には、数多くの摂社、末社がある。 国指定重要文化財の表大門の前には、梅宮(うめのみや)神社がある。 梅宮神社 梅宮神社の祭神は、酒解(さけとけ)神である。娘の木花咲耶(このはなのさくや)姫の安産を祝って、日本で初めて酒を醸したことから…
芦屋市の史跡巡りを終え、東隣の西宮市に入った。 西宮を代表するお社である西宮神社を訪れた。西宮市社家町にある。 西宮神社 西宮神社の創建については、詳しいことは分かっていない。 平安時代末期に高倉上皇が幣帛を奉ったという記録が残されている。 祭…
阿保親王塚古墳の南側、翠ヶ丘台地の先端部に当たる芦屋市打出小槌町からは、打出小槌遺跡が発掘された。 打出小槌遺跡が発掘された辺り 打出小槌遺跡からは、約2万年前の石器である、国府(こう)型ナイフ形石器が発掘された。 芦屋市内で最古の出土品であ…
芦屋市翠ヶ丘町の町並みの中に、鬱蒼と茂る樹々の固まりがある。 第51代平城天皇の第一皇子、阿保親王の陵墓とされる阿保親王塚古墳である。 阿保親王塚古墳 平城天皇は、退位して上皇となった後、寵愛した藤原薬子に唆され、弟の第52代嵯峨天皇に対して兵を…
芦屋市業平町にある芦屋市民センターの敷地には、徳川秀忠が元和六年(1620年)に諸大名に再建工事を命じた大坂城の石垣用石材が展示されている。 この石材は、芦屋市西山町で見つかったものである。 芦屋市民センターの大坂城刻印石 大坂城刻印石の説明板 …
階段で4階に上がると、食堂がある。 食堂のドア 食堂は、暖炉を中心に左右対称の形をしている。 欧米では、食堂は儀式の場であり、厳粛な気持ちになるように造られているのだという。 暖炉 食堂のテーブル 食堂西側 食堂の天井は、中央部が最も高い船底形を…
3階の奥には、寝室3室と婦人室1室がある。 とは言え、今は寝室としては使われておらず、往時の面影はない。 最も南側の寝室には、部屋の中央に当時あったものを再現した机と椅子が置かれていて、書斎のような雰囲気を出している。 南側寝室の入口 南側寝…
和室西側の廊下の突き当りを右折すると、靴箱がある。 ここからが、ヨドコウ迎賓館が個人の住宅だった時代の家族の生活スペースである。 靴箱 廊下を挟んで、この靴箱の向かい側に、洗面室や浴室などがある。 靴箱(右)と洗面室(左)の窓 洗面室の窓 先ず…
2階応接室、給湯室の見学を終え、3階に上がる。 3階への階段 3階に上がると、最初に広間に導かれる。広間は、三間ある和室の南側にある空間で、広い窓がついた開放的な場所である。 広間の中央には、ヨドコウ迎賓館の模型が置かれている。 広間 ヨドコウ…
ヨドコウ迎賓館の2階には、この建物の顔とも言える応接室がある。 応接室の入口 応接室の入口は狭い。そのため、応接室に入ると、部屋を広く感じる。フランク・ロイド・ライトの工夫した空間作りである。 応接室 応接室は、南北に長く伸びた形をしている。…
芦屋市山手町の斜面に建つ国指定重要文化財、ヨドコウ迎賓館を見学した。 ヨドコウ迎賓館 ヨドコウ迎賓館は、大正7年に、灘の酒造家・山邑太左衛門が、来日中の米国の建築家フランク・ロイド・ライトに、別邸として設計を依頼した建物である。 フランク・ロ…
芦屋市の中央を貫流する芦屋川沿いには、数多くの石碑が存在する。 今回は、そんな石碑などを紹介していく。 芦屋川中流に架かる開森橋の東詰には、谷崎潤一郎の「細雪」に因む細雪碑がある。 題字は潤一郎の妻の松子が書いている。 細雪碑 「細雪」の舞台と…
6月9日に摂津の史跡巡りを行った。 兵庫県の芦屋市と西宮市の史跡を巡った。 最初に訪れたのは、兵庫県芦屋市東芦屋町にある芦屋神社である。 芦屋神社 芦屋神社の祭神は、天照大御神の第二子天穂日(あめのほひ)命である。 祭神名を刻んだ石柱 天穂日命…
箕浦家武家門の東側に、鳥取県教育界の父として敬愛されている遠藤董(ただす)の像がある。 遠藤董胸像 遠藤董は、嘉永六年(1853年)に鳥取市材木町にて、鳥取藩士の子として生まれた。 鳥取盲唖学校、鳥取女学校、鳥取県立図書館の前身である公共図書館を…
鳥取市尚徳町の北西角に、鳥取藩の重臣箕浦家の屋敷にあった箕浦家武家門がある。 箕浦家武家門 箕浦家は、鳥取藩の番頭格だった家で、箕浦家屋敷は現在の鳥取市立久松小学校の敷地にあった。 鳥取市立久松小学校 箕浦家武家門は、明治時代半ばから、箕浦家…
一行寺に隣接して、浄土宗の寺院、久松山真教寺がある。 寺伝によれば、天文十四年(1545年)に布施天神山城主山名誠通(のぶみち)が、久松山に築城するに際し、鎮守として建立したという。 久松山真教寺 又この寺院は、吉川経家の菩提所でもある。 境内 本…
若桜街道の新町入口交差点から南東に行くと、正面に浄土宗の寺院、三昧山一行寺の山門が見えてくる。地名で言うと、鳥取市戎町にある。 一行寺 山門 山門に掲げられた扁額 一行寺は、往古は鳥取近郊の田島にあったそうだ。天正五年(1577年)に鳥取城下の栗…