丹波

御勝八幡宮 大歳神社

三岳山金光寺の参拝を終え、進路を北東に取り、福知山市上野条(かみのじょう)にある御勝(みかつ)八幡宮を訪れた。 御勝八幡宮 この神社の創建は、昌泰二年(899年)よりは前だと言われている。 古くから、この地方の惣社として崇められていた。 正暦元年…

三岳山金光寺

佐々木神社から出発して、三岳山の南側の山麓を通る市道を走り、福知山市喜多にある真言宗の寺院、三岳山金光寺(きんこうじ)に赴いた。 この地は過去に比叡山妙香院の荘園だったため、元々は天台宗の寺院だったが、江戸時代初期に真言宗の寺院になったそう…

三岳郷の神社

柿本観音堂から南下し、国道9号線に戻る。国道9号線を東進し、野花交差点を左折北進して、国道426号線を北上する。 国道426号線は、南北に延びる谷間を通っている。この谷間の東側に聳えるのが、三岳山である。 三岳山 三岳山は、三角錐の美しい山容をして…

柿本観音堂

円満院の西側には山地があるが、この山地を通る峠道を越えると、柿本という集落がある。 この柿本に一宇の観音堂がある。正式には朝日山観音堂と呼ばれている。京都府道707号線の西側の林の中にある。 柿本観音堂への道 目印は、観音堂の案内板と、柿本バス…

長光山薬師堂 恵日山円満院

大智寺から北上すると、畑郵便局という小さな郵便局があり、そこで道が二股に分かれる。 右側の道をしばらく行くと、福知山市夜久野町桑村の集落があり、道の左側の山の斜面に小さな薬師堂がある。 長光山薬師堂と呼ばれている。 薬師堂の立て看板 目印は、…

夜久野町額田の史跡

高倉神社から東進して、京都府福知山市夜久野町額田(ぬかだ)の町に入る。 ここは、JR下夜久野駅があり、夜久野町の中心となる地域である。かつては宿場町として栄えたという。 額田には、日本中央標準時の基準となる子午線(東経135度)が通っている。大正…

長者森古墳 高倉神社

やくの玄武岩公園から東進し、福知山市夜久野町高内の集落に入る。 丘の上に福知山市立夜久野学園の小学校がある。夜久野学園は、公立の小中一貫校である。 この小学校の校庭に長者森古墳という円墳がある。 長者森古墳 長者森古墳は、直径約23メートル、全…

直見 やくの玄武岩公園

夜久野高原の北側は、上夜久野という地域である。 上夜久野には、南北に渡る二つの谷がある。東側の谷の地域を直見(のうみ)という。 直見地区には、仏教に関する文化財が4点存在する。 一つ目は、福知山市夜久野町直見副谷にある臨済宗妙心寺派の寺院、清…

夜久野高原

昨年の大晦日に丹波の史跡巡りを行った。 今回大晦日に外出してみて分かったが、店や施設は閉まっていても、人や車が少なく、結構快適に史跡巡りを行うことが出来る。こういう大晦日もいいものだ。 さて私がまず赴いたのは、但馬と丹波の国境、今でいう兵庫…

福知山市 梅田神社

大原神社の参拝を終え、一度国道9号線に戻り、更に府道709号線を南下する。 京都府福知山市三和町中出にある梅田神社を訪れた。 梅田神社の鎮座する丘 福知山市には、梅田神社が複数祀られている。細見郷の領主だった細見氏の祖先である紀忠通(きのただみ…

福知山市 大原神社 後編

大原神社境内には、文久三年(1863年)に再建された茅葺、入母屋造りの絵馬殿が建っている。 絵馬殿 この絵馬殿では、昔は人形浄瑠璃や農村歌舞伎が演じられていた。奥に舞台がある。 絵馬殿奥の舞台 また絵馬殿には、古くから奉納された絵馬が多数架かって…

福知山市 大原神社 前編

酒治志神社の参拝を終え、国道173号線を西進すると、再び福知山市に入る。 福知山市三和町大原にある大原神社を訪れた。 大原神社 大原神社は、小高い丘の上にある。今はその小高い丘の側面が石積み擁壁に覆われている。 大原神社の創建は詳らかではない。元…

酒治志神社

生野神社の参拝を終えて、国道9号線を東進し、京都府道9号線に入る。しばらく進むと京都府船井郡京丹波町に入る。 京丹波町三ノ宮にあるのが、酒治志(しゅじし)神社である。 酒治志神社 酒治志神社の境内には、丈高い杉が林立している。 最近私は山に入…

福知山市 生野神社

医王寺の参拝を終えて、再び土師川を渡り、京街道沿いの宿場町、生野の里に向かった。 生野の里は、和泉式部の娘である小式部内侍の歌、「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天橋立」の歌に詠まれている。 生野の集落の奥に、「延喜式」式内社の…

旧坂室山医王寺

大内城跡のある福知山市大内から、国道9号線を東進する。 しばらく進むと、福知山市池田の集落が見えてくる。池田の集落の中央の旧京街道沿いに生えているのが、福知山市指定天然記念物のかごの木・むくの木である。 かごの木・むくの木 かごの木(左)、む…

福知山市 大内城跡 男塚古墳

舞鶴若狭自動車道六人部PAは、小高い丘の上に造られている。この丘からは、城跡や遺跡、古墳などが発掘されている。 まずは、六人部PA(上り)の西側にある大内城跡を訪れた。 大内城跡は、丘陵上に築かれた城跡で、防御機構はそれほどなく、城跡というより…

