因幡
今回の因幡の史跡巡りの最後に訪れたのは、因幡国一宮の宇倍神社である。 宇倍神社は、大化四年(648年)の創建と伝えられる。旧社格は、国幣中社である。 宇倍神社 一の鳥居 参道 私は今までの史跡巡りで、播磨国一宮の伊和神社、淡路国一宮の伊弉諾神宮、…
因幡国庁跡から南下すると、鳥取市国府町国分寺の集落がある。 その中に、黄檗宗の寺院、最勝山国分寺がある。 最勝山国分寺 この寺院は、天平十三年(741年)に聖武天皇が鎮護国家を祈念して、全国六十余国に建立した国分寺の一つである因幡国分寺の跡を継…
十王峠からUターンして、鳥取市国府町中郷にある因幡国庁跡を目指した。 その手前の国府町庁の集落の中に、大伴家持(やかもち)の歌を刻んだ歌碑がある。 万葉歌碑 大伴家持は、大伴旅人(たびと)の息子で、「万葉集」に多くの和歌を残した同集を代表する…
酒賀神社の参拝を終え、鳥取市国府町雨滝にある日本の滝百選の一つ、雨滝に向かった。 雨滝の近くには、標高690メートルの山上にある七曲城跡がある。 駐車場に車をとめると、正面に七曲城跡のある山が見えた。 七曲城跡 円錐状の綺麗な山容の山である。 駐…
栃本廃寺跡から約3キロメートル南下した山中に、酒賀(すが)神社がある。地名で言うと、鳥取市国府町菅野になる。 酒賀神社参道入口 酒賀神社は、六国史の一つである「日本三大実録」に記載のある神社で、国史現在社(国史に記載がありながら現存する神社…
山崎城跡の見学を終えて、車で東に走る。 鳥取市国府町栃本にある国指定史跡・栃本廃寺跡に立ち寄った。 栃本廃寺跡 栃本廃寺跡は、鳥取県と兵庫県の県境に聳える標高1310メートルの扇ノ山に連なる山系の麓付近にある。 ここは昔から塔心礎が2つ露出してい…
中河原の集落の東側に聳える標高約242メートルの山上にあるのが、山崎城跡である。 山崎城跡 山崎城跡は、鳥取県下最大のロックフィルダム、殿ダムのすぐ南西側にある。 殿ダム 殿ダムは、高さ約75メートルの堰堤の一面が石で覆われた、なかなか壮大な建造物…
鳥取市国府町新井の集落から東に行くと、松尾の集落がある。 この集落の奥に、モダンな鉄筋コンクリート造の白い建物がある。国指定重要文化財の木造薬師如来坐像と両脇侍坐像や木造吉祥天立像を収蔵する学行院である。 学行院 今の学行院は、僧侶が常駐する…
鳥取市国府町岡益の北側にある国府町玉鉾集落の西側の田んぼから、昭和38年の圃場整備中に、廃寺の瓦、礎石、鴟尾が発掘された。 礎石の配置や出土遺物から、白鳳時代の寺院跡であることが分かった。等ヶ坪廃寺跡と呼ばれている。 等ヶ坪廃寺跡の発掘された…
岡益の石堂から県道を挟んで南東側にある丘陵上に、7世紀前半に築造された梶山古墳がある。 梶山古墳 梶山古墳は、変形八角形の古墳である。墳丘の周囲を外護列石が石垣状に囲んでいて、その前方に祭祀に使われたと見られる方形壇がある。方形壇も、玄武岩…
鳥取市国府町岡益に、曹洞宗の寺院、長通寺がある。 この寺院は、後に紹介する岡益廃寺の瓦などを保管している。 長通寺参道 豊珠観世音菩薩像 長通寺 長通寺本堂 本堂向拝の彫刻 この長通寺の南側の丘陵上に、岡益の石堂という特異な建造物がある。 岡益の…
10月30日に因幡の史跡巡りをした。 最初に訪れたのは、前回の因幡の史跡巡りで発見することが出来なかった空山15、16号墳である。 空山15、16号墳は、大小七十数基を数える空山古墳群のうちの2つの古墳である。 鳥取市広岡にある広岡農場から広域農道を西に…
倉田八幡宮の参拝を終えて北上し、鳥取市正蓮寺にある面影山という小山に向かう。 この山の西麓に建つ面影神社の鳥居の手前に、鳥取県指定保護文化財である木造毘沙門天立像、木造吉祥天立像を祀る毘沙門堂がある。 毘沙門堂 毘沙門堂は、新しい建物である。…
橋本38号墳から北上し、鳥取市馬場に鎮座する倉田八幡宮に向かう。 社に近づくと、神社を包む鬱蒼とした社叢が目につく。 倉田八幡宮社叢は、約1ヘクタールの広さを擁する、常緑広葉樹と落葉広葉樹の大径木が混在する森林である。 鳥取平野の森林は、水田開…
六部山3号墳の北西には、同時代の前方後円墳である古郡家(ここおげ)1号墳がある。地名で言うと、鳥取市古郡家になる。 古郡家1号墳の後円部付近 古郡家1号墳は、全長約92.5メートルの因幡最大の前方後円墳である。 後円部に3基の埋葬施設があり、それ…
