城郭

周匝城跡

岡山県赤磐市周匝(すさい)にある山城の遺構が、周匝城跡である。 周匝城は、茶臼山城とその奥の大仙山城の2つの連続した山城の総称である。 茶臼山城 茶臼山城を築城したのは、浦上宗景の家臣だった笹部勘次郎だとされている。勘次郎は、天文二年(1533年…

湯川山法光寺

北播磨地方は、酒米の産地である。有名なのは、山田錦である。 酒米の生育には、昼夜の寒暖差が大きい、内陸性の気候が適している。地形的には風通しがよい、丘陵地の山麓が最適で、粘質土壌の凝灰岩の地質がいいとされている。北播磨は、この条件に合致する…

三木城跡 細川庄

三木市上の丸町一帯が、国指定史跡の三木城跡である。今まで紹介した、雲龍寺や三木市立みき歴史資料館、三木市立金物資料館も、三木城跡に含まれる。 三木城跡の見取図 三木城は、15世紀後半に別所則治により築城された。当時は、東播磨随一の要害であった…

雲龍寺 三木市立みき歴史資料館

別所長治が居城とした三木城は、三木市上の丸町の小高い丘の上にあった。 曹洞宗の寺院、高源山雲龍寺は、三木城内にあった寺である。 雲龍寺は、村上天皇の勅命により、天徳二年(958年)に慈恵僧正が創建した。天皇の勅願所としての高い格式を誇ったが、そ…

枝吉城跡 吉田南遺跡

吉田郷土館の裏手に小高い丘がある。昔枝吉(しきつ)城があった丘である。 麓には、神本神社という神社がある。 枝吉城跡のある丘 枝吉城跡登り口 吉田郷土館の裏に城跡への登り口がある。低い丘なので、すぐに頂上の城跡に至る。 枝吉城跡 頂上は、公園の…

美作滝尾駅 医王山城跡

何気なく行き過ぎる景色の中にも、突然メルヘンのような風景が現れることがある。 私にとって、JR美作滝尾駅舎はまさにそういう風景だった。 津山市と鳥取市を結ぶJR因美線は、山間の小さな集落の間を縫うように走るローカル線である。 津山市堀坂にある美作…

旧勝北町の史跡

美作地方の中心都市である津山市は、古くからこの地域の中心であったが、平成17年に、勝田郡勝北町、苫田郡加茂町、同阿波村、久米郡久米町と合併して現在の広大な市域となった。 今日は、合併して消滅した旧勝北町の史跡を紹介する。今は、勝北町の名を冠す…

加東市 ところどころ

播州清水寺の参拝を終え、山下に降りて、県道を南西に進むと、加東市上鴨川に至る。 ここにあるのが、上鴨川住吉神社である。 この神社の入り口には鳥居がない。自然の樹木の間に注連縄をかけ、そこに紙垂の代わりに羊歯を下げている。 神社入り口 このよう…

三草山

姫路から京都まで貫通しているのが、国道372号線である。姫路から加西市、加東市を抜けて、丹波篠山に至り、そこから京都府の亀山を通過して京洛に到着する。 高速道路を使わずに、車で播州から京都に行くには、神戸や大阪を通過するルートと、この国道372号…

虫明 長島

岡山県瀬戸内市邑久町虫明は、古くから風待ちの港として栄え、江戸時代には岡山藩池田家の筆頭家老伊木氏が陣屋を設け、沿岸警備に当たった。 JA裳掛支所の北側にある工場の辺りが、茶屋と呼ばれた伊木氏の陣屋があった場所である。 工場の中に、「伊木氏茶…

好古館 小野市伝統産業会館

兵庫県小野市西本町にある好古館は、小野市の遺跡から発掘された出土品や、歴史資料を展示する歴史博物館である。 昭和11年に建てられた小野小学校の講堂を移築して、平成2年に開館した。 好古館の隣には、小野小学校があるが、学校の前に一柳家陣屋遺跡の…

奈義町の史跡

菩提寺から山岳路をしばらく西に走ると、大別当城跡に登る道が見えてくる。 登り口から北を望むと、彼方に那岐山が聳えている。 那岐山 那岐山は、標高1255メートルである。あの山の向こうは鳥取県だ。 奈義山脈中には、他にも複数の山城があるが、いずれも…

三星城跡 吉田の油地蔵

林野の町から国道179号線を北上すると、左手に三星山が見えてくる。この山の麓にあるのが三星城跡である。 美作中央病院の裏に三星山の登り口がある。 三星山登り口 登山口には、明見三星稲荷の鳥居がある。この先で道が左右に分かれる。左に行けば、明見三…

林野

長福寺を出て、国道374号を使って吉野川沿いを北上する。 しばらく車で走ると、美作市安蘇にある、安蘇宝篋印塔に至る。 安蘇宝篋印塔 安蘇宝篋印塔には、正中二年(1325年)性忍敬白という銘文がある。 鎌倉時代後期は、石造美術の最盛期である。この時代に…

天神山城跡 後編

天神山城南の段から太鼓丸方向に歩く。南の段のすぐ下に、「堀切り」と呼ばれる空堀の跡がある。山城には空堀を掘って防御設備とした。 堀切り 参考までに、前期天神山城である太鼓丸城の鳥瞰図を掲げる。 太鼓丸城鳥瞰図 堀切りを過ぎると、すぐに亀の甲と…

