因幡
芳心寺の北隣に、臨済宗の寺院、龍徳山大隣寺がある。 大隣寺遠景 大隣寺山門 この寺の境内には、十六羅漢石像や、宝暦六年(1756年)に建てられた三界万霊塔があるという。 山門に近づいてみて驚いた。山門に「境内撮影禁止」と書かれた札が掛かっている。 …
樗谿公園の出入口から出て、狭い道を北上し、鳥取市馬場町にある日蓮宗の寺院、大宝山芳心寺の門前に至った。 大宝山芳心寺 この寺は、天文十三年(1544年)に、京都妙顕寺第十世僧正龍華院日廣上人が備前国庭瀬口に開基し、正福寺と称した。 その後、正福寺…
王子の池の前に、鳥取東照宮の随神門がある。 寛永九年(1632年)に岡山藩主池田忠雄が死去したが、息子の光仲はまだ3歳と幼かった。 幼少の光仲に岡山藩の統治は無理だと判断した徳川3代将軍家光は、鳥取藩主池田光政を岡山藩主とし、光仲を鳥取藩主とす…
鳥取市歴史博物館やまびこ館の見学を終えて外に出ると、カッとした日差しが降り注ぎ、一日の気温が最高に達する時間であった。 鳥取市歴史博物館自体が、樗谿(おうちだに)公園の中にある。 樗谿は、谷間の名前である。樗谿の奥には、かつて王寺という寺院…
奈良時代に入ると、律令制が布かれ、因幡にも国衙(国庁)ができた。 国衙には、中央から国司(守)、次官(介)、補佐(掾)といった役職の者が派遣され、地元豪族出身者を郡司、郷司として採用し、地方政治が行われた。 都から近い因幡には、大伴家持や在…
鳥取東照宮のある樗谿公園の一角に、鳥取市内の遺跡や古墳などから発掘された遺物を収蔵・展示する鳥取市立歴史博物館やまびこ館がある。 鳥取市歴史博物館やまびこ館 私は、この建物の中にあるレストラン「ヒストリア」で昼食を摂った。 この日の午前中、炎…
広徳寺の前には、顕本法華宗の寺院、富中山法泉寺がある。 法泉寺 法泉寺も、寛文九年(1632年)の藩祖池田光仲の国替えに従って、岡山から鳥取に移ってきた寺院である。 8歳で夭折した光仲の末娘伊佐子の菩提寺として重んじられたという。 「鳥取県の歴史…
観音院の参拝を終え、観音院の南隣に建つ臨済宗の寺院、龍峰山広徳寺を訪れた。 鳥取市立川町1丁目にある。 広徳寺 この寺も、寛永九年(1632年)の池田光仲の国替えに際して、岡山から鳥取に移った寺院である。 当初は栗谷にあったが、東照宮の勧請に際し…
立川吉村家住宅を眺めた後、鳥取市上町にある天台宗の寺院、補陀落山慈眼寺観音院に赴いた。 この寺は、国指定名勝の観音院庭園で名高い。 観音院の参道 観音院鐘楼門 観音院は、寛永九年(1632年)に池田光仲が備前から因幡に国替えとなった時、光仲に従っ…
7月30日に因幡の史跡巡りを行った。 暑い盛りで、鳥取市は猛暑日だった。 最初に訪れたのは、鳥取市立川町4丁目にある天台宗の寺院、乾向山東隆寺大雲院である。 大雲院 東隆寺大雲院の開基は鳥取藩藩祖池田光仲で、開山は光仲の従弟の池田公侃(こうかん…
奥谷城跡のある城山から下りて、車を西に走らせた。 鳥取市立川町にあるLIMNO(旧三洋テクノソリューションズ鳥取株式会社)の敷地は、終戦まで鳥取歩兵第40連隊の兵営のあった場所である。 私がそこを訪れたのは日曜日だったため、門衛はいなかった。だが民…
鳥取藩主池田家墓所の門の手前に、池田家の菩提寺である興禅寺の歴代住職の墓地がある。 興禅寺歴代住職の墓 歴代住職の墓地の隣に、初代藩主光仲の側室だった上野氏勾(こう)とその養子上野忠親の墓所がある。 上野勾の墓(中央)と上野忠親の墓(右側) …
寛永九年(1632年)から版籍奉還のあった明治2年(1869年)まで、237年に渡って因幡、伯耆の2ヵ国を治めた鳥取藩主池田家の墓所が、鳥取市国府町奥谷にある。 国指定史跡である。 鳥取藩主池田家墓所の門 鳥取藩の初代藩主は、池田光仲とされている。だが…
鷺山古墳の見学を終え、甑山西麓の墓地の駐車場に戻った。 車に乗って、鳥取市国府町宮下にある浄土宗の寺院、無量光寺に赴いた。 無量光寺山門 無量光寺本堂 この寺の背後の山中に、この地で生まれて文武朝に仕え、和銅元年(708年)に死去し、和銅三年(71…
稲葉山の南側、袋川と美歎川が合流する地点の右岸側に、甑(こしき)を伏せたような形状の山がある。甑山である。 甑山 甑山の名称の由来は、その山の形からではないようだ。 古代にこの地を征した武内宿禰が、この山の上に甑を据えて、因幡平定の布石として…
