備中
緑山古墳群の見学を終え、次に総社市三須にある作山古墳を訪れた。 作山古墳は、全長約282メートルで、全国10位の大きさを誇る古墳である。 以前紹介した岡山市北区新庄下にある全国4位の造山古墳と名前が似ているので混同されやすい。 作山古墳全景 造山古…
伝備中国府跡から南下し、総社市上林にある緑山古墳群を訪れた。 緑山古墳群は、6世紀中頃から後半にかけて造られた古墳群である。緑山という丘陵上にある。 緑山への登り口 緑山には、丘陵の南東にある階段から登ることが出来る。 階段を登ると墓地がある…
岩屋寺の参拝を終えて、岡山県総社市南溝手にある総社市埋蔵文化財学習の館に赴いた。 総社市埋蔵文化財学習の館 ここは、総社市内の遺跡からの出土品の保管、展示を行っており、鬼ノ城に関する資料も展示されている。 土器作りの体験なども出来るようだ。 …
鯉岩を過ぎて遊歩道を歩いていくと、八畳岩という巨岩がある。 その名の通り、八畳の広さはあろうかと思われる平らで広い岩である。 八畳岩 花崗岩は、風化しやすい岩である。数百年後にここを訪れたら、八畳岩はまた違った形になっているだろう。 遊歩道を…
岩屋寺観音堂のすぐ隣には、花崗岩の巨岩群がある。 伝説の鬼・温羅(うら)が差し上げた、鬼の差し上げ岩と呼ばれる巨岩群である。 鬼の差し上げ岩 鬼の差し上げ岩には、恵鎧上人と刻まれた石仏や、不動明王の摩崖仏を祀った祠がある。 恵鎧上人像 鬼の差し…
鬼ノ城の見学を終えて、鬼城山ビジターセンターから狭い舗装路を北に走ると、総社市奥坂の集落がある。 集落の奥に駐車場がある。岩屋休憩所というハイキングコースの休憩所の駐車場である。 この駐車場に、奥坂にある真言宗の寺院、岩屋寺を巡る散歩道の案…
城壁跡を巡る遊歩道から、城郭の内部を巡る遊歩道に入る。 城内には、管理棟や倉庫といった建物があったようだ。 建物の配置図 鬼ノ城には、建物の礎石が残っている箇所が7か所ある。 その内、建物5,6は、6間×2間の横長の建物で、周囲からは須恵器の硯…
第5水門から東に歩くと、鬼ノ城に残る高石垣の中で最も著名な屏風折れの高石垣が見えてくる。 屏風折れとは、折れた屏風を上から見たように突出した地形から付いた名だろう。 上空から見た屏風折れの高石垣 屛風折れの高石垣に近づくと、天然の断崖上に石垣…
石切観音のある場所から更に北に歩くと、第4水門がある。 ここも水門を形成する石塁が藪に覆われて見えなくなっている。 今も水門から水が流れ出ている。 第4水門 第4水門から流れ出す水 ここから進むと、東門跡がある。 東門跡 東門は、間口一間(約3.3…
第1水門、第2水門から東に歩くと、南門跡が見えてくる。 南門跡 南門は、間口三間(約12.3メートル)、奥行き二間(約8.2メートル)の規模を持ち、一辺約55センチメートルの角柱12本で上屋を支える大型の城門であった。 門の入口に2メートル近い段差を設…
西門から反時計回りに鬼ノ城の遊歩道を一周することにした。 西門の南側には、復元された城壁が続いている。 西門南側の城壁 鬼ノ城は、山頂付近を鉢巻のように城壁で囲んでいるが、降雨により山頂部に溜まった水を排水する必要があった。 城内に溜池もあっ…
展望デッキから歩いて復元された角楼(かくろう)と西門に近づく。 先ず見えてくるのは、角楼である。 鬼ノ城には、西側からが最も接近しやすい。そのため、西側に最大の門を備え、角楼を備えたのだろう。 角楼 角楼の下部には、立派な石垣が積まれ、その上…
鬼の釜から北上するとすぐに鬼城山ビジターセンターがある。 鬼城山上には、古代山城である鬼ノ城(きのじょう)がある。 鬼ノ城は、私が史跡巡りで訪れた9番目の日本100名城である。続日本100名城を足した200名城としては、15番目に訪れた城である。日本20…
12月21日に備中の史跡巡りを行った。 最初に訪れたのは、岡山県総社市黒尾にある、新山廃寺である。 総社市黒尾には、日本百名城の一つ、鬼ノ城(きのじょう)があるが、新山廃寺は、鬼ノ城の手前の新山にあった山岳寺院の跡である。 新山の麓には、総社市指…
備中国分寺跡の西側には、吉備路最後の前方後円墳と言われる江崎古墳がある。 江崎古墳後円部 江崎古墳は山の南麓に築かれていて、前方部が山側にある。 全長約45メートル、前方部幅約25メートル、後円部径約32メートル、二段築成で、円筒形埴輪が並んでいた…