天神山城跡 中編

天神山城は、尾根沿いに防御施設が続いている。 参考までに、前回と別の鳥瞰図を掲載する。 天神山城鳥瞰図 下の段の次の西櫓台には、城の西方にある佐伯平野を見張るための櫓台があった。確かに西櫓台のあった場所から西方を望むと、佐伯平野が一望できる。…

天神山城跡 前編

赤松氏の下で備前国守護代をしていた浦上氏は、応仁の乱後、主家の赤松氏よりも強大になった。 浦上村宗は、大永元年(1521年)、主君である赤松義村を殺害し、その子赤松政村(後の晴政)を傀儡として、播磨、備前、美作の実権を握った。 村宗は、中央での…

中道子山城跡

兵庫県加古川市志方町岡にある標高271メートルの城山山上には、赤松円心の四男、赤松氏範が築城した中道子山(なかどうじやま)城跡がある。 赤松氏範は、終始一貫して足利幕府と北朝に与した円心や兄3人と異なり、最後まで南朝方に立って戦った武将である…

小原宿

伝宮本武蔵宅跡から北に行くと、左手に竹山が見えてくる。武蔵の父と伝えられる平田無二斎が仕えた新免氏の居城跡のある山である。 標高430メートルの竹山であるが、山頂まで舗装路が続いている。 竹山城登り口 ZC33Sで山頂まで走った。山頂には、車を置ける…

米田天神社 泊神社

剣聖宮本武蔵。 その出生地は播磨国だと言われている。出生地とされている高砂市米田町米田にある米田天神社を訪れた。 武蔵の甥で、武蔵の養子となった宮本伊織は、小倉藩の筆頭家老となったが、故郷の氏神である泊神社(現兵庫県加古川市)が荒廃している…

高砂の寺院、高砂神社

高砂市伊保3丁目にある膽匐山(せいぶくさん)真浄寺は、浄土真宗の寺院である。 真浄寺 ここには、江戸時代中期の画家・曽我蕭白の描いた障壁画があって、兵庫県指定文化財となっている。 楼門 楼門の龍の彫刻 しかし、楼門の前の柵が閉ざされて、境内に入…

北曽根城跡 法泉寺

再び岡山県和気郡和気町を訪れた。 JR和気駅の北側にある富士見橋を渡ると、目の前に聳えるのが、和気富士と呼ばれる城山である。標高173メートル。そう高い山ではない。 城山 城山の山上には、かつて北曽根城という山城があった。別名黒山城という。 戦国期…

神河町

兵庫県神崎郡神河町は、平成17年に、神崎町と大河内町が合併して出来た町である。播磨北端の町であり、峠を北に越えれば、そこは但馬である。 今日は、この町の史跡を紹介する。 今の神河町の地域は、江戸時代を通じて、福本藩池田家が支配した。寛文三年(1…

溝口廃寺跡、恒屋城跡

姫路市香寺町溝口にある円覚寺のすぐ南側に、溝口廃寺跡がある。 この廃寺は、発掘された瓦の文様などから、奈良時代前期の寺の遺跡だと言われている。 溝口廃寺跡 今では、叢の中に、かつての礎石が点々と残っているのみである。 礎石群 特に中心にある礎石…

三石

ついに当ブログも県境を越えて、岡山県に入ることとなった。 この勢いで、いずれ全国制覇を成し遂げたいが、距離が伸びればそれだけガソリン代や高速道路代や宿泊代がかかるので、自宅から離れれば離れるほど、史跡巡りの勢いは衰えてくる。全国制覇の前に私…

平福

兵庫県佐用郡佐用町平福は、江戸時代に、因幡街道沿いの宿場町として開けた。 慶長五年(1600年)に、平福を見下ろす利神(りかん)城城主となった池田由之が、宿場町平福を整備した。江戸時代には、因幡街道随一の繁栄を誇ったという。 今でも、平福の千種…

置塩城跡

姫路市夢前町宮置に、後期赤松氏の居城だった置塩(おじお)城の跡がある。 置塩城は、建築当時、日本国内の山城としては最大規模で、もし石垣が現存していたら、但馬竹田城を上回る壮麗な山城の遺構を見せてくれたであろう。 置塩山 ここで赤松氏の歴史をお…

上月城跡 上三河農村舞台

3日ぶりの更新だが、今日の史跡も残念ながら地味である。しかも、その歴史は凄惨である。 兵庫県佐用郡佐用町上月にある上月城跡が今日の舞台である。 城山 上月城跡は、城山という山の上にある。 麓には、土日祝日に開いている上月歴史資料館があるが、私…

三日月

かつて兵庫県佐用郡三日月町という自治体があったが、平成17年に、佐用郡佐用町に合併された。 旧三日月町周辺は、江戸時代には三日月藩という藩が領域支配していた。 三日月藩乃井野陣屋跡 元禄十年(1697年)、幕府は、津山藩森家の改易に伴い、分家の森長…

姫路城 その6 附好古園

長かった姫路城シリーズも今日で終わりである。 姫路城大手門を出て、内曲輪の周囲を歩くことにする。 姫路城の内曲輪は、水が満々と湛えられた濠に囲まれている。 姫路城の濠 こうして見ると、B29のレーダーが濠の水を捉えた反応を見て、操縦手がこの辺を沼…