旧美歎水源地水道施設の前の道を北上すると、稲葉山の北側に出る。 稲葉山は、標高約249メートルの低山だが、因幡国一宮の宇倍神社の宮山であり、因幡の国名の由来にもなった山である。 稲葉神社から遠望する稲葉山 稲葉山は、因幡国庁跡からもよく眺めるこ…
貯水池に溜まった水は、粗石モルタル積堰堤の放水口から下流に流される。 堰堤に堰き止められた貯水池 放流される川水 だが水道水として利用される水は、地中に埋められた送水管を使って濾過池に送られ、そこで濾過されて綺麗な水になった。 送水管(左)と…
高岡神社の参拝を終え、鳥取市国府町美歎(みたに)の集落にある美歎神社を訪れた。 美歎神社 美歎神社の創建は詳らかではないが、貞観十六年(874年)には、朝廷から従五位上の神階を授けられたという記録があることから、平安時代初期には建っていたことだ…
鳥取市上砂見の集落から西に行くと、岩坪の集落がある。 岩坪集落の西奥に、土地の鎮守の岩坪神社がある。 岩坪神社 境内 昨日の大和佐美命神社の記事で紹介したように、因幡地方の獅子舞は、麒麟獅子舞が主流である。 だがこの岩坪神社には、麒麟獅子舞より…
4月9日に因幡の史跡巡りを行った。 今回紹介するのは、鳥取市中砂見(なかすなみ)字大湯棚と鳥取市上砂見(かみすなみ)にある二座の大和佐美命(おおわさみみこと)神社である。 先に中砂見の大和佐美命神社を訪れた。 中砂見の大和佐美命神社 大和佐美…
今回の因幡の史跡巡りの最後に訪れたのは、因幡国一宮の宇倍神社である。 宇倍神社は、大化四年(648年)の創建と伝えられる。旧社格は、国幣中社である。 宇倍神社 一の鳥居 参道 私は今までの史跡巡りで、播磨国一宮の伊和神社、淡路国一宮の伊弉諾神宮、…
因幡国庁跡から南下すると、鳥取市国府町国分寺の集落がある。 その中に、黄檗宗の寺院、最勝山国分寺がある。 最勝山国分寺 この寺院は、天平十三年(741年)に聖武天皇が鎮護国家を祈念して、全国六十余国に建立した国分寺の一つである因幡国分寺の跡を継…
十王峠からUターンして、鳥取市国府町中郷にある因幡国庁跡を目指した。 その手前の国府町庁の集落の中に、大伴家持(やかもち)の歌を刻んだ歌碑がある。 万葉歌碑 大伴家持は、大伴旅人(たびと)の息子で、「万葉集」に多くの和歌を残した同集を代表する…
酒賀神社の参拝を終え、鳥取市国府町雨滝にある日本の滝百選の一つ、雨滝に向かった。 雨滝の近くには、標高690メートルの山上にある七曲城跡がある。 駐車場に車をとめると、正面に七曲城跡のある山が見えた。 七曲城跡 円錐状の綺麗な山容の山である。 駐…
栃本廃寺跡から約3キロメートル南下した山中に、酒賀(すが)神社がある。地名で言うと、鳥取市国府町菅野になる。 酒賀神社参道入口 酒賀神社は、六国史の一つである「日本三大実録」に記載のある神社で、国史現在社(国史に記載がありながら現存する神社…
山崎城跡の見学を終えて、車で東に走る。 鳥取市国府町栃本にある国指定史跡・栃本廃寺跡に立ち寄った。 栃本廃寺跡 栃本廃寺跡は、鳥取県と兵庫県の県境に聳える標高1310メートルの扇ノ山に連なる山系の麓付近にある。 ここは昔から塔心礎が2つ露出してい…
中河原の集落の東側に聳える標高約242メートルの山上にあるのが、山崎城跡である。 山崎城跡 山崎城跡は、鳥取県下最大のロックフィルダム、殿ダムのすぐ南西側にある。 殿ダム 殿ダムは、高さ約75メートルの堰堤の一面が石で覆われた、なかなか壮大な建造物…
鳥取市国府町新井の集落から東に行くと、松尾の集落がある。 この集落の奥に、モダンな鉄筋コンクリート造の白い建物がある。国指定重要文化財の木造薬師如来坐像と両脇侍坐像や木造吉祥天立像を収蔵する学行院である。 学行院 今の学行院は、僧侶が常駐する…
鳥取市国府町岡益の北側にある国府町玉鉾集落の西側の田んぼから、昭和38年の圃場整備中に、廃寺の瓦、礎石、鴟尾が発掘された。 礎石の配置や出土遺物から、白鳳時代の寺院跡であることが分かった。等ヶ坪廃寺跡と呼ばれている。 等ヶ坪廃寺跡の発掘された…
岡益の石堂から県道を挟んで南東側にある丘陵上に、7世紀前半に築造された梶山古墳がある。 梶山古墳 梶山古墳は、変形八角形の古墳である。墳丘の周囲を外護列石が石垣状に囲んでいて、その前方に祭祀に使われたと見られる方形壇がある。方形壇も、玄武岩…