但馬

出石城跡 有子山城跡 その1

5月29日に但馬の史跡巡りを行った。この日は、主に兵庫県豊岡市出石(いづし)町の史跡を巡った。 先ず訪れたのは、城下町出石のシンボルとも言える、出石城跡、有子山(ありこやま)城跡である。 出石城跡、有子山城跡のある有子山 出石は、碁盤の目のよう…

村岡陣屋跡

昨日の記事で書いたように、兵庫県美方郡香美町村岡区村岡は、江戸時代に交代寄合旗本の山名家が領有し、陣屋を置いた場所である。 その陣屋は、今は跡形もないが、かつて陣屋があった御殿山は、公園として整備されている。 御殿山公園への登り口 御殿山公園…

香美町 黒野神社

豊岡市日高町から、国道482号線を西進し、兵庫県美方郡香美町村岡区村岡にある黒野神社を訪れた。 村岡は、守護大名山名家の後裔が、江戸時代に交代寄合旗本となって陣屋を置いた村である。山名家が陣屋を置くまでは黒野村という名であった。 交代寄合という…

布金山長者峰隆国寺 後編 附信貴山観音寺

隆国寺山門を潜ると目の前には大きな本堂が現れる。 本堂 本堂は、寛政四年(1792年)に再建された。平成元年には、本堂の屋根が茅葺寄棟造から銅板葺入母屋造に改修された。 茅葺屋根の本堂も見てみたかった。 本尊は聖観音座像である。左右に不動明王像と…

布金山長者峰隆国寺 前編

植村直己冒険館から南西に車を走らせ、豊岡市日高町荒川にある曹洞宗の寺院、布金山長者峰隆国寺を訪れた。 隆国寺総門 隆国寺は、室町時代に守護大名山名氏の四天王と言われた重臣垣屋隆国の菩提寺として建立された。 元々阿瀬金山(現豊岡市日高町羽尻)に…

植村直己冒険館

植村直己。 昭和に育った人なら、誰もがその名を知る日本が世界に誇る冒険家である。 豊岡市日高町伊府に、その植村を記念する植村直己冒険館が建っている。 開館は、平成6年である。昭和59年に植村が北米最高峰のマッキンリーで消息を絶ってから10年後だ。…

但馬国分寺跡

祢布交差点から北東に進んだ兵庫県豊岡市日高町国分寺に、但馬国分寺跡がある。 寺院の跡地は今は広い空き地になっていて、七重塔の礎石が残されている。塔の礎石の奥には、国分寺の名を冠する寺院が建っている。 今までの史跡巡りで、私は播磨、美作、備前…

但馬国府跡 豊岡市立歴史博物館

青谿書院の見学を終え、国道312号線を北上すると、豊岡市に入る。豊岡市は、但馬地方の中心となる都市である。 豊岡には、奈良時代以降は国府や国分寺が置かれた。当時から但馬地方の中心だったようだ。 豊岡市日高町祢布(にょう)に、国道312号線の祢布交…

甘棠亭 青谿書院

名草神社の見学を終えて、妙見山から下山した。 進路を北に取り、円山川を越えて、兵庫県養父市八鹿町伊佐にある甘棠亭(かんとうてい)を訪れた。 甘棠亭は、延宝四年(1676年)に出石藩の6代目藩主小出英安(ふさやす)が、伊佐の新田を視察に来た時に、…

名草神社 後編

三重塔の前の石段を登り、名草神社の社殿に向かった。 名草神社は、標高約1139メートルの妙見山の中腹にある。社のある場所の標高は、約800メートルである。麓より早く紅葉が色づき始めていた。 名草神社の社殿に向かう道 三重塔から名草神社社殿に向かうに…

名草神社 前編

日光院の参拝を終え、そこから妙見山の中腹まで伸びている細い舗装路を走る。 妙見山の中腹にあるのが、江戸時代まで元の日光院だった名草神社である。 名草神社の石碑 明治元年に明治政府によって出された神仏分離令によって、寺院と神社が一体化している各…

妙見山日光院 後編

護摩堂に隣接して建つのが薬師如来を祀る薬師堂である。 阿弥陀如来が西方極楽浄土の教主なら、薬師如来は東方浄瑠璃世界の教主で、人々の病を直す仏様とされている。 薬師堂 薬師堂は、日光院の前身である石原山帝釈寺の時代は、全山の総本堂で、七間四方の…

妙見山日光院 前編

11月3日の文化の日に但馬を訪れた。ついこの間も但馬に行ったばかりである。 現在私は、播磨に隣接する摂津、淡路、備前、美作、因幡、但馬、丹波の7か国を順に巡っているが、冬が来て降雪する前に北の旅を終えておきたいので、間を置かずに但馬を訪れるこ…

今滝寺 葛畑農村歌舞伎舞台 

八木城跡のある城山の北側に、八木氏の菩提寺だった今滝(こんりゅう)寺がある。ここは真言宗の寺院である。 一時は9院3坊が並ぶ大寺院だったという。 細い山道を車で登って行くと、今滝寺の石垣が見えてくる。その先には山門がある。 今滝寺 今滝寺の山…

八木城跡 後編

見事な石垣のある本丸を抜けて、城山の更に奥に進んでいく。 南北朝時代に築かれ、天正時代に秀吉軍により落城した八木土城を目指した。 登山道は整備されていないが、まばらな叢林の間を抜けて行く感じで、困難な道程ではない。 割合平坦な道を行くことにな…

