加西市 住吉神社

 兵庫県加西市北条町古坂にある加西市埋蔵文化財整理室の駐輪場横に、阿弥陀三尊の種子を刻んだ鎮岩(とこなべ)板碑がある。兵庫県指定文化財となっている。

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鎮岩板碑

 元々は、加西市鎮岩町の大日堂の境内にあったが、加西市が保存のため、この場所に移転した。

 種子が大きく、くっきりと薬研彫されている。裏に建治三年(1277年)の銘がある。当時は執権北条時宗の時代である。蒙古襲来の前の作だ。

 各地に文化財として保存されている石仏や石造五輪塔、石造の層塔は、鎌倉時代のものが多い。鎌倉時代には、仏教に関する石造彫刻を造るブームが起きていたのかもしれない。

 板碑の隣の駐輪場には、石棺の蓋が無造作に置かれていた。

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石棺の蓋

 古墳時代の石棺だが、こんなに雑然と外に置いていていいのかと思ってしまう。いずれにしろ、石棺が豊富に発掘される加西らしい光景だ。

 さて、埋蔵文化財整理室から西に行くと、住吉神社の御旅所がある。

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住吉神社御旅所

 御旅所とは、神様の渡御の際に神霊を一時的に安置する場所のことを指す。具体的にいうと、祭礼時に神様が乗った神輿を安置する場所である。神様の旅先の休憩場所みたいなものであろうか。大体本社から1~2キロメートルの場所に置かれる。

 住吉神社の御旅所も、本社から2キロメートルほど東にある。

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御旅所拝殿

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拝殿の獅子の彫刻

 この御旅所に祀られているのは、当地住民の祖神と言われる酒見神と住吉四神(住吉三神神功皇后)である。他に明治42年に近隣の大歳神社と八幡神社から合祀された大歳神と八幡神も祀られている。

 住吉神社は、江戸時代までは酒見社と呼ばれていた。創建は養老元年(717年)で、山酒人という人が、地元の人と相談して、酒見神と住吉四神を祀ったのが酒見社の始まりとされている。

 明治になって、社名を住吉神社に改めた。

 ところで、御旅所拝殿には、神紋である二つ引両と三つ巴が貼られていた。

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二つ引両と三つ巴紋

 これは、赤松家の家紋と同一である。住吉神社と赤松家の関係を示す史料の存在を私は知らないが、当社と赤松家の間には、何らかの関りがあったのだろう。

 毎年4月の第一土日に行われる節句祭りでは、御旅所で竜王舞という祭事が行われる。竜王の舞人は、東郷の横尾と西郷の小谷から1人づつ出る。両名が猿田彦に扮し、東郷が二つ引両の紋、西郷が三つ巴紋を染め抜いた胴衣を着て舞うそうだ。

 住吉神社の本社は、加西市北条町北条にある。

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住吉神社本社

 航海の神である住吉神が、なぜ海に接していない加西に祀られているかは謎である。

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住吉神社社殿

 住吉神社は、幅の広い拝殿の背後に幣殿があり、その後ろに住吉三神神功皇后を祀る本殿が三つ建っている。

 拝殿の彫刻がなかなか立派であった。浪間から太陽が昇る彫刻は、今までお目にかかったことがない。

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拝殿の彫刻

 本殿が3つ並ぶ姿は壮観である。

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本殿

 国宝となっている大阪の住吉大社本殿は、住吉造りと呼ばれている。直線的な破風が特徴的である。加西の住吉神社の本殿は、破風に反りがあるが、幅二間、奥行き四間という住吉造りの特徴を備えている。

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本殿の彫刻

 住吉神社拝殿、幣殿、本殿は、国登録有形文化財となっている。

 住吉神社社殿は平治の乱天正年間(1573~1592年)の兵火などで荒廃したが、江戸時代初期に姫路城主の池田輝政により復興された。

 現在の本社三殿は、嘉永四年(1851年)に再建されたものである。 境内中央には勅使塚が遺されており、現在は「鶏合わせ」や「龍王舞」など神事の場として使われるという。

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勅使塚と拝殿

 住吉神社の東隣には、酒見寺がある。江戸時代までは、酒見社と酒見寺は一体となっていたと思われる。

 明日は酒見寺を紹介する予定だが、同一敷地と言ってよい土地に、立派な神社と寺院が隣り合っている様子は、日本の信仰の形を表していて、微笑ましい。