城郭

津山藩陣屋跡 浄源坊

宝生院の見学を終え、レンタサイクルで西に走った。 土庄町渕崎に、土庄町立渕崎小学校があるが、ここは江戸時代後期に小豆島を領有した津山藩の代官所が置かれた場所である。 津山藩陣屋跡 小豆島は、元和元年(1615年)から幕府直轄領であったが、天保九年…

ヌクモ山城跡 ヌクモ古墳群

石原城跡から東南を眺めると、標高150メートルほどのヌクモ山という低山が横たわっている。 この山には、中世の山城跡であるヌクモ山城跡とヌクモ古墳群が存在する。 ヌクモ山 上の写真の正面に写っているのがヌクモ山だが、山上に2つの鉄塔がある。 右側(…

金光山洞玄寺 石原城跡

阿毘地神社から西に行き、福知山市石原2丁目にある曹洞宗の寺院、金光山洞玄寺に赴いた。 金光山洞玄寺 洞玄寺は、小高い丘の上に建っているが、この丘は元々は石原城という城であった。 天文年間(1532~1554年)に、安芸国からこの地に移ってきた大槻安芸…

猪崎城跡

三段池公園の南側に、戦国時代に築かれた山城の跡である猪崎城跡がある。 猪崎城跡のある城山 猪崎城跡は、天文~永禄年間(1532~1569年)に築城された山城で、明智光秀が丹波を平定する前に築かれたものである。 城跡のある城山は、高さ50メートルほどの低…

篠向城跡

真庭市街の南東に標高419メートルの篠向(ささぶき)山が聳えている。 山上に、中世の山城跡である篠向山城跡がある。 篠向山 篠向山城跡には、車で上がることが出来る。山の西側にある岡山県真庭市大庭の集落から、山上に上がる舗装路に入ることが出来る。 …

福良

兵庫県南あわじ市福良(ふくら)は、古くから淡路から阿波に渡る船が発着する港であった。 古代律令制で定められた南海道の福良駅が置かれた場所でもある。 江戸時代には、徳島藩の屋敷や番所が置かれた。近代になってからも、大鳴門橋が完成するまで、徳島…

観音山相応峰寺 後編

三柱神社の脇から観音山への登山道が始まる。 暑い中、気を引き締めて登り始めた。 観音山登山道の登り口 登山道の道端には、ミニ西国三十三所観音霊場の観音菩薩像と、ミニ四国八十八ヶ所霊場の石仏が祀られている。 登山道 道端の石仏 砂岩製の石仏は、微…

観音山相応峰寺 前編

加藤文太郎記念図書館から東に行き、岸田川を渡ると、清富(きよどめ)の集落がある。 集落の北側にある観音山は、若き日の加藤文太郎が何度も登った山だという。 観音山 観音山の麓には、天台宗の寺院、観音山相応峰寺がある。山上には、相応峰寺の奥の院の…

備中高松城跡 後編

天正十年(1582年)六月二日未明、京都本能寺で織田信長が家臣明智光秀に討たれた。 主君信長の死の報せは、備中高松城を包囲する秀吉の下にも届いた。 動揺する秀吉に対し、軍師黒田官兵衛は、むしろこれで殿に天下獲りのチャンスが訪れたと励ました。 光秀…

備中高松城跡 前編

鯉喰神社の見学を終え、岡山市北区高松にある国指定史跡・備中高松城跡に赴いた。 最上稲荷の巨大な鳥居を過ぎてしばらく行くと、史跡公園として整備された備中高松城跡が見えてくる。 備中高松城跡 備中高松城跡は、私が史跡巡りで訪れた13番目の日本200名…

王墓山古墳 日畑廃寺跡 日幡城跡

犬養木堂記念館の見学を終え、足守川を越えて西に行き、岡山県倉敷市庄新町にある王墓山古墳を訪れた。 王墓山古墳への道は、庄新町公民館の南東側に並ぶ民家の間にある。 王墓山古墳への道 この道を入っていくと、行く手に6世紀後半に築造された王墓山古墳…

旧新宮社跡 東林山真如院 伝賀陽氏館跡

吉備の中山の西側の、岡山市北区川入の集落の奥に、吉備津神社摂社の旧新宮社跡がある。 新宮社は、吉備津神社祭神大吉備津彦大神の子神である吉備武彦命を祀る社である。 新宮社は、現在は吉備津神社境内にある本宮社に合祀されているが、昔は川入の集落に…

福知山城 後編

光秀の福知山城築城後、城代になったのは、光秀の娘を娶り、明智姓を名乗ることを許された光秀の家臣三宅弥平次こと明智左馬之助秀満である。 天正十年(1582年)六月一日、信長から、備中高松城を攻囲する秀吉の応援のための出陣を命じられていた光秀は、1…

福知山城 中編

本丸跡の西側には、銅門(あかがねもん)番所がある。 銅門は、本丸の西側にあった二の丸の登城門で、明治31年に寺町の正眼寺に移築された。 銅門番所は、銅門を警備した武士が駐留した建物だろう。 銅門番所 銅門番所は、門の移築後もそのまま残されたが、…

福知山城 前編

福知山市のシンボルとして、市の中心に聳えているのが、福知山市内記にある福知山城の天守である。 福知山城は、私が訪れた5番目の続日本100名城であり、12番目の日本200名城になる。日本200名城巡りを基準に考えると、私の日本全国史跡巡りは、ようやく全…

