藤原啓記念館

 正宗文庫から海沿いの道に戻り、備前市街に向かって走ると、右手に藤原啓記念館を含むFAN美術館が見えてくる。

 FAN美術館は、平成28年6月に藤原啓記念館を拡大発展させて、リニューアルオープンしたものである。備前焼人間国宝、藤原啓の作品を展示する藤原啓記念館を中心に、伝統的な日本画の他、草間彌生の現代美術なども展示している。陶芸体験も出来る他、藤原啓の作った茶碗で、和菓子を食べながら抹茶を飲むことができる。

 FAN美術館全体の入場料は1800円だが、藤原啓記念館だけなら700円で入場できる。

 今回は藤原啓記念館のみを訪れた。

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藤原啓記念館

 藤原啓記念館は、手前に広々とした芝生の一角を控え、そこから片島湾を眺めることが出来る。風光明媚とはこのことである。

 藤原啓は、明治32年(1899年)に備前市穂浪に生まれ、少年時代には文学に傾倒し、19歳で上京して、小説や詩を発表したり、絵画を学んだりした。

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藤原啓銅像

 しかし、38歳の時に自己の文学の限界を知り、神経衰弱に陥り帰郷する。翌年、近隣に住む友人の正宗敦夫からの勧めで、備前陶芸を始め、以後金重陶陽や北大路魯山人の薫陶を受ける。

 40歳からという遅咲きながら、71歳となった昭和45年に備前焼重要無形文化財人間国宝)に指定された。

 藤原啓記念館は、昭和51年に開館した。1階には藤原啓の作品を展示し、地下1階には古備前などが展示してある。

 FAN美術館の総合受付で料金を払うと、「写真撮影はOKです。どんどん撮ってやって下さい」と言われた。太っ腹な美術館である。

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 私は、陶芸に関しては全くの素人だが、作者の腕だけではなくて、窯の中の自然現象の偶然によって「景色」が出来る陶器というものは面白いと思う。作者の意図通りにならないところが、作者自身も面白いのではないか。以前は美しい絵付けをしている伊万里などの磁器がいいと思っていたが、このごろは形がいびつな楽焼などの陶器が味があっていいと思い始めた。

 藤原啓は、備前焼の人だと思っていたが、唐津焼織部焼なども作っていた。

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藤原啓作の織部の茶碗

 実は私の妻が自宅で陶芸をやっていて、たまに自作の茶碗で抹茶を点ててくれる。正座をして抹茶を飲むと、不思議と気分が落ち着いてきて、外の鳥の鳴き声や風の音などもよく聞こえる気がする。いい茶碗で抹茶を飲むと、また格別な気分になるだろう。

 例えばウェッジウッドの器などは、とてもお洒落で美しいが、陶器の良さはまたそれとは別である。自然現象の介入を作品に取り込んでいるため、陶器からは「自然の深み」を感じる。

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藤原啓作土瓶

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藤原啓作「備前窯変花入」

 写真の備前窯変花入などは、薪の灰が窯の中で花入にかかり、花入の上で溶けてガラス化した灰釉によって、自然現象が織り成す「景色」が生じている。これなどは、作者の作為で出来たものではない。大げさな言い方だが、驚くような「景色」を見せる陶器からは、「宇宙の神秘」を感じる。

 地下の展示室に下りると、古備前が展示している。備前焼は、日本六古窯の一つで、平安時代末期から生産されている。

 源流は、現在の岡山県瀬戸内市邑久地方で古墳時代から作られていた須恵器である。備前焼は、高い温度で焼締めるので、固くて割れにくい。また、備前焼に入れた飲料は腐りにくく、味も良くなると言われている。備前焼のビアジョッキが人気があるのもそのためだ。

 割れにくく、飲料の味を良くする備前焼は、古来から庶民の日用品としての需要が高かった。

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自然釉大壺(15世紀)

 写真の大壺は、上部に自然釉がかかっている。自然釉と灰釉は同じで、窯の中で器にかかった灰が溶けてガラス化したものである。

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緋襷四耳壺(16~17世紀)

 また、陶器に藁を巻いて、サヤという陶器を焼くための容器に入れて焼くと、火や灰が直接かからない藁を巻いた部分が周囲より濃く変色する。これを緋襷という。

 それにしても、古備前の壺は、どうしてこうも存在感があるのだろう。

 陶芸で、それが素人の作かどうかを判別するポイントは、飲み口であるらしい。陶器は薄く作るのが最も難しいとされる。私も体験陶芸をやってみたことがあるが、茶碗の飲み口が分厚くなって、とてもではないが薄く作ることが出来なかった。

 地下に展示されていた茶碗、銘「都わすれ」は、飲み口が驚くほど均一に薄く作ってあった。

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茶碗 銘「都わすれ」一阿老人作(18世紀)

 備前焼では、茶碗や皿や壺などの器だけではなく、獅子などの置物も多く作られている。

 展示してあった藤原啓作の観音像は、品のあるお顔をした像であった。

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藤原啓作観音像

 藤原啓は、当初は文学を志し、挫折した後に陶芸の道に進み、人間国宝となった。それを思うと、挫折するというのも次のチャンスを掴むきっかけなのかも知れない。

 挫折しても人生を諦めないということが、次の何かにつながると、藤原啓が教えてくれた気がする。