建設物

長崎のしし垣

皇子神社の参拝を終えて、一山越えて三都半島の東岸に出た。 今までは三都半島の西岸を南下したが、今度は東岸を北上することになった。 次なる目的地は、小豆島町二面長崎にある「長崎のしし垣」である。長崎のしし垣は、江戸時代中期から後期にかけて、イ…

土庄町ところどころ

土庄郵便局の東側には、永代橋という橋が架かっている。 この橋は、小豆島本島と、本島の南西側にある前島を結んでいる。 永代橋 この永代橋の下を通っているのが、ギネスブックで世界一狭い海峡と認定された土渕海峡である。 永代橋と土渕海峡 土渕海峡は、…

大鳴門橋 

福良から西に走り、大鳴門橋を観に行った。 大鳴門橋は、昭和60年6月に開通した、鳴門海峡上に架かる吊り橋である。 鳴門岬の先端に、道の駅うずしおがあるが、道の駅うずしおが現在改装工事中で、そこまでの道が通行止めになっていた。 鳴門岬の途中にある…

賀集八幡神社 後編

本殿の背後に、高龗(たかおかみ)神社がある。別名青龍権現社という。京都の貴船神社の祭神と同一である。 由来は不詳なるも、古くから水の神として地元では崇敬されてきた。 高龗神社 祠に寛政の銘があるので、創建はそれ以前とされている。 淡路は川が少…

恩原ダム 恩原遺跡群

岩井滝から南東に進み、国道482号線に出る。 国道482号線は、かつて因幡道と呼ばれた。国道482号線を東進すると、岡山ー鳥取県境にある標高785メートルの辰巳峠に至る。ここを越えると、因幡である。 辰巳峠 岡山県側から鳥取県側を望む 因幡に入り、国道482…

旧美歎水源地水道施設 後編

貯水池に溜まった水は、粗石モルタル積堰堤の放水口から下流に流される。 堰堤に堰き止められた貯水池 放流される川水 だが水道水として利用される水は、地中に埋められた送水管を使って濾過池に送られ、そこで濾過されて綺麗な水になった。 送水管(左)と…

美歎神社 旧美歎水源地水道施設 前編

高岡神社の参拝を終え、鳥取市国府町美歎(みたに)の集落にある美歎神社を訪れた。 美歎神社 美歎神社の創建は詳らかではないが、貞観十六年(874年)には、朝廷から従五位上の神階を授けられたという記録があることから、平安時代初期には建っていたことだ…

成相池堰堤 南隆山覚住寺

成相寺石盤のある場所から東を見ると、平成11年に完成した成相ダムが見える。 成相ダム 成相ダムは、成相川の上流に設置された、洪水を防ぎ、生活用水を溜めるためのダムである。 成相ダムに堰き止められた成相川の水は、ダムの背後に溜まり、成相池を形成し…

苫田ダム

弘秀寺から東に行くと、奥津湖が見えてくる。奥津湖は、苫田ダムが吉井川を堰き止めたことにより出来たダム湖である。 奥津湖 この奥津湖の下には、旧苫田郡奥津町の中心だった下原地区が沈んでいる。旧奥津町の人口の約4割が住んでいた地区である。 奥津町…

鷲羽山 後編

第二展望台から、鷲羽山山頂を目指した。 鷲羽山の山頂方面 山頂と言っても、鷲羽山は低山で、山全体がなだらかである。そう苦労せずとも山頂に至ることが出来る。 花崗岩の山肌 鷲羽山は、全体が花崗岩で出来ている。山肌は花崗岩がむき出しになっている。…

鷲羽山 前編

12月24日に備前の史跡巡りを行った。 瀬戸内海国立公園の中で、国の名勝に指定されている鷲羽山(わしゅうざん)を目指した。 鷲羽山の手前、岡山県倉敷市大畠1丁目の、瀬戸中央自動車道の高架の西側にある延命地蔵尊を訪れた。 延命地蔵尊 延命地蔵尊は、…

岡益の石堂

鳥取市国府町岡益に、曹洞宗の寺院、長通寺がある。 この寺院は、後に紹介する岡益廃寺の瓦などを保管している。 長通寺参道 豊珠観世音菩薩像 長通寺 長通寺本堂 本堂向拝の彫刻 この長通寺の南側の丘陵上に、岡益の石堂という特異な建造物がある。 岡益の…

旧倉敷市瀬戸大橋架橋記念館

岡山県倉敷市児島味野2丁目にある児島市民交流センターは、平成22年3月に閉館した倉敷市瀬戸大橋架橋記念館の建物を再利用したものである。 旧倉敷市瀬戸大橋架橋記念館 旧倉敷市瀬戸大橋架橋記念館は、昭和63年4月10日の瀬戸大橋開通と同日に開館した。 …

盛綱橋 経ヶ島

藤戸寺の北側を流れる倉敷川の上に、盛綱橋という橋が架かっている。 この橋は、平成元年に再建されたものだが、再建の際、橋の上に海を渡る馬上の佐々木盛綱の銅像が設置された。 盛綱橋 盛綱橋上の佐々木盛綱の銅像 佐々木盛綱が実際に藤戸海峡を渡ったと…

梵唱山吉祥寺 辰鼓楼

加藤弘之生家跡を後にし、東に歩くと、曹洞宗の寺院、梵唱山吉祥寺がある。 梵唱山吉祥寺 お地蔵さん この寺は、裸婦像で有名な洋画家伊藤清永の生家として知られている。伊藤はこの寺の住職の三男として、明治44年に生まれ、平成13年に死去した。 山門を潜…