福知山市丹波生活衣館 福知山市佐藤太清記念美術館

明覚寺から南に車を走らせると、城下通りという2車線の南北道の突き当りに福知山城が見えてくる。 小高い丘の上に築かれた城だ。 福知山城 その福知山城の北側の福知山市内記にあるのが、福知山市丹波生活衣館である。 福知山市丹波生活衣館 丹波生活衣館は…

鳥取藩主池田家墓所 後編 奥谷城跡 宮下52号墳

鳥取藩主池田家墓所の門の手前に、池田家の菩提寺である興禅寺の歴代住職の墓地がある。 興禅寺歴代住職の墓 歴代住職の墓地の隣に、初代藩主光仲の側室だった上野氏勾(こう)とその養子上野忠親の墓所がある。 上野勾の墓(中央)と上野忠親の墓(右側) …

甑山城跡 鷺山古墳

稲葉山の南側、袋川と美歎川が合流する地点の右岸側に、甑(こしき)を伏せたような形状の山がある。甑山である。 甑山 甑山の名称の由来は、その山の形からではないようだ。 古代にこの地を征した武内宿禰が、この山の上に甑を据えて、因幡平定の布石として…

養宜館跡

安楽寺の参拝を終え、北西に車を走らせる。 兵庫県南あわじ市八木養宜中にある養宜館(やぎやかた)跡を訪れた。 養宜館跡東側の土塁跡 養宜館跡は、暦応三年(1340年)から永正十六年(1519年)までの間、淡路守護として淡路を領有した細川氏七代の居館跡で…

虎倉城跡 宇甘渓

3月15日に備前の史跡巡りを行った。この旅は、私の最後の備前の史跡巡りになった。つまり、「岡山県の歴史散歩」に載る備前の全史跡を、この旅で踏破したのである。 最初に訪れたのは、岡山市北区御津町虎倉(こぐら)にある虎倉城跡である。 虎倉城跡のあ…

西屋城跡 前編

富地域から東進し、国道179号線に出て北上する。 岡山県苫田郡鏡野町女原の集落が近づくと、目前に標高約515メートルの西屋城跡が見えてくる。 西屋城跡 西屋城跡の築城年代は定かではない。天正年間(1573~1592年)には、宇喜多直家に攻略され、苔口利長が…

小田草神社 小田草城跡 後編

小田草神社の境内には、一の谷稲荷神社が祀られている。 一の谷稲荷神社の社殿は、鏡野町指定文化財となっている。 一の谷稲荷神社覆屋 一の谷稲荷神社本殿は、覆屋に覆われている。 覆屋は拝殿と一体化している。全体が朱色に塗られ、いかにもお稲荷さんら…

小田草神社 小田草城跡 前編

苫田ダムから東進し、苫田郡鏡野町馬場にある小田草神社と小田草城跡を目指した。 小田草城跡は、標高約390メートルの小田草山の山上にあるが、その麓に小田草神社がある。 小田草山 小田草神社参道 小田草神社の参道は、急な石段である。息を切らしながら、…

葛下城跡

2月12日に美作の史跡巡りを行った。所々に雪が残る中を巡る旅だった。 最初に訪れたのは、岡山県苫田郡鏡野町中谷にある葛下(くずか)城跡である。 葛下城跡 葛下城跡は、標高約370メートルの大松山上にある山城跡である。 葛下城跡への登り口は二つある。…

志知城跡

ハバ古墳のあった南あわじ市立志知小学校から東進し、南あわじ市志知松本にある志知城跡を訪れた。 志知城跡 志知城は、鎌倉時代初めに菅和泉守道忠によって築城されたと伝わっている。南北朝期には、南朝方の志知の武士が、この城を拠点に淡路西浦から京に…

叶堂城跡

慶野松原から兵庫県道31号線を南下し、三原川にかかる御原橋の北詰の交差点を右折西進する。 川沿いをしばらく進むと、右手に叶堂(かなど)城跡の石碑が建っている。 叶堂城跡の碑 叶堂城は、慶長五年(1600年)に豊臣氏の代官石川光之によって築城された。…

明慶山平等寺

倭文(しとおり)八幡神社の北側に隣接して建つのが、真言宗の寺院、明慶山平等寺である。 明慶山平等寺 平等寺は、長年倭文八幡神社の別当寺として同社を管理してきた。 江戸時代までは、八幡神の本地仏として、同社の薬師堂に薬師如来立像が祀られていたが…

本荘八幡宮 

下津井城跡の見学を終え、倉敷市児島通生(かよう)に向かった。 児島通生に、湊岬という海に突き出した山がある。この山上にあるのが、湊山城跡である。 湊山城跡 湊山城は、児島半島にあった常山城の支城で、常山城主上野隆徳の家臣山田菊次郎が城主を務め…

下津井城跡 後編

本丸の南側にあるのが二の丸跡である。 二の丸跡 下津井城跡の縄張り図 下津井城跡の中では、この二の丸跡からの眺めが一番いい。そのためか、東屋もある。 二の丸跡から眺めた櫃石島 ここから下津井の町並みや、瀬戸内海の眺めが堪能できる。 二の丸跡の南…

下津井城跡 前編

下津井の町並みの北側に聳える城山の山上にあるのが、下津井城跡である。 下津井城は、天正九年(1581年)ころに備前、美作の覇者となった宇喜多直家が築城した。 下津井城跡 関ケ原の合戦後、小早川秀秋の家臣平岡石見守が在城したが、慶長八年(1603年)に…