意上奴神社の参拝を終えて、近くにあるという空山15、16号墳を見学しようと空山の遊歩道を歩いたが、古墳を見つけることが出来なかった。 空山の斜面は、梨の畑に覆われ、梨に近づく鳥獣を威嚇するための警報音があちこちで鳴り響いていた。そういえば、鳥取…
福田家住宅の見学を終えて、若桜往来を南に行き、鳥取市香取にある意上奴(いがみぬ)神社に向かう。 途中、若桜往来沿いに意上奴神社の朱色の鳥居がある。 意上奴神社鳥居 鳥居の前には、いつの時代のものか分からぬが、石仏が祀られている。鳥居と石仏。神…
若桜往来を歩いて紙子谷(かごだに)集落に入ると、田の稲刈りが行われていた。 秋は収穫の季節である。 集落の中に、茅葺屋根、入母屋造りの民家がある。江戸時代に地元の大庄屋を務めた福田家の屋敷である。 福田家住宅 福田家は、江戸時代以前は在地土豪…
大樹寺から県道282号線を東に行くと、すぐにヤマメ養殖場の看板が見えてくる。 ここを左に曲がると、すぐ左手の山際に、因幡毛利氏最後の当主毛利豊元の墓とされる宝篋印塔がある。 毛利豊元の墓 因幡毛利氏は、毛利次郎貞元による反乱が鎮圧された後も生き…
市場城跡から下りて、車に乗り込み東に走る。鳥取県八頭郡八頭町福地にある曹洞宗の寺院、普門山大樹寺に赴いた。 普門山大樹寺 大樹寺は、市場城を拠点にした毛利氏の家臣・安藤義光の菩提寺であるという。 大樹寺は、市場集落の山上にあったが、天正年間(…
10月1日に因幡の史跡巡りをした。 最初に訪れたのは、鳥取県八頭郡八頭町市場にある市場城跡である。 この辺りは、昔から私部(きさいち)と呼ばれている。奈良時代には既に私部郷という名称の村があったようだ。 城山 私部の中心に標高約276メートルの城山…
土師百井廃寺跡は、鳥取市から八頭町に跨って聳える霊石山の東南側山麓にある。 霊石山南側の山中には、古墳時代後期の古墳群である米岡古墳群が広がる。 丁度鳥取市と八頭町の境界線付近にあるのが、古墳群の中でも最も大きな米岡2号墳である。 ネットで事…
青龍寺から南下し、古代の八上郡衙跡とされる万代寺遺跡が発掘された鳥取県八頭郡八頭町万代寺に行った。 万代寺遺跡のあった辺り 今は遺跡が発掘された痕跡はなく、田が広がるだけである。 昭和57年の発掘調査で、大型の建物がロの字型やコの字型に配置され…
安藤伊右衛門顕彰碑から北に約1.5キロメートル行った鳥取県八頭郡八頭町下門尾(しもかどお)にある真言宗の寺院、成田山青龍寺に赴いた。 青龍寺への参道 青龍寺と言えば、弘法大師空海が、唐の長安で師の恵果和尚から真言密教の奥義を授けられた寺院と同じ…
鳥取県八頭郡八頭町郡家(こおげ)には、八頭町の町役場がある。 ここは、江戸時代後期に郡家の発展に尽くした地元出身の豪農安藤伊右衛門の屋敷跡である。 安藤伊右衛門は、毎年のように水不足に悩む郡家の農民を救い、かつ新田開発をして食糧増産を図るべ…
下船岡神社の周辺には、下船岡の落ち着いた町並みが広がる。 船岡は、大江川と見附川が合流する場所で、水陸交通の要衝として栄えた地である。 鳥取藩池田家の家老乾(いぬい)氏の知行地となり、陣屋が置かれた。 下船岡の町並み 下船岡には古い民家が多く…
隆平城跡から下山し、鳥取県八頭郡八頭町船岡にある若桜鉄道因幡船岡駅に向かった。 若桜鉄道は、昭和5年に旧国鉄若桜線として、郡家・隼間にて開業し、同年中に若桜駅まで延伸して全線開通した。昭和62年から、第三セクター方式で運営されている。 因幡船…
花集落の諏訪神社の辺りから南側を望むと、城山という標高約300メートルの山が目に映る。地名で言うと、鳥取県八頭郡八頭町日下部にある。 城山 城山の山上には、因幡国八上郡の地頭・波多野氏の居城だった隆平城跡がある。 波多野氏は、応仁の乱で東軍に属…
新興寺から国道29号線を鳥取市方面に進む。 江戸時代には、鳥取から姫路までの街道沿いには、宿場町が形成されていた。鳥取から播州までの間の街道は、若桜街道と呼ばれていた。 若桜街道の若桜宿から鳥取城方面に向かう次の宿場町が安井宿である。 安井宿 …
鷹山城跡のある丹比の町から車を西に走らせ、鳥取県八頭郡八頭町新興寺にある真言宗の寺院、波羅蜜山新興寺を訪れた。 新興寺 新興寺は、寺伝では和銅二年(709年)に行基菩薩が開基したとされている。因幡国最古の寺院であるそうだ。 新興寺は、古くから興…