芦田均記念館 後編

昭和23年3月に誕生した芦田内閣は、短命であった。 内閣が発足してすぐの同年4月、戦後の経済復興のために設立された復興金融公庫から有利な融資を受けるため、昭和電工の社長が、政界や金融界、GHQの高官に多額の献金を行った贈収賄事件が発覚した。昭和…

芦田均記念館 前編

鎌倉山清薗寺を参拝したことで、「兵庫県の歴史散歩」下巻に載る兵庫県側の丹波国の史跡は全て訪問し終えた。 これからは、京都府側の丹波国の史跡巡りが続くことになる。丹波国の面積の2/3は現在の京都府の領域になるので、丹波の史跡巡りはこれからもまだ…

鎌倉山清薗寺 後編

石造灯籠の背後には、本尊の薬師瑠璃光如来を祀る薬師堂(本堂)がある。 貞享三年(1686年)の再建で、丹波市指定文化財である。 薬師堂 薬師堂は、宝形造り、瓦葺、桁行五間、梁間五間の建物である。 清薗寺の開創に関する寺伝はこうである。 第31代用明天…

鎌倉山清薗寺 前編

妙高山から下山し、次なる目的地の兵庫県丹波市市島町下竹田にある真言宗の寺院、鎌倉山清薗寺(せいおんじ)に向かった。 参道の南端には、江戸時代初期の伝説的な彫刻家、左甚五郎が寛永年間(1624~1644年)に建造したと伝わる総門がある。 総門 総門蟇股…

妙高山神池寺 後編

神池寺の常行堂の奥には長い石段が続いている。本堂まで続く石段である。 本堂まで続く石段 苔むした古びた石段である。両側に鬱蒼とした木々が生い茂り、いい雰囲気だ。 石段を登っていくと、仁王門が見えてくる。 仁王門 仁王像 江戸時代以降に再建された…

妙高山神池寺 前編

兵庫県丹波市市島町多利にある妙高山の山頂付近にあるのが、天台宗の寺院、妙高山神池寺である。 妙高山は標高約565メートルだが、山頂付近までは自動車道が延びており、車で上がることが出来る。 妙高山神池寺 寺伝によれば、養老二年(718年)にこの地を訪…

三ッ塚廃寺跡 後編

三ッ塚廃寺跡の東側にライフピアいちじまという公共施設がある。その東側の山際斜面にあるのが、天神窯跡である。 天神窯跡 ここは、三ッ塚廃寺で使う瓦や須恵器を生産していた窯跡である。 斜面に穴を掘って、その上に天井を付けた穴窯の跡である。天神窯跡…

三ッ塚廃寺跡 前編

9月10日に丹波の史跡巡りをした。まだ残暑の厳しい日だったが、丹波は曇り空であった。 国道175号線を北上し、兵庫県丹波市市島町に入り、市島町上田(かみだ)にある三ッ塚廃寺跡を訪れた。 ここは、7世紀後半に開かれて、その後廃寺となった寺の遺跡だが…

金昌山龍源寺 高杉春日神社

細野峠を越えた先の京都府福知山市三和町兎原の集落にあるのが、曹洞宗の寺院、金昌山龍源寺である。 金昌山龍源寺 背後の観音山に建っていた百観音堂円通庵を管理していた寺院である。 龍源寺は、寛永ころまでは密教系の寺院だったそうだが、安永八年(1778…

細野峠 

京丹波町水原の集落から国道9号線を西進すると、京都府福知山市に入る。 京都府福知山市に入る 福知山市と京丹波町の境界を越えると、すぐ左手に国道9号線から山に入っていく古い道がある。 平成8年に「歴史100選の道」に選ばれた京街道細野峠である。 京…

京丹波町 西方寺 

梅田春日神社から一度東に戻り、京都府船井郡京丹波町水原の集落内にある曹洞宗の寺院、西方寺に赴いた。 西方寺 丹波篠山市から京丹波町、福知山市にかけては、曹洞宗の寺院が多い。過去にこの辺りで曹洞宗の教勢の拡大を図った人物がいたのだろう。 西方寺…

梅田春日神社

国道173号線を北上し、京都府に入る。 ついに我が史跡巡りも京都府に入ることになった。私が史跡巡りで訪れた府県としては、兵庫県、岡山県、鳥取県に次いで4つ目である。 京都府は、日本で最も史跡の多い場所である。一生かけても、京都府の史跡を全て巡る…

林景山長谷寺

兵庫県丹波篠山市藤坂の集落の西端に、山中に上がっていく舗装路がある。 道の入口が鉄の門扉で閉ざされている。 長谷寺妙見堂への上り路 この門扉を開けて舗装路を上がっていくと、曹洞宗の寺院、林景山長谷(ちょうこく)寺が管理する妙見堂がある。 妙見…

藤坂のカツラ 春日神社

丹波篠山市小原にある大日堂の大日如来坐像がかつて祀られていた八ヶ尾山の北麓に、藤坂のカツラと呼ばれる巨木がある。 地名で言えば、兵庫県丹波篠山市藤坂にある。 藤坂の集落から西に行くと、藤坂のカツラへの登山道入り口がある。20分ほど歩くと大カツ…