備中

千足装飾古墳

造山古墳の南西側には、第1古墳から第6古墳まで、全部で6つの陪塚がある。 陪塚は、主となる古墳の被葬者の家臣が葬られた古墳である。 造山古墳に葬られた被葬者の臣が、これらの陪塚に葬られたことだろう。 造山古墳と陪塚の模型 今日は6つの陪塚の中…

造山古墳

守福寺宝殿の見学を終えて南下し、岡山市北区新庄下にある巨大前方後円墳、造山古墳を訪れた。 造山古墳の後円部(北東から南西に向け撮影) 後円部(南から北に向け撮影) 造山古墳は、全国4位の大きさを誇る古墳である。 1位は全長約486メートルの仁徳天…

守福寺宝殿

葦守八幡宮から約500メートル東に行った岡山市北区下足守の山麓に、守福寺宝殿という国指定重要文化財となっている石造物がある。 守福寺の手前までは舗装路がある。舗装路がなくなる手前に車をとめて歩くと、崩れた築地塀が見えてくる。 守福寺の築地塀 守…

葦守八幡宮 

最上稲荷の参拝を終えて、次なる目的地である葦守八幡宮に詣でた。岡山市北区足守に鎮座する。 この神社の参道の始まりにある石造の両部鳥居は、在銘の鳥居としては、岡山県下最古である。 葦守八幡宮の石造鳥居 両部鳥居というのは、鳥居の両足に稚児柱が付…

最上稲荷 その8

八畳岩の見学を終え、龍王山山頂にある最上稲荷の奥之院を目指した。 登っていくと、鳥居の手前の平坦な広場に出た。 鳥居前の広場 この広場やその付近には、昭和14年に建てられたラジオ塔と、昭和4年から昭和19年まで営業していた、中国稲荷山鋼索鉄道(ケ…

最上稲荷 その7

本滝の見学を終えて、更に龍王山を登っていく。 途中、赤鳥居があり、ここから聖域が始まるような雰囲気を漂わせている。 参道途中の赤鳥居 赤鳥居を過ぎて、参道を奥之院目指して登っていく。 すると、高く聳える巨石群が見えてくる。題目岩のある巨石群で…

最上稲荷 その6

旧本殿霊応殿のある場所から、背後の龍王山に登る参道が始まる。 龍王山への参道 この先は、急な階段が続く。 龍王山中腹にある八畳岩は、開基報恩大師が本尊最上位経王大菩薩を感得した場所である。 言わば、最上稲荷の始まりの場所である。 龍王山こそ、最…

最上稲荷 その5

七十七末社が祀られているエリアの中心に、旧本殿の霊応殿が鎮座する。 霊応殿 霊応殿は、最上稲荷で最古の建造物である。 寛保元年(1741年)に、妙教寺七世日道聖人によって再建された。 奥から順に、本殿、誦経堂、拝殿、前堂の四棟から成っている。 前堂…

最上稲荷 その4

本殿(霊光殿)の東側には、宝光閣という建物がある。 和風建築だが、建物の下を煉瓦アーチ橋が支えていて、その下を道路が通っている。 宝光閣 宝光閣の下部の煉瓦アーチ橋 宝光閣 和風建築と煉瓦の組み合わせは、いかにも明治らしい。 大客殿から宝光閣、…

最上稲荷 その3

最上稲荷の広大な境内の東側には、客殿や根本大堂といった古い木造建築が建つ一角がある。 昭和になってから建てられた仁王門と霊光殿を見た後に、ようやく古い寺院の雰囲気を味わうことが出来た。 根本大堂の周辺の図 山門 国登録有形文化財の山門を潜って…

最上稲荷 その2

最上稲荷の寺域は広大である。 背後の龍王山の山頂には奥之院がある。 最上稲荷の参拝コース 私は先ず、最上稲荷を開基した報恩大師の御廟に詣でようと思った。 境内は参拝客でごった返していたが、御廟のある最上霊園に行くと、私1人しかいない。静かな気…

最上稲荷 その1

佐古田堂山古墳の上から北方を望むと、龍王山が目に入る。 その麓に祀られているのが、最上(さいじょう)稲荷という日蓮宗のお寺である。正式名称を最上稲荷山妙教寺という。 岡山市北区高松稲荷に鎮座する。 龍王山 最上稲荷は、京都府の伏見稲荷大社、愛…

佐古田堂山古墳

最上稲荷の巨大な鳥居を潜って、岡山県道241号線を北上する。 右手にある岡山市北区平山の集落の中に、小高い丘陵がある。 この丘陵上に、全長約150メートルという大きな前方後円墳がある。岡山県指定史跡の佐古田堂山(さこだどうやま)古墳である。 佐古田…

文英の石仏群 後編 大崎廃寺跡

岡山市北区三手の集落にある臨済宗の寺院、真福寺にも、四体の文英の石仏がある。 真福寺 本堂 真福寺の山門を潜ると、正面に本堂がある。山門から入って左に行くと、無縁仏の墓石が多数ある。 この墓石群の左側に、文英の石仏がある。 無縁仏の墓石 四体の…

文英の石仏群 前編

1月6日に備中の史跡巡りを行った。 岡山市北区の立田から門前にかけて、天文年間から天正年間(1532~1592年)に渡って制作された石仏群が存在する。 石仏の大半に、文英という制作者の銘が刻まれているので、文英の石仏群と呼ばれている。 岡山市北区門前…

