城郭

八上城跡 後編

高城山の頂上が近づいてきた。八上城跡の主郭付近に接近する。 八上城跡は、高城山の頂上付近に、本丸、二の丸、三の丸、岡田丸、右衛門丸という曲輪群を有する連郭式山城である。 八上城跡縄張図 頂上に近づくと、まず目に入るのが右衛門丸である。 右衛門…

八上城跡 前編

元々因幡国八上郡の国人であった波多野氏は、応仁の乱で戦功を上げ、丹波国多紀郡の郡代となり、丹波に進出することとなった。 波多野氏は移転先の根拠地に八上の名をつけた。出身地の因幡国八上郡の名を忘れなかったようだ。 その後、波多野秀通は、永正十…

篠山郊外の史跡

篠山の城下町の散策を終え、篠山郊外の史跡を訪れた。 先ず訪れたのは、丹波篠山市北にある曹洞宗の寺院、医王寺である。 医王寺 医王寺に祀られているのは、薬師如来である。お寺というより、お堂というくらいのささやかな建物だ。 医王寺の本堂 境内の薬師…

篠山城跡 その4

大書院の南側には、かつて二の丸御殿があったが、明治になって篠山城が廃城となった際に取り壊された。 二の丸御殿は、藩主やその奥方、家族が居住する建物だった。 二の丸御殿を立体的に復元する資料がないため、当時の間取図を基に、御殿のあった場所に平…

篠山城跡 その3

大書院の西側には、篠山城の歴史についての資料やゆかりの品を展示した史料館が建っている。史料館は当時を彷彿とさせる木造瓦葺建築である。 大書院と史料館の間取り 史料館出入口 篠山藩は、当初松平三家と呼ばれる三つの松平家が藩主を務め、その後譜代大…

篠山城跡 その2

慶長十四年(1609年)に篠山城が築城された時の篠山藩主は、松平康重である。 康重の家は三河国幡豆郡に本拠を置き、代々松井氏を称していたが、康重の父・松井康親から家康に仕えるようになった。 康重の代になって、家康から松平姓を与えられた。康重は慶…

篠山城跡 その1

9月30日に、私の住む兵庫県にも出ていた新型コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言が終了した。 ようやく史跡巡りが再開できるようになった。 今日訪れたのは、兵庫県丹波篠山市である。 最初に丹波篠山市の象徴とも言うべき、篠山城跡を訪れた。…

唐櫃城跡

香音寺城跡から北上し、鳥取県八頭郡智頭町大字木原にある唐櫃城跡を訪れた。 唐櫃城跡 唐櫃城跡案内板 唐櫃城跡は、標高299メートルの岩谷山の山上にある。とは言え、元々このあたりの標高が高いので、平地との実際の高低差は約60メートルほどである。 国道…

光恩寺跡 香音寺城跡

那岐神社からJR因美線那岐駅前に戻った。 那岐駅の東側にはトンネルがある。そのトンネルのある山上に、かつて光恩寺という禅寺があったという。 光恩寺のあった山 因美線那岐駅 那岐駅の木製改札 この那岐駅は、駅舎内に診療所があり、集落に住む住民の拠り…

矢筈城跡 後編

矢筈城跡を登るにつれて、雨脚が早くなってきた。傘を差しながら登山を続けた。 台風で警報が出る中の登山など、我ながら正気の沙汰ではないなと思ったが、逆に言うと片手で傘を差しながら登れるほど登りやすい登山道が続くのである。 大岩を過ぎてしばらく…

矢筈城跡 前編

JR知和駅の前の道から、矢筈城跡のある矢筈山を見上げることが出来る。 矢筈山は、標高約756メートル。この山上にある矢筈城跡は、全国の城跡の中でも、最も高地にある城跡である。 矢筈山 矢筈山は、巨大な山体を持つ山である。JR美作河井駅前には、矢筈城…

常山城跡

硯井天満宮の参拝を終え、県道405号線を西に走ると、行く手に児島富士の別名のある常山が見えてくる。 常山 常山は、標高約307メートルの低山である。この常山の山頂一帯に常山城跡がある。 常山城跡は、山頂の本丸を中心に合計14の曲輪で構成された連郭式城…

小串砲台跡 塩竈神社

静泰院の見学を終え、児島湾締切堤防の上を通って児島半島に上陸した。 児島半島は、古代は児島と言う島だったが、浅瀬の干拓が進み、今では地続きの半島となっている。 先ず訪れたのは、児島半島の北東端にある小串(こぐし)港である。地名では、岡山市南…

丹生神社 明要寺跡 後編

丹生神社の二の鳥居を過ぎて、境内に入っていく。 丹生神社二の鳥居 二の鳥居を過ぎると、石垣が見えてくる。 天正七年(1579年)、三木合戦の際、多くの僧兵を有した明要寺は、秀吉と対立する三木の別所氏側に付いた。 明要寺は秀吉軍の攻撃を受け、堂塔は…

丹生神社 明要寺跡 前編

箱木千年家から北東方面を見上げると、次なる目的地の丹生(たんじょう)神社が山頂にある丹生山が見える。 奥が丹生山 丹生山は、標高約515メートルの山で、帝釈山、稚児ケ墓山、花折山などと共に、丹生山系という山地を形成している。 丹生山史跡道しるべ…