備中国分尼寺跡から北西に歩いていくと、茅葺屋根の建物が見えてくる。 総社吉備路文化館の敷地内にある旧山手村役場と旧松井家住宅である。両方とも国登録有形文化財になっている。 旧山手村役場 山手村は、かつて岡山県都窪郡にあった村である。平成17年3…
こうもり塚古墳から更に東に歩くと、備中国分尼寺跡がある。 国分尼寺は、天平十三年(741年)に聖武天皇が発した「国分寺建立の詔」に基づいて、国分寺と並んで日本各国に建立された尼寺のことである。 備中国分尼寺跡 備中国分尼寺跡は、南から北にかけて…
国分寺の参拝を終えて東に約400メートル歩くと、6世紀後半に築造された前方後円墳のこうもり塚古墳が見えてくる。国指定史跡になっている。 こうもり塚古墳後円部 こうもり塚古墳は、全長約100メートル、後円部径55~60メートル、同高約8メートル、前方部…
国分寺の建物でひときわ目を引くのは、文政四年(1821年)に建設が始まり、弘化元年(1844年)頃に完成した五重塔である。 私が史跡巡りで訪れた最初の五重塔である。 五重塔 岡山県下で唯一の五重塔であり、国指定重要文化財となっている。 塔の総高は約34.…
山門を潜って境内に入ると、正面に見えるのは客殿である。 客殿 客殿玄関 備中国分寺は、中世初期に衰微した。日本各地の国分寺には、七重塔が建っていたが、備中国分寺の七重塔は、南北朝期までは残っていたらしい。 備中国分寺を復興させたのは、備中高松…
小造山古墳の見学を終え、岡山県総社市上林にある真言宗の寺院、日照山国分寺に赴いた。 この寺は、天平十三年(741年)に聖武天皇が建立を命じた全国の国分寺の一つ、備中国分寺の跡に建つ寺院である。 日照山国分寺(備中国分寺跡) 昭和46年の発掘調査で…
以前、岡山市北区新庄下にある全国第4位の規模の前方後円墳、造山古墳について紹介した。 今回は、造山古墳の北西約500メートルの山中にある、小造山古墳について紹介する。 小造山古墳は、岡山市北区新庄上、総社市下林にまたがる山の中にある。 私は、総…
足守の見学を終えて北上し、岡山市北区上高田にある鼓神社を訪れた。 鼓神社 ここは、備中国の二宮とされる神社である。 鳥居に架かる「二宮鼓神社」の扁額 祭神は、第10代崇神天皇の時代に、吉備の平定のために派遣された吉備津彦命の功臣遣霊彦(やりだま…
足守の町の西にある山中に、足守藩主木下家の菩提寺である臨済宗の寺院、大光寺がある。 第3代藩主木下利当(としまさ)が建てたと伝えられている。 大光寺 山門を潜ると、寺まで参道が真っ直ぐに続いている。 山門 山門は城郭の門のように立派である。 参…
旧足守藩陣屋跡の北隣に、足守藩木下家の庭園である近水園(おみずえん)がある。 足守川の水を引き入れて造られた、池泉回遊式庭園である。岡山県指定名勝となっている。 近水園 作庭された詳細な時期は不詳であるが、18世紀初頭と言われている。 近水園 池…
旧足守藩侍屋敷遺構から北に歩くと、足守藩の陣屋跡がある。 陣屋は、城を持つことが出来なかった小規模藩や旗本、藩の家老らが領地に設けた政庁のことである。 石高2万5千石の小藩だった足守藩も、城を持つことは出来ず、陣屋を築いた。 足守藩陣屋図 大…
玄関から式台の間に上がって、二の間、一の間に至り、そこから眺める庭は、侍屋敷の公的な部分である。 この屋敷で実際に生活する人々は、玄関の横の土間から出入りした。 土間の出入口 土間は、武家、商家、農家に変わらず、昔の日本家屋の全てに備えられて…
藤田千年治邸の見学を終え、足守の町の北側の武家が住んだエリアに行く。 次に見学したのは、旧足守藩侍屋敷遺構である。足守藩家老杉原家の居宅跡である。 ここは、江戸時代の藩の家老屋敷の佇まいをほぼ完全に残している貴重な遺構である。 旧足守藩侍屋敷…
足守の中央を通る街道を東に進むと、旧足守藤田千年治邸が見えてくる。 藤田千年治は、明治時代に足守で醤油造業を始め、その後代々の当主がその名を受け継いだ。 藤田千年治邸は、藤田家が醤油造に使用した邸跡である。 旧足守商家藤田千年治邸 藤田千年治…
6月29日に備中の史跡巡りを行った。 今回訪れたのは、岡山市北区にある陣屋町足守である。 足守の町並み 足守の蔵と民家 足守は、江戸時代を通して、豊臣秀吉の正室北政所(ねね、出家後高台院)の兄である木下家定の子孫が領有した。石高2万5千石の小藩…