2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧

備前片上

備前市の市街地は、山によって東西に分かれている。東側が片上、西側が伊部という地域である。伊部は、備前焼の窯元が多数軒を連ねる焼き物の町である。 今日は、片上で訪れた資料館と寺院を紹介する。 資料館は、備前市歴史民俗資料館である。 備前市歴史民…

閑谷学校 後編

聖廟の東隣には、池田光政公を祀る閑谷神社がある。別名芳烈祠という。 閑谷神社本殿は、現在修復工事中で、境内には入ることが出来なかった。 閑谷神社 閑谷神社拝殿 神社建築である拝殿に華頭窓があるのは、なかなか珍しい。拝観できないのは残念だが仕方…

閑谷学校 中編

閑谷学校の西側には、かつて学房と呼ばれる生徒の寄宿舎や食堂などがあった。 茅葺の簡素な建物だったが、弘化四年(1847年)の火災により焼失した。 その後学房は再建されたが、明治38年(1905年)にこの地に建てられたのが、私立中学閑谷黌である。 私立中…

閑谷学校 前編

岡山藩池田家初代藩主池田光政が、庶民の教育を目的として寛文十年(1670年)に設立したのが閑谷学校である。世界初の庶民のための公立学校である。 閑谷学校が現在の姿になったのは、二代目池田綱政の時代の元禄十四年(1701年)である。閑谷学校は、完成当…

八塔寺、松本寺理性院

岡山県備前市吉永町の北端の高原上に、八塔寺がある。 吉永町の北部には、加賀美(鏡)、 多麻(玉)、 都留岐(剣)という、三種の神器と一致する地名が残っている。なかなか興味深いが、この地名の由来は調べてもよく分からない。八塔寺は、加賀美地区にある。…

池田家和意谷墓所、津田永忠墓

岡山県和気郡和気町吉田の集落を抜けると、国指定史跡である津田永忠墓がある。 津田永忠は、岡山藩主初代池田光政と2代目綱政に仕えた名臣である。 津田永忠夫妻の墓 永忠は、寛永十七年(1640年)に岡山に生まれた。14歳で藩主光政の側児小姓となる。宝永…

福崎 後編

柳田國男生家から北東に行くと、播磨天台六山の一山、妙徳山神積寺がある。 神積寺は、正暦二年(991年)、慶芳上人により開基された。 仁王門 神積寺は、一条天皇、三条天皇の帰依を受けたと伝えられる。七堂伽藍と52ケ寺を有する大寺院だったが、延慶二年…

福崎 前編

兵庫県神崎郡福崎町の辻川地区には、今も古い町並みが残っている。 その中でも一際広壮な建物は、兵庫県指定文化財の三木家住宅である。 三木家住宅 三木家住宅土間口 玄関 三木家は、秀吉によって倒された英賀城主三木家の末裔とされている。 7月11日の姫…

溝口廃寺跡、恒屋城跡

姫路市香寺町溝口にある円覚寺のすぐ南側に、溝口廃寺跡がある。 この廃寺は、発掘された瓦の文様などから、奈良時代前期の寺の遺跡だと言われている。 溝口廃寺跡 今では、叢の中に、かつての礎石が点々と残っているのみである。 礎石群 特に中心にある礎石…

香寺民俗資料館、日本玩具博物館

姫路市香寺町中仁野(なかにの)にある香寺民俗資料館は、元々姫路市船津町御立にあった酒造業尾田家の建物を昭和46年に移築して開館したものである。 築後約350年経過した建物で、ひょうご住宅100選にも選ばれている。 香寺民俗資料館 館内には、約3万5千…

ZC33S スイフトスポーツ 経過報告

和意谷池田家墓所駐車場にて 私の愛車ZC33Sスイフトスポーツも、納車してから半年が経過した。オドメーターも約7600㎞となった。ここらへんで、半年乗った感想を書いておく。 私のスイスポは、6AT車である。スイスポの購入を考えている人の中には、様々な事…

和辻哲郎生家、八葉寺

姫路市仁豊野(にぶの)にあるJR仁豊野駅の東側に、大正から昭和にかけて活躍した哲学者、倫理学者の和辻哲郎の生家がある。 和辻哲郎生家 和辻哲郎は、「古寺巡礼」「風土」「日本精神史研究」「日本倫理思想史」などの著作で知られる。 私が和辻の著作で最…

正楽寺千手院

岡山県備前市蕃山にある正楽寺千手院は、真言宗の寺院である。 正楽寺は、奈良時代の天平勝宝年間に、聖武天皇の勅願により、報恩大師が備前国に開いた四十八寺のうちの一寺である。 山門 正楽寺は、江戸時代初期に堂舎を悉く焼失したが、正徳年間(1711~17…

三石

ついに当ブログも県境を越えて、岡山県に入ることとなった。 この勢いで、いずれ全国制覇を成し遂げたいが、距離が伸びればそれだけガソリン代や高速道路代や宿泊代がかかるので、自宅から離れれば離れるほど、史跡巡りの勢いは衰えてくる。全国制覇の前に私…

姫路市御国野町

今日は、姫路市の東部にある御国野(みくにの)町の史跡を紹介する。 御国野町国分寺に、播磨国分寺跡がある。天平十三年(741年)、聖武天皇の詔により、全国に国分寺と国分尼寺が建てられた。 奈良時代の行政区分は、国である。播磨国には、播磨国分寺と国…

見野古墳群、宮山古墳

最近、姫路のジュンク堂書店に行き、エレベーターを上がって正面の郷土史のコーナーを眺めると、河合寸翁という人に関する本が目に付くようになった。 河合寸翁は、姫路藩酒井家の家老である。姫路藩領内の産業を振興し、藩の財政を立て直した人物である。今…

平福

兵庫県佐用郡佐用町平福は、江戸時代に、因幡街道沿いの宿場町として開けた。 慶長五年(1600年)に、平福を見下ろす利神(りかん)城城主となった池田由之が、宿場町平福を整備した。江戸時代には、因幡街道随一の繁栄を誇ったという。 今でも、平福の千種…

夢前町ところどころ

姫路市夢前(ゆめさき)町は、かつては飾磨郡夢前町という独立した自治体であった。平成18年3月に姫路市に合併され、消滅した。今日は夢前町の地味な史跡を紹介する。 夢前町は、南北に細長い。姫路市夢前町莇野(あぞうの)に、菅生ダムというダムがある。…

弥勒寺

置塩城跡から西に進み、峠を越えると、姫路市夢前町寺という地域に出る。 ここにあるのが、通宝山弥勒寺である。天台宗の寺院である。 弥勒寺の石橋 書写山圓教寺を開いた性空上人が、長保二年(1000年)にこの地に隠棲し、草庵を作った。 長保四年(1002年…

置塩城跡

姫路市夢前町宮置に、後期赤松氏の居城だった置塩(おじお)城の跡がある。 置塩城は、建築当時、日本国内の山城としては最大規模で、もし石垣が現存していたら、但馬竹田城を上回る壮麗な山城の遺構を見せてくれたであろう。 置塩山 ここで赤松氏の歴史をお…

天児屋鉄山跡

西播磨地区の最も奥地となる兵庫県宍粟市千種(ちぐさ)町は、古代から製鉄が盛んな場所であった。 良質な鉄が産出され、いわゆる「たたら製鉄」が、古代から明治時代まで連綿と続けられてきた。 たたら製鉄と言えば、一般的に出雲が有名であるが、宍粟郡に…