林野

 長福寺を出て、国道374号を使って吉野川沿いを北上する。

 しばらく車で走ると、美作市安蘇にある、安蘇宝篋印塔に至る。

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安蘇宝篋印塔

 安蘇宝篋印塔には、正中二年(1325年)性忍敬白という銘文がある。

 鎌倉時代後期は、石造美術の最盛期である。この時代に、なぜ石造美術が多数現れたかは謎だが、鎌倉時代はじめに大陸から伝わって、後期に至って一気に流行したのではないかと思われる。

 安蘇宝篋印塔は、岡山県指定重要文化財である。

 ここから北上すると、湯郷温泉に至る。

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湯郷温泉

 湯郷温泉には、若いころ宿泊に来たことがある。その時に泊まった湯郷グランドホテル前の通りを撮影した。

 朝の温泉街には、独特の雰囲気がある。宿泊を終えた客が旅館から送り出される時間帯である。温泉に入って身も心も満足した人たちの気持ちが、町に満ち溢れているように感じる。

 湯郷温泉から北に行くと、美作市の中心となる林野の町に入る。

 林野の町を代表する洋風建築が、中国銀行旧林野支店本館である。

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中国銀行旧林野支店本館

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 この建物は、大正10年(1921年)に妹尾銀行林野支店として建てられた。ルネサンス様式を取り入れた、重厚で優雅な造りである。美作市指定重要文化財となっている。

 その後、中国銀行林野支店となったが、昭和59年の店舗移転を機に創建当時の姿に復元された。

 一時は美作市歴史民俗資料館として利用されていたが、平成25年から閉館している。

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 1921年と言えば、およそ100年前である。この建物は、その間林野の町の成り行きを見守ってきた。その重厚な姿は、郷土の誇りともなるべきものである。

 林野には、聖徳太子創建の間山(はざまやま)高福寺の法灯を継ぐ間山安養寺がある。

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安養寺仁王院

 高福寺は、用明天皇元年(586年)に勅願寺として、今の安養寺の場所から北西に約10キロメートルの位置にある勝南間山に建てられた。

 高福寺は、その後天正元年(1573年)に兵火で焼失し、安養寺と名を変えて梶並川沿いの沢村に再建された。
 慶長八年(1603年)に津山の国主となつた森忠政は、林野城址の麓に別荘を営み豪華な蓬莱枯山水、鶴亀の庭園を設けた。

 安養寺は、寛文三年(1663年)に真言宗御室派の寺院となる。
 森家の意向により、忠政の別荘の地が安養寺に寄贈され、元禄十年(1697年)に安養寺はこの地に移った。

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蓬莱枯山水

 仁王院の裏には、小堀遠州が作庭し、忠政が眺めたとされる枯山水の庭園がある。美作市指定名勝となっている。

 安養寺のご本尊は、国指定重要文化財の木造十一面観音立像である。森家の人々も厚く信仰したという。

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安養寺観音堂

 木造十一面観音立像は、秘仏となっており、33年に1回開帳される。

 安養寺の裏にあるのが、標高249メートルの城山である。山上に林野城跡がある。

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城山

 林野のハローワークの裏に登山口がある。そう高くない山である。

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林野城復元図

 登り出してすぐに三の丸に至る。

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三の丸の削平地

 登っている途中に目の前を雄鹿が横切った。自然の中にいるのを実感する。

 林野城は、鎌倉時代に築城された。最初は在地豪族の後藤氏の居城だったが、その後、山名、尼子、浦上、宇喜多、小早川と支配者が変遷した。

 森忠政津山藩主となったころには、廃城となっていたことだろう。

 二の丸跡は、林の下に熊笹が生い茂り、その上を風が渡る不思議な空間だった。

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二の丸跡

 二の丸からは、湯郷温泉の町並みを一望できる。

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二の丸からの眺望

 林野城は、城山の馬の背状の地形をうまく利用して築かれた連郭式の城である。本丸跡に上がると、奥行きのある馬の背状の地形が広がっていた。

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本丸跡

 本丸の主屋が建っていたと思われる場所は、土が盛り上がって土壇のようになっていた。

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 この城の上で、武士たちは何を話したのだろう。

 林野の町を短時間に散策したが、寺院や城跡や旧銀行の歴史を知り、それを繋げて考えるだけで、町の過去が浮かび上がってくる気がする。

 林野は小さな町だが、どんな小さな町にも、尊重すべき来歴がある。家族にも歴史があるように、人が集まればそこには歴史が生まれるのだ。