岡山県和気郡和気町は、奈良時代の功臣・和気清麻呂公ゆかりの町である。
和気清麻呂は、皇統護持に尽くした功臣として、戦前は日本人の誰もが知っている人物だった。
この清麻呂公と姉の和気広虫を祀る神社が、和気町藤野にある和気神社である。
第11代垂仁天皇の皇子に、鐸石別命(ぬでしわけのみこと)がいた。その曽孫・弟彦王(おとひこおう)は、神功皇后に反逆した忍熊王(おしくまおう)を和気関に滅ぼした功績で、藤原県(後の藤野郡、今の和気郡)を与えられた。
弟彦王を祖先とする和気氏は、藤野郡の郡司となった。弟彦王の12代後裔が、和気清麻呂、広虫姉弟である。
和気神社は、元々猿目神社と称しており、鐸石別命を和気神として祀っていたが、明治42年に弟彦王、清麻呂、広虫を祭神に加え、大正3年に社号を和気神社に改めた。
和気清麻呂は、天平五年(733年)に備前国藤野郡(現和気町)に生まれ、奈良の都に出て武官として出仕し、近衛将監となった。
和気広虫は、天平二年(730年)に藤野郡に生まれ、孝謙上皇に仕え、勅を伝宣する女官を務めた。
広虫は、天平宝字八年(764年)、恵美押勝の乱の逆徒の助命を朝廷に嘆願し、死罪を流罪に改め、乱後の孤児83名を養子として育てた。我が国初の孤児院の開設であるという。
史書「日本後紀」にも、広虫の慈悲深く、清純で心が広い人柄が書かれている。
和気清麻呂の名が歴史に残ることとなったのは、何といっても弓削道鏡(ゆげのどうきょう)事件である。
時の女帝・第48代称徳天皇に寵愛されていた僧侶・道鏡は、天皇から太政大臣禅師、法王という地位を与えられていた。
日本最古の仏教説話集「日本霊異記」には、こう書いている。
帝姫阿倍の天皇(称徳天皇)の御世の、天平神護の元年の歳の乙巳(きのとのみ)に次 (やど)れる年(765年)の始に、弓削の氏の僧道鏡法師、皇后(称徳天皇)と同じ枕に交通(とつぎ)し、天の下の政を相摂(と)りて、天の下を治む。
道鏡は、称徳天皇が病気をした際に看病をしたことがきっかけで天皇の寵を受けるようになった。「日本霊異記」は、なかなかユーモラスな説話集で、遠慮なくあけすけに物事を書いているが、引用した文のとおり、道鏡は天皇と男女の仲となって、政治の実権を任されるまでになったようだ。
神護景雲三年(769年)、大宰府の神主、習宜阿曽麻呂(すげのあそまろ)が、宇佐八幡神から、「道鏡をして皇位に即かしめば天下泰平ならん」という神託を得たと朝廷に奏上した。
恐らく権勢を得た道鏡が、皇位を簒奪しようと企んで偽の神託を称徳天皇に奏上させたのだろう。
驚いた称徳天皇は、神託の真偽を確かめるため、和気清麻呂を宇佐八幡宮に派遣した。
道鏡は、和気清麻呂を道中で暗殺するために刺客を放った。刺客が宇佐八幡宮に急ぐ清麻呂に近づいたとき、何処からか、300頭の猪が現れ、清麻呂の周囲を囲み、清麻呂を宇佐八幡宮まで守護したという。
和気神社では、清麻呂を守った猪を狛犬ならぬ「狛いのしし」として鎮座せしめている。
宇佐八幡宮に辿り着いた清麻呂は、八幡神から神託を授かる。それが、「続日本紀」にある「我が国家は開闢より以来、君臣定まれり。臣をもって君となすこと、未だこれあらざるなり。天つ日嗣(あまつひつぎ、皇位のこと)は必ず皇緒(天皇の子孫)を立てよ。無道の人はよろしく早く掃い除くべし」という神託である。
天皇の家臣が皇位につくことはあってはならない、道鏡を追放せよ、という神託である。
都に帰った清麻呂は、天皇に神託を奏上するが、道鏡を追放せよという内容の神託に道鏡は激怒し、清麻呂を大隅国に、広虫を備後国に追放する。しかし道鏡が皇位につくことはなかった。
2年後、称徳天皇が崩御して、光仁天皇が皇位に即くと、道鏡は失脚し、下野国に左遷される。
清麻呂、広虫は光仁天皇によって都に呼び戻され、元の官位に復する。
その後清麻呂は、桓武天皇の信任を得て、長岡京の造営に携わり、摂津河内両国の治水事業に当たった。
清麻呂の建言により、延暦十三年(794年)には都が平安京に移り、清麻呂は造営大夫となって平安京の造営に尽力した。
こうして見ると、和気清麻呂は、万世一系の皇統を護持し、京都が千年以上に渡って日本の都になる基礎を作った人ということになる。
和気神社の境内には、国歌「君が代」に出てくる「さざれ石」が置いてある。さざれ石は、石灰質角礫岩という学名で、石灰石が長い年月の間に雨水で溶解し、その際流れた粘着力の強い乳状液が大小の石を凝結して、自然に大きな巌になったもので、国歌の元となった「古今和歌集」の賀歌にも歌われている。
皇統を守った和気清麻呂を祀る神社にいかにも相応しいものである。
成立過程に色々議論のある「日本国憲法」であるが、第1章に天皇のことを記載していて、憲法第2条に、「皇位は、世襲のものであって、 国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」とある。
憲法が改正されない限り皇位は世襲され、天皇は日本の象徴として君臨し続けることになる。