因幡

若桜往来、智頭往来沿いの史跡

倉田八幡宮の参拝を終えて北上し、鳥取市正蓮寺にある面影山という小山に向かう。 この山の西麓に建つ面影神社の鳥居の手前に、鳥取県指定保護文化財である木造毘沙門天立像、木造吉祥天立像を祀る毘沙門堂がある。 毘沙門堂 毘沙門堂は、新しい建物である。…

倉田八幡宮

橋本38号墳から北上し、鳥取市馬場に鎮座する倉田八幡宮に向かう。 社に近づくと、神社を包む鬱蒼とした社叢が目につく。 倉田八幡宮社叢は、約1ヘクタールの広さを擁する、常緑広葉樹と落葉広葉樹の大径木が混在する森林である。 鳥取平野の森林は、水田開…

鳥取市南部の古墳 後編 三徳山森福寺

六部山3号墳の北西には、同時代の前方後円墳である古郡家(ここおげ)1号墳がある。地名で言うと、鳥取市古郡家になる。 古郡家1号墳の後円部付近 古郡家1号墳は、全長約92.5メートルの因幡最大の前方後円墳である。 後円部に3基の埋葬施設があり、それ…

鳥取市南部の古墳 前編

意上奴神社の参拝を終えて、近くにあるという空山15、16号墳を見学しようと空山の遊歩道を歩いたが、古墳を見つけることが出来なかった。 空山の斜面は、梨の畑に覆われ、梨に近づく鳥獣を威嚇するための警報音があちこちで鳴り響いていた。そういえば、鳥取…

意上奴神社

福田家住宅の見学を終えて、若桜往来を南に行き、鳥取市香取にある意上奴(いがみぬ)神社に向かう。 途中、若桜往来沿いに意上奴神社の朱色の鳥居がある。 意上奴神社鳥居 鳥居の前には、いつの時代のものか分からぬが、石仏が祀られている。鳥居と石仏。神…

鳥取市 福田家住宅

若桜往来を歩いて紙子谷(かごだに)集落に入ると、田の稲刈りが行われていた。 秋は収穫の季節である。 集落の中に、茅葺屋根、入母屋造りの民家がある。江戸時代に地元の大庄屋を務めた福田家の屋敷である。 福田家住宅 福田家は、江戸時代以前は在地土豪…

門尾三本松峠

大樹寺から県道282号線を東に行くと、すぐにヤマメ養殖場の看板が見えてくる。 ここを左に曲がると、すぐ左手の山際に、因幡毛利氏最後の当主毛利豊元の墓とされる宝篋印塔がある。 毛利豊元の墓 因幡毛利氏は、毛利次郎貞元による反乱が鎮圧された後も生き…

普門山大樹寺

市場城跡から下りて、車に乗り込み東に走る。鳥取県八頭郡八頭町福地にある曹洞宗の寺院、普門山大樹寺に赴いた。 普門山大樹寺 大樹寺は、市場城を拠点にした毛利氏の家臣・安藤義光の菩提寺であるという。 大樹寺は、市場集落の山上にあったが、天正年間(…

私部市場城跡

10月1日に因幡の史跡巡りをした。 最初に訪れたのは、鳥取県八頭郡八頭町市場にある市場城跡である。 この辺りは、昔から私部(きさいち)と呼ばれている。奈良時代には既に私部郷という名称の村があったようだ。 城山 私部の中心に標高約276メートルの城山…

米岡古墳群

土師百井廃寺跡は、鳥取市から八頭町に跨って聳える霊石山の東南側山麓にある。 霊石山南側の山中には、古墳時代後期の古墳群である米岡古墳群が広がる。 丁度鳥取市と八頭町の境界線付近にあるのが、古墳群の中でも最も大きな米岡2号墳である。 ネットで事…

土師百井廃寺跡

青龍寺から南下し、古代の八上郡衙跡とされる万代寺遺跡が発掘された鳥取県八頭郡八頭町万代寺に行った。 万代寺遺跡のあった辺り 今は遺跡が発掘された痕跡はなく、田が広がるだけである。 昭和57年の発掘調査で、大型の建物がロの字型やコの字型に配置され…

成田山青龍寺

安藤伊右衛門顕彰碑から北に約1.5キロメートル行った鳥取県八頭郡八頭町下門尾(しもかどお)にある真言宗の寺院、成田山青龍寺に赴いた。 青龍寺への参道 青龍寺と言えば、弘法大師空海が、唐の長安で師の恵果和尚から真言密教の奥義を授けられた寺院と同じ…

安藤井手 

鳥取県八頭郡八頭町郡家(こおげ)には、八頭町の町役場がある。 ここは、江戸時代後期に郡家の発展に尽くした地元出身の豪農安藤伊右衛門の屋敷跡である。 安藤伊右衛門は、毎年のように水不足に悩む郡家の農民を救い、かつ新田開発をして食糧増産を図るべ…

乾氏墓地

下船岡神社の周辺には、下船岡の落ち着いた町並みが広がる。 船岡は、大江川と見附川が合流する場所で、水陸交通の要衝として栄えた地である。 鳥取藩池田家の家老乾(いぬい)氏の知行地となり、陣屋が置かれた。 下船岡の町並み 下船岡には古い民家が多く…

因幡船岡駅 下船岡神社

隆平城跡から下山し、鳥取県八頭郡八頭町船岡にある若桜鉄道因幡船岡駅に向かった。 若桜鉄道は、昭和5年に旧国鉄若桜線として、郡家・隼間にて開業し、同年中に若桜駅まで延伸して全線開通した。昭和62年から、第三セクター方式で運営されている。 因幡船…

