城郭

旧友井家住宅 親縁寺 岩尾城跡

石龕寺のある岩尾山から下りて、車を西に走らせる。 丹波市山南町野坂に移築保存されている旧友井家住宅を訪れた。 旧友井家住宅 旧友井家住宅は、元々は山南町阿草の集落に建っていた。友井家は、慶長年間(1596~1615年)から現代まで15代続く農家で、檜皮…

若桜鬼ヶ城跡

若桜の町の背後に聳える鶴尾山は、別名鬼山と言う。若桜町歴史民俗資料館から、その全貌を視界に収めることが出来る。 鬼山 鬼山の山上に、国指定史跡・若桜鬼ヶ城がある。 財団法人日本城郭協会は、日本100名城、続日本100名城を指定している。 今までのブ…

生野の変

文久三年(1863年)10月11日、尊王攘夷派の元福岡藩士・平野国臣、長州藩士南八郎(本名河上弥市)らは、いわゆる七卿落ちで長州に落ち延びた公卿の澤宜嘉を総帥に迎え、倒幕のため但馬国生野の地で挙兵する。 翌12日、志士達は生野代官所を襲撃し、無血占拠…

明禅寺城跡

恩徳寺の裏手にある操山の尾根上にあるのが、明禅寺城跡である。 山の全貌は、北側の百間川の河川敷辺りから目にすることが出来る。 明禅寺城跡のある操山 明禅寺城跡に行こうと思えば、山の北側の墓地を抜けて登る道を行くか、恩徳寺の北側の畑を抜けたとこ…

神戸市西区 太山寺 後編

太山寺境内の東側にある羅漢堂と釈迦堂の位置関係は、丁度神社の拝殿と本殿の位置関係に似ている。羅漢堂の奥に釈迦堂がある。 羅漢堂 羅漢堂は、正面に華頂窓と大きな唐破風を持つ寺院建築である。建立は江戸時代後期と伝えられる。 内部には、四天王像、十…

津山城跡 後編

表鉄門の跡を通過し、津山城跡の本丸跡に入る。広々とした空間が広がる。 本丸の空間 かつてこの本丸跡には、広壮な本丸御殿が建っていた。 本丸から、今まで登って来た城の石垣群を見下ろす。 眼下の石垣群 さて、本丸の南西隅に、平成17年に再建された備中…

津山城跡 中編

熱風が吹く中、津山城跡を散策する。 かつて表中門があった辺りは、広い石段を北東西の三方向から石垣が囲んでいる。 表中門跡 広い石段の左手にある石垣が、これまた見事な穴太積である。 穴太積の石垣 不揃いな形の石垣の組合せが、隙間のない緊密な石垣よ…

津山城跡 前編

JR津山駅前には、今年7月30日の当ブログ「津山洋学」の記事で紹介した、津山藩を代表する幕末の洋学者、箕作阮甫(みつくりげんぽ)の銅像がある。 箕作阮甫像 大体駅前に設置される銅像は、その地域が最も誇りとする人物や、その地域を象徴するものの像…

明石城 後編

明石城の巽(たつみ)櫓は本丸の南東に、坤(ひつじさる)櫓は本丸の南西に建つ三重櫓である。 両方、国指定重要文化財である。 手前が巽櫓、奥が坤櫓 巽櫓は、安土桃山時代に明石川河口付近に建てられた船上(ふなげ)城の天守か櫓を移築したものとされてい…

明石城 前編

人口約30万人の明石市の象徴となる建物が明石城である。天守はないものの、国指定重要文化財の三重櫓2棟を有する近世の本格的城郭建築の遺構である。 別名喜春(きしゅん)城と呼ばれる。 かつて訪問した明石市立文化博物館には、明石城の模型が展示してあ…

笠井山薬師院 龍之口八幡宮

金山寺のある金山は、標高499メートルである。金山は、南側の笠井山と連なっている。 金山寺から南に細い山道を走ると、天台宗の寺院、笠井山薬師院がある。 薬師院は、天平勝宝元年(749年)に報恩大師が備前四十八ヶ寺の根本道場金山寺を開いた時に、境外…

周匝城跡

岡山県赤磐市周匝(すさい)にある山城の遺構が、周匝城跡である。 周匝城は、茶臼山城とその奥の大仙山城の2つの連続した山城の総称である。 茶臼山城 茶臼山城を築城したのは、浦上宗景の家臣だった笹部勘次郎だとされている。勘次郎は、天文二年(1533年…

湯川山法光寺

北播磨地方は、酒米の産地である。有名なのは、山田錦である。 酒米の生育には、昼夜の寒暖差が大きい、内陸性の気候が適している。地形的には風通しがよい、丘陵地の山麓が最適で、粘質土壌の凝灰岩の地質がいいとされている。北播磨は、この条件に合致する…

三木城跡 細川庄

三木市上の丸町一帯が、国指定史跡の三木城跡である。今まで紹介した、雲龍寺や三木市立みき歴史資料館、三木市立金物資料館も、三木城跡に含まれる。 三木城跡の見取図 三木城は、15世紀後半に別所則治により築城された。当時は、東播磨随一の要害であった…

雲龍寺 三木市立みき歴史資料館

別所長治が居城とした三木城は、三木市上の丸町の小高い丘の上にあった。 曹洞宗の寺院、高源山雲龍寺は、三木城内にあった寺である。 雲龍寺は、村上天皇の勅命により、天徳二年(958年)に慈恵僧正が創建した。天皇の勅願所としての高い格式を誇ったが、そ…

