2024-11-01から1ヶ月間の記事一覧
元伊勢内宮皇大神社の境内から、天岩戸神社への道を歩き始めた。 天岩戸神社への道 天岩戸とは、弟の素戔嗚尊が高天原で行った乱暴狼藉にショックを受けた天照大御神が、引き籠った岩窟を指している。 天照大御神は太陽神であることから、天岩戸神話は日食を…
古式を残す黒木鳥居を潜ると、正面に皇大神社の社殿が、向かって右に天手力雄(あめのたぢからお)神社が、向かって左に栲機千千姫(たくはたちぢひめ)神社が鎮座している。 皇大神社と相殿 皇大神社には、祭神の天照皇大神が祀られている。 伊勢神宮内宮の…
二俣港石から府道9号線を北上すると、福知山市大江町内宮にある元伊勢内宮皇大神社の参道入口に至る。 参道に入らずに、参道手前の交差点を右側の道に行くと、すぐ右手の田の向こう側に、船岡山の舟つなぎ石と伝承されている内宮港石がある。 内宮港石 昔は…
本殿の向かって右には土之宮、向かって左には多賀之宮が鎮座する。 土之宮 多賀之宮 伊勢神宮には正宮と別宮がある。 正宮には祭神を祀り、別宮には正宮に次ぐ神々を祀っている。 伊勢神宮外宮である豊受大神宮には、別宮として土宮、多賀宮、風宮がある。 …
福知山市大江町には、元伊勢三社と呼ばれる三つの神社が存在する。 即ち、元伊勢外宮豊受大神社、元伊勢内宮皇大神社、天岩戸神社の三社である。 元伊勢、というのは、伊勢神宮に鎮座する神々が元々鎮座していた場所という意味である。 豊受大神社が鎮座する…
旧平野家住宅の見学を終えて由良川を越えて南下し、福知山市大江町南有路にある才ノ神の藤に赴いた。 才ノ神の藤は、樹齢2000年とも1200年とも言われる山藤のことで、京都府天然記念物に指定されている。 才ノ神の藤 才ノ神の藤には、藤棚の下と、藤の幹の根…
日吉神社の参拝を終え、福知山市大江町北有路にある旧平野家住宅を訪れた。 旧平野家住宅の門 旧平野家住宅は、江戸時代にこの地で酒造と舟運で財を成した平野家が、明治42年に建てた住宅である。 今は大雲記念館として公開されているが、見学には事前の予約…
清薗寺の参拝を終え、清薗寺の北側にある日吉神社を訪れた。河守寺社巡りもこれで最後である。 日吉神社 日吉神社鳥居 日吉神社の祭神は、大山咋(おおやまくい)神である。比叡山の地主神とされ、比叡山の鎮守である日吉大社に祀られている。 全国にある日…
河守の寺社巡りで次に訪れたのは真言宗の寺院、鎌鞍山清薗寺である。 清薗寺参道 清薗寺 清薗寺の開創には、聖徳太子の弟、麻呂子(まろこ)親王の鬼退治伝説が関係している。 清薗寺の寺宝である「紙本著色清薗寺縁起」は、南北朝時代に清薗寺の創建説話を…
今年4月20日に訪れた京都府福知山市大江町河守を再度訪れた。 河守の町の西側の山沿いに、神社仏閣が並ぶように建っている。 今回は四宮神社を訪れた。 四宮神社の参道 四宮神社 私が訪れた10月5日は、秋季例祭の準備だろうか、地元の方たちが境内で作業を…
10月5日に丹後の史跡巡りを行った。4月20日に訪れながら、急遽入った仕事の都合で史跡巡りを途中で打ち切ってから、久々の来訪である。 最初に訪れたのは、京都府福知山市雲原にある雲原砂防関連施設群である。 雲原砂防公園にある雲原砂防の碑 福知山市雲…
興禅寺を参拝した後、鳥取市東町にある長田神社に赴いた。 長田神社鳥居 西に向いた長田神社の鳥居前から南に歩くと、左(東)に鳥取県知事公舎が、右(西)に鳥取県庁がある。 江戸時代には、池田家の分家である東館池田家の屋敷が今の知事公舎の敷地に、西…
栗渓神社の参拝を終え、同じ栗谷町にある黄檗(おうばく)宗の寺院、龍峰山興禅寺を訪れた。 興禅寺山門 興禅寺の前身は、天正十四年(1584年)の小牧長久手の戦いで戦死した池田輝政の兄、池田元助の菩提を弔うため、元助の乳母が岐阜城下に建立した龍峰山…
太閤ヶ平から鳥取市栗谷町に下りる登山道を歩くと、谷間の集落即ち栗谷町に至る。 この栗谷町に鎮座するのが、栗渓(くりたに)神社である。 栗渓神社 一の鳥居 この神社の創建は、貞観年間(859~877年)とされている。 因幡国内に悪疫が流行した時に、鎮疫…
縄文時代、弥生時代、古墳時代の展示の見学を終えたが、次の飛鳥時代以降の展示品の中の遺物は、今後その遺物が出土した史跡を訪れた時に紹介することとしたい。 そうすると、ほとんどの遺物の紹介が今後のことになってしまう。 今まで紹介した史跡と関連す…
山陰地方にヤマト国連合と異なる四隅突出型墳丘墓の文化圏を形成した出雲王国は、4世紀には大和王権の支配下に入ったようだ。 この時期には、四隅突出型墳丘墓に代わって、大和王権の支配のシンボルである前方後円墳が山陰地方で築かれ出した。 山陰に存在…
鳥取県内にある弥生時代の遺跡は、米子市、大山町にある妻木晩田(むきばんだ)遺跡、鳥取市にある青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡が有名である。 これらの遺跡は、全国的にも類を見ない大規模な遺跡である。 鳥取県立博物館には、これらの遺跡から発掘さ…
江戸時代後期に来日したオランダ人医師シーボルトは、日本に生息するオオサンショウウオを見て大いに驚いたという。 オオサンショウウオは、ヨーロッパでは絶滅していて、化石としてしか知られていなかったからである。 オオサンショウウオの剥製 オオサンシ…
鳥取城跡の敷地内に、鳥取県立博物館がある。 鳥取県立博物館 この博物館は、自然科学に関する展示と、鳥取県の歴史資料に関する展示の両方があって、なかなか見応えのある博物館となっている。 先ずは自然科学に関する展示から紹介したい。 何しろ、岩石や…
山上ノ丸の虎口から、秀吉が鳥取城を兵糧攻めした時に本陣を置いた太閤ヶ平(たいこうがなる)を目指した。 太閤ヶ平は、鳥取城跡と合わせて国指定史跡になっている。 久松山の東に連なる本陣山にある。 山中の岐路 太閤ヶ平への道の途中で何度か岐路が訪れ…