隆平城跡

花集落の諏訪神社の辺りから南側を望むと、城山という標高約300メートルの山が目に映る。地名で言うと、鳥取県八頭郡八頭町日下部にある。 城山 城山の山上には、因幡国八上郡の地頭・波多野氏の居城だった隆平城跡がある。 波多野氏は、応仁の乱で東軍に属…

安井宿 諏訪神社

新興寺から国道29号線を鳥取市方面に進む。 江戸時代には、鳥取から姫路までの街道沿いには、宿場町が形成されていた。鳥取から播州までの間の街道は、若桜街道と呼ばれていた。 若桜街道の若桜宿から鳥取城方面に向かう次の宿場町が安井宿である。 安井宿 …

波羅蜜山新興寺

鷹山城跡のある丹比の町から車を西に走らせ、鳥取県八頭郡八頭町新興寺にある真言宗の寺院、波羅蜜山新興寺を訪れた。 新興寺 新興寺は、寺伝では和銅二年(709年)に行基菩薩が開基したとされている。因幡国最古の寺院であるそうだ。 新興寺は、古くから興…

八頭町 鷹山城跡 後編

鷹山城跡の本丸跡の曲輪は、北方向に長く伸びている。 北に伸びる本丸の曲輪 鷹山城跡は、本丸の東側、南側、西側は急斜面で守られている。唯一本丸の北側だけが、尾根でつながっている。さらに鷹山の北側には、山々が連なっている。北側の緩やかな登り路か…

八頭町 鷹山城跡 前編

5月15日に因幡の史跡巡りをした。 最初に訪れたのは、鳥取県八頭郡八頭町北山にある中世の山城跡、鷹山城跡である。 智頭急行丹比(たんぴ)駅の北側に聳える鷹山の山上にある城跡だ。 鷹山 鷹山の麓にある北山集落の中央にごみステーションがあり、その脇…

霊石山 後編

源範頼の墓の近くに、最勝寺の奥の院がある。奥の院は、昭和30年まで最勝寺があった場所である。 建物が無くなって、まるで廃寺のようである。 最勝寺奥の院 かつてお堂が建っていたと思われる場所には石垣があり、石段がある。 石段 石は建設に使われる素材…

霊石山 前編

慶長五年(1600年)に関ヶ原の合戦で功績を上げた亀井茲矩(これのり)は、同年因幡鹿野城主となり鹿野藩の初代藩主となった。 因幡の千代川は、古代から洪水を多発させた暴れ川で、亀井茲矩が藩主になったころの鳥取平野は、川の氾濫と農業用水の便の悪さか…

嶽古墳 売沼神社

大義寺の参拝を終えて北上し、鳥取市河原町曳田(ひけた)にある嶽(だけ)古墳と売沼(めぬま)神社を訪れた。 ここは、大国主神の妻となった八上姫(八上比売)ゆかりの地である。 大国主神と八上姫の婚姻物語は、「古事記」の稲羽の素兎(いなばのしろう…

大安興寺 大義寺

能引寺の虎御前の墓に手を合わせた後、再び鳥取市用瀬町に戻った。鷹狩にある真言宗の寺院、医王山大安興寺を訪れた。 大安興寺は、かつては今の寺の背後にある医王山上に伽藍があったが、昭和になって麓に移った。 医王山 7世紀に播磨や丹波にて数多くの寺…

虎石山能引寺 

大江神社から南下し、鳥取県八頭郡八頭町下野にある臨済宗の寺院、虎石山能引寺に行った。 虎石山能引寺 参道脇の地蔵尊 能引寺は、日本三大仇討の一つとされる、曽我兄弟の仇討ちと関連がある。因みに日本三大仇討の他の2つは、元禄赤穂事件と伊賀越の仇討…

万照山多宝寺 大江神社

景石城跡の見学を終え、山から下りて車を走らせた。 次なる目的地は、鳥取県八頭郡八頭町船岡殿にある真言宗の寺院、万照山多宝寺である。 万照山多宝寺 多宝寺は、和銅三年(710年)に行基菩薩により開基されたと伝えられている。 創建時は、根本山万照寺と…

景石城跡

三角山神社奥宮本殿の参拝を終えて下山し、三角山と景石城跡のある城山との分岐点のある中鳥居に戻った。 そこから北上し、景石城跡を目指した。 景石城跡への道 尾根道を進んで行く。三角山と城山の中間地点には、子持ち松砦跡がある。 子持ち松砦跡 子持ち…

三角山神社 後編

中鳥居を潜れば、そこからは三角山神社奥宮の結界である。 登山道も急になり、巨石が目につき始める。 三角山の巨石 女人堂から山頂までの行程の2/3のあたりには、かつて修験行者が雨露をしのぐために建てた籠り堂の跡である、仙行者(せんのぎょうじゃ)と…

三角山神社 前編

用瀬の町のどこからでも目に入るのが、山頂に三角(みすみ)山神社が建つ三角山(頭巾山)である。 三角山は、標高約508メートルで、頭巾(ときん)山という別名がある。その名の通り、山頂付近が頭巾を被った頭のような形をしている。 麓から山容全体を写し…

もちがせ流しびなの館

以前の因幡の旅で、宿場町の用瀬(もちがせ)を訪れたが、前回訪れることが出来なかった史跡に行くため、再度用瀬を訪ねた。 私が再度用瀬を訪れたのは10月17日で、残念ながら大雨の日であった。この日、寒冷前線が日本列島を覆い、気温が一挙に低下した。夏…