因幡

霊石山 後編

源範頼の墓の近くに、最勝寺の奥の院がある。奥の院は、昭和30年まで最勝寺があった場所である。 建物が無くなって、まるで廃寺のようである。 最勝寺奥の院 かつてお堂が建っていたと思われる場所には石垣があり、石段がある。 石段 石は建設に使われる素材…

霊石山 前編

慶長五年(1600年)に関ヶ原の合戦で功績を上げた亀井茲矩(これのり)は、同年因幡鹿野城主となり鹿野藩の初代藩主となった。 因幡の千代川は、古代から洪水を多発させた暴れ川で、亀井茲矩が藩主になったころの鳥取平野は、川の氾濫と農業用水の便の悪さか…

嶽古墳 売沼神社

大義寺の参拝を終えて北上し、鳥取市河原町曳田(ひけた)にある嶽(だけ)古墳と売沼(めぬま)神社を訪れた。 ここは、大国主神の妻となった八上姫(八上比売)ゆかりの地である。 大国主神と八上姫の婚姻物語は、「古事記」の稲羽の素兎(いなばのしろう…

大安興寺 大義寺

能引寺の虎御前の墓に手を合わせた後、再び鳥取市用瀬町に戻った。鷹狩にある真言宗の寺院、医王山大安興寺を訪れた。 大安興寺は、かつては今の寺の背後にある医王山上に伽藍があったが、昭和になって麓に移った。 医王山 7世紀に播磨や丹波にて数多くの寺…

虎石山能引寺 

大江神社から南下し、鳥取県八頭郡八頭町下野にある臨済宗の寺院、虎石山能引寺に行った。 虎石山能引寺 参道脇の地蔵尊 能引寺は、日本三大仇討の一つとされる、曽我兄弟の仇討ちと関連がある。因みに日本三大仇討の他の2つは、元禄赤穂事件と伊賀越の仇討…

万照山多宝寺 大江神社

景石城跡の見学を終え、山から下りて車を走らせた。 次なる目的地は、鳥取県八頭郡八頭町船岡殿にある真言宗の寺院、万照山多宝寺である。 万照山多宝寺 多宝寺は、和銅三年(710年)に行基菩薩により開基されたと伝えられている。 創建時は、根本山万照寺と…

景石城跡

三角山神社奥宮本殿の参拝を終えて下山し、三角山と景石城跡のある城山との分岐点のある中鳥居に戻った。 そこから北上し、景石城跡を目指した。 景石城跡への道 尾根道を進んで行く。三角山と城山の中間地点には、子持ち松砦跡がある。 子持ち松砦跡 子持ち…

三角山神社 後編

中鳥居を潜れば、そこからは三角山神社奥宮の結界である。 登山道も急になり、巨石が目につき始める。 三角山の巨石 女人堂から山頂までの行程の2/3のあたりには、かつて修験行者が雨露をしのぐために建てた籠り堂の跡である、仙行者(せんのぎょうじゃ)と…

三角山神社 前編

用瀬の町のどこからでも目に入るのが、山頂に三角(みすみ)山神社が建つ三角山(頭巾山)である。 三角山は、標高約508メートルで、頭巾(ときん)山という別名がある。その名の通り、山頂付近が頭巾を被った頭のような形をしている。 麓から山容全体を写し…

もちがせ流しびなの館

以前の因幡の旅で、宿場町の用瀬(もちがせ)を訪れたが、前回訪れることが出来なかった史跡に行くため、再度用瀬を訪ねた。 私が再度用瀬を訪れたのは10月17日で、残念ながら大雨の日であった。この日、寒冷前線が日本列島を覆い、気温が一挙に低下した。夏…

用瀬宿

鳥取市用瀬(もちがせ)町用瀬は、江戸時代には宿場町であった。 用瀬宿は、智頭宿から鳥取城に向かった場合の次の宿場町である。当時の戸数は約280戸、人口は約1000人を数えたという。 本陣、牢屋、制札場が設けられ、十数匹の駅馬も用意されていた。 用瀬…

熊野神社遺跡 後編

小さな鳥居を過ぎて参道を行くと、道が二手に別れている。 左に行くと、燈明の塔と呼ばれる巨石の上に載った石塔がある。 燈明の塔への道 燈明の塔と巨石 燈明の塔は、二つに割れた巨石の上に載っている。 ここではこの岩の間を通ることで、今までの人生で積…

熊野神社遺跡 前編

「鳥取県の歴史散歩」によれば、佐治四郎重貞が根拠地とした場所の一つが、鳥取市佐治町大井にある熊野神社遺跡であるという。 どんな場所か分らぬが、取り敢えず行ってみることにした。 訪れてみると、今まで見たこともないような不思議な史跡であった。 熊…

佐治谷

用瀬(もちがせ)の宿場町から西に向かって佐治川沿いを走ると、俗に佐治谷七里と呼ばれる東西に細長い佐治町に入る。 佐治川 佐治谷には、佐治川沿いに小さな集落が続いている。この地を開拓したのは、鎌倉時代に佐治谷の地頭職になった武家の佐治氏である…

瑠璃山東光寺

犬山神社から北上し、鳥取市用瀬町古用瀬にある真言宗の寺院、瑠璃山東光寺を訪れた。 瑠璃山東光寺 東光寺は、和銅元年(708年)に行基菩薩が開基したと伝えられている。当初の寺号は、瑠璃山長福寺といった。 その後2度の火災に遭ったが、鳥取藩主池田光…