竹田城跡 後編

二の丸から本丸に近づく。天守台の上が、この山で最も高い場所である。 本丸と天守台 本丸の西側から天守台に上がることが出来る。 天守台 天守台に登り四囲を見渡すと、まず目につくのは、南二の丸と南千畳の全景である。 南二の丸、南千畳の全景 このアン…

竹田城跡 中編

法樹寺の北側から竹田城跡への登山道が始まる。 赤松家の陣屋跡である法樹寺のすぐ側から始まるこの登山道は、赤松広秀も登った道だろう。 竹田城跡登山口 竹田城跡への登山ルートは、3通りある。駅裏登山路、表米神社登山路、山城の郷駐車場からの登山路で…

竹田城跡 前編

6月20日で、私の住む兵庫県に出ていた新型コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言が終わった。 そのため、4月24日以来控えていた史跡巡りを再開した。 今日訪れたのは、久々に但馬である。スイフトスポーツで播但連絡道路を北上し、和田山ICで下…

柏原藩陣屋跡

追手神社の参拝を終え、丹波篠山市と丹波市の境を越え、丹波市柏原(かいばら)町に向かった。 この地は、明治まで柏原藩織田家が治めていた。この織田家は、あの信長の子孫の家である。 柏原町柏原には、柏原藩の政庁だった国指定史跡柏原藩陣屋跡がある。 …

美和山古墳群

高野神社の参拝を終え、国道179号線を挟んで北側にある美和山古墳群を訪れた。ここも津山市二宮になる。 美和山古墳群は、国指定史跡で、4~5世紀に築かれた古墳群とされている。 前方後円墳の1号墳と、円墳の2、3、6号墳の4つの古墳がある。 美和山…

神楽尾城跡 後編

馬場から南に行けば三の丸の遺構がある。 参考までに、馬場の説明板に掲示していた城跡の縄張り図を出しておく。 神楽尾城跡の縄張り図 神楽尾城は、永禄九年(1566年)以降、毛利方の城であったが、最終的に宇喜多直家の攻撃によって陥落した。秀吉の時代に…

神楽尾城跡 前編

沼弥生住居跡から西の方を見ると、津山市街の西側に聳える神楽尾(かぐらお)山が見える。 神楽尾山は、標高308メートルで、山上に土で築かれた戦国の山城、神楽尾城跡がある。 ここがなかなか印象的な城跡であった。 神楽尾山 上の写真の丁度真ん中の、少し…

岡山城 その4

今日は、岡山城の外周を紹介する。 岡山城の南側に、モダンな外観の岡山県立図書館がある。 岡山県立図書館 今岡山県立図書館の建つ場所は、かつては岡山城二の丸の一隅で、榎馬場と呼ばれる広場であった。ここで藩士の乗馬の練習などが為されたのであろう。…

岡山城 その3

中の段から不明門(あかずのもん)を通って、天守の建つ本段に向かう。 不明門 不明門は、表書院のある中の段と天守のある本段を結ぶ出入口だが、普段は閉まっていたそうだ。なので、不明門と言うらしい。 不明門は、明治に入ってから解体されてしまったが、…

岡山城 その2

岡山城の本丸は、本段と中の段で構成されている。天守が建っている最も高い場所が本段で、そこから一段低い場所が中の段である。 中の段には、岡山藩の政務が行われていた表書院があった。 表書院の復元模型 明治2年の版籍奉還により、岡山藩は消滅し、岡山…

岡山城 その1

岡山市のシンボルである岡山城。 日本城郭協会が、日本100名城というものを定めているが、私は今までの史跡巡りで、その内赤穂城、姫路城、明石城、津山城を訪れている。 岡山城は、私が訪れた5つ目の日本100名城に選定されたお城になる。 岡山城の天守は、…

兵庫城跡 大輪田泊の岩椋

神戸市兵庫区の大輪田橋の西詰から北に向かって、新川運河のプロムナードが続いている。 新川運河は明治時代に掘削された運河である。 新川運河 かつて運河の東側の中之島には、中央市場があったが、今はイオンモール神戸南店が建っている。 プロムナードは…

和田岬砲台 大輪田橋 清盛塚・琵琶塚

今までの史跡巡りで、幕末に築かれた舞子砲台と松帆砲台を紹介したが、神戸市兵庫区和田崎町1丁目の三菱重工業神戸造船所の敷地内にも、幕末に築かれた砲台の一つである和田岬砲台がある。 和田岬砲台を管理する三菱重工業神戸造船所は、海上自衛隊が使用す…

江埼灯台

松帆の浦の裏には、マナイタ山と呼ばれる低山が聳える。 マナイタ山 マナイタ山には、中世には城が築かれていたらしい。 マナイタ山城と呼ばれたが、誰がいつ築いたのか詳細は分かっていない。 天正年間に、織田と毛利がこの城を巡って争った。当時毛利は、…

松帆の浦

淡路島の最北端一帯の海岸は、松帆の浦と呼ばれている。 古来から、何度も和歌に詠まれてきた歌枕である。 松帆の浦 現在の松帆の浦の東側は、波が砂利に打ち寄せる自然の海岸であり、そこに立つと、明石海峡の対岸が指呼の間に見える。 松帆の浦を詠んだ有…