曽根天満宮

 兵庫県高砂市曽根町にある曽根天満宮。ここは、菅原道真公ゆかりの神社である。

 又、松原八幡神社に優るとも劣らない勇壮な秋季例祭で知られている。例祭は、毎年10月13、14日に行われる。私が訪れた日は、既に祭りが終わった後であった。

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曽根天満宮

 祭神は、菅原家の祖神・天穂日命(あめのほひのみこと)、菅原道真公、菅原公達命(道真公御子)である。

 延喜元年(901年)、道真公は冤罪を被り、九州大宰府に左遷された。その途中、当地に立ち寄り、今の曽根天満宮の西側にある日笠山に登って、播磨灘の風光を愛でた。

 そして、日笠山の小松をこの地に植えて、「我に罪なくば栄えよ」と祈念した。これが霊松曽根の松である。

 その後、道真公の四男淳茂公が、臣13人と共にこの地に至り、道真公を祀る社を創建した。則ち、今の曽根天満宮である。

 社殿は、天正六年(1578年)の秀吉の播州攻めで焼失した。その後、少しづつ再建されて現在に至っている。

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神門

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神門の彫刻

 神門は、享保二年(1717年)の建築である。軒下の豪快な雲の彫刻が素晴らしい。

 曽根の松は、延喜元年(901年)に植えられたが、天正年間の秀吉の起こした兵火を浴びて衰弱し、寛政十年(1798年)に枯死した。それでも約900年間生き続けたことになる。

 初代曽根の松の幹は、今も古霊松を祀る建物内に保存されている。

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古霊松を祀る建物

 初代曽根の松の幹は、龍がとぐろを巻いているかのような驚くべき迫力に満ちていた。ごつごつした幹の皮が、本当に龍の鱗のようであった。残念ながら建物の格子内には目が細かいフェンスが張られていて、初代曽根の松を写真に収めることが出来なかった。だがこれは必見である。

 拝殿は、慶長十四年(1609年)、姫路藩池田輝政正室督姫の寄進で建立され、明和二年(1765年)に幣殿と共に改修された。

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拝殿

 左右非対称の特異な拝殿である。巨大な注連縄が特徴的だ。

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注連縄

 それにしても不思議なのは、「家島」「飾磨の天満宮」の回でも書いたように、道真公が訪れた場所がことごとく聖蹟として祀られているということである。

 日本の歴史上で、そんな人物が他にいるか考えてみたが、あとは神功皇后弘法大師空海くらいしか思い浮かばなかった。

 空海は言わずもがなだが、神功皇后も朝鮮征伐の際に立ち寄った瀬戸内海沿岸や九州北岸の地にことごとく神社が建てられている。

 この三人に共通することは何か。それは3人とも人智を越えた力を発揮した、あるいは発揮したと信じられたことであろう。

 「日本書紀」にも書いてあるように、神功皇后は、よく神憑り状態になったという。道真公が生前に不思議な力を発揮したとは伝わらないが、死後に起きた天変地異や疫病の流行、皇族の死が、道真公の祟りとして畏れられた。

 曽根天満宮の境内は広々としている。

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曽根天満宮の社殿

 享保二年の神門建築時に整備されたという。

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本殿

 本殿は天正十八年(1590年)に再建されたものである。瑞々しい姿なので、その後改修を経ているのだろう。

 境内には、享保八年(1723年)に曽根の庄屋河野貞清が寄進した見事な石橋がある。

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曽根天満宮石橋

 石橋は高砂市指定文化財となっている。高砂の名産竜山石製である。

 境内には江戸時代に「ほうそう神様」として信仰された石造物があった。

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ほうそう神様

 石が風化して、元々何が彫られていたか分からなくなっているが、鎌倉時代後期に造られた石仏だと言われている。

 江戸時代には、疱瘡などの難病や流行病を予防治癒する神様として信仰され、名前と年齢を書いた紙をこの石仏に貼付して祈ったそうだ。

 ところで、寛政十年に枯れた曽根の松はその後どうなったか。初代の樹下から生えてきた2代目は、その後も成長し、大正13年に天然記念物に指定されたが、昭和27年に松喰い虫のために枯れてしまった。3代目も同時期に枯れ、4代目も松喰い虫にやられて枯死した。

 今は5代目の松が育てられている。

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5代目曽根の松

 かつて曽根天満宮拝殿には、江戸時代の奇想の画家・曽我蕭白が描いた索牛の絵馬が架けられていたが、今は文化資料館に展示している。

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文化資料館

 神社の職員に尋ねると、今は文化資料館は公開していないようである。

 曽根天満宮の立派な社殿を見ると、道真公が厚く信仰されていることが分かる。

 八幡神である応神天皇と、天満大自在天神である道真公と、日本全国津々浦々に祀られる神様としてこの二柱は双璧である。

 神道では人間が死後に神として祀られるが、道真公以後、道真公ほど大々的に祀られた人物(神様)はいない。

 道真公は、今は学問の神様して崇敬されている。生きている間は不遇をかこった道真公が、神界では大きな影響力を持っていると想像したら、道真公の気持ちも少しは晴れただろうかと思って安堵する気になった。