尾上神社

 兵庫県加古川市尾上町長田にある尾上(おのえ)神社は、謡曲高砂」に出てくる相生の松(尾上の松)がある場所である。

 今は尾上神社のある場所は加古川市になるが、かつてこの辺りは、「高砂の尾上」と呼ばれ、古歌、謡曲に出てくる名所であった。

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尾上神社随身

 神功皇后は、三韓(朝鮮)征伐の際、航海の神・住吉大明神の「我を祀らば、海上を鏡の如く進むであろう」という託宣を受け、無事に航海を続け、凱旋することが出来た。

 神功皇后三韓征伐からの凱旋の際に、この地に上陸したが、霖雨が降り続いて軍を進めることが出来なかった。そこで、皇后は「鏡の池」で斎戒沐浴して、住吉大明神を鎮祭し、晴を祈願されたという。これが尾上神社の発祥である。

 尾上神社の祭神は、住吉三神(住吉大明神)である底筒男命(そこづゝおのみこと)、中筒男命(なかづゝおのみこと)、表筒男命(うわづゝおのみこと)と、神功皇后である息長足姉命(おきながたらしひめのみこと)である。

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尾上神社拝殿

 住吉三神は、オリオン座の三星のことだという説がある。昔の船人は、夜はあの三星を目印にして航海したという。

 尾上神社で有名なのは、尾上の松と尾上の鐘である。

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尾上神社社殿

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尾上神社本殿

 昔から、尾上の松は、一つの幹が途中で二つの幹に分かれる相生の松として有名であった。

 尾上の松が出てくる謡曲高砂」の梗概はこうである。阿蘇神社の神主友成が、同行者と共に都に上る途中、播州高砂の浦に至り、そこで出会った老翁(尉)と姥から「古今和歌集」仮名序にも載る高砂の松の謂れを聞く。尉と姥は、松の徳が君徳(天皇の徳)と歌徳(和歌の徳)と同じであると説く。そして実は自分たちは夫婦で、高砂の松と住吉の松の精であると名乗り、住吉での再会を約して海上に去る。

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拝殿の松と尉と姥の彫刻

 摂津住吉の地に至った友成は、そこで住吉大明神の出現にあい、大明神の神舞を拝むことになる。

 春夏秋冬いずれの時も色の変わらぬ松の葉のめでたさが君徳(天皇の統治の永遠性)を表し、松の葉が尽きせぬほどに繁茂する様が言の葉が尽きない歌徳(和歌の永遠性)を表し、一つの幹から二つの幹が分かれる相生の松が、妹背(いもせ・夫婦)の道を表している。

 「高砂」は、何ともめでたい曲だが、ここまで書いて、何故か先日の天皇皇后両陛下の即位パレードを思い出した。皇室が続いていることで、神々の世界を身近に覚えることができる我が国のありがたさを身に染みて感じる。

 初代尾上の松は、謡曲高砂」に、

所は高砂の 尾上の松も年ふりて 老ひの波も寄り来るや
木の下陰の落葉かく なるまで命ながらへて
なおいつまでか生き松の それも久しき名所かな 

 と謡われた霊松だったが、秀吉の三木城攻めの際、三木城別所氏の応援のためこの地に上陸した毛利方の武将が、薪にするために切り倒してしまった。

 三代目尾上の松は、大正13年に天然記念物となるが、昭和24年に松くい虫により枯死する。

 今境内にあるのは、五代目尾上の松である。

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五代目尾上の松

 また、社殿の隣には、神功皇后を慕って、枝が全て東に向いていたという名松、片枝の松の三代目がある。

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片枝の松

 私も最近どんどん年配趣味に近づいて行って、盆栽を見ていいと感じるようになってきた。日本人と言えば桜といってもいいが、松のいつまでも変わらぬ姿もいいものである。

 尾上神社にある有名な文化財が、尾上の鐘と言われる銅鐘である。国指定重要文化財となっている。

 勅撰和歌集の「千載和歌集」には、素性法師の、 

たかさこの 尾の江の鐘も 音すなり 暁かけて 霜やおくらん 

という歌が載っている。

 この鐘は、神功皇后三韓征伐の凱旋の際に、朝鮮半島から持ち帰った鐘だという伝説がある。

 実際は、鐘に高麗の顕宗二年(1011年)の銘があるので、その時代に鋳られたものである。どういう謂れで、半島からこの銅鐘が伝わったのかは分からない。

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銅鐘の保管庫

 銅鐘は、中央に蓮台に座った如来が浮き彫りにされ、頭上に天蓋と小さな楽器が飛んでいる。 そして天女二人が、上方まで天衣をひるがえし、寄り添うように如来の左右に浮彫されている。天女が楽器を演奏する様子を彫ったのかも知れないが、鐘には罅が入って、今は音を鳴らすことが出来ないらしい。

 昔から日本人は、自然の姿にありがたさを感じてきた。

 謡曲高砂」には、歌人藤原長能の歌論として、

有情非情のその声 みな歌に洩るる事なし

草木土砂 風声水音まで 万物の籠る心あり

春の林の 東風に動き 秋の虫の 北露に鳴くも

みな和歌の姿ならずや

と書いてある。

 生命のあるなしにかかわらず、万物に心が宿り、自然現象の姿が全て和歌になるという考え方である。

 現代人には理解不能になりつつある考え方だが、自然現象を愛でることで消閑していた昔の人には親しみやすい言葉だったろう。

 もう冬だが、寒くなって風が吹き、枯れ葉が木から落ちるのを眺めることも、実は最高に贅沢なことなのである。