2024-10-01から1ヶ月間の記事一覧
天球丸跡の見学を終えて、久松山にある山上ノ丸に向かった。 山上ノ丸への道 久松山には、守護大名から戦国大名化した山名氏が、天文十四年(1545年)に城を築いたが、その後秀吉の手で陥落することになった。 今の山上ノ丸の石垣群は、秀吉による落城後に整…
二ノ丸跡の見学を終えて、天球丸跡に移動する。 天球丸は、初代鳥取藩主池田長吉の姉であった天球院に因んだ名前である。 若桜鬼ヶ城主山崎家盛の夫人だった天球院が、山崎家を去って長吉の下に寄寓し、この曲輪に造られた居館に住んだことから名づけられた…
二ノ丸跡に、鳥取城のヌシと呼ばれた桂蔵坊という狐を祀った中坂稲荷の祠がある。 中坂稲荷 日本の城には、ヌシと呼ばれる神様や妖怪に関する逸話が残っていることが多い。 姫路城には長壁(おさかべ)姫、猪苗代城には亀姫、松山城には化け狸の隠神刑部(い…
中仕切門を潜ると、二ノ丸跡方面に向かう石段が続いている。 二ノ丸跡に向かう石段 石段を登って南に歩いていくと、先ほど仁風閣前から眺めた三階櫓の石垣の下に出る。 三階櫓の石垣 この石垣の手前に、東側つまり久松山側に向かう石段がある。 右膳ノ丸跡に…
北ノ御門跡から鳥取城跡の敷地に入る。先ずは山下(さんげ)ノ丸と呼ばれる、江戸時代に鳥取藩によって整備された、久松山麓の城跡を散策する。 山下ノ丸の見取図 山下ノ丸の配置を書くと、一番奥に天球丸跡があり、その手前に二ノ丸跡、その手前に現在鳥取…
鳥取県庁の北側、鳥取市東町1丁目にある緑地公園の中には、因伯新道紀功碑という石碑が建っている。 因伯新道紀功碑 明治16年に鳥取県県令(今の県知事)だった山田信道は、道路事情が極めて悪かった鳥取県(因幡、伯耆)の道路整備事業を始めた。 この事業…
9月16日に因幡の史跡巡りを行った。鳥取市中心部の史跡を巡った。 最初に訪れたのは、鳥取市東町2丁目にある洋館・仁風閣(じんふうかく)である。 仁風閣正門 仁風閣は、明治40年に皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)が山陰地方を行啓した際に、旧鳥取藩主家…
大原神社の参拝を終えて、同じ樫原の集落内にある国指定重要文化財・石田家住宅を訪れた。 私が訪問した時は、凄まじい雨になっていた。 石田家住宅 石田家住宅は、この地方の庄屋の家である。昭和42年に発見された縁桁に記された墨書から、慶安三年(1650年…
明隆寺観音堂の参拝を終え、京都府南丹市美山町樫原大原谷にある大原神社を訪れた。 ここに向かう途中、雨が降って来た。雨は次第に強くなり、ついには大雨になった。 それにしても、京都府側の丹波には、大原神社が多くある。 大原神社 大原神社の祭神は、…
祥雲寺の参拝を終え、更に北上する。 京丹波町下粟野にある国指定重要文化財の明隆寺観音堂を訪れた。 観音堂への参道 観音堂は、かつて寿命山明隆寺という寺院に属していたが、明隆寺は廃寺になった。 今は集落にある曹洞宗の寺院、地蔵院が観音堂を管理し…
片山家墓所を見学した後、京丹波町大迫にある曹洞宗の寺院、天足山祥雲寺を訪れた。 祥雲寺 山門 この寺は、承応三年(1654年)に、天足香禅という僧侶が開創した。 天足は、現在も地元で「天足さん」と呼ばれて親しまれている。民衆を救済するために全国を…
京丹波町本庄にある阿上三所神社の参拝を終え、北西に向かう。 京丹波町坂原にある阿上三所神社を訪れた。 坂原阿上三所神社 鳥居 この神社は、安栖里(あせり)地区の地頭であった片山氏が、観応元年(1350年)に本庄の阿上三所神社から祭神を勧請したもの…
大福光寺の参拝を終え、国道27号線を北上し、京都府船井郡京丹波町本庄にある阿上三所神社を訪れた。 阿上三所神社 鳥居 この神社の祭神は、伊弉諾尊、伊弉冉尊、国常立(くにとこたち)尊の三神である。 この地方には、阿上三所神社という名称の神社が全部…
須知城跡から下りて、京都府船井郡京丹波町下山岩ノ上にある真言宗の寺院、雲晴山大福光寺を訪れた。 大福光寺 大福光寺は、延暦年間(782~806年)に、鞍馬寺の釋峰延大法師が、現在地の後方に聳える空山の中腹に建立したと伝えられている。 大福光寺を尊崇…
須知城は、天正四年(1576年)には、丹波に侵攻してきた明智光秀に攻略された。 その後光秀は須知城の改修に取り掛かった。 その時に築かれた立派な石垣が今も残っている。 須知城跡の主郭は、東西に長く連なっているが、最も規模が大きな石垣は東側に面して…
塩谷古墳群の見学を終え、京丹波町市森滝見にある須知城跡を訪れた。 須知城跡のある城山 須知城跡は、標高384メートルの城山上にある。綺麗な円錐形の山である。 須知城は、地元豪族の須知氏の居城であった。 須知氏は南北朝期には南朝方に属していた。須知…