鶴林寺 後編

 境内に、法華一石一字塔というものがある。明和八年(1771年)に建立されたもので、法華経の文字を一つの石に一字づつ書いて千部納め、読誦して回向し、三界万霊の菩提を弔ったものである。

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法華一石一字塔

 塔の背後には、近年設置されたと思われる「ふりきり石」がある。

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ふりきり石

 この陀羅尼が彫られた石を念じながら回すと、心にある邪念が振り落とされ、新たな自分に生まれ変わるという。願いが叶う効果もあるそうだ。

 観音堂は、宝永二年(1705年)の建築である。かつては白鳳時代の金銅仏、金銅聖観音菩薩立像をご本尊として祀っていたが、今は宝物館にて展示されている。

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観音堂

 観音堂の今の御本尊は、かつて浜の宮神社の本地仏として祀られていた、木造聖観世音菩薩立像である。

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観音堂厨子

 観音堂厨子の内部に、秘仏である木造聖観世音菩薩立像が祀られている。その前に立つのは、お前立ちの聖観世音菩薩立像である。

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お前立ちの聖観世音菩薩立像

 お前立ちの観音菩薩像も、心洗われる神々しいお姿だった。

 観音堂の隣にある護摩堂は、永禄六年(1563年)の建築である。国指定重要文化財である。

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護摩

 護摩堂は、内部中央に護摩壇がある。ご本尊不動明王の前で護摩を焚き、自己と不動明王が一体となる行を行う場所である。

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ご本尊不動明王

 こうしてみると、純粋な密教の修行をする真言宗東密)と比べ、天台宗台密)は、阿弥陀三昧や法華三昧といった、本来の密教と異なる修行の中に、密教の修行を取り入れているのが分かる。

 空海は、当時インドから中国に伝わった中期密教の修法をそっくりそのまま日本に持ち帰ったが、最澄法華経を中心とした天台教学を持ち帰った。

 ちなみに純粋な密教の修法は、インドと中国では滅んでしまった。今、純粋な密教の姿を受け継いでいるのは、世界で日本の高野山だけである。チベット密教は、ヒンズー教の教えを取り入れた後期密教で、仏教以外の要素が強くなっている。

 最澄は、帰国後天台教学に密教を取り入れるため、年下の空海に礼を尽くし、密教の教えを受けようとした。しかし、むしろ二人の仏教観の違いが浮き彫りとなり、結局最澄空海から教えを受けることはなかった。

 その後、最澄の弟子の円仁、円珍密教を学んで、天台教学の中に取り入れた。

 天台宗は、法華経を中心にして、禅や念仏、密教の修法を取り入れ、体系化した教学を有する。書物などで読んでも実感が湧かないが、こうして鶴林寺で、常行堂阿弥陀三昧)、太子堂(法華三昧)、護摩堂(護摩行)といった、それぞれの修行を行う建物が並んでいるのを見ると、天台宗が仏教の総合デパートのような存在であることが分かる。

 鎌倉時代に起こった日本仏教のニューウェーブは、比叡山で学んだ僧侶たちが起こしたものである。比叡山は、日本仏教の母と呼ばれているが、その通りである。

 さて、境内の東隅に、宝物館がある。

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宝物館

 宝物館は、かつて鶴林寺の寺宝の一つが何者かに盗まれたことを契機として、寺宝を管理して展示するための施設として建てられた。

 内部は写真撮影できないが、入り口近くにある太子堂の内部模型だけは撮影できた。

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太子堂の内部模型

 宝物館の中の展示物は、一見の価値あるものばかりである。圧巻とはこのことだ。

 太子堂の壁画が現代画家の手で復元され、その鮮やかな仏画が描かれた壁と柱の中に、太子堂のご本尊である釈迦如来像と仏天蓋、文殊菩薩像、普賢菩薩像、四天王像が安置され、本来の太子堂内陣の姿が完全に再現されている。

 その他、国指定重要文化財となっている貴重な品々が展示されている。

 中でも一際目を惹くのは、国指定重要文化財である白鳳時代の仏像、金銅聖観音菩薩立像である。

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金銅聖観音菩薩立像

 この観音菩薩立像、別名を「あいたた観音」という。かつて盗賊が、この仏像を盗み出し、溶かそうとしたところ、溶けなかったので、破壊しようとした。すると、仏像が「あいたた」と言って痛がったので、盗賊は回心し、仏像を元に戻したという。

 しかし、盗賊に叩かれた時に曲がった腰は、元に戻らなかったそうだ。

 写真は、鶴林寺のホームページに掲載されていたものである。謎の微笑みを浮かべている。

 写真は、正面からの姿だが、実物を側面から眺めた時の前後の腰のくびれが絶妙であった。謎と気品と優雅と艶やかさが同居する仏像である。

 私が史跡巡りで今まで拝観した仏像の中で、最古のものである。また、高さも1メートル未満で、小柄で可愛らしい観音様である。

 私があいたた観音を観るのはこれで2度目だが、何度も会いたくなる仏像だ。

 鶴林寺の前身の四天王寺聖霊院が開創されたころ、人々が出来たばかりの金堂聖観音菩薩立像を安置した時、きっと微笑んでいただろうと想像すると、こちらも覚えず微笑んでしまった。