但馬

森尾古墳跡 

此隅山城跡から下山し、車に乗って次なる目的地に向かう。 兵庫県豊岡市森尾にある森尾古墳跡を訪れた。 森尾古墳跡のある丘陵 上の写真の丘陵上に、かつて地元の大庄屋の平尾家の別荘が建っていた。 大正6年の別荘建築工事中に、長径9メートル、短径6メ…

此隅山城跡

いずし古代学習館の入る出石川防災センターの裏手(南)にある此隅山の山上に、但馬国の守護大名だった山名氏が居城とした此隅山(このすみやま)城跡がある。 此隅山 此隅山は、標高約140メートルの低山である。出石川防災センターの裏に登山口がある。 此…

いずし古代学習館

出石神社の参拝を終えて、出石神社の北側にある此隅山の山麓を巡り、山の北側にあるいずし古代学習館に赴いた。いずし古代学習館は、兵庫県豊岡市出石町袴狭(はかざ)にある出石川防災センターの建物内にある。 出石川防災センター この袴狭周辺には、弥生…

出石神社

日本・モンゴル民族博物館の見学を終えて、兵庫県豊岡市出石町宮内にある但馬国一宮出石神社に向かった。 出石神社 但馬には一宮が2つある。1つは以前紹介した朝来市山東町粟鹿にある粟鹿神社である。もう1つがこの出石神社である。 これで、播磨、美作、…

日本・モンゴル民族博物館 その5

日本・モンゴル民族博物館の「モンゴル草原のいのり」コーナーに入った。 ここは、モンゴルの仏教寺院を模した室内装飾をしている。 「モンゴル草原のいのり」コーナー 1240年にモンゴル帝国2代目ハーンのオゴタイの子コデンがチベットを征服した。 この時…

日本・モンゴル民族博物館 その4

日本・モンゴル民族博物館の奥の「モンゴル高原の暮らしと文化」コーナーに入る。 ここには、モンゴルの遊牧民の移動式住居ゲルが再現されている。 ゲル ゲルの内部 ゲルの屋根 ゲルは折りたたみ可能な木製の格子に羊毛で編んだフェルトを被せて作るテントの…

日本・モンゴル民族博物館 その3

長年に渡る戦闘の末に、1206年にモンゴル高原を統一し、全モンゴルの王となったチンギス・ハーンは、千人の兵士が所属する千人隊という騎馬軍団を編成し、その下に百人隊、その下に十人隊と、10進法に基づいて部隊を編成した。そして隊ごとに優秀な司令官を…

日本・モンゴル民族博物館 その2

日本・モンゴル民族博物館の「アジアの歴史と風土」コーナーには、モンゴル国と中国の内モンゴル自治区から出土した考古資料、歴史資料が展示してある。 モンゴルは、1921年の中華民国からの独立後、長い間ソ連の影響下にあり、社会主義国家になっていたが、…

日本・モンゴル民族博物館 その1

日出神社の参拝を終え、豊岡市但東町中山にある日本・モンゴル民族博物館に赴いた。 日本・モンゴル民族博物館 ここは、モンゴルに関する考古資料や歴史資料、モンゴル民族の生活文化に関する資料、モンゴルの主要な宗教である密教の資料、その他但東町の民…

豊岡市 日出神社

亀ヶ城跡から下山し、車に乗って東に向かう。 兵庫県豊岡市但東町畑山にある日出神社を訪れた。 日出神社 日出神社の創建がいつなのかは分かっていない。祭神は、太古に新羅から但馬に渡来し、但馬の開発を行ったという天日槍(あめのひぼこ)の四世の孫、多…

豊岡市 亀ヶ城跡 後編

曲輪Ⅱの北西側にある小さな曲輪を西に進むと、大きな堀切がある。 堀切(曲輪Ⅱ側から曲輪Ⅰ側を見下ろす) 堀切の底 この堀切は、曲輪Ⅱと曲輪Ⅰの間を隔てている。城の東西の丁度中央に当たる。 写真ではこの堀切の大きさはなかなか伝わらないが、初めて見た時…

豊岡市 亀ヶ城跡 前編

10月23日に但馬の史跡巡りを行った。 最初に訪れたのは、兵庫県豊岡市但東町太田にある山城、亀ヶ城跡である。 亀ヶ城跡のある山と駐車場 豊岡市但東町から京都府京丹後市に抜ける国道482号線を東進し、太田集落に差し掛かると、左手に「但東町指定文化財史…

久畑の関所跡 大兵庫開拓団殉難者之碑

静思堂から国道426号線を東進する。国道426号線は、兵庫県豊岡市から京都府福知山市までつながっている。 江戸時代にはこの道は、京街道と呼ばれた。出石藩や豊岡藩の大名行列は、この道を通った。 兵庫県豊岡市但東町久畑(くばた)は、江戸時代には宿場町…

静思堂

兵庫県豊岡市出石町中村は、戦前戦中戦後を通して、国会議員として議会政治と自由主義の擁護者として活躍した齋藤隆夫の出身地である。 齋藤の生家跡に、戦後になって齋藤隆夫の記念館である静思堂が建てられた。 静思堂 静思堂の名は、大観静思という齋藤隆…

出石永楽館

出石家老屋敷から西に歩くと、現存するものとしては近畿地方最古の芝居小屋である出石永楽館がある。地名で言うと、豊岡市出石町柳にある。 永楽館 永楽館入場口 永楽館の裏面 永楽館は、明治34年(1901年)に開館した。歌舞伎だけでなく、剣劇、新派劇や寄…

