播磨

神戸市西区 太山寺 後編

太山寺境内の東側にある羅漢堂と釈迦堂の位置関係は、丁度神社の拝殿と本殿の位置関係に似ている。羅漢堂の奥に釈迦堂がある。 羅漢堂 羅漢堂は、正面に華頭窓と大きな唐破風を持つ寺院建築である。建立は江戸時代後期と伝えられる。 内部には、四天王像、十…

神戸市西区 太山寺 中編

三重塔を観終わって、国宝の本堂に向かう。 本堂は、正面七間、奥行き六間の大きな建物で、鮮やかな薄緑色の銅板で屋根が葺かれている。かつては本瓦葺だったそうだが、昭和39年の解体修理工事で銅板葺きに葺き替えられたらしい。瓦葺の本堂も見てみたかった…

神戸市西区 太山寺 前編

今まで1年3カ月に渡り史跡巡りをしてきた。 私の史跡巡りの案内者は、山川出版社の歴史散歩シリーズで、このシリーズの本に載っている史跡は原則全て訪れるという方針で進めて来た。 また、地理的には、かつての日本の行政単位である「国」を基準にしてき…

龍崋山転法輪寺

神戸市垂水区名谷にある真言宗の寺院、龍崋山転法輪寺は、大同元年(806年)の創建とされている。 在原行平が、霊夢の中で、無量寿仏(阿弥陀如来)を明石郡垂水郷の釈迦転法輪の法窟に安置せよ、と告げられたことにより、寺が造られたという。 転法輪寺案内…

海神社

神戸市垂水区を代表する神社と言えば、海神社である。 海神社は、JR垂水駅のすぐ近く、神戸市垂水区宮本町にある。 古くは海(わたつみ)神社と呼ばれたが、最近は海(かい)神社と呼ばれることが多い。名前の通り海の近くに建つ、海の神様を祀った神社で…

五色塚古墳

舞子公園から東に進み、神戸市垂水区五色山にある五色塚古墳を訪れる。ここは国指定史跡となっている。 五色塚古墳 五色塚古墳は、全長約194メートルの前方後円墳で、兵庫県下最大の古墳である。全国の前方後円墳の中では、40位前後の大きさだ。 この古墳は…

移情閣 後編

移情閣は、明石海峡大橋建設工事に伴い、平成6年に一度解体され、元々建っていた場所から南西約200メートルの現在地に移転復元された。移転工事が終了したのは平成12年4月のことである。 移情閣の名の由来は、八角三層の塔から展望する六甲山系、大阪湾、…

移情閣 前編

舞子公園の中に、国指定重要文化財となっている洋館・移情閣がある。 移情閣 移情閣は、中国浙江省出身で、神戸で活躍した中国人実業家呉錦堂(1855~1926年)が建てた別荘「松海別荘」が前身である。 明治18年に来日した呉錦堂は、行商をしながら蓄財し、関…

舞子

大歳山遺跡公園から南下し、神戸市垂水区東舞子町にある兵庫県立舞子公園に着く。駐車場に車をとめる。 車を降りれば、眼前に明石海峡の解放感ある景色が広がり、海風が鼻腔を搏つ。 明石海峡 頭上を明石海峡大橋が通り、対岸の淡路島が指呼の間に見える。私…

大歳山遺跡公園

多聞寺から南下し、神戸市垂水区西舞子にある大歳山遺跡公園を訪れる。 大歳山遺跡公園 大歳山遺跡公園は、標高約30メートルの台地上にある。芝生が張られ、広々とした心地好い空間だ。 ここには、元々大歳山という山があった。山上に大歳神社が祀られていた…

吉祥山多聞寺

明石城を出て、車を神戸市西区伊川谷町有瀬に向けて走らせる。 有瀬にある神戸学院大学のキャンパスには、平成7年1月17日の阪神淡路大震災で故障した、明石市立天文科学館の2代目大時計が移設され、現在も時を刻んでいる。 神戸学院大学有瀬キャンパス 大…

明石城 後編

明石城の巽(たつみ)櫓は本丸の南東に、坤(ひつじさる)櫓は本丸の南西に建つ三重櫓である。 両方、国指定重要文化財である。 手前が巽櫓、奥が坤櫓 巽櫓は、安土桃山時代に明石川河口付近に建てられた船上(ふなげ)城の天守か櫓を移築したものとされてい…

明石城 前編

人口約30万人の明石市の象徴となる建物が明石城である。天守はないものの、国指定重要文化財の三重櫓2棟を有する近世の本格的城郭建築の遺構である。 別名喜春(きしゅん)城と呼ばれる。 かつて訪問した明石市立文化博物館には、明石城の模型が展示してあ…

比金山如意寺 後編

文殊堂の北東に聳えるのが国指定重要文化財の三重塔である。 私が史跡巡りで訪れた、14番目の三重塔である。 如意寺三重塔 元和五年(1619年)に三重塔を修理した際、塔上部の相輪の部材から至徳二年(1385年)の刻銘が見つかった。そのため、この三重塔が室…

比金山如意寺 前編

今年8月5日の当ブログの記事「明石市立天文科学館 前編」で紹介したように、明治43年に、当時の明石郡の小学校教員たちが私費を投じて、子午線が通過する場所に子午線通過地識標を建てた。 一つは現在の明石市天文町に建てられたが、もう一つの識標は、現…

