2019-01-01から1年間の記事一覧

小原宿

伝宮本武蔵宅跡から北に行くと、左手に竹山が見えてくる。武蔵の父と伝えられる平田無二斎が仕えた新免氏の居城跡のある山である。 標高430メートルの竹山であるが、山頂まで舗装路が続いている。 竹山城登り口 ZC33Sで山頂まで走った。山頂には、車を置ける…

伝宮本武蔵宅跡 讃甘神社

以前、兵庫県高砂市米田町米田が宮本武蔵の出生地であるという説を紹介した。今回は、若いころ武蔵が修行を重ねた美作市宮本の地を紹介する。 美作市宮本には、武蔵の生家とされる家が伝わっている。 伝宮本武蔵宅 伝宮本武蔵宅の説明板によれば、武蔵の祖父…

美作市ところどころ

土居宿から西に進むと江見の町が見えてくる。そこから北上してすぐの美作市藤生に、江見廃寺がある。別名閻武廃寺という。白鳳期に建てられた寺院の跡であるという。 ゲートボール場の片隅に、一つだけ礎石が残っている。 江見廃寺の礎石 この付近からは、複…

土居宿

今回、播磨、備前に次いで美作に足を踏み入れた。史跡巡りを始めてから訪れた3つ目の国である。 畿内と出雲との間を結ぶ出雲街道の土居宿は、幕府の命により、慶長年間に津山藩主森忠政によって整備された。 土居宿は、播磨から美作に入って最初の宿場町で…

米田天神社 泊神社

剣聖宮本武蔵。 その出生地は播磨国だと言われている。出生地とされている高砂市米田町米田にある米田天神社を訪れた。 武蔵の甥で、武蔵の養子となった宮本伊織は、小倉藩の筆頭家老となったが、故郷の氏神である泊神社(現兵庫県加古川市)が荒廃している…

生石神社 覚正寺

兵庫県高砂市阿弥陀町生石にある生石(おうしこ)神社には、九州霧島高千穂峰の天之逆鉾、奥州塩釜神社の塩釜と並ぶ「日本三奇」の一つ、「石の宝殿」がある。 生石神社鳥居 大穴牟遅(おおなむち)命と少毘古名(すくなひこな)命の二柱の神が、国土経営の…

宝瓶山十輪寺

兵庫県高砂市高砂町は、古い町並みが続くレトロな界隈である。 そんな町並みの中にあるのが、高砂町横町の宝瓶山(ほうびょうさん)十輪寺である。 空海が遣唐使として唐に向けて航海中、海上安全を地蔵菩薩に祈願したところ、高砂沖で霊感を受けて無事に所…

高砂の寺院、高砂神社

高砂市伊保3丁目にある膽匐山(せいぶくさん)真浄寺は、浄土真宗の寺院である。 真浄寺 ここには、江戸時代中期の画家・曽我蕭白の描いた障壁画があって、兵庫県指定文化財となっている。 楼門 楼門の龍の彫刻 しかし、楼門の前の柵が閉ざされて、境内に入…

曽根天満宮

兵庫県高砂市曽根町にある曽根天満宮。ここは、菅原道真公ゆかりの神社である。 又、松原八幡神社に優るとも劣らない勇壮な秋季例祭で知られている。例祭は、毎年10月13、14日に行われる。私が訪れた日は、既に祭りが終わった後であった。 曽根天満宮 祭神は…

熊山遺跡

謎の遺跡、熊山遺跡。私が以前から行ってみたかった場所だ。 私が、備前国和気郡熊山に、不思議な場所があることを知ったのは、三島由紀夫の小説「鏡子の家」を読んだときである。 「鏡子の家」は戦後の虚無に直面した4人の青年のことを描いた小説だが、青…

和気清麻呂続編 伝足利義政供養塔・日野富子墓

「岡山県の歴史散歩」によれば、和気町田原井堰資料館の南東の山の斜面に、9世紀のたたら製鉄炉跡である、石生(いわぶ)天皇遺跡があるとのことだったが、案内標識もなく、発見することが出来なかった。 石生天皇遺跡のある山 遺跡のあるという山を撮影す…

田原井堰と田原用水

岡山藩の土木工事の偉人、津田永忠が手掛けた土木工事の中で、元禄時代の1690年前後に施工され、昭和まで約300年に渡って実用に耐えてきたのが、田原井堰(いせき)である。 井堰とは、水を他へ引いたり流量を調節するために、川水をせきとめる設備を指す。 …

北曽根城跡 法泉寺

再び岡山県和気郡和気町を訪れた。 JR和気駅の北側にある富士見橋を渡ると、目の前に聳えるのが、和気富士と呼ばれる城山である。標高173メートル。そう高い山ではない。 城山 城山の山上には、かつて北曽根城という山城があった。別名黒山城という。 戦国期…

山伏峠石仏 玉丘古墳群

兵庫県加西市玉野町にある山伏峠には、兵庫県指定文化財の2基の石棺仏がある。 山伏峠石棺仏 道側の1基は、高さ2.25メートル、幅1.24メートル、厚さ0.4メートルの大きな家型石棺に、蓮華座上の阿弥陀坐像を彫刻している。 奥にあるもう1基は、高さ2.1メー…

加西市拾い歩き

兵庫県加西市繁昌町にある乎疑原(おぎはら)神社は、奈良時代の創建とされている。 平安時代の延喜式にも載っていて、加東郡、加西郡35ヶ村の総社として、例祭には朝廷から幣帛が供進されていた。 祭神は、元々は大国主命と少名彦命であったが、近くにある…

