熊山遺跡

 謎の遺跡、熊山遺跡。私が以前から行ってみたかった場所だ。

 私が、備前国和気郡熊山に、不思議な場所があることを知ったのは、三島由紀夫の小説「鏡子の家」を読んだときである。

 「鏡子の家」は戦後の虚無に直面した4人の青年のことを描いた小説だが、青年の1人である日本画家の夏雄は、スケッチに訪れた富士山から樹海を見下ろした時に、樹海の色彩の異様な変化を見て、急に世界が存在する意味が分からなくなる。

 その後、悩んだ夏雄は、霊能者に出会い、神秘の世界に誘われる。夏雄が読んだ宮地厳夫(みやぢいづお)の「本朝神仙記伝」は、明治以後にあらわれた仙人(!)について書かれた書物であるが、その中に出てくる河野至道という仙人は、死去した後に、備前国和気郡熊山の鉾杉の林の奥深くにある仙境に遷移した。後に熊山を訪れた人が、山中で神仙が奏でる絶妙な音楽を聴いたが、その中に拙い音色があった。神仙に伺いを立てると、最近神仙の仲間入りをした河野至道が、道半ばだから音が拙いのだという答えであった。

 夏雄は、その後神秘的な修行を通して、虚無的世界観から抜け出る。

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熊山登山口

 熊山は、JR熊山駅の南方約3キロメートルに位置する。現在の地名は、岡山県赤磐市奥吉原である。

 熊山の標高は、507.8メートルである。岡山県南部では最高峰だが、幸いに頂上近くまで舗装道が通じている。とは言っても、車1台がやっと通過できる道であり、対向車が来ればお手上げとなる。

 ZC33Sで延々と続く細い道を登って、ようやく山頂近くの駐車場に到着した。

 さすがに私は仙境なるものを信じていないが、車から降り立つと、確かに不思議な空気を感じる。

 登山道に入ると、鬱蒼とした薄暗い鉾杉の林が続く。登山道の右手にあるのは熊山神社である。

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熊山神社

 熊山には元々霊山寺という寺院があった。ここにあった霊山寺の権現社が、明治14年神仏分離令に基づき麓の奥吉原集落内に移された。その代わりに建てられたのが熊山神社である。

 熊山神社の境内には、児島高徳建武三年(1336年)に挙兵をした際に腰をかけ、旗を立てたとされる、腰掛岩と旗立岩がある。「太平記」にも記載がある。

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児島高徳挙兵の跡

 この神社で感心したのは、社頭の備前焼狛犬である。尻尾が幾重にも分かれている。こんな狛犬は見たことがない。

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備前焼狛犬

 銘を見ると、明治13年に造られた狛犬であった。熊山神社創建時から据えられていることになる。

 本殿には大国主命が祀られている。

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熊山神社本殿

 熊山神社から、熊山遺跡まで歩くが、途中は樹齢700年近い天然杉の林が続く。林の中に天然記念物の熊山天然杉があった。樹齢千年を超えるという。自然の神秘な力を感じる。

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熊山天然杉

 駐車場から熊山遺跡までは、ほとんどが平坦な道で、あっけなく到着した。

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熊山遺跡

 熊山遺跡とは、全国に類を見ない石積みの遺構である。方形の基壇の上に、割石を使った石積みが三段に築盛されている。

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 二段目の四方には、神仏像を納める龕が造られている。上面中央には竪穴が設けられ、その中に円筒型の容器が収められていた。筒型容器の中には三彩釉の小壺と文字の書かれた皮の巻物が収められていたという。

 今では小壺と皮の巻物は失われ、筒型容器は天理大学附属参考館に展示されているという。

 この遺跡が一体何なのか、未だに分かっていないが、築造は奈良時代初期で、恐らく仏塔としての性格を備えた石積みであろうとされている。

 常識的には、奈良市の頭塔、堺市の土塔と同じ仏塔なのだろう。ただ、頭塔や土塔と異なって、鬱蒼とした山の中にあるので、ただの仏塔ではない雰囲気を出している。

 この熊山遺跡のある山頂付近には、かつて帝釈山霊山寺(霊仙寺)という寺院があった。

 建武三年の児島高徳の挙兵により焼失したが、14世紀末~15世紀に再建されたという。その後再び荒廃したが、江戸時代初期に金山寺住職円忠法印が本堂と権現社を再興し、幕末まで存続した。

 今は堂宇は跡形もなく、ただ石の遺構だけが残る。

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霊山寺の石段の遺構

 境内には、鐘楼跡や観音堂跡、本堂跡が残っている。

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鐘楼跡

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観音堂

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本堂跡

 更に、岡山県最古の正応五年(1292年)の銘のある宝篋印塔や、五輪塔がある。

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宝篋印塔

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五輪塔

 境内南側には、7世紀ころに秦氏が掘ったとされる井戸がある。これも伝説の域を出ないだろうが、少なくとも熊山遺跡の出来た奈良時代初期には、ここに何らかの寺院が建っていたことだろう。

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秦氏の掘った井戸

 ここにかつて、熊山遺跡と並んでどんな寺院が建っていたかを想像してみた。簡素で小さな寺院が相応しい気がする。

 私には仙人の奏でる音楽は聴こえなかったが、熊山は私が今まで訪れたどの史跡とも異なる雰囲気を持っていた。

 さて、麓に下りて、奥吉原の集落の奥にある、薬王寺宝生院を訪れた。

 ここには、赤磐市指定重要文化財である奥吉原宝篋印塔がある。

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奥吉原宝篋印塔

 また、今熊山神社の建つ場所に明治14年まで建っていた霊山寺権現社が移築されている。

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霊山寺権現社

 霊山寺の建物の中で唯一現存するのが、この権現社だ。熊山の上に建っているのがいかにも相応しい古式ゆかしい社殿である。

 日本人は昔から山を信仰してきた。人間社会から途絶した山に入ると、世俗と異なる空気が流れている。大自然の中で、人間は尊大な気持ちを捨てて、自分達が小さな存在であるという謙虚な気持ちになる。

 弘法大師空海も若いころは山で修行し、最後は山に帰った。山に入れば、人は生まれ変わった気分になれるのかも知れない。