天神山城跡から北に行くと、三保高原というレジャー施設等がある高原に至る。地名で言うと、和気町田土字杉沢である。
ここにはかつて、奈良時代に報恩大師が建立した備前四十八寺の一つ、安生寺を前身とする杉沢山長楽寺があった。
長楽寺は、檀家の便を考え、昭和12年(1937年)に高原上から麓の矢田に移転した。
杉沢の地には、岡山県指定文化財である石造五輪塔と堂宇の一部が残された。
ところで、報恩大師は、東播磨でいうところの法道仙人のような人だろうか。
白鳳時代にも備前には寺院があったが、現代に伝わるものはない。現存する備前の寺院で、最も古い寺院は、報恩大師が開基したものである。報恩大師は、備前の仏教界のパイオニアだったのだろう。
私が今まで訪れた廃寺は、白鳳時代に創建され、平安時代ころに廃寺となったものばかりだったが、この旧長楽寺は、昭和になって廃寺になったものである。山門と小さな祠、宝篋印塔が残されていた。
旧長楽寺の山門の手前の丘の上に、石造五輪塔がある。
貞治五年(1366年)の銘を持つ五輪塔で、四方に地水火風空の五大の種子を薬研彫している。
麓に移転した今の長楽寺は、特に目立った伽藍もなく、ひっそりとしている。
さて、ここから吉井川を越え、佐伯の町に入る。
和気町佐伯の小高い山の上にあるのが、日蓮宗の寺院である太王山本久寺である。
本久寺は、宇喜多直家の弟宇喜多忠家が天正年間に建立したと伝えられている。
元々、今の本久寺のある場所から北方約2キロメートルにある大王山上に、真言宗の密厳寺という寺院があった。
日蓮宗への信仰が厚かった忠家は、密厳寺に改宗を迫ったが、拒否されたためこれを廃寺とし、居城に諸堂宇を移築した。それが今の本久寺である。
ということは、今本久寺のある小高い山には、忠家の居城があったことになる。
本久寺山門の脇には、石造密厳寺九重層塔がある。岡山県指定文化財である。
大王山上にあったものを、大正2年(1913年)に山門脇に移転させたものである。忠家の時代に始まった寺院の移転作業が、大正になっても行われていたのが面白い。
左側面に元亨二年(1322年)と彫られ、背面に「備前国佐伯庄太王山密厳寺」と彫られている。
初層の塔身には、四方仏が彫られている。
鎌倉時代後期の優れた石造美術品である。
本久寺本堂も、元々密厳寺の堂宇だったものを改築したものである。平成25年に保存修理工事を終えた。安土桃山時代の建築様式を濃厚に伝えているそうだ。
本堂は遠くから見ると地味だが、近づいてみると、彫刻が鮮やかに彩色されて、桃山時代を彷彿とさせる。
又、軒の格天井には、様々な家紋が描かれている。
本久寺は、日蓮宗不受不施派だったが、岡山藩による寛文年間(1661~1673年)の不受不施派への弾圧のため廃寺となった。
本久寺は、その後、貞享四年(1687年)に受不施派寺院として再建された。
岡山藩池田家は、仁政を敷いたことで著名だが、不受不施派への弾圧は苛烈を極めたようだ。
境内には、天明四年(1784年)に大王山から移築された石造密厳寺五重層塔がある。
元亨四年(1324年)の建立である。この五重層塔も、塔身に四方仏が彫られている。
同じ元亨時代の作なので、九重層塔と同じ作者が造ったのではないかと思える。鎌倉時代後期の備前に、このような層塔を造った職人がいたのだ。
さて、本久寺から少し西に行った和気町田賀に、岡山県自然保護センターがある。
100ヘクタールの敷地内に、湖や湿生植物園、水生植物園、昆虫の森、野鳥観察の森、タンチョウの飼育施設などがある。
タンチョウは、東アジアに生息する鶴の一種で、日本で繁殖する唯一の鶴である。明治以前は日本各地で見られたが、明治以降の開発による湿地の減少や乱獲により、一時は絶滅したと思われた。
野生のタンチョウは、現在は釧路地方を中心に、約1200羽生息している。国の特別天然記念物である。
岡山県自然保護センターでは、タンチョウを自然に近い環境で飼育繁殖させている。
自然保護センターの湖のほとりに、放し飼いのタンチョウ二羽がくつろいでいた。はっとさせられる優美さである。
日本鳥学会が決めた国鳥は雉だそうだ。雉は日本固有種だからだろうが、タンチョウの優美さも我が国の国鳥に相応しいと思える。
ところで、史跡巡りを始めて、一体「日本」とは何かと考えるようになった。日本の和歌や神道や日本仏教は、日本の自然や風土を離れては存在できないものである。
ユダヤ教やイスラム教、キリスト教といった世界宗教が世界のどの風土でも存在出来るのと異なり、日本の文化は日本の自然環境と花鳥風月を離れては存在できない。
月並みだが、「日本」とは、日本列島の自然とそこに居住する日本人が、相互に関連しながら生みだした文化の総体ということになりそうだ。勿論、日本文化を生み出すには日本語を用いていなければならない。
日本の風土と日本語が残る限り、日本は滅亡しないなと思い、少し安堵した。