周遍寺密蔵院 清慶寺

北条鉄道網引駅のすぐ近くには、周遍寺密蔵院がある。ここは高野山真言宗の寺である。 周遍寺密蔵院 密蔵院の楼門の前の広場に、観音像を中心にして、古い墓石などが集められた一角があった。 墓石群 その墓石群に向かって右側の手前に、古い石棺仏がある。…

鶉野飛行場 北条鉄道網引駅

兵庫県加西市鶉野町にある鶉野飛行場跡は、かつての姫路海軍航空隊の基地の跡である。近くに川西航空機株式会社姫路製作所が併設されていた。 鶉野飛行場跡 かつてはここに、全長1200メートル、幅60メートルの滑走路があった。今は滑走路跡に砂利が敷かれて…

法華山一乗寺 後編 附古法華石仏

三重塔の前から石段の上を見上げると、大悲閣と呼ばれる本堂が見える。 本堂 本堂は、国指定重要文化財である。現在の本堂は、創建されてから四代目で、寛永五年(1628年)に、姫路藩主本多忠政によって建立された。 本多忠政は、姫路城西の丸を築いて、姫路…

法華山一乗寺 前編

兵庫県加西市坂本にある法華山一乗寺は、天台宗の寺院である。 西国三十三所観音霊場の第26番札所として知られる名刹である。 当ブログとしては、姫路城、閑谷学校に続いて、3度目の国宝建造物の訪問である。 法華山一乗寺 元亨二年(1322年)に書かれた「…

旧大國家住宅 大題目岩

岡山県和気郡和気町尺所に、国指定重要文化財の旧大國家住宅がある。隣は閑谷学校の伝統を継ぐ岡山県立和気閑谷高等学校である。 旧大國家住宅は、現在老朽化が進んでいることから、大規模改修工事中であった。 旧大國家住宅 大國家は、幕末までは大森姓を称…

安養寺 由加神社

岡山県和気郡和気町泉にある照光山安養寺は、天台宗の寺院である。 開基は、天平勝宝元年(749年)で、報恩大師が創建した備前四十八寺の一つである。天平勝宝元年は、和気清麻呂が16歳の年である。清麻呂がまだ奈良に出ていなければ、安養寺の創建を目にし…

和気清麻呂 後編

和気神社の随神門を潜り、拝殿に対面する。 随神門 和気神社(旧猿目神社)が現在地に移転したのは、天正十九年(1591年)のことであるらしい。それまでは、神社はここから数町下手に鎮座していた。 拝殿 拝殿は、瓦葺入母屋造りの清楚な印象を与える建物で…

和気清麻呂 前編

岡山県和気郡和気町は、奈良時代の功臣・和気清麻呂公ゆかりの町である。 和気清麻呂は、皇統護持に尽くした功臣として、戦前は日本人の誰もが知っている人物だった。 この清麻呂公と姉の和気広虫を祀る神社が、和気町藤野にある和気神社である。 和気神社 …

大瀧山福生寺

伊部の町から国道2号線を西に行き、JR香登駅手前を右折北上する。 備前市大内にある真言宗の寺院、大瀧山福生寺(ふくしょうじ)を訪れる。 福生寺は、寺伝によれば、天平勝宝六年(754年)、唐から渡来した鑑真和上によって創建され、奈良時代の備前の高僧…

備前陶器窯跡

備前焼ミュージアムの4階の窓から、伊部駅の南の方を見渡すと、山の山麓に草木が全く生えていない一角があり、その上に陶片と思しきものが大量に放置されている場所があった。 私は最初それを見て、失敗した陶器の捨て場なのかと思った。この見方は、半分当…

伊部

岡山県備前市の西の中心が、伊部(いんべ)である。JR伊部駅を中心にして、町が開けている。 中世、近世に備前焼の積出港として栄えたのが、浦伊部という湊町である。浦伊部にある浄光山妙圀寺は、日蓮宗の寺院である。 山門 妙圀寺は、元々は天台宗の寺院で…

藤原啓記念館

正宗文庫から海沿いの道に戻り、備前市街に向かって走ると、右手に藤原啓記念館を含むFAN美術館が見えてくる。 FAN美術館は、平成28年6月に藤原啓記念館を拡大発展させて、リニューアルオープンしたものである。備前焼の人間国宝、藤原啓の作品を展示する藤…

正宗文庫

備前市穂浪の町には、すぐそこまで海が迫っている。片島湾である。片島湾には、養殖用の牡蠣を垂下するための筏が多数浮かんでいる。 そんな片島湾を見下ろす場所に建つのが、正宗文庫である。 正宗文庫は、明治から昭和を生きた国文学者・正宗敦夫が集めた…

ビートルズ

最近諸事情で史跡巡りが出来ていない。今日も台風で出かけられなかった。 なので今日も史跡と関係のない記事を書く。私の私生活の柱の一つである音楽について書く。 音楽、と言っても、専ら聴くだけで、何かの楽器を演奏したり自分で歌ったりするわけではな…

時計について

ここのところ地味な史跡巡りの記事が続いたので、今日は趣向を変えてみる。 男性が好きな物と言えば、車、カメラ、そして時計が定番である。それに万年筆が加わるか。 私が使っている車、カメラについては既に書いたので、今日は時計について書きたい。と言…