法華山一乗寺 後編 附古法華石仏

 三重塔の前から石段の上を見上げると、大悲閣と呼ばれる本堂が見える。

f:id:sogensyooku:20191027195548j:plain

本堂

 本堂は、国指定重要文化財である。現在の本堂は、創建されてから四代目で、寛永五年(1628年)に、姫路藩主本多忠政によって建立された。

 本多忠政は、姫路城西の丸を築いて、姫路城を現在の姿に完成させた人である。

 初代本堂は法道仙人が開基した白雉元年(650年)に建てられた。二代目は、建武二年(1335年)に後醍醐天皇の勅願で建立され、大講堂と呼ばれたが、大永三年(1523年)に兵火により焼失した。三代目は、赤松義裕により永禄五年(1562年)に建立されたが、元和元年(1617年)に焼失した。そして建ったのが今に残る四代目本堂である。

f:id:sogensyooku:20191027200357j:plain

本堂

f:id:sogensyooku:20191027200528j:plain

 本堂は、平成10年の台風で被害を受け、平成11年から平成20年まで半解体修理工事が行われた。

 入母屋造り、本瓦葺の堂々たる建物だ。

f:id:sogensyooku:20191027201011j:plain

本堂の背面

 本堂の内部は、広々としている。

f:id:sogensyooku:20191027201129j:plain

本堂内部

 本堂内陣は撮影禁止である。格子を通して内陣を窺うと、厨子の前に小さな銅造観音菩薩立像が立っていた。ご本尊の観音菩薩立像は秘仏で、厨子の内部に祀られている。厨子内の秘仏と、表に出ている仏像と、2躯の観音菩薩立像があるようだ。

 中央の鰐口紐に五色の布が結ばれているが、この布はご本尊と結縁されているそうだ。

f:id:sogensyooku:20191027201622j:plain

本堂の天井

 天井には、お札のようなものが数多く貼られているが、どういういわれがあるか分からない。

 本堂の横には、兵庫県指定文化財の鐘楼がある。

f:id:sogensyooku:20191027202453j:plain

鐘楼

 鐘楼も寛永五年(1628年)に本多忠政によって再建されたものである。

 本殿裏には、鎮守諸堂と呼ばれる仏法の守護者達を祀るお堂が並ぶ。

 最も古いのは、鎌倉時代に建てられた護法堂である。

f:id:sogensyooku:20191027202843j:plain

護法堂

 春日造の護法堂は、仏法の守護神毘沙門天を祀る。

 護法堂の隣には、弁天堂と妙見堂がある。

f:id:sogensyooku:20191027203103j:plain

弁天堂と妙見堂

 向かって左が弁天堂で、室町時代の建築。音楽・芸能の神である弁財天を祀る。右側の妙見堂には、妙見菩薩を祀る。これも室町時代の建築。

 護法堂、弁天堂、妙見堂の三社は、奈良時代孝謙天皇の勅願により建てられたという。

 三社の側にある行者堂は、寛文年間(1661~1673年)に仁明天皇の御願により建てられた。

f:id:sogensyooku:20191027203653j:plain

行者堂

 役行者及び前鬼後鬼の木像を祀る。法華山の護摩供の道場である。

 奥の院まで歩くと、開山堂が見えてくる。

f:id:sogensyooku:20191027204010j:plain

開山堂

 開山堂は、寛文七年(1667年)の建立である。中には、鎌倉時代の快派の仏師・賢清が彫った法道仙人木像を祀る。

 開山堂の奥には、賽の河原がある。

f:id:sogensyooku:20191027204400j:plain

賽の河原

 巨岩の下に、小石が積み上げられている。親より先に死んだ小児が、賽の河原で親の供養のために小石を積み上げ塔を作ろうとするが、鬼に崩される。そんな小児を助けるのが地蔵菩薩とされる。これは、中世日本の庶民に広まった民話で、仏教とは関係ないという説がある。

 しかし、寺院の最奥に賽の河原があるということは、そのような民間信仰一乗寺が大切にしているということを現わしているのではないか。

 一乗寺から谷を隔てて北にある笠松山には、古法華(ふるほっけ)という字名が残っている。古法華が、法華山一乗寺の旧地であるとする説がある。

 現在の古法華一帯は、古法華自然公園という名称の公園となっており、ハイキングコースやキャンプ場がある市民の憩いの場となっている。

 この古法華の地に、古法華寺という寺があり、そこに国指定重要文化財の古法華石仏が保管されている。

 古法華石仏の正式名称は、石造浮彫如来及び両脇侍像である。

f:id:sogensyooku:20191027205559j:plain

古法華石仏を保管する建物

 この石仏は、白鳳時代(7世紀後半)の作で、わが国最古級の石仏である。石仏は、石造厨子の中に祀られており、中央には如来倚像、その左右には菩薩像、三重塔が彫られている。

 残念ながら予約なしでの拝観は出来なかったが、石仏を保管する建物の前の説明板には石仏の写真が載っていた。

f:id:sogensyooku:20191027210105j:plain

古法華石仏

 写真のように、石仏の顔が削られている。なぜ削られているのかは分からないが、戦乱や飢饉で苦しんだ先人たちが、石仏の顔を削って食することで、幸せになることを願ったという説がある。

 石仏が削られているのは残念だが、石仏の足元の方や光背を見ると、なかなか細密に彫られている。

 ところで、加西市を中心として、東播磨地方は、石棺や石仏の宝庫である。東播磨の石造の文化財をこれから数多く訪れることになるだろう。