出石家老屋敷

宗鏡寺から出石の中心街に歩いて戻る。 豊岡市出石町内町に、出石藩の家老屋敷が残っている。 明治維新後、出石城の建物はほとんどが壊された。また明治9年の大火で、出石の町は甚大な被害を受けた。 しかしこの家老屋敷は生き残り、現代に伝えられている。…

入佐山 円覚山宗鏡寺

明治館から外に出て、東に向くと、歌枕として名高い入佐(いるさ)山が見える。 入佐山 入佐山は、月が入る名所として古来から和歌に詠われてきたが、元々は出石神社のある豊岡市出石町宮内にある此隅山に続く山嶺を指していたとされている。 天正二年(1574…

豊岡市出石町 明治館

辰鼓楼から西に歩いていく。うだつが上がる古い町並みが続く。 観光客を乗せた人力車が私の前を走っている。 出石の町並みと人力車 古い町並みと人力車。まるで明治の風景だ。ところで明治・大正時代の小説を読んでいると、車という言葉が出てくる。 戦後の…

梵唱山吉祥寺 辰鼓楼

加藤弘之生家跡を後にし、東に歩くと、曹洞宗の寺院、梵唱山吉祥寺がある。 梵唱山吉祥寺 お地蔵さん この寺は、裸婦像で有名な洋画家伊藤清永の生家として知られている。伊藤はこの寺の住職の三男として、明治44年に生まれ、平成13年に死去した。 山門を潜…

一乗山経王寺 加藤弘之生家

歴史と学びの小径を東に歩き、出石町下谷にある日蓮宗の寺院、一乗山経王寺を訪れる。 一乗山経王寺(左が鐘楼) 寺伝によれば、永禄年間(1558~1570年)にこの地に真言宗の寺院、会稽山薬王寺が創建された。 薬王寺は、江戸時代にこの地を訪れた法音院日道…

諸杉神社 弘道館跡

有子山から下山し、昼食に出石蕎麦を食べた。腹ごしらえをしてから、歩いて有子山稲荷神社の東にある諸杉神社を訪れた。 諸杉神社 諸杉神社の両部鳥居 諸杉神社は、地名で言うと兵庫県豊岡市出石町内町にある。 祭神は、天日槍(あめのひぼこ)の嫡子である…

出石城跡 有子山城跡 その4

第三曲輪の周囲には、立派な石垣が巡らされている。石垣の上に登ると、第三曲輪の一面に羊歯が生え、広々とした景色が広がっている。 第三曲輪の石垣 第三曲輪 第三曲輪の上には、第二曲輪と主郭しかない。第二曲輪に上がると、主郭の石垣と主郭に登る石段が…

出石城跡 有子山城跡 その3

有子山稲荷神社の参拝を終えて、有子山に向かって更に奥に進む。 しばらく行くと、有子山城跡の登山口が見えてきた。 有子山城跡登山口 有子山城跡登山ルート 有子山城跡は、標高約321メートルの有子山の山上にある。登山道はよく整備されていて登りやすい。…

出石城跡 有子山城跡 その2

出石城跡登城門の前にかかる登城橋と、その東側に架かる有子橋の間に、戦前の衆議院議員で、戦後は国務大臣となった郷土出身の政治家、斉藤隆夫の顕彰碑の説明板がある。 斉藤隆夫顕彰碑の説明板 斉藤は、昭和11年の二・二六事件の後に、議会において軍部の…

出石城跡 有子山城跡 その1

5月29日に但馬の史跡巡りを行った。この日は、主に兵庫県豊岡市出石(いづし)町の史跡を巡った。 先ず訪れたのは、城下町出石のシンボルとも言える、出石城跡、有子山(ありこやま)城跡である。 出石城跡、有子山城跡のある有子山 出石は、碁盤の目のよう…

村岡陣屋跡

昨日の記事で書いたように、兵庫県美方郡香美町村岡区村岡は、江戸時代に交代寄合旗本の山名家が領有し、陣屋を置いた場所である。 その陣屋は、今は跡形もないが、かつて陣屋があった御殿山は、公園として整備されている。 御殿山公園への登り口 御殿山公園…

香美町 黒野神社

豊岡市日高町から、国道482号線を西進し、兵庫県美方郡香美町村岡区村岡にある黒野神社を訪れた。 村岡は、守護大名山名家の後裔が、江戸時代に交代寄合旗本となって陣屋を置いた村である。山名家が陣屋を置くまでは黒野村という名であった。 交代寄合という…

布金山長者峰隆国寺 後編 附信貴山観音寺

隆国寺山門を潜ると目の前には大きな本堂が現れる。 本堂 本堂は、寛政四年(1792年)に再建された。平成元年には、本堂の屋根が茅葺寄棟造から銅板葺入母屋造に改修された。 茅葺屋根の本堂も見てみたかった。 本尊は聖観音座像である。左右に不動明王像と…

布金山長者峰隆国寺 前編

植村直己冒険館から南西に車を走らせ、豊岡市日高町荒川にある曹洞宗の寺院、布金山長者峰隆国寺を訪れた。 隆国寺総門 隆国寺は、室町時代に守護大名山名氏の四天王と言われた重臣垣屋隆国の菩提寺として建立された。 元々阿瀬金山(現豊岡市日高町羽尻)に…

植村直己冒険館

植村直己。 昭和に育った人なら、誰もがその名を知る日本が世界に誇る冒険家である。 豊岡市日高町伊府に、その植村を記念する植村直己冒険館が建っている。 開館は、平成6年である。昭和59年に植村が北米最高峰のマッキンリーで消息を絶ってから10年後だ。…