備中高松城跡 後編

天正十年(1582年)六月二日未明、京都本能寺で織田信長が家臣明智光秀に討たれた。 主君信長の死の報せは、備中高松城を包囲する秀吉の下にも届いた。 動揺する秀吉に対し、軍師黒田官兵衛は、むしろこれで殿に天下獲りのチャンスが訪れたと励ました。 光秀…

備中高松城跡 前編

鯉喰神社の見学を終え、岡山市北区高松にある国指定史跡・備中高松城跡に赴いた。 最上稲荷の巨大な鳥居を過ぎてしばらく行くと、史跡公園として整備された備中高松城跡が見えてくる。 備中高松城跡 備中高松城跡は、私が史跡巡りで訪れた13番目の日本200名…

楯築遺跡 鯉喰神社

王墓山古墳の北側の、王墓の丘史跡公園の中に、弥生時代末期である2世紀後半の墳丘墓、楯築(たてつき)遺跡がある。 王墓の丘史跡公園入口 楯築遺跡が築造された2世紀後半は、大和盆地に大和王権が確立される50年以上前である。 日本中に成立していたクニ…

王墓山古墳 日畑廃寺跡 日幡城跡

犬養木堂記念館の見学を終え、足守川を越えて西に行き、岡山県倉敷市庄新町にある王墓山古墳を訪れた。 王墓山古墳への道は、庄新町公民館の南東側に並ぶ民家の間にある。 王墓山古墳への道 この道を入っていくと、行く手に6世紀後半に築造された王墓山古墳…

旧犬養家住宅 犬養木堂記念館

吉備津神社西側の駐車場の奥に、備中国賀陽郡庭瀬村川入(現岡山市北区川入)出身で、第29代内閣総理大臣になり、昭和7年に発生した五・一五事件で殺害された政治家犬養毅の銅像が建っている。 犬養毅の銅像 犬養家(元は犬飼といった)の祖先の犬飼健命は…

旧新宮社跡 東林山真如院 伝賀陽氏館跡

吉備の中山の西側の、岡山市北区川入の集落の奥に、吉備津神社摂社の旧新宮社跡がある。 新宮社は、吉備津神社祭神大吉備津彦大神の子神である吉備武彦命を祀る社である。 新宮社は、現在は吉備津神社境内にある本宮社に合祀されているが、昔は川入の集落に…

岡山県古代吉備文化財センター 後編

日本が統一国家への道を歩みだした西暦250年ころに、最初期の前方後円墳が大和に登場する。 いわゆる古墳時代は、この頃に始まる。 その後、前方後円墳は日本全国に広がっていくが、この前方後円墳の拡散過程が大和王権の日本統一の過程と重なっている。 だ…

中山茶臼山古墳 岡山県古代吉備文化財センター 前編

吉備津神社の裏から吉備の中山に上っていく自動車道が始まっている。 その道を使って吉備の中山を上がっていくと、岡山県の遺跡から発掘された文化財を収蔵展示する岡山県古代吉備文化財センターがある。 岡山県古代吉備文化財センター ここの駐車場に車をと…

備中 吉備津神社 後編

吉備津えびす宮から回廊を南に歩くと、西面して鳥居が建ち、吉備の中山に向かって石段が伸びている場所に出る。 ここを登ると、岩山宮がある。 岩山宮鳥居 岩山宮への石段 岩山宮の祭神は、吉備国の地主神の建日方別命である。 岩山宮本殿 古びたいい本殿だ…

備中 吉備津神社 中編

吉備津神社の名物は、本殿だけではない。長い回廊も名物の一つである。 本殿南側から回廊は始まり、間に南随神門を挟んで、境内南端の本宮社まで回廊は続いている。 本殿南端から始まる回廊 南随神門 私が子供のころ、何のCMだったか忘れたが、吉備津神社の…

備中 吉備津神社 前編

福田海から吉備の中山沿いの道を西に約200メートル行くと、備中国一宮の吉備津神社がある。 備後国の一宮も吉備津神社なので、区別するため記事のタイトルに備中を付けた。 吉備津神社で特徴的なのは、JR吉備線の吉備津駅の東側の交差点から、吉備津神社の石…

福田海 後編

中堂の奥、役行者と理源大師聖宝の像の背後に、易塚がある。 易塚 儒教の聖典である五経は、「易経」「詩経」「書経」「春秋」「礼記」であるが、「易経」はその第一の聖典である。 易は、一般には占いの一種のように思われているが、陰陽八卦六十四爻(こう…

福田海 中編

福田海の本堂には、前身の青蓮寺の本尊であった十一面観世音像を祀っている。 先祖供養のためのお堂である。 本堂 本堂内部 本堂の奥には、複数の仏像と経塔多数が置いてある。 本堂内には、向かって左側に勝鬘(しょうまん)夫人像が置かれている。 この勝…

福田海 前編

7月15日に備中の史跡巡りを行った。 私は今まで、播磨、備前、美作、摂津、但馬、因幡、丹波、淡路の8か国の史跡巡りをしてきた。 播磨の史跡巡りは令和2年に、備前は今年終了した。備前の西隣の備中は、私が史跡巡りで訪れた9つ目の国になる。 また新し…