枝吉城跡 吉田南遺跡

吉田郷土館の裏手に小高い丘がある。昔枝吉(しきつ)城があった丘である。 麓には、神本神社という神社がある。 枝吉城跡のある丘 枝吉城跡登り口 吉田郷土館の裏に城跡への登り口がある。低い丘なので、すぐに頂上の城跡に至る。 枝吉城跡 頂上は、公園の…

美作滝尾駅 医王山城跡

何気なく行き過ぎる景色の中にも、突然メルヘンのような風景が現れることがある。 私にとって、JR美作滝尾駅舎はまさにそういう風景だった。 津山市と鳥取市を結ぶJR因美線は、山間の小さな集落の間を縫うように走るローカル線である。 津山市堀坂にある美作…

旧勝北町の史跡

美作地方の中心都市である津山市は、古くからこの地域の中心であったが、平成17年に、勝田郡勝北町、苫田郡加茂町、同阿波村、久米郡久米町と合併して現在の広大な市域となった。 今日は、合併して消滅した旧勝北町の史跡を紹介する。今は、勝北町の名を冠す…

加東市 ところどころ

播州清水寺の参拝を終え、山下に降りて、県道を南西に進むと、加東市上鴨川に至る。 ここにあるのが、上鴨川住吉神社である。 この神社の入り口には鳥居がない。自然の樹木の間に注連縄をかけ、そこに紙垂の代わりに羊歯を下げている。 神社入り口 このよう…

三草山

姫路から京都まで貫通しているのが、国道372号線である。姫路から加西市、加東市を抜けて、丹波篠山に至り、そこから京都府の亀山を通過して京洛に到着する。 高速道路を使わずに、車で播州から京都に行くには、神戸や大阪を通過するルートと、この国道372号…

虫明 長島

岡山県瀬戸内市邑久町虫明は、古くから風待ちの港として栄え、江戸時代には岡山藩池田家の筆頭家老伊木氏が陣屋を設け、沿岸警備に当たった。 JA裳掛支所の北側にある工場の辺りが、茶屋と呼ばれた伊木氏の陣屋があった場所である。 工場の中に、「伊木氏茶…

好古館 小野市伝統産業会館

兵庫県小野市西本町にある好古館は、小野市の遺跡から発掘された出土品や、歴史資料を展示する歴史博物館である。 昭和11年に建てられた小野小学校の講堂を移築して、平成2年に開館した。 好古館の隣には、小野小学校があるが、学校の前に一柳家陣屋遺跡の…

奈義町の史跡

菩提寺から山岳路をしばらく西に走ると、大別当城跡に登る道が見えてくる。 登り口から北を望むと、彼方に那岐山が聳えている。 那岐山 那岐山は、標高1255メートルである。あの山の向こうは鳥取県だ。 奈義山脈中には、他にも複数の山城があるが、いずれも…

三星城跡 吉田の油地蔵

林野の町から国道179号線を北上すると、左手に三星山が見えてくる。この山の麓にあるのが三星城跡である。 美作中央病院の裏に三星山の登り口がある。 三星山登り口 登山口には、明見三星稲荷の鳥居がある。この先で道が左右に分かれる。左に行けば、明見三…

林野

長福寺を出て、国道374号を使って吉野川沿いを北上する。 しばらく車で走ると、美作市安蘇にある、安蘇宝篋印塔に至る。 安蘇宝篋印塔 安蘇宝篋印塔には、正中二年(1325年)性忍敬白という銘文がある。 鎌倉時代後期は、石造美術の最盛期である。この時代に…

天神山城跡 後編

天神山城南の段から太鼓丸方向に歩く。南の段のすぐ下に、「堀切り」と呼ばれる空堀の跡がある。山城には空堀を掘って防御設備とした。 堀切り 参考までに、前期天神山城である太鼓丸城の鳥瞰図を掲げる。 太鼓丸城鳥瞰図 堀切りを過ぎると、すぐに亀の甲と…

天神山城跡 中編

天神山城は、尾根沿いに防御施設が続いている。 参考までに、前回と別の鳥瞰図を掲載する。 天神山城鳥瞰図 下の段の次の西櫓台には、城の西方にある佐伯平野を見張るための櫓台があった。確かに西櫓台のあった場所から西方を望むと、佐伯平野が一望できる。…

天神山城跡 前編

赤松氏の下で備前国守護代をしていた浦上氏は、応仁の乱後、主家の赤松氏よりも強大になった。 浦上村宗は、大永元年(1521年)、主君である赤松義村を殺害し、その子赤松政村(後の晴政)を傀儡として、播磨、備前、美作の実権を握った。 村宗は、中央での…

中道子山城跡

兵庫県加古川市志方町岡にある標高271メートルの城山山上には、赤松円心の四男、赤松氏範が築城した中道子山(なかどうじやま)城跡がある。 赤松氏範は、終始一貫して足利幕府と北朝に与した円心や兄3人と異なり、最後まで南朝方に立って戦った武将である…

小原宿

伝宮本武蔵宅跡から北に行くと、左手に竹山が見えてくる。武蔵の父と伝えられる平田無二斎が仕えた新免氏の居城跡のある山である。 標高430メートルの竹山であるが、山頂まで舗装路が続いている。 竹山城登り口 ZC33Sで山頂まで走った。山頂には、車を置ける…