鳥取市 犬山神社

唐櫃城跡から智頭の町に戻り、そこから国道53号線を北上した。 鳥取県鳥取市用瀬(もちがせ)町宮原にある犬山神社を訪れた。 私が鳥取市内の史跡を訪れたのは、これが初めてである。 犬山神社参道 犬山神社は、標高905メートルの篭山の北北東の尾根上にある…

唐櫃城跡

香音寺城跡から北上し、鳥取県八頭郡智頭町大字木原にある唐櫃城跡を訪れた。 唐櫃城跡 唐櫃城跡案内板 唐櫃城跡は、標高299メートルの岩谷山の山上にある。とは言え、元々このあたりの標高が高いので、平地との実際の高低差は約60メートルほどである。 国道…

光恩寺跡 香音寺城跡

那岐神社からJR因美線那岐駅前に戻った。 那岐駅の東側にはトンネルがある。そのトンネルのある山上に、かつて光恩寺という禅寺があったという。 光恩寺のあった山 因美線那岐駅 那岐駅の木製改札 この那岐駅は、駅舎内に診療所があり、集落に住む住民の拠り…

智頭町 極楽寺 那岐神社

私が住む兵庫県に、新型コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言が発出されたのが8月20日である。 その前日の8月19日に、因幡の史跡巡りをした。 前回の美作の史跡巡りも台風で雨降りしきる中だったが、今回も雨の中の史跡巡りとなった。 まず訪れ…

宇谷山豊乗寺

上板井原集落から再び智頭宿に下りてきた。智頭宿から西にしばらく行った篭山の山麓にある真言宗の寺院、宇谷山豊乗寺(ぶじょうじ)を訪れた。 地名で言えば、鳥取県八頭郡智頭町新見にある。 豊乗寺 豊乗寺は、嘉祥年間(848~851年)に、弘法大師空海の実…

上板井原集落

石谷家住宅の見学を終え、智頭宿を散策した後、スイフトスポーツで鳥取県八頭郡智頭町市瀬板井原にある上板井原(かみいたいばら)集落を目指して走る。 上板井原集落は、牛臥山の北側の山腹にある集落である。標高約430メートル、智頭の町からでも約130メー…

石谷家住宅 その5

2階の廊下を洗面室と反対の方向に行くと、突き当りに表の間がある。 表の間に向かう 表の間 表の間の床柱と床脇 表の間は、山で樹を守る仕事をしていた山番たちの新年会に使われた部屋だという。 この表の間の欄間の彫刻が、山陰らしくて面白かった。 隠岐…

石谷家住宅 その4

石谷氏庭園をしばし眺めてから、石谷家住宅の2階へ上がる。 ある意味で、この建物の最大の特色は、2階へ上る階段にある。 洋風螺旋階段 石谷家住宅は、典型的な和風建築だが、階段は洋風の螺旋階段である。あくまでも洋風の木造階段で、和テイストを色濃く…

石谷家住宅 その3

和室応接の見学を終え、奥にある新建座敷への畳敷きの渡り廊下を行く。 畳敷きの渡り廊下 この渡り廊下の左手に、江戸時代の書家・市河米庵の書が書かれた屏風がある。 市河米庵の書 市河米庵は、安永8年(1779年)から安政五年(1858年)を生きた書家であ…

石谷家住宅 その2

主屋の土間から一段上がると囲炉裏の間がある。 囲炉裏の間 囲炉裏の間の大黒柱と鴨居の梁は、ケヤキ材である。 囲炉裏の間は、石谷家家族の内玄関でもあり、出入りの人達と家人との情報交換の場でもあった。 囲炉裏の間 見上げると、赤松の梁組があるが、こ…

石谷家住宅 その1

最近書店で、アレックス・カーという方が書いた、「ニッポン巡礼」(集英社新書ヴィジュアル版)という写真が豊富に載った本を手に取って読んでみた。その中で、鳥取県八頭郡智頭町智頭の石谷家住宅のことが紹介してあった。 石谷家住宅 アレックス・カー氏…

智頭宿 後編

智頭宿と言えば石谷家住宅だが、その近辺にも風情ある民家が立ち並んでいる。 智頭宿の民家 智頭宿の庄屋であった石谷家は、塩屋という屋号を持っていた。 塩屋本家の石谷伝三郎の次男吉兵衛が、天保年間(1831~1845年)に別家を立てて店を起こし、塩屋出店…

智頭宿 前編

智頭宿は、江戸時代に宿場町として栄えた町である。 鳥取藩池田家の参勤交代の行列が江戸に往来する際は、この町の本陣に杖を留めた。 智頭宿 鳥取城下から智頭宿に至れば、ここから道は二股に分かれる。現在の国道373号線を通って志戸坂峠を越えて播州姫路…

智頭町 諏訪神社

芦津渓谷の散策を終え、宿場町智頭に赴く。 先ずは智頭宿の鎮守と言ってもいい諏訪神社を紹介する。諏訪神社は、智頭の町の北側に聳える牛臥山の麓にある。 諏訪神社参道入口 智頭を代表する建造物、石谷家住宅の裏側から諏訪神社の参道が始まる。 諏訪神社…

芦津渓谷

虫井神社から北に行き、途中右折して北股川沿いに車を走らせる。北股川に沿って断崖がそそり立ち、淵や瀬、滝が連続する芦津渓谷を訪れた。鳥取県八頭郡智頭町芦津にある。 芦津渓谷は、氷ノ山後山那岐山国定公園の一部である。 芦津渓谷に沿って、中国自然…