安藤井手 

鳥取県八頭郡八頭町郡家(こおげ)には、八頭町の町役場がある。 ここは、江戸時代後期に郡家の発展に尽くした地元出身の豪農安藤伊右衛門の屋敷跡である。 安藤伊右衛門は、毎年のように水不足に悩む郡家の農民を救い、かつ新田開発をして食糧増産を図るべ…

金昌山龍源寺 高杉春日神社

細野峠を越えた先の京都府福知山市三和町兎原の集落にあるのが、曹洞宗の寺院、金昌山龍源寺である。 金昌山龍源寺 背後の観音山に建っていた百観音堂円通庵を管理していた寺院である。 龍源寺は、寛永ころまでは密教系の寺院だったそうだが、安永八年(1778…

旧鐘淵紡績洲本工場跡

兵庫県洲本市塩屋1丁目に、赤煉瓦の建物が多く建っている。 明治42年(1909年)にこの地に誘致された鐘淵(かねがぶち)紡績株式会社(現カネボウ)の洲本工場跡地である。 赤煉瓦の町と言えば、舞鶴や横浜や函館が有名だが、実は洲本も赤煉瓦の町なのであ…

岡山市 藤田神社 

現在の児島半島は、江戸時代に入るまでは、児島という島であったが、江戸時代初期の干拓事業により本州と陸続きになった。 池田藩政時代には、児島湾の干拓が続き、広大な新田が造られた。児島湾干拓事業は、明治時代に入っても続いた。 今回から連続して、…

メリケンパーク 後編

昭和62年に完成したメリケンパークは、平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災で大きな打撃を受けた。 メリケンパークの東側は、元々メリケン波止場だったが、震災で元メリケン波止場の岸壁は海に傾き、陸地のコンクリート舗装が陥没するなどした。 この…

メリケンパーク 中編

私がメリケンパークを訪れた昨年12月26日には、幸いにも日本丸が神戸港を訪問しており、中突堤に停泊していた。 日本丸 日本丸の船首像 日本丸のキャビン 日本丸の船尾 この船は、昭和59年に竣工した二代目の日本丸である。日本丸は、独立行政法人海技教育機…

メリケンパーク 前編

安政五年(1858年)に締結された日米修好通商条約から、今に至る日米関係は始まった。 日本は幕末にアメリカ以外のヨーロッパ各国とも条約を結んだ。それらの条約に基づいて、慶応三年(1868年)に神戸港が開港した。 神戸市中央区海岸通にある神戸メリケン…

西川緑道公園 後編

薬師院の参拝を終え、再び西川緑道公園に戻った。 西川緑道公園の標柱 西川橋から公園を北上してしばらく行くと、右手に岡ビルという昭和レトロなビルが見えてくる。 岡ビル ここは地元の人で賑わう、魚などの小売り市場であるらしい。 江戸時代には、この岡…

西川緑道公園 中編

蓮昌寺の参拝を終え、再び西川緑道公園に戻る。 緑道公園のすぐ東側に、白亜の岡山バプテスト教会が建っている。場所は岡山市北区田町1丁目になる。 岡山バプテスト教会 バプテスト教会は、キリスト教プロテスタントの一教派で、アメリカで広く普及している…

西川緑道公園 前編

大雲寺の南西にある大雲寺交差点から西にしばらく歩くと、岡山の市街地を南北に貫く西川用水に行き当たる。 西川用水は、岡山市北区三野のあたりの旭川から取水され、岡山市街を通って児島湾まで続いている。 西川用水は、平安時代には既に原型があった人工…

甘棠亭 青谿書院

名草神社の見学を終えて、妙見山から下山した。 進路を北に取り、円山川を越えて、兵庫県養父市八鹿町伊佐にある甘棠亭(かんとうてい)を訪れた。 甘棠亭は、延宝四年(1676年)に出石藩の6代目藩主小出英安(ふさやす)が、伊佐の新田を視察に来た時に、…

熊野神社遺跡 後編

小さな鳥居を過ぎて参道を行くと、道が二手に別れている。 左に行くと、燈明の塔と呼ばれる巨石の上に載った石塔がある。 燈明の塔への道 燈明の塔と巨石 燈明の塔は、二つに割れた巨石の上に載っている。 ここではこの岩の間を通ることで、今までの人生で積…

渋川海岸

宇野港から南に行き、岡山県玉野市玉の町並みに入る。 ここには、大正6年に開設された三井造船所がある。 三井造船所 当時、三井物産株式会社は、海運業から造船業に経営を拡大していた。昭和12年には、株式会社玉造船所として独立し、昭和17年に三井造船と…

宇野港 鳴滝園

明治43年に国鉄宇野線が開通して、宇野と高松を結ぶ連絡船が就航した。 それ以降、昭和63年に瀬戸大橋が開通するまで、本州から四国への玄関口だったのは、岡山県玉野市の宇野港だった。 かつて、宇野港から高松港まで片道約1時間の宇高連絡船が就航してい…

旧三蟠港

沖田神社から百間川を南下すると、百間川は児島湾に流れ入る。 百間川河口と児島湾の間には、百間川河口水門が設置されている。 百間川河口水門 今設置されている水門は、昭和と平成に造られたものである。 この水門を過ぎれば、海である。百間川河口水門の…