正宗文庫

 備前市穂浪の町には、すぐそこまで海が迫っている。片島湾である。片島湾には、養殖用の牡蠣を垂下するための筏が多数浮かんでいる。

 そんな片島湾を見下ろす場所に建つのが、正宗文庫である。

 正宗文庫は、明治から昭和を生きた国文学者・正宗敦夫が集めた、主に日本古典に関する古書、稀覯書を収蔵する書庫である。

 正宗敦夫は、明治から昭和にかけて活躍した自然主義の小説家・正宗白鳥(本名忠夫)の弟である。

 敦夫は、東京に出た兄・白鳥と異なり、生涯穂浪の町に住みながら、国文学者・歌人として生きた。歌人としては、松岡五兄弟の一人、井上通泰に師事し、地元岡山のノートルダム清心女子大の教授となった。

 正宗敦夫の仕事で功績のあるものは、「万葉集」の歌の全ての用字を纏めた、「萬葉集總索引」である。

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正宗文庫

 正宗敦夫は、昭和11年に、自分が集めた古典籍を保存するための財団法人・正宗文庫を立ち上げ、自宅敷地内に書庫を作った。

 正宗文庫は、穂浪の住吉神社の西側の道を北に上がっていったところにある。車1台がようやく登れる細い道である。

 私が車を停めて、歩いて正宗文庫の方に行くと、文庫手前の木造の建物内がどうもにぎやかである。壮年の男性が丁度文庫の方からやってきた。その男性から「どうかされましたか」と質問されたので、「ここが正宗文庫ですか」と尋ねた。

 男性は、「そうです。普段は公開していないのですが、今日は丁度大学の方たちが研究に見えていまして。よければ中をご覧になりますか」と親切に言って下さった。

 私はご厚意に甘えて、入り口から中を覗かせてもらった。内部は書籍が堆く積まれた書庫である。男性は、「ただの書庫ですから」とおっしゃった。

 「岡山県の歴史散歩」に、正宗文庫に閑谷焼きが置いてあると書いてあったので、閑谷焼きについて質問すると、「2階にありますよ。破片があるだけですが」とのことだった。

 文庫内部は書棚が並び、手前に「万葉集」に関する古い書籍が積まれている。

 私は、書物のインクや紙の匂いのする薄暗い書庫が大好きだ。かつて江戸川乱歩の蔵書を収めている白壁の土蔵「幻影城」の写真を見た時に、こんな土蔵の中に1日中いたいと思ったものだ。

 大学生の時、大学図書館の書庫の中に1日いたことがある。古い書物や雑誌や新聞は、想像の翼を広げれば、無限に旅することが出来る宇宙のようなものである。文字通り、過去を生きることが出来る。

 私はしばし恍惚としたが、文庫の入り口から中を覗いただけで、男性に礼をして正宗文庫を写真に収めた。

 私はかつて、鷗外崇拝熱のあまり、「鷗外全集」に出てくる、鷗外が使った全ての用語の事典を作ろうかと思い立ったことがあるが、とてもではないが自分一人の手に負える仕事ではないと気づいたので、やめた。そして史跡巡りを始めた。

 「萬葉集總索引」を書き上げた正宗敦夫は、その点尊敬すべき学者である。

 家に帰って調べたら、正宗文庫の管理は、現在は正宗敦夫のお孫さんで、備前焼作家の正宗千春さんがされていることが分かった。

 私は、ひょっとしたら今日たまたま案内して下さった方が、正宗千春さんだったのではないかと気づいて、一人恐縮した。

 文庫から少し坂を下りると、正宗白鳥生家跡がある。

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正宗白鳥生家の碑

 正宗白鳥は、明治大正期に一世を風靡した自然主義文学の作家である。私は、白鳥の作品を1作も読んだことがないので、その作品を論じることはできない。

 石碑には、白鳥が片島湾の風景を描いた文章が刻まれていた。

西風の凪いだ後の入江は鏡のようで

漁船や肥舟は眠りを促すような艪の音を立てた

             「入江のほとり」 

 とある。

 正宗白鳥生家跡には、建物は何も残っていないが、かろうじて敷地内にかつての庭の痕跡があった。

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正宗家の庭の痕跡

 正宗家は、穂浪の網元の家で、かつては材木商もしていた財産家だったという。

 史跡巡りをしてきて分かったが、史跡の素材の中で、最も風化せずに残るものは石である。

 ここにも庭の石橋だけが残っていた。
 風光明媚な海の近くで生まれた正宗白鳥、敦夫という兄弟の文学への志を、この石橋を見ながら偲んだ。