高砂市伊保3丁目にある膽匐山(せいぶくさん)真浄寺は、浄土真宗の寺院である。
ここには、江戸時代中期の画家・曽我蕭白の描いた障壁画があって、兵庫県指定文化財となっている。
しかし、楼門の前の柵が閉ざされて、境内に入ることが出来なかった。当然障壁画も公開していない。本堂を外側から見ただけである。
曽我蕭白は、奇抜な絵柄で知られる水墨画家である。曽根天満宮の絵馬といい、真浄寺の障壁画といい、曽我蕭白の作品が高砂に2つあるということは、曽我蕭白が高砂の地を訪れてしばらく画の構想を練った証左ではないかと思う。
次なる目的地、高砂市荒井町御旅1丁目にある摂取山利生寺を訪れる。浄土宗の寺院である。
本堂は、平成になって新築したであろう立派な建物である。本堂脇には、法然上人の銅像が建つ。
本堂の中に入ると、そこは極彩色の世界である。
ご本尊の木造阿弥陀如来立像は、兵庫県指定文化財である。明るい本堂の中で、ご本尊だけが寂びた色をしている。人々の祈りが凝り固まってこの像になったかのようだ。
ご本尊の右側には、阿弥陀三尊の来迎図が架けられていた。
浄土の姿とは、このようなものなのか。華麗な世界である。
高砂神社も毎年10月10日、11日の秋季例祭が有名である。この社頭で屋台の練り合わせが勇壮に行われる。
祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)と素戔嗚尊、奇稲田姫命である。
神功皇后は朝鮮征伐からの凱旋の途中、鹿古の水門(加古川河口)であるこの地に泊まった。
ここで神功皇后は、大己貴命から「此處は広く西国を見渡し、近く畿内を護るに適したよい處である。われこの地に留まらん」との御託宣を得た。
そこで、この地に大己貴命を祀ったという。これが高砂神社の発祥である。
円融天皇の天禄年間、国内に疫病が流行した。天禄三年(972年)、高砂神社に素戔嗚尊、奇稲田姫命の二柱の神を合わせ祀ったところ、疫癘がたちまち息んだという。それからは高砂牛頭天王社、又は祇園社と呼ばれた。
慶長十七年(1612年)には、姫路藩主池田輝政がここに高砂城を築いた。
元和元年(1615年)には、一国一城令により、高砂城は廃止されたようだ。寛永三年(1626年)に、高砂城本丸跡に高砂神社は戻された。
いまある社殿は、それ以降に建てられたものだろう。
本殿は、檜皮葺の簡素な建物である。
高砂神社は、古来から朝廷、国司、武将の尊崇が厚く、豊臣秀吉も朝鮮出兵の際に立ち寄って戦勝を祈願したらしい。
境内には、江戸時代に松右衛門帆布を発明し、択捉島に埠頭を建設した工楽松右衛門の銅像が建てられている。
高砂に生まれ、若いころから漁労に従事した松右衛門(1743~1812年)は、兵庫港に出て廻船問屋の船乗りになり、航海経験を多く積んだ。若いころから創意工夫が好きだった松右衛門は、むしろや綿布で作られた当時の帆船の帆に不満を感じ、播州名産の太い木綿糸を使った丈夫な帆布を発明した。松右衛門帆布として、たちまち全国の北前船で使用されるようになった。
江戸幕府は、千島列島にロシア船が出没するようになったことに危機感を感じ、択捉島に埠頭を建設することにした。白羽の矢が立ったのが松右衛門であった。松右衛門は択捉島に埠頭を建設した功績を幕府から称えられ、工楽(くらく)という姓を与えられた。
松右衛門は、その後も函館港にドックを作ったり、高砂港や鞆の浦港を改修したり、日本の航海の世界を刷新し続けた。
播州にこんな偉人がいたことを又知ることが出来た。史跡巡りは楽しいものである。
高砂神社が創建されてからしばらくして、境内から1本の松が生い出でた。根は一つで雌雄の幹が左右に分かれたので、地元の人は神木霊松と称えた。これが相生の松である。
すると日本列島の生みの親である伊弉諾尊、伊弉冊尊の夫婦神が現れ、「我は今より神霊をこの木に宿し、世に夫婦の道を示さん」と告げた。それから人々は、二神を尉姥(じょうば)と呼んでこの地に祀った。
相生の松は古来和歌にも詠まれ、謡曲の題材にもなったが、枯れてしまった。それを惜しんだ姫路藩主本多忠政は、三代目の相生の松を植える。三代目相生松は、大正13年に天然記念物に指定されたが、昭和12年に松喰い虫にやられて枯れてしまった。境内には三代目相生松の幹が保存されている。
今は秩父宮勢津子妃殿下御命名の五代目相生松が育てられている。
世に夫婦の道を示す尉姥の二神は、高砂神社境内の尉姥神社に祀られている。
毎年5月21日には、尉姥祭がこの尉姥神社内で催される。能楽師が社宝の翁の面を着けて神前で舞を奉納する「お面かけ神事」などが行われる。私もかつて妻と見学したことがある。
尉姥神社には、尉と姥の神像が祀られている。神像は、天正年間の戦乱で行方不明となったが、寛政七年(1795年)にめでたく京都で見つかり、5月21日に御遷座奉祝祭が盛大に行われた。お面かけ神事は、それ以来現代まで継承されている。
私は日本の神話が好きだが、好きな理由は神話が妙な理屈や思想を語らずに、自然な人間の気持ちをそのまま表出しているところにある。国土や自然現象、神々の誕生が、全て伊弉諾尊、伊弉冊尊の夫婦和合と離別から始まっているというのが、何とも素朴で人間臭くていい。特に「古事記」は、素朴な味わいがあっていい。
夫婦の道というものは、昔から変わらぬ人間の永遠のテーマなのかも知れない。