明石市立文化博物館

明石市の文化エリアでもある明石公園の東側に、明石市や周辺から発掘された考古資料等を展示する明石市立文化博物館がある。 明石市立文化博物館 明石市立文化博物館の常設展会場に入って、真っ先に目に飛び込んでくるのは、アカシゾウの骨格標本模型である…

明石市 本松寺 高家寺

以前、宮本武蔵が作った庭を持つ善楽寺円珠院を紹介したが、今回紹介する本松寺も、武蔵が作庭した庭を持つ。 本松寺は、明石市上ノ丸にある。人丸山の西側に建っている。 本松寺の石段 本松寺は、日蓮宗の寺院である。慶長元年(1596年)に、秀吉の家臣藤井…

人麿山月照寺、柿本神社 後編

歌聖と称される万葉歌人の第一人者・柿本人麻呂を祀る柿本神社。かつては人丸社とも呼ばれていた。 昨日も紹介したが、柿本神社は明治4年の神仏分離令により、月照寺から独立した神社となった。 柿本神社神門 柿本神社の神門前には、ちょっとした展望広場が…

人麿山月照寺、柿本神社 前編

明石市立天文科学館の東側の空き地には、寛永十年(1633年)に初代明石城主小笠原忠真の後を継いで、二代目城主となった松平康直を供養する五輪塔がある。 松平康直供養の五輪塔 この五輪塔が珍しいのは、通常は五輪塔の各石に梵字が彫られるところが、「地…

明石市立天文科学館 後編

天文科学館では、当日鉱物の展覧会を行っていた。地球外から飛来した隕石のレプリカも展示してあった。 隕石のレプリカ 元々地球という惑星は、宇宙空間を漂うこのような岩石が、お互いの引力に引かれて合体して出来上がったものである。 こんな岩石の塊が合…

明石市立天文科学館 前編

明石は時の街とも呼ばれている。日本標準時の基準となる東経135度の子午線がこの町を通っているからである。 この子午線上に太陽が南中した時、日本全国が正午となる。 東経135度の子午線が、日本標準時の基準となったのは、明治21年1月1日のことである。 …

稲爪神社 長壽院

明石市大蔵中町にある稲爪神社は、三嶋大明神を祀る神社である。 稲爪神社神門 神門内の武人像 日本の正史である「日本書紀」には記載がないが、推古天皇の時代、朝鮮半島から、全身を鉄で覆った鉄人8千人が日本に攻めて来たという伝承がある。 日本側は九…

浜光明寺と朝顔光明寺

明石市鍛治屋町にある遍照山光明寺は、浄土宗の寺院である。 近くにある真宗大谷派の月池山光明寺と区別するため、通称「浜光明寺」と呼ばれている。 浜光明寺の山門 浜光明寺の山門は、屋根の瓦が崩れ始めている。しかし、彫刻などはなかなか見事なので、修…

明石市 善楽寺

兵庫県明石市は、江戸時代に明石藩の城下町として発展した。 今日は明石城下の寺院の一つ、明石市大観町にある善楽寺を紹介する。 善楽寺 善楽寺は、孝徳天皇の御代の大化年間(645~649年)に、法道仙人が創建したと伝えられる、明石で最古の寺院である。現…

雄岡山 雌岡山

神戸市西区神出(かんで)町に、綺麗な円錐形の山が2つ並んで聳えている。2つの山が並ぶ姿を遠くから見ると、女性の乳房のように見える。 雄岡山(おっこさん)、雌岡山(めっこさん)である。 雄岡山 雌岡山 御覧のように、双方似たような形であるが、高…

淡河八幡神社

石峯寺を出発し、神戸市北区淡河町南僧尾の南僧尾観音堂に行く。 ここは、承和七年(840年)に創建された新善寺の本堂だったとされる建物である。 行って見ると、残念ながら修復工事中であった。 修復工事中の南僧尾観音堂 南僧尾観音堂は、建築年代は不詳だ…

岩嶺山石峯寺 後編

石峯寺が江戸時代に幕府や明石藩から手厚く保護されたことは前回に述べたが、境内には、石峯寺に御朱印寺領を与えた歴代徳川将軍の尊霊碑が建っている。 徳川将軍尊霊碑 さらに境内には、暦応四年(1341年)に建てられた石造五輪塔がある。兵庫県指定文化財…

岩嶺山石峯寺 前編

三木市吉川町の東光寺から南下して、神戸市北区淡河(おうご)町に入る。 私は今、播磨、備前、美作の三国の史跡巡りをしている。現在では、地元兵庫県でも、神戸市は播磨に入らないと認識されているが、実際の所は神戸市西区、垂水区の全域と須磨区、北区の…

姑射山東光寺

兵庫県三木市吉川町吉福にある、姑射山(こやさん)東光寺を訪れる。ここは、真言宗の寺院である。 東光寺は、三木市吉川町と三田市との境界付近にある。三田市は、摂津国の領域である。播州のほとんど東端までやってきたわけだ。 東光寺の入口 東光寺は、神…

三木市 天津神社

兵庫県三木市吉川町前田にある天津神社は、国指定重要文化財の華麗な本殿を有する。 天津神社 拝殿 祭神は、天穂日(あめのほひ)命、天津彦根(あまつひこね)命、活津彦根(いくつひこね)命、天忍穂耳(あめのおしほみみ)命、熊野久須日(くまのくすび)…