西国三十三所観音霊場の第26番札所として知られる名刹である。
当ブログとしては、姫路城、閑谷学校に続いて、3度目の国宝建造物の訪問である。
元亨二年(1322年)に書かれた「元亨釈書」には、一乗寺は白雉元年(650年)に法道仙人によって開基されたとある。
インドから紫雲に乗じて我が国に飛来した法道仙人は、谷は蓮華の如く峰は八葉に分かれたこの山に下り留まり、山を法華山と名付けたという。
実際は法道仙人を慕った孝徳天皇の勅願で法道仙人が開基したのだろう。
ご本尊の聖観世音菩薩像は、白鳳時代の作であるとされている。実際の創建も白鳳時代には遡ると思われる。
一乗寺のある場所は、加西市、姫路市、加古川市の境界に近く、市街地からは離れており、静けさに包まれた霊域であると感じる。
境内に入って右に行くと、太子堂がある。
太子堂は真新しい建物であった。近年建て替えられたものであろう。しかし内部に安置されている厨子は、古びたものであった。
厨子は昔から伝わるものであろう。
一乗寺には、国宝「聖徳太子像及び天台高僧像」という10幅の絵画が伝わってきた。聖徳太子とインド、中国、日本の天台の高僧達を描いた画である。平安時代の作と言われている。
これらの国宝絵画は、現在は東京国立博物館、奈良国立博物館、大阪市立美術館に寄託されていて、一乗寺では展示していない。
この厨子内に、かつては聖徳太子像が掛けられていたのではないか。
元亨元年(1321年)十月十七日、権律師阿弁の銘がある。梵字がしっかり彫られた堂々たる五輪塔だ。
急傾斜の石段を登ると、左手に常行堂が見えてくる。
常行堂は、阿弥陀堂とも呼ばれている。聖武天皇の勅願で建立された。たびたびの火災で焼失したが、明治初年に再建された。
国指定重要文化財である絹本着色阿弥陀如来像を祀っているものと思われる。
常行堂からは、国宝の三重塔を見上げることが出来る。
この三重塔は、私が史跡巡りで訪れた四つ目の三重塔である。そして初の国宝の三重塔である。
三重塔は、瓦の銘から、承安元年(1171年)に建立された塔であることが分かっている。日本国内でも十指に入る古い塔である。
この三重塔は、上の層ほど屋根が小さくなり、安定した優美な姿をしている。
三重塔は、寺域の丁度中腹にあり、本堂に至る階段から見下ろすことが出来る。様々な高さから鑑賞できるのが、この塔のいいところだ。
どの高さから見ても、バランスの取れた優美な姿である。屋根の上の相輪と、下に行くほど広がる塔全体の形が調和しているのだろう。
平安末期に出来たこの塔が、源平合戦、南北朝の争乱、戦国時代という乱世を、燃えずに乗り越えて来たのは奇跡的だ。
三重塔に安置されている本尊は五智如来だが、その霊験のおかげであろうか。
いずれにしろ、兵庫県が誇る国宝建築物の一つである。
三重塔の前には、宝暦十二年(1762年)に建立された法輪堂(経堂)が建っている。
内部には、黄檗版一切経が収められた輪蔵がある。輪蔵の前には、輪蔵の創始者善慧大師とその二子の像が安置されている。
一乗寺の本堂は、大永三年(1523年)の兵火で一度焼けている。この一乗寺も戦場になったことがあるのだ。
古い木造建築物は、それだけで威厳あるオーラを放っている。戦火を乗り越えて来たのなら猶更である。
森厳としたこの霊域で、優美な国宝の塔は、凛とした姿で立ち続けている。