八木城跡 前編

箕谷古墳群の見学を終え、国道9号線を西に走る。 兵庫県養父市八鹿町八木にある八木城跡を訪れた。 八木城跡のある城山 鎌倉時代に、地元の豪族朝倉高清が、次男安高に八木の地を分け与え、安高が八木姓を名乗った。 八木氏は安高から豊信まで15代約350年間…

箕谷古墳群

兵庫県養父市八鹿町小山にある、つるぎが丘公園という運動公園の一角に、箕谷(みいだに)古墳群が復元保存されている。 箕谷古墳群 昭和58年につるぎが丘公園を整備する際に、地下に埋まっていた箕谷古墳群の発掘調査が行われた。 発掘調査中の箕谷古墳群 …

大藪古墳群 

兵庫県養父市大藪にある但馬家畜市場から少し東に行った山麓に、6~7世紀に築かれた古墳群がある。大藪古墳群と呼ばれている。 私は、養父(やぶ)という地名の語源を知らないが、ひょっとしたらこの藪から来ているのかも知れない。 大藪古墳群には、数十…

養父神社 後編

養父神社本殿の奥にあるのが山野口神社であるが、そこに至るまでの参道の脇に、末社迦遅屋(かじや)神社がある。 迦遅屋神社 迦遅屋神社の祭神は、奥津彦命、奥津姫命、猿田彦命、表米親王であるが、別名猫の宮とも呼ばれ、鼠除けの神様として信仰されてい…

養父神社 前編

満福寺の参拝を終え、かつて宿場町であった養父市養父市場に向かう。 ここにある養父神社は、但馬では、粟鹿神社、出石神社と並ぶ古社である。 但馬三宮とも呼ばれている。 鳥居 創建は第10代崇神天皇の御代とされる。ほとんど伝説の領域である。 平安時代に…

新宮山満福寺

斎神社の参拝を終え、県道70号線を北上する。 養父市十二所の新宮山の山上にある伽藍、満福寺を訪れた。ここは、真言宗の寺院である。 満福寺山門 山門の仁王像 満福寺山門の仁王像は、新しい像だが、彩色鮮やかで、なかなか迫力ある像だ。 山門を過ぎると参…

養父市 斎神社

今年の6月以来、久々に但馬を訪れた。播但連絡道路の朝来インターチェンジで下りて、県道70号線を北上する。 県道70号線沿いの兵庫県養父市長野にある斎(いつき)神社を訪れた。 斎神社鳥居 斎神社の創建は、聖武天皇の天平二年(730年)と言われている。 …

養父市大屋町蔵垣・大杉地区

城の山古墳と池田古墳の見学を終え、一路兵庫県養父市大屋町を目指す。 大屋町は、山に囲まれた谷間に集落が点在する農村地帯である。 この大屋町の蔵垣、大杉地区は、江戸時代から養蚕業が盛んである。 宝暦三年(1753年)、蔵垣に生まれた上垣守国は、明和…

城の山古墳 池田古墳

和田山町から養父市街に向けて国道9号線を走ると、国道沿いに2つの古墳がある。 城の山(じょうのやま)古墳と池田古墳である。とは言え、2つの古墳とも今は原型を留めていない。城の山古墳の下にはトンネルが掘られ、池田古墳は墳丘上に国道の高架橋が横…

赤淵神社

大同寺の参拝を終え、次なる目的地に向かう。 兵庫県朝来市和田山町枚田(ひらた)にある赤淵神社を訪れた。 赤淵神社の鳥居 赤淵神社の祭神は、大海龍王神、赤渕足尼神(あかぶちそこひのかみ)、表米宿祢神(ひょうまいすくねのかみ)の三神である。 赤渕…

医王山大同寺

當勝神社の参拝を終え、北上する。兵庫県朝来市山東町早田にある臨済宗の寺院、医王山大同寺を訪れた。 大同寺 大同寺山門 大同寺は、大同二年(807年)に薬師如来の霊場として創建された。当初は天台宗の寺院であった。 一時は寺勢盛大であったが、時と共に…

當勝神社 後編

當勝神社の本殿は、安政六年(1859年)の再建とされている。 當勝神社本殿 本殿には、拝殿のような濃密な彫刻は施されていない。本殿建築には中井権次一統は参加していないものと思われる。 その代わり、三手先まで組まれた斗供と尾垂木が見事である。 本殿…

當勝神社 前編

粟鹿神社の参拝を終え、そこから粟鹿の集落を少し奥に進む。 その先にあるのが、當勝(まさかつ)神社である。 當勝神社 この神社の祭神は、天照大御神と須佐之男命の誓約(うけい)から生まれた、天照大御神の子の正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊(まさかあかつか…

粟鹿神社

楽音寺の見学を終え、東に車を走らせる。次なる目的地は、朝来市山東町粟鹿にある但馬国一宮の粟鹿(あわが)神社である。 実は、但馬には一宮が二つある。もう一つは豊岡市出石町にある出石神社である。なぜ但馬に一宮が二つあるかは分からない。 粟鹿神社…

正覚山楽音寺

茶すり山古墳の見学を終え、次なる目的地、正覚山楽音寺に行く。 兵庫県朝来市山東町楽音寺にある真言宗の寺院である。 楽音寺 楽音寺の創建は、大同二年(807年)である。明賢上人が、紀州那智の滝を拝して念誦していると、深淵中に